第1話 Vtuber――仕事の流儀

 政木有馬まさきありまはVtuberである。


 Vtuberとはイラストで描かれた2Dモデルをもとに配信をする職業で、簡単に言えば自分の顔を出さずに実況する配信者のようなものである。

 しかしただの顔を出さずに配信する配信者と何が違うかと言えば、それは「自分とは別の人間を演じている」という点になる。


 まあそれでも大きな違いはないと言っていい。


 そして政木有馬は、Vtuberである。正確には汐留正樹しおどめまさきという生の人間がVtuberという職業に就いているのだが……。もう細かいことはどうでもよい。


 政木有馬はVtuberである(3回目)。ただし、彼はVtuberとしての収入が月に5万円にも満たないので、汐留正樹として会社に勤めながら副業という形でVtuberをやっている。


「おはようございます」


 政木は朝の7時には出勤をする。自分で仕事ができないほうだと認めているので、周りとの差を埋めるためには出勤時間で埋めるしかないと思っている。


「あ、汐留先輩っ‼ おはようございます!」

長良ながらは相変わらず元気がいいな。おはよう」

「いえ、先輩の顔を見たので元気になりました!」


 政木に朝から元気な声で話しかけたまん丸な目の女の子は、長良花ながらはなという23歳の女性だ。

 ショートカットの明るい雰囲気の彼女は、2つ年上の政木に大きな信頼を寄せていた。


「先輩朝から早いですね~」

「仕事が終わらないからな。要領わるいから時間だけでも長いことやらないとな」

「それは課長がいつも政木さんにだけ仕事をたくさん振るからですよ‼ あんな理不尽なことしておいて、自分は遅くに出勤してくるなんてさいてーです!」

「長良、あんまり人の悪口は言うな。気持ち的には楽になるかもしれないが、自分の成長には繋がらないぞ」

「わたしは先輩が酷い目に遭ってるから怒ってるんです!」


 長良は慰めていた張本人である政木になぜか怒った後、自分のデスクに戻って仕事に取り組み始めた。


「相変わらず忙しいやつだな……」


 それでも政木は自分のことで怒ってくれる後輩がいることに感謝しつつ、耳栓を着けて自分の仕事に入っていった。




「ふう……今日も疲れた」


 政木が家に着いたのは午後の8時過ぎだった。

 そしてここからは副業の仕事の始まり時間でもある。


 まずはメールの確認をする。事務所の方からメールが届いていないかの確認をし、それからスケジュールの確認をする。


「今日は10時から配信か」


 配信時間を確認すると、今度はそれに向けてサムネイルの作成をしたり配信設定の確認をする。


「ん?」


 ユーチューブの方の配信設定を確認していると、ふと昨日に比べて大きな変化が起きていることに気が付いた。


「登録者数が5千人も増えてる……?」


 政木の登録者数は1万人。これはVtuber業界では実は中の下くらいになる。


 Vtuberといってもその実はピンからキリまでだ。登録者数が千人に満たない個人のVtuberもあれば、『スタバ』や『ぶいのへや』などの大手の事務所になると入って1ヶ月という新人でも登録者数が10万人を越える。


 そして1万人とVtuberの中ではそこまで多くない登録者数の政木にとって、5千人増えるのは普通は起こりえないことだ。


「なんかあったっけ……?」


 切り抜き動画でも上がっているのかもしれないが、それよりもまずは配信準備だ。


 晩御飯を食べながらゲームの準備をして、そして配信を定刻通りに開始した。


「はいみなさんこんばんは。トリミングV所属の政木有馬です。今日は〇〇というゲームの続きをのんびりとやっていきたいと思います」


 政木の配信は穏やかなゲームに雑談メインの配信だ。

 最近何があったかだとか、何に悩んでいるのだとかいうことを積極的に話して少ないリスナーとのつながりを大切にしている。


 見た目は短髪の好青年。八重歯が見えたりとお茶目っ気のあるイメージも見えながら、正装はネクタイを付けた紺のワイシャツと隙のない雰囲気だ。政木の性格にフィットされたデザインで、その声と相まって「守りたくなるような年下男性」の代表格と言える。


「あ、そういえば今日だけで登録者数が5千人も増えてて……今日も初見さんが多いみたいだけど、何か理由知ってる?」


 政木が思いつきで口にしたことに対し、リスナーがコメント欄で返してくれる。


「『スタバの夕暮月日とわんらんの林檎みかんに名前出されてた』……って嘘でしょ? マジで、あのレベルの人たちが僕なんかを知ってるってことがあるのか?」

『マジマジ』


 登録者数が増えたのは彼女たちのおかげだったのか……と正木は納得いった。Vtuberのリスナーは意外と色々な人の配信を見ることが多い。

 そもそもVtuberという新しいコンテンツに興味を持つような好奇心旺盛な人間だから、色んな配信者を見て自分の推しを決めたり推しを増やしたりする。


 今回増えた5千人というのは、その中でも特にVtuberというコンテンツに興味を持っている人間だろう。


「でもなんで僕の名前を? あれだけ人気な人たちが僕の名前を知っていることだけでも驚きだけどさ」

『夕暮が政木のことを知ったんだって』『政木、夕暮に目付けられてるから気を付けろよ』

「目付けられてる? え、なんかやらかしたっけ……。『いや、ガチ恋だぞ』いやいや、まさかそんなわけ」


 夕暮が男性ライバーの名前をよく口にするので、その一環で自分の名前を出してもらったのだと政木は解釈した。


「いやでも名前出されたって、信じられないなあ。たしかにそうなんだろうけど、夢にも思わなかったよ」

『コラボは?』

「コラボ?。こちらからしたら願ってもないことだけど、さすがにあっちももうちょっと登録者数の多い人とコラボしないとダメだろうね。名前に傷がつくっていうか、そういったことって意外と大事だったりするよ」

『政木は相変わらず真面目だな。でも林檎氏がコラボの誘いするって言ってたから覚悟はしといたほうが良いぞ』

「はは、まあもしそんなことがあったら多分緊張で何も話せなくなるね……。僕、女の子と話すの得意じゃないし」


 コメント欄と穏やかに会話をしながら、ゲームの方をスローペースで進めていく。登録者数が増えたからといって、政木がやることは変わらなかった。


 が、コメント欄にある人物が登場したことで流れは変わる。


『林檎ちゃん⁉』『林檎さんもよう見とる』『本物じゃね?』

「え、どしたどした。え、林檎さんが見てる? いやいや、まさか……『コラボしたいので、またできる時間があったら教えてください!』って本物じゃん‼ まじか……恐れ多すぎてほんと名前出していただいただけでもありがたいです。僕の方は時間をある程度合わせられると思いますので……ってやばい、これ以上は裏で話さないと」


 珍しく動揺している政木。それだけ登録者数の違いというのは、政木にとってもVtuber界のルールにおいても大きなものだ。


「コメント越しでこれとか、僕ほんとに大丈夫なのか……」


 それから政木はスーパーチャットのお礼を軽く済ませた後、配信を切った。


 そしてすぐに林檎から連絡があり、二日後にコラボを組むことが決まった。


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