第7話 コスタ到着

 故郷を思い出すたび、最初にあるのは押しつぶされそうに鬱蒼とした森の景色だった。


 歩けど歩けど人の気配はせず。光は徐々に赤くなり、すぐに群青、闇へと沈んでいく。


 声は出さなかった。出してしまえば、そのまま泣き出しそうだったから。


 かくれんぼをして、母親とはぐれた。それが当時思っていた感情だ。


 今思えば、捨てられたんだと思う。現在に至るまで、俺の母親だと名乗る人間は現れていない。


 だが、それはどうでもいいと思っている。寂しくも無ければ、不幸だとも思っていないから。


「あら、もう暗い時間ですよ、おうちへお帰りなさい」


 倒木をくぐった先で、そんな言葉を掛けられた。


 俺は驚いたし警戒もした。森のど真ん中でメイド服を着た女性が服も汚さずに立っているのだ。


「……そう、可哀そうに」


 だが、彼女は俺のそんな心情を気にすることもなく、俺の境遇を察すると、手を差し伸べてきた。


「私の屋敷にいらっしゃい。夜は危険ですよ」


 その時のみこんだ唾の感触を、俺は今でも覚えている。その手を取らなければ死ぬ。恐れ、疑っている暇などない。そんな気持ちにさせるような、身体に染み付いた本能がそう言っていた。


「良い子ね」


 メイド服の彼女は、手を握った俺をひょいと抱き上げた。その腕は、見た目よりもずっと安定感があり、俺は彼女の整った顔と長くさらさらとした銀髪、そして吸い込まれそうな血色の瞳に包まれながら目を閉じた。


 それがコスタ領主に代々仕える不死種(ノスフェラトゥ)のメイド、ユナとの出会いだった。



 ユナは森の奥深くに俺を連れていくと、そこにある領主の館に招き入れた。そして泥だらけの俺を暖かい湯で清めてくれた。そして食事を用意して、食べたらよく眠るようにと俺に言った。


 安心感から、俺はすぐに眠りに落ちる。気づけば朝日が窓から差し込んでいた。


「おはようございます。ニール」


 ユナは慎重に、日光に当たらないよう位置取りをしつつ、微笑んだ。


 今だから分かるが、不死種にとって日光は天敵だ。そんな危険を冒してでも、俺の側に一晩いてくれた。彼女の母性には感服する。


 彼女はその後、領主に引き合わせてくれ、そして、俺は領主の娘、エレンと出会った。


 彼女は――



――



 そこまで話して、メイがうとうとと舟をこいでいることに気付いた。


「眠いか?」

「いえ、大丈夫……です……」


 そうは言うが、何処からどう見ても眠る寸前だった。他人の思い出話なんてつまらないだろうに、そんなに無理して聞くものじゃない。


「無理するな、続きはまた今度だ。今日は寝ろ」

「……はい」 


 眠気も限界だったのか、メイはふらふらと自分のテントへ戻っていった。


「さて」


 俺は再度周囲へ気を配る。


 近くの川から聞こえるせせらぎ、虫の合唱、雲さえ見える煌夜は、それらに支配されていた。



――



 村人が乗ってきた馬車は、全て森の入り口で止めさせて、待っているように言っておいた。


 ついて来ているのは、村長とメイの二人だけだ。無用な混乱は避けたいし、この森も安全というわけではない。


「じゃあ、これから領主とその側近に挨拶することになる。既に話は通してあるから、拗れる事も無いだろうが、言葉選びは慎重にしてくれ」

「う、うむ……」

「はい、分かりました……自信はないですけど」


 館の応接間で、俺はメイと村長に釘をさす。まあ、そうそう怒ることも無いだろうけど、一応、な。


「お待たせしました」


 遅いな、と思っていると、聞きなれた声が聞こえてきた。


 ひときわ目をひく赫瞳、そして透き通る銀髪、柔らかな雰囲気の中、優雅にたたずむ不死種、ユナだ。


「は、初めまして、わたくしはアバル帝国シュテーネン領で暮らしていた――いたっ!?」

「彼女は領主じゃない! メイドだ!」


 小声で村長に注意する。ユナはその姿を見て少しだけ口元を緩め、そして彼女の主人を部屋に招き入れた。


「コホン、長旅ご苦労、わたしがエルキ共和国コスタ領主、エレン・フォルツァ・フォン・コスタです」


『……?』


 ユナとエレン以外の全員が、頭に疑問符を浮かべていた。よく声が出なかったものだと思う。

 なぜなら、俺はてっきりエレンの父親が出てくると思っていたし、メイと村長は、立派な大人が出てくると思っていたからだ。


 現れたエレンは、ユナの胸辺りまでしか身長の無い。どこからどう見ても完璧に「お子様」だった。

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