第9話 説得

「ただいまー。ごめんねー、帰ってくるの遅くてー」


 時計を見るともう夜の10時になろうとしているところだった。

 ずいぶん遅くなっちゃったなぁと思う。


 外行きの格好のままリビングに行くと、そこには今までの生活とは違い人影があった。それもふたつ。


「あら、お帰り。御伽」

「ああ、ようやく帰ってきた……」


 そこにはテレビ前のソファに並んで座るすみれと隼くんの姿が。

 しかもなんと、かなり密着している!


「ずいぶん仲良くなったね!」

「そう見えるー?」「どこが……」


 ただそれに対するふたりの反応は対照的だった。


「ご飯はもう食べた?」


 わたしは寝室に戻りながらふたりに聞く。


「食べたわよー。ねー?」

「ああ、このが奢ってくれた」

「お・ね・え・さ・ん、だよね?」


 驚いた。想像していないほどふたりは仲良くなっていたらしい。


「ひょっとしてわたし、邪魔かな……」

「頼むからさっさと戻ってきてくれ‼ こんな奴と二人きりでいるの、もうこりごりだ‼」


 わたしがぼそりと呟いた声は隼くんの耳にも届いていたみたいで、本気で助けを求めているようだった。






「それで、どう? 隼くんは」


 この家の家主は自分の寝室から戻ってくるなり、隣でくっついてくる女にそう聞いた。


「? どういうことだ?」


 だがその質問には疑問符が付く。

 たしかこの女の来た理由は、俺の世話をするためだったとか。だからこの質問はあまり正確なものでないように聞こえた。


「あれ? 隼くん、聞いてなかった? わたしがすみれに事情を話したら、『どんな男かあたしが見極めてやる‼』って言ったから、わざわざうちに来てもらったんだけど」

「…………」


 聞いていた話と少し違う、という意味で半眼を向けると、隣にいる女はふふふーんと下手くそな口笛を吹いてあさっての方向を見た。


「まあでもその調子だと、すみれも隼くんのことを気に入ったみたいじゃない」

「そうね~。少なくとも下心があってこの家に転がり込んだわけじゃないみたいだということも、この子がどんな誘惑にも乗らない朴念仁ぼくねんじんであることは分かったよ」

「誰が朴念仁だ。お前のそのささやかな胸では、誘惑にもならん」

「あ゛っ? なんか言った?」

「いえ、なにも」


 危ない。危うくこいつの制裁パンチが飛んでくるところだった。

 あれだけの変態性を秘めていながら、意外と普通に気にしているらしい。


 そんな俺たちの会話を無視して、俺の正面にいる女はほっとした表情を見せる。


「よかった。すみれとウマが合わなかったらどうしようって思ってたから」


 そのセリフはこの場合適当ではないようにも感じたが、まあこの女のセリフはいちいちあてにしていても仕方あるまい。


「――だけど」


 しかし、工藤すみれの話はそこでは終わらなかった。


「それでもやっぱり、御伽。あなたがハヤブサくんと同居するのは、あたしは反対だわ」


 いきなりの真面目な雰囲気に、俺も家主も先ほどの明るい空気を引き締める。


「……それはどうして? すみれ」


 怪訝な顔で質問をする家主。


「それはだな。あまりにもリスクが大きすぎるからよ」

「リスクって……でも隼くんもお姉さんには家出して他人の家に泊まっていることを伝えているし、ご両親も言っちゃわるいけど黙認状態でしょ? 問題があるとは思えないけど」

「当人間の話とか、そういう問題ではないわ」


 もっともらしい論理的な疑問を、一刀両断にぶった切る。


「じゃあ何の問題なの?」

外聞がいぶんの問題よ」

「外聞?」

「そう。人気女優であるあなたが、誰とも知らない高校生を匿っているというのは外聞が悪すぎる」


 外聞という言葉に対しより大きな反応を見せたのは俺よりも家主の方だ。


「外聞って……」


 だが彼女の返事は、勢いが弱かった。納得はできないが否定しきれない、という感じの返事に思えた。


「外聞が大事なことくらい、あなたはよくわかってるでしょう? それにあなたがスキャンダルを起こして迷惑をするのは、あなただけじゃない。出演しているドラマの関係者、事務所の関係者、ファンの人。みんなを困らせちゃうのよ」


 そんな彼女の気持ちを察したのか、あれだけお茶らけていた工藤も声のトーンを落として話す。


 工藤の言っていることはもっともなことだった。俺も最初に同じようなことを気にかけたが、工藤の場合は同じ女優ということもある。実際にスキャンダルになったときの影響は、俺の想像しているものよりもずっと厳しいと彼女は分かっているのだろう。


「その点、あたしはあなたよりもいささか知名度には欠ける。ハヤブサくんもずっと家出しているわけでもないだろうし、しばらくなら預かれるから」


 そしてこの工藤の申し出が、私利的なものでないことは俺にもわかった。先ほどまであんなことをしていたが、彼女も余計なリスクは負いたくないはずだ。

 それでも友人のため、自分からそのリスクを負おうとしている。


 その思いは目の前で悲しげな顔をしている女にも伝わっただろう。工藤が意地悪で言っていないことは、彼女も十分伝わっていたはずである。


 だが、それでも。


「……ダメ。隼くんはうちで預かるわ」

「なっ――‼」


 しかしそれでも、梨川御伽は首を縦には振らなかった。


「なんで⁉」

「だって――――――――――――――――――――――――――――すみれの家、1Kじゃない」

「――えっ」


 ――そして今度驚くのは俺の番だった。


「ちょっと、ちょっと待て。今の流れ、もっとシリアスなパターンじゃねえの? こう、『あなたに任せられないわ』みたいなやつじゃなくて? 単純に2人も住めないパターン? ってか、あんた1Kに住んでんの⁉」

「…………てへっ」


 慌てて工藤に詰問きつもんをすると、目をそらしていた彼女は開き直ったのか舌を出している。


「え、さっきまであんなにかっこいいこと言ってたのに⁉ ウソだろ⁉」

「いいじゃんっ‼ 別に1Kに住んでたっていいじゃん‼」

「そこを責めてるんじゃねえよ‼ 住む場所もないのに住まわせようとすんな‼」

「あ、あたしはハヤブサくんとなら1Kでも二人で暮らせるもん‼」

「だからそういう問題じゃねえだろ⁉」


 全く、さっきまでのシリアスな雰囲気が台無しだよ。


「……ただ、どっちにしてもすみれに隼くんを渡すつもりはないよ」


 喧嘩騒ぎの俺たちに対して、冷静に言葉を発する家主。


「……どうして?」

「だって…………隼くんといると、楽しいからっ‼」


 満面の笑みを浮かべている家主を見て、俺は頭が痛くなる。


 …………もしかして、俺はとんでもないバカを相手にしているのではないだろうか。






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