第2話 自己紹介は別れのフラグ

「ふう、お待たせ~」


 お風呂を上がってタオルで頭をわしゃわしゃと拭きながら、ソファで縮こまっている高校生くんにわたしは声をかけた。


「いや、別に待ってなんt……」


 高校生くんは振り返って返事をしようとして、そして固まっていた。


「ん、どした?」

「いや、だって、おまえ、そのかっこう……」


 高校生くんがそう言うので、自分の格好を見てみる。


 下着1枚に、タオル。


「何かおかしかった?」

「おまっ、ほんと頭のネジ外れてんじゃねえの⁉」


 そう言って彼は自分の頭に乗っていたタオルを思いきり投げつけてきた。失礼な、頭のネジはちゃんと横からドスンと突き刺さっとるわい。

 ほら、コ〇助みたいに。あれ、〇ロ助は後ろからだっけ。まあどっちでもいいや。


 とりあえず服を着ろということらしいので、その辺にあっただぶだぶのパーカーを羽織る。


「よし、これでいいか」

「もうお前がそれでいいならいいよ‼」


 半ばキレ気味な高校生くんがかわいく顔を真っ赤にしている。変な子だ。


「まあそれで、とりあえずなんだけど」

「なんだよ」

「自己紹介しようか」


 そう、まだこの高校生くんの名前も知らないのだ。さすがに高校生くんと呼ぶわけにもいかない。


「わたしの名前は梨川御伽なしかわおとぎ。梨の「梨」に、川の「川」。御伽の「御伽」って書いて梨川御伽ね」

「なんの説明にもなってねえよ」

「それで、君の名前は?」

「…………六原隼ろくはらはやぶさ。数字の「六」に原っぱの「原」。下は鳥の「隼」と一緒」

「じゃあ隼くんとお呼びしましょう」

「……はあ、好きにしてくれ」

「ちなみにわたしのことは御伽ちゃんと呼びなさい」

「呼ばねえよ‼」


 うーむ、ノリが悪いな。むむむ、由々しき事態ですなあ。


 わたしがそんな呑気なことを考えていると、逆に隼くんは我慢していたかのように質問をしてきた。


「大体お前、何者なんだよ……。普通その歳でこんないいところ住めないだろ。なんかヤバイ仕事やってるやつか?」

「やばい、かあ。まあやばい仕事ではあるな」

「ヤバイ仕事なのか⁉」

「まあねえ」


 たしかに、やばい仕事だよなあ。


だからねえ。やばい仕事ではあるよねえ……」


 そう言って私が具体的な仕事の名前を口にすると、カバンを背負って家を出ていこうとしていた隼くんがあっけにとられた顔で目を丸くしていた。


「じょゆ……う……?」

「うん、女優だよ。ほら、ドラマとかに出てる人。わたしって結構有名なんだけどなあ」


 まあ高校生に知られていないようじゃ、わたしもまだまだってことかな!





「ほんとだ……めっちゃヒットする」


 さすがに女優だと言われておいそれと信じるわけにもいかなかったので、俺は『梨川御伽』と持っていた携帯電話で検索してみると、すぐにたくさんの検索結果がヒットした。


『2年連続での女優ハカデミー賞は確実か?』

『結婚したい女性芸能人に3年連続で1位‼』

『梨川御伽の圧倒的演技力と隠されたプライベートに迫る』


 ……どうやら、とんでもなく有名な女優らしい。


「え、嘘だと思ってたの? そんな簡単に分かる嘘、誰が言うのさ」

「なんでそういうところだけ正論なんだよ……」


 こいつ悪い人ではなさそうだとは思っていたが、頭の方はとんでもなく悪い。というか常識が人と外れてる。


 さっきもパンツ一丁で風呂から出てきたし、今だって下はパンツ以外に履いてないから、パーカーがパンツを隠すとノーパンに見え……とかじゃなくてだな!

 まあ、熊耳のついたフードを被っているとかわいくも……いや、やめよう。


「つか、女優ならなおさらいいのかよ。こんな得体のしれない高校生連れてきて」

「まあたぶんだいじょうぶ。炎上したら女優やめるだけだから」

「大丈夫じゃねえだろそれ」


 とにかく、俺はヤバイ人を相手にしてしまったらしく、今は彼女のことも危ない目に逢わせているということだけは分かった。


「大丈夫だよ、ほんと。君がご両親と仲直りするまではいさせてあげるから」

「…………」


 そうは言われても、それでその気持ちに甘えられるほど、俺も人間的に死んだわけじゃなかった。


 たしかにこの人は頭がおかしいけど、それと同時にすごく優しい人だ。

 子供のくだらない家出に巻き込んでいい人じゃない。


 彼女の顔を窺う。

 そりゃそうだ。こんな美人、女優になってしかるべきなほどだ。


「隼くん?」

「……いや、別に何でもない」


 そうだ、なんでもない。

 家出少年はこんな何重のガラスに囲まれて寝るよりも、冬の公園で寝るくらいがちょうどいいのだ。





 それからしばらく話し込んだ。俺はさっさと話を終わらせて電気を消したかったのが、思いのほかこの女が次から次へと話を入れてきた。

 高校はどこだ、とか、どの教科が好きなのか、とか。


 ただそれもだんだん疲れてきたらしく、日をまたぐころには電気を付けたまま彼女は寝てしまった。

 そんな彼女を見て、俺は手探りで電気を消すと、彼女に毛布を掛けた。無論、その辺に散らかってたやつだが。


 それから気づかれないように念のため時間を空ける。そうすると彼女の方から寝息が聞こえてきたので、俺は物音を立てないように鞄を背負った。


 最後に彼女の顔を少しだけ見る。

 本当にいい人だった。誰かもわからない高校生をリスクある中で自分の部屋に入れて、そしてお風呂まで入れてくれた。


 そうだ、最後にお礼の手紙でも書こう。

 思い立つやいなや、彼女に背を向けてそのあたりにある机に携帯で明かりをつけ、簡単にお礼の手紙を書いた。


 それをそのまま机の上に置いて、もう一度立ち上がる。いつ読まれるかは分からないが、まあ読まれなかったらそれはそれで。


 そしてやることをやった俺は物音を立てずに玄関のところまで行って、ドアノブを掴もうとした。


 ……その時だった。


「――わたしに遠慮して出ていこうとしてるの?」


 ドアノブを握る手を、いきなり掴まれた。


 心臓が止まりそうになる。

 まさか起きていたとも思わなかったし、それにその声はさっきまで話していた人間と同じ声じゃないように思えたからだった。


 それくらいに、滲むにじむ声だった。


「もしそうだったとしたら」


 パチッと電気をつけて、彼女は掴んだ俺の手を引っ張り上げる。

 そうして、彼女は俺の顔をまっすぐに見た。


 そして、言った。


「ふざけるのもいい加減にしろ」


 その時に俺ははじめて、彼女が女優という生き物であることを理解した。

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