第1話 か弱いひとりの男の子

「あー疲れたぁっ」


 マネージャーさんにお礼を言って、わたしは車から降りて夜道を歩く。

 東京に来た頃は、夜もうるさくて光が眩しいんだろうなあって思ってたんだけど、意外と東京でも住宅街の方は静かで店がごちゃごちゃしてないんだって知ってからは東京のイメージも変わったなあ。


 そんな夜の住宅街をのんびり回り道をしながら帰っていると、ふと、公園に続く階段に人影があるのが目についた。


「あれは……高校生?」


 遠くの方からボヤっと眺めると、どうやら座っているのは高校生だと気が付いた。

 体立ちがどうも頼りなくて、それにブレザーを纏っている。


 自分より年下だと気が付いて少し警戒心も薄れ、興味本位で近づいてみる。


 そして数歩の距離まで来た瞬間、彼の頬に涙がすーっと滑っていることに気が付いた。


「――どうしたの?」


 思わずわたしは声をかけていた。

 高校生がもう夜10時も回った時間に、ひとりぼっちで涙を流している。うん、ただごとじゃない。何かがあったんだ。


 声を掛けられた高校生くんはこちらに気が付くと、逆にこちらがたじろいでしまうほど鋭い目で睨んできた。


「なに?」


 高校生くんは不機嫌を隠さず伝えてくる。


「いや、あの、どうしたのかなあって思って」

「あんたに関係ないでしょ」


 そう言われて、たしかにそうだと気が付く。たしかに、関係はないな。


 まあでも、それとこれとは別だ。


「何かあったの? 家出? もうそろそろ帰った方がいいんじゃない?」

「うっさい。あんたには関係ないだろ」

「関係ないけど、心配じゃん」

「はあ?」


 心底意味が分からないという顔で高校生くんが見てくる。

 そんな彼を無視してわたしは続ける。


「だからさ、帰ったほうがいいよ。親御さんも心配してるだろうし……」

「あいつらは心配してないよ」


 そのまま言い切ろうとしたところで、底冷えのするような声が夜の中に響いた。


 それは高校生が親のことを言うときにするような声じゃない。愛なんてかけらもなく、それどころかこの世で一番憎んでいるような声だった。


 それだからか、わたしもさっきみたいに強くは言えなくなっていた。


「じゃあそうだね……」


 家に帰すわけにもいかない。でも、こんな寒い冬の夜にまさかこのまま残しておくわけにもいかない。


 どうしたもんか、と思ったところでふとある考えが思いついた。


「じゃあ、うち来る?」

「――は?」






 頭のおかしい女性に連れられる。

 俺は一体何をしているのだろう。話しかけてくるなというようなことを言っておいて、彼女の腕を振りほどけない。


 つくづくロクでもない人生だな、と思った。


「ほら、着いたよ」


 そんな気持ちで連れてこられたのは、


「ん……え、はっ?」


 アホみたいに高いマンションだった。


 空にくっついてるんじゃないかってくらい高い。いわゆるタワーマンションというやつか……。


「じゃあ、いこっか」

「いや、ちょっ」


 俺の疑問を投げかける声は強引にかき消され、女性は強引に中に連れ込んでいく。

 そういうことをしていると誰かに何か言われそうなものだが……このマンションのコンシェルジュっぽい受付の人はニコニコとこちらを眺めているばかり。


 一体何なんだ、これ。


 そのまま仰々しいゲートを通り抜けてエレベーターに乗ったところで、俺はようやく一息ついた。


「ちょ、ちょっと」

「うん? どうかした?」


 女も俺が息を切らしながらも何か言おうとしていることに気が付き、こちらを見てくる。

 やばい、何から聞いたら……?

 

「あんた、金持ちの子供なのか?」


 あれこれ考えて出た言葉は、自分でも驚くほど幼稚なものだった。


 彼女は目を丸くして俺を見た後、くすくすっと笑った。


「な、なにがおかしい」

「いや、そんなこと聞くんだなあと思って」


 うっ。こんな頭のおかしい人間に正論を返された。恥ずかしさに顔が熱くなる。

 それを紛らわすように、俺は慌てて話を続ける。


「い、いきなりこんな高校生を家に連れ込んだら、あんたのご両親も困るだろ」

「ぷ、ぷぷぷっ」


 しかし俺の極めて、極めて真面目な質問は、また笑われた。


「だから、何がおかしいんだって!」

「あ、ほら、着いたよ」


 今度は答えてもらうことさえなく、その前にチーンというレトロな感じのベルが目的界に着いたことを知らせる。


 目の前に広がっているのは、もちろん高そうな赤と紫が混ざった感じのカーペット。

 さすがにこの時間だからか、物音もしない。


 値段の張るホテルに来た時のような緊張感に駆られ、喋れなくなる。

 そんなところを、女はもちろん堂々と歩いていくのでちょっと負けた気がした。まあこいつの家だから当たり前だけど。


 ピッとカードキーで鍵を開けると、緊張している俺を見てにやにやしながら「どうぞ?」と言われる。絶対バカにされてるなこれ。


 中にいる同居人の存在に気を付けながら、俺は足音を立てないように入る。


「あ、ちなみに一人暮らしだから」

「さ、先に言え‼」


 なんだこの女。ほんとに腹立つんだが。俺が遠慮しているというのに、こいつ……。


 ただ他に誰もいないらしいので俺も緊張が少し解け、少し大きな歩幅でまっすぐ進む。

 そうすると大きな一つの部屋に当たった。


「うわ、なんだここ……」


 その部屋の目の前に広がっていたのは、大きなガラス越しに覗ける東京の夜景だった。


 しかもかなり高いところに連れてこられていたらしく、人工的な光が眩しいくらいに輝いている。綺麗な景色で、うっかり自分が一人でないことを忘れるほどだった。


「綺麗でしょ。お気に入りなんだ~。ほら、あっちには東京タワーも見えるでしょ」

「ほ、ほんとだ……って、そうじゃなくて!」


 さらっと会話をしてくるこのイカれた女に、危うく心を許しかけるところだった。


「? ああ、お風呂入る? 寒かったし」

「そう、じゃなくて‼ 高校生をこんなところに連れてきて、何をするつもりだって話‼」

「え? なんだろう……同棲?」

「なんでだよ‼」


 なんだろう、こいつといると疲れる……。


 話の嚙み合わない感じが、イライラするというか。


「まあ詳しいことは、お風呂に入ってからにしよう。先に入る? 後に入る?」

「先‼」


 どうしてもお風呂に入らないとイベントが進まないらしいので、仕方なく入ることにした。


 ――仕方なく、だからな‼ 決して寒かったとかじゃなくて……、だからな!


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