壁紙の向こう

熊山賢二

本編

 壁紙の向こう


 中古の一軒家に引っ越して荷物の整理も終わり、二階の寝室でごろごろしていると壁紙が少しめくれているのに気がついた。


 小さなものだ。どうせ、壁紙は張り替える予定だったし特に残念には思わなかったが、好奇心で少しめくってみた。真っ黒なものが出てきた。


 さらに気になってもっとめくってみると、それは黒ではなく真っ暗な穴だった。まだまだ壁紙に隠れているようだ。怖くなってきたが、ここまできたら全部見てやろうと思い、穴が完全に見えるまで壁紙を剥がした。


 人が一人入れるほどの大きな穴が壁に空いていた。暗すぎて穴の向こうは見えない。こんな空間があるだなんて、不動産の人は言っていなかった。知らなかったのだろうか。海外では、家主も不動産会社も知らない謎の空間が隠し扉の向こうに広がっていたと聞いたことがある。これもその類なのだろうか。不気味だが、入ってみよう。


 スマホの明かりを頼りに奥へと進んでいく。結構広いぞ。今まで家の中にこんな空間が広がってるなんて気づきもしなかった。床が少し汚い。念のためにサンダルを履いてきてよかった。それにしても広すぎる。もう、二十歩は歩いたぞ。いくらなんでもおかしい。うちの敷地はこんなにも広くない。


 怖くなって鳥肌が立ってきた。回れ右をして足早に戻って、入り口の壁紙をテープで張り付けてその前にタンスを引っ張ってきて、もう入れないようにした。中から何かがきても大丈夫なように。


 特に何かを見つけたわけではないが、あの暗闇の先に何が待っていたのかはわからない。何かいた場合、もう見つかってしまったことになるが、それは意識しないようにした。せっかく買った家だ。売りに出して引っ越すにしても時間がかかる。しばらくはここで暮らさなければいけない。その日は、なるべく寝室には近寄らなかった。寝るときも布団を持ってきてリビングで寝た。


 あれ以来、あの壁紙の向こう側は見ていない。穴から戻ってきてすぐはお祓いでもしようか悩んでいたが、怪奇現象やよくないものが現れたりはしていないため、だんだんと恐怖はなくなっていった。それでも、ふと思い出す。あのまま奥まで進んでいたらどうなっていたのだろう。なにがあったのだろう。


 穴のことを不動産会社に問い合わせても、全く知らないようだった。この家は何人も所有者が代わっているということもなく、以前の持ち主は家を建てた人物らしい。つまり、あの穴を掘ったのが前の持ち主ということになる。


 いつもの日常を送っていたある日、工事現場で使うようなスタンドライトを一式もらった。仕事先の伝手で流れてきたもので、倉庫にたくさん乱雑に置かれていた。欲しい人がいたら持って行って構わないとのことだったので、遠慮なくもらってきたのだ。これでなにをするかというと、穴の探索をしようと思う。あの時は暗すぎて怖くなってしまったが、このスタンドライトがあればそれも大丈夫だろう。


 最近、穴のことが気になりだした。奥まで行ってなにがあるのか、はたまたなにもないのか確かめたくなった。もちろん怖いが、興味のほうが勝っている。今まで奇妙なこと、怪奇現象、心霊現象なんかとは縁がなかった。そんな自分に今、不思議なことが起こっている。昔から密かな憧れがあった。日常とはかけ離れた現実離れした経験がしたいと。忘れかけていた想いに応えよう。


 安全靴を履き、ヘルメットを被り、丈夫な服を着てお守りとしてバットを持っていく。バットは幽霊相手なら効果がなさそうだが、それでもないよりはいい。安心感が違う。


 タンスをどかして、テープを切って穴の中に入る。この前と変わらず真っ暗だ。なにがあるのかさっぱりわからない。スタンドライトを穴の中から引っ張って引きずり込む。穴の中は広いから全部入る。スタンドを立ててライトを点けた。かなり明るい。一瞬目がくらんだほどだ。明るくなったことで穴の中の様子が見えた。壁や床は木でできていて、忍者屋敷の隠し通路みたいだ。


 前に来た時には気がつかなかったが、緩やかな下り坂になっている。いや、これに気がつかなかったのはおかしい。前と違う? そんなバカな。恐怖でわからなくなっていたんだろうきっとそうだ。


 ライトはいくつもあるから、暗くなってきたら設置してなるべく暗いところができないように配置していく。暗闇こそ一番怖いものだからな。


 しばらく進むと道が左へと直角に曲がっていた。バットを構えて慎重に曲がり角の先を伺うが、何かがいる様子はない。物音もしないし問題ない。安全確保はしっかりしなくては気が済まない。でなければこの湧き上がる恐怖をおとなしくさせることができない。


 角にライトを設置してその先を照らしても、同じような道が続いているのが確認できるだけだった。もう、明らかに地下にまであるであろうこの空間はどこかに繋がっているのだろうか。この家を建てた人物はどうしてこんな穴を掘ったのだろう。シェルター? 別の出口に繋がる隠し通路? 隠し部屋にしては規模が大きい。


 さらに進んでいくと、また左の曲がり角が現れた。安全確認をしてから、ライトを設置しえ奥を目指して歩く。さっきから角を曲がるたびに下り坂が急になっていっている気がする。


 もっと進むと、三つ目の左の曲がり角だ。その奥の道はまた下り坂で、また今までよりも急になっていた。まだ歩くのに問題ないが、床が濡れていると油断すれば滑ってしまうかもしれないほどだ。さっきと同じように進んで、また同じような角があり、その先もそのくり返しだった。もういい加減にしてくれ。これ以上は進めない。


 ちょっと急なスロープくらいになった坂を今度は引き返した。スタンドライトはこのままにしておこう。回収するのも面倒だし、もしかしたらまた来るかもしれない。


 坂を上っていると違和感を覚えた。こんなにも急だっただろうか。下りと上りで感じが違うからだろうと思ったが、違う。角を曲がって気がついた。その先はさらに急な上り坂になっていた。おかしいだろう。だんだんと急になる下り坂だったなら、その逆を行けばだんだんと緩やかになる上り坂のはずだ。


 混乱してきたが、それでも前に進み続けた。早く帰りたい。この不気味な穴から早く出たい。大きな恐怖が自分を襲ってきていた。


 もはや険しい山を登るのと同じような坂になってきた。スタンドライトは坂に立っていると思えないほど安定していたが、それには気がつけなかった。怖くて、怖くて目に涙を浮かべていて目に入らなかった。目に入っていたとしても、こんな混乱している状況ではその異常性には気づくことはできなかっただろう。


 出口が遠い。坂が急になりすぎて這いつくばっても進んでいたが、出口が見えない。


 怖い。なんだこれは、おかしいだろうなんだこれ、いやだかえりたいやだやだやだ。


 そして、僕は滑って落ちた。急に床がすべすべになって下に滑り落ちて、その先の床はさっきよりも急になっていて、やがて床は直角になり、地獄の底までいくようにまっすぐ下に落ちていった。


 こんなことなら、平凡ななんでもない日々を送っていたほうがよかった。


 そう思った瞬間、意識がなくなった。


 その先はどこへと続く?

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