第6話 世界一位のピアニスト

 ショパン国際ピアノコンクールの後から

沢山のコンサートを依頼されて

認められていたが

歩にはそれだけでは無かった

家族の事、今まで支えて来てくれた人達

みんなに感謝していた。


 目が見えない自分にいつも一緒に居てくれた母親

目が見えなくても厳しく育ててくれた父親

歩をクラシックに出逢わせてくれた

過去の作曲家。


 みんなは目が見えない事を

たまに不幸と言うけれど

ただ不便なだけだよと言いたい。


 だって僕はとても幸せだから

ショパン国際ピアノコンクールの時は十七歳だったけど

今は二十一歳になっていた

ピアニストとしてプロとして

充分活躍していた、歩には一つだけ心残りがある。


 世界ピアノコンクールでの優勝記録を持っていない

事だった負けず嫌いが歩にはある

そこに四年に一度のヴァン・クライバーンコンクールが開催される

このコンクールは世界三大ピアノコンクールの一つ

チャイコフスキー国際コンクールで

第一回1958年ピアノ部門優勝者

ヴァン・クライバーンを記念して行われる

アメリカでも開催される世界コンクールは幾つも

ありますがこのヴァン・クライバーン国際コンクールは

最も権威が高くアメリカを代表するコンクールで

参加する人数が多いのが特徴です。


 そのチャンスを歩は見逃さなかった

飛び込むように参加申請をした。


 四年に一度とは

ピアニスト界のオリンピックみたいに思った。


 もちろんピアノ部門のみのコンクールなので

このコンクールで優勝する事は世界一のピアニストと

評価される一大イベントの一つ参加は人生で一度と

言ってもいい、歩には丁度良かった

開催国はアメリカだ歩もアメリカにはまだ行った事はない。


 ピアニストで知らない人はいないくらい

有名なコンクールだ

歩の意気込みは今まで一番最高に興奮していた

だけど歩は自分からあまり話しかけられない

人の気配はわかるけど目が見えないから

そこだけは子供の頃から同じだった。


 母親といる時は気にしないで話せるけど

他人には逆に気を使ってしまう、けれどその謙虚さに

歩の性格が良く出てる、優しく礼儀正しい

話かけられれば、素直に応える話す事はいやでは無い

むしろ好きな方だった

目が見えない人の方が少ないので社会では

目の見えない人の接し方を

知らない事には歩も気づいていた

戸惑ってしまう人もいれば

断られる事もあった

今は慣れてきたけど、これが現実なのである。

 

 今回のコンクールは歩の希望だから

なるべく支援を受けずに

個人で色々自分で整えた

前もってコンクールに向けて練習するのには

ホテルでは無くホームステイを選んだ

アメリカの文化に触れたいのと自然が好きだったから

ごく普通の家庭にピアノを持っている人で

練習をさせて貰える人に頼み込んだ

その人は昔、娘がピアノを弾いていて

家にグランドピアノがあった

今でもあるから喜んで受けてくれた

老夫婦二人とゴールデン・レトリバーを飼っていた。


 朝から練習をするので近所迷惑だと思っていたが

始めは日本ほど近くに家が無いので、理解してもらえた

歩は朝早くから演奏をする、何故か歩がピアノを弾くと

家にいるゴールデン・レトリバーがピアノの下に来て

ゆっくり腹ばいになる、心地いいのかも。


 次の日ご近所さんが家に来た、朝はやめてと言われると

思っていたが窓を開けてとお願いされた

歩のピアノがとても気に入ってくれたからだった

普段はクラシックを聴かない人でも

歩のピアノは聴く人の心を開かせる力か魅力があった。


 ついにコンクールの一次審査が始まる

その時はホームステイを受けてくれた老夫婦とレトリバーに

お別れを言って、お辞儀をして感謝を言ってから

コンクール会場に近い所のホテルに移動した。


 久しぶりのコンクールに、歩も緊張していた

でも、準備は出来ているあの老夫婦の家で

予備審査には審査員と歩だけ、他に人はいない。


 歩の演奏が終わると審査員全員が立ち上がり

拍手と自然に涙がこぼれていた

歩の演奏に心を打ちのめされた。


 今まで色々なピアニストの曲を聴いて審査していたが

涙を流すほど感動した事は一度も無い審査員が立ち上がること

も今まで一度でも無い、拍手さえも一度でも無い

審査員としてあるまじき行為だが

心に響く音色は止められなかった。


 歩にはそれを見る事は出来ずに

いつも通りに深くお辞儀をして舞台から出て行った。

その後審査員同士でこんな事始めての事だと

お互い言って審査員としては失格だねと言って

その後のの審査員として戻るべく冷静に戻った

この事は歩本人は目には見えないのが審査員の救いになった。


 予備審査を通過した歩は喜んだ

一次審査は四十分

二次審査も同じく四十分

三次審査は六十分のリサイタルとモーツァルトの協奏曲

本選は二曲の協奏曲が課せられる

シドニー国際ピアノコンクールと

並んで世界で最も多い課題曲を誇る

その理由は優勝賞金が多額ゆえ

(2020年には今まで5万ドルだったが10万ドルになった

また、自らの選曲によるコンサートツアーの権利が与えられます)

国際ピアノコンクールの一つである

それほど多く弾くコンクール審査中は立て続けに弾く

ので体力も必要でミスは出来ないのでプレッシャーも凄い。


 その中でも歩は誰もが一番難しいとされる

曲を組み込んだ、負けず嫌いとこれまでの全てを

自分のピアノにのせて今度こそ優勝してみたい気持ちがあった

もちろん会場はアメリカなので馴染みが無いから

周りの雰囲気で感じとっていた次々と流される曲を聴きながら

みんな素晴らしい演奏だった。


 最後の審査も終わり

あとは結果発表だけになった・・・


 先ず最初に言った言葉は

「今年は三位がいません、そのかわり優勝者が二名います」


 その言葉を聞き取れ無かった、歩も母親もわからなかった

ただただ、名前を呼んでくれる事だけを祈っていた

そして第二位の名前が上がった。


 拍手を聞いて歩も母親も、特に母親は見えるから

銀色のトロフィーが見えて二位が決まったと直ぐにわかった

そして第一位の名前が上がった。


『歩の名前では無い・・・』


 優勝トロフィーを掲げているのを見た母親は

これで終わりなんだと思っていた・・・


 歩も下を向いていた、その時、更に審査員が名前を呼んだ


「AYUMU KOBAYASHI」


 何が起きたのかわからない

一秒くらいたったのが混乱のせいか周りを見渡し

歩は名前を呼ばれたので直ぐに立った優勝とは分からずに

側に居てくれた人達が歩の肩を叩く


「優勝したのよ、あなたが優勝したのよ」


 歩も笑うひまもなく、最後まで名前が呼ばれなかった

あのショパン国際ピアノコンクールと同じと思っていた

審査員が歩に近づいてエスコートしてステージに上がった。


 審査員から優勝トロフィーと強いハグを貰った

日本人始めての快挙だった

(目が見えない日本人で国際コンクールで優勝した人はいない)


 初めて日本の新聞に世界一位のピアニストとして

大きくはないけど載った歩もステージで凄く喜んだ。


 これから、歩はもう立派な世界のピアニストになった

それでもメディアは歩を盲目のピアニストと掲載した

それをみた父親は言った。


「盲目が付かないくらいのピアニストになって

初めてのピアニストだぞ」


 と歩に言ったのは世間はまだまだ

と思っていたからかもしれない、それと歩の素晴らしさを

世間ではまだ障害がある事を書き込むメディアに対して

父親は歩を充分立派だと思っての言葉だった。

 

 歩は今まで通りに応えた。

「そうなります」



 それから、歩から家族に言いたい事がありますと言った・・・

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