第5話 世界中から集まったピアニスト

 あれから歩は次々と日本のピアノコンサートをやり遂げ

コンクールでも日本一の称号を手に入れた

それでも、世間ではピアニストの認識が少なく

いわゆる、メジャーの音楽の方が聴きやすいのと

クラシックがあまり若い世代には

学校で習う程度でテレビでも取り上げられないのは

視聴率が取れない原因だと思われる。


 それでも、ピアニストの世界は日本以外では

注目されている分野であるのは間違いないのである。


 だから日本人の中でも世界一位の称号を取れて無いのは

圧倒的に人数が少ないのと世界レベルが高すぎる

もう一つは初めから世界を目指しているのが

世界レベルだから

人生で一度しか取れないコンクールには年齢制限があるのも

日本人の世界で通用するピアニストが

少ないのが原因だと思われる。


『そんなピアニストの世界レベルに

歩はこれから日本人として挑戦する』


 決して甘くなく、家族も音楽家庭でもなく

普通の家庭の目が見えない身体でただ純粋に

ピアノが大好きで、それだけの気持ちが歩の強さでもある。


 その気持ちが他の世界ピアニスト

一位の称号を目指している子供とどれだけ違うのかには

プレッシャーが大きく左右される

英才教育を受けている子供達は

期待とお金が多くかけられている

その中には自分がなりたいと

思っていない人もいるかもしれない、それほど幼い頃から

練習を虐げられる世界だから。


 毎日弾くのが楽しい歩には

そんな事は考える事は出来なかった

それは同じ世界を目指している友達が居なかったから

ずっと一人でピアノと向き合っていたから

今はもう先生が教えるレベルを超えているので

その間に何度も日本でコンサートを大成功させた

海外コンサートも大成功させた、歩は世界的有名な

ショパン国際ピアノコンクールの切符を手に入れた。

(ショパン国際ピアノコンクールは五年に一度開催です)


 ショパンは音楽界でも唯一ピアノの曲だけを作った音楽家では

有名で今でもショパン国際ピアノコンクールは

ピアニストの欲しい称号の一つとして世界から

凄腕のピアニストの子供達が集まる

年齢制限は十六歳から三十歳以下だが

参加に必要な項目に

国際的に著名な教授かピアニストの推薦状と音楽歴があり

誰でも参加できないのは

それほどの厳しい世界なのは間違いなく

東京大学を受かるよりも難しいのは言うまでもない。


 三十歳以下だがほとんどが年齢が上でも

二十代なのは、三十歳くらいにはもう

ピアニストとして活躍している方が多いからだと思われる。


 もちろんこのコンクールではショパンの曲だけを演奏する。

誰が一番ショパンを弾きこなすかのコンクールなのだ

それほどショパンを弾けば

ピアニストの力量がわかるコンクールでもある。


 初めての海外でのコンクールでは歩も緊張していた

だけど他の人のピアノを聴けるのは楽しみでもあった。


 開催されるポーランドでは

ショパン国際ピアノコンクールは

国民が待ち望んでいる楽しみの一つのイベントでもあって

審査員には地元を優先する風潮もあるのは

今までの成績でもわかることから

他の外国から来るピアニストはそれも踏まえて

練習して来る、内容によっては一位がいない年もある。


 歩にはこの国に知り合いも居ないので

泊まるのはなるべく安いホテルになった

とにかく海外でのコンクールが初めてだから

前もってコンサートに誘ってくれた指揮者と推薦状を書いてくれた

人の支援でホテルにピアノを置いて練習は出来た。


 その時ついて来てくれた先生も

ピアニストでコンクールを目指す歩に沢山のテープを持って

来た、楽譜が無い歩には聞くことが全てで

目が見える人とはハンデがあるのはそれほど世界では違いがある

楽譜通りに弾いて見てくださいが言えないから。


 教える方も必死になる

なんせそれほどショパン国際ピアノコンクールは

参加したくても簡単に申請は通らないから、それだけ

由緒正しい世界ピアノコンクールでも三大コンクールの一つだから。


 しかも楽譜通りでは通用しない、それぞれの個性的な演奏

感情を曲に乗せる、ミスは即落ちる、これがショパンだと

言わせるくらいの品格、そんな世界に初めて

目が見えない身体で挑戦するのは今でもいない。


 コンクール会場も歴史がある

フィルハーモニーホールでは耳の肥えた人達が聞く

審査員もトップクラス

誰も目が見えないからと関係無く

音で判断する

歩にとってはそれこそ

音楽の素晴らしさと自信を持って挑んでいる。


 コンクールに来る観客に歩を知っている人はいない

海外コンサートはここでした事が無かったから

ファイナルに出れる人数も十二人と

どんどん一時審査から減っていく

最初は約二百人いたピアニストが二次予選、三次予選と

いくたびに減っていく

審査が終わると結果発表を息を呑んで

演奏を終えたピアニストが

自分の名前が書いてあるのか無いのかドキドキして見る。


 歩はその時のコンクールでは

最年少で他の参加者は全員年上で

このコンクールに出るためだけに挑んできている

そんな中、歩は一位を取ることよりも違う気持ちがあった。


「みんな、年上だし、凄いんだろうな〜

一位より、聴いてくれる人をうっとりさせたいなぁ〜」


 それだけだった、だけど気持ちだけではコンサートと違う

雰囲気から初めて緊張していた

それだけに審査を通る度に

母親から、歩の番号があるよと喜んで教えてくれる

聞いた時は思わず身体が

興奮からはしゃいでいた、先生も一緒に喜んだ。


 初めての海外コンクールのしかも

ショパン国際ピアノコンクールは先生ですら

ファイナルまでいった事がない

それを歩は最年少で残ったのは

やっぱり歩には目が見えないからだけではなく

何かを持っているとしか思えない

確かに目が見えないから耳が特化したのはそうだが

それだけで誰もが出来るわけではない

音をいかに表現する事、テンポ、感情、情熱

聴く人に対する想いが無いと

このコンクールでは通用しない

それを持っていたのだ

ファイナルにいくと、報道記者から

必ずインタビューが来る、これは通例になっている

優勝者はファイナルに行った全員にチャンスがある

ので予め記者は全員から声聞き新聞に載せるためだ

歩の所にも来た、それは他のピアニストとは違う意味で

歩の演奏を聴いて優勝してもおかしくないのと目が見えない

ことについて記者も興味を隠しきれない。


 記者は誰が見ても明らかに興奮していた

それほど歩の才能にびっくりしていたからであろう

ファイナルに残るだけでも凄い事は言うまでもない。


 そして最後の審査に入る・・・

どのピアニストも素晴らしい演奏だった

毎年結果発表には時間がかかる、それほど審査員の意見は

バラバラでこれも良い、いやこっちも捨てがたいと議論は

全員納得するまで続ける

深夜一時を超えるほど時間を有した。


 歩の結果は三位にも入らなかった・・・


 しかし『ポーランド批評家賞』を貰ったが

それは参加記念ですが、全員が貰える賞ではなく

素晴らしい演奏をした人に贈られる賞で

他にも同じく参加した人達も居たが滅多に出る賞では無い

この賞を貰ったのは歩だけだった。


 これを機に歩はピアニストとしても充分だったが

実は歩は負けず嫌いだった

この事は歩は誰にも言ったことは無い

それから更に練習を積み重ね

更に更に上に世界に

自分のピアノを聴いてもらいたい気持ちが強くなった。


 まだ十七歳初めての世界ピアノコンクールで

何かを残してみたい、それが後の歩の

世界的ピアニストの名前を轟かせる事になるのは

誰も予想も出来なかった。


 それからは海外でのコンサートに引っ張りだこだった

ショパン国際ピアノコンクールに出てから、海外でも有名になり

オファーが次々と歩に来た、歩は喜んで受け入れて

毎日練習をして色々な有名な作曲家の曲にチャレンジした

モーツァルト、ショパン、ドビュッシー、チャイコフスキー

などピアノ交響曲を演奏していった、母親も付き添って

世界を見てきた、観光もできて思い出も増えたけれど

父親は仕事で日本で頑張っているので、歩のコンサートに

行くことは母親に任せていた。

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