第4話 ひもかがみ 4
赤子は冬雷の腕の中で、もうずっと眠ったままだった。
短い睫毛は伏せられたまま、一度も瞼を上げたことは無かった。
寝言を言う年頃でもない。
不恰好な団子のような鼻が、時折すぴすぴと鳴るだけで。
理由はわかっていた。赤子が眠ったままの理由。わかっていた。
わかっていた、けれど。
「一体そんなもの、どこから拾って来たのだ!」
さっさと捨ててしまえと、女ががなり立てた。
ようやく顔を上げた少年は、彼女と視線が重なると、小さく首を横に振った。
「そんなこと、できん」
「ならばずっと、そうやって抱えておくつもりか!」
「放り出せば、どうなるかお前にもわかっているだろう?」
「お前が抱えていたとしても、結果は同じだろうが!」
わかっているくせに。
怒鳴り声に合わせて、足元の粉雪が悲鳴を上げながら舞い上がった。闇夜の空気が震えて、痛い程冷たくなった。
「お前は冬だ。冬、そのもの。確かにそれをこの雪の中に放れば、たちまち凍えて命は果てるだろう。だが、お前が抱いていようがいまいが、大差無い。遅いか早いかだけだろうが!」
そんなこともわからぬ程、お前は愚かなのか。
ぼんやりと冬雷は、目の前の春の司を見つめていた。
真っ白な着物に身を包んだ黒髪の女は、綺麗な顔を怒りに歪めて自分を睨めつけていた。
形のいい唇からは、止めどなく罵声が零れ落ちる。
それらは細く長い針となって、冬雷の胸を深く抉りながら次々に突き刺さった。しくしくと心が悲鳴を上げた。
けれど、彼の口からそれが漏れ出すことは無かった。
赤子を捨てろと、もう一度、春覚が告げた。
「お前は、冬だ。お前は眠らせることしかできん。わかっているだろう? それは、お前の胸の中で目覚めることは無いのだ。眠り続け、眠り続け、そうしてゆうるりと屍(かばね)に変わる。ただ朽ちてゆくだけだ」
はっきりとした言葉だった。
怒鳴り声ではなかった。
静かに響く言葉だった。
そして、酷い言葉だった。
自分の発するその一言一言が相手を抉ることを、春覚はわかっていた。
けれど、彼女は繰り返す。
「お前の司る凍えは、有限の時の流れで生きるものから、奪うことしかできんのだ」
押し黙ったままの山犬の面に向かい合い、そう言った。
空気が震えるのが見えた。
水面のように世界が揺れて、言葉は振動に変わり、相手に届く頃には、振動は刃と成り果てた。そうして、ざっくりと冬雷の胸へと突き刺さる。
その様が春覚には見えた。
同時に自分の胸にも深々と身体を埋める刃の姿も、春覚には見えていた。
押し付けられるような痛みが背筋を撫ぜた。泣きたいような冷たさが腹部に広がった。
きゅっと唇を噛み締める。だから嫌なのだと、口の中で呟いた。
(命の限りに縛られたものとなど、馴れ合えば虚しくなるだけだ)
四季の司は永久だ。
同じ世界に在ったとしても、有限の中を生きる存在とは、決して交わることなど出来ない。
心も、身体も。
ほんの瞬きをする間に、命を持つものは生まれ、育ち、老い、朽ちる。それは、本当に一瞬の出来事。
なのに。
(たったそれだけだというのに、奴らは永久のものの胸を抉る)
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