第81話 再会


☆第2部、スタートです。



 ノートバルト辺境伯領を襲った大侵攻(スタンピード)から3ヶ月。


 カンタルナ連合魔王国・首都セントルシアの北辺に位置する巨大な王城。

 国民から愛着をもって『魔王城』と呼ばれるその城の廊下を、侍女に案内されて一人の中年男が歩いていた。


「あ、雪だ」


 なんとなしに窓から外を見たローブ姿の男は、ぽつりと呟く。


 11月の空は厚い雲に覆われ、昼間にも関わらず薄暗い。朝の空気の冷たさから男は「ひょっとしたら」と思っていたが、案の定、空から白いものが舞い始めていた。


 彼を案内する小柄な侍女は、頭の上から垂れていた耳をぴょこんと立てて窓の外を見た。


「あら、初雪ですね!」


 見るからにテンションが上がったコボルト族の女性は、ウキウキした顔で笑う。


「これは帰ったら子供たちと雪だるまを作らないとっ」


「お、いいですねえ」


 穏やかな笑みを返す男。


 この世界に来て半年足らず。

 信じていた人に裏切られ酒浸りの日々を送っていた中年男は、人ではない者たちに囲まれて、今はそれなりに充実した日々を送っていた。




「失礼致します。セージ・イワノ様をお連れしました」


 コボルト族の侍女が豪奢な扉をノックして声をかけると、中から落ち着いた女性の声が返ってきた。


「どうぞ、入ってもらって」


 侍女が扉を押しひらく。


 誠治がその広々とした部屋に足を踏み入れると、微かに甘い匂いが漂ってきた。


 窓ぎわに置かれたテーブルセット。

 そこに三人の女性が座り、お茶を飲んでいた。


 手前に座っていた少女が、カチャンとカップを置いて立ち上がる。続いて他の二人もカップを置き、来客を見た。


 誠治は深々と一礼し、顔を上げる。


「あの、魔導科学省でお世話になっている岩野誠治です。私をお呼びになってると聞いておうかがい––––」


 たったったっ


「おじさまっ!!」


 ドンッ


「ぐほぁっ?!」


 腹部に強烈なタックルをくらい、よろける誠治。

 そんな彼に両腕でしがみついた黒髪の少女は、誠治の胸に顔を埋めて呟いた。


「おじさま、会いたかった…………」


「し、詩乃ちゃん。久しぶり……」


 腹の痛みに耐えながら、頑張って笑顔をつくる誠治。

 そんな彼に顔を押しつける少女は、すん、すん、と鼻を鳴らす。


「あ、いや、臭いだろ?」


 毎日風呂に入ってはいるけれど、三十五を超えてから体臭がさらにキツくなった自覚がある。誠治は少しだけ身をよじって詩乃を躱そうと試みたが、彼女はがっちりしがみついて離れなかった。


「はぁ……。1ヶ月ぶりのおじさまのにおい…………」


 なにやら恍惚とした表情を浮かべる少女に戸惑っていると、


「シノ、セージが困ってる」


 後ろからやってきた小柄な少女が詩乃の片腕を引き剥がした。


「ちょっと、ラーナ!?」


 抗議する詩乃をスルーして、ダークブラウンの髪を短く後ろでまとめた少女は、自分が誠治の腕に抱きつく。


「セージ、私も会いたかった」


「ラ、ラーナも久しぶりだね」


 二人の少女に抱きつかれ、途方に暮れる中年男。


「あの、ちょっと離れ––––」


「イヤです」


「左に同じ」


「…………」


 即答である。


 棒立ちになり身動きがとれなくなっていた彼を救ったのは、三人を生温かい目で見守っていた、この部屋の主だった。


 長い金髪を優雅に肩から垂らしたその長身の女性はゆっくりと立ち上がり、ぱん、ぱん、と手を打つ。


「はいはい、二人とも。久しぶりの再会で興奮するのは分かるけど、そろそろセージから離れなさい?」


「う……はぁい」


「……残念」


 しぶしぶ誠治から離れる二人の少女。

 我の強い少女たちがおとなしく女性の言葉に従うのには、理由がある。


 一つは、彼女が少女たちの恩人であり、一種の保護者だから。

 もう一つは、少女たちの星詠みの師匠だからだ。


 カンタルナ連合魔王国、第二代魔王ルシア・マチルダ・カンタルナ。


 今はなき先代の建国王、勇者トシヒロの配偶者であり、当代最高の星詠みである。

 彼女はこの1ヶ月間、詩乃とラーナの星詠みの力を伸ばすべく付きっきりで修行をつけていたのだった。




「こちらでの生活はどう? もうお仕事には慣れた?」


 円形のテーブルを挟み、ルシアが皆のカップに紅茶を注いでゆく。


 誠治は魔王陛下自らのもてなしに恐縮するが、平然として誠治の両脇に張り付いている詩乃とラーナを見るに、どうやらこれが彼女の流儀であるらしい。


「ええ、おかげさまで。開発局の同僚にも近所の人たちにもすごく良くして頂いてます」


 ルシアに同行し、飛行戦艦シュバルツシルトで魔王国にやって来て3ヶ月。

 誠治は今、魔導科学省の技術開発局というところで『技術戦略アドバイザー』という肩書を与えられ働いている。


 魔導という魔法科学とでも言うべき技術を発展させ、地球の十九世紀頃の文明レベルにある魔王国。

 そんな魔王国において、教育と研究を司るのが魔導科学省であり、軍用・民生品問わず、役立つ先端技術の開発と実用化を担っているのが技術開発局だった。


 誠治の仕事のひとつは、地球での知識を活かして既存の技術の可能性を提言したり、どんな道具があればどのように便利になるかをアドバイスすることである。


 元々が文系なので細かい技術指導はできないが、地球においてかつてどのような発明が成され、どのように使われていたかの大枠を伝えることはできる。


 加えて誠治は前職において産業機械メーカーの営業経験があり、またミリオタとして兵器類への造詣も深い。いざ仕事を始めてみると、それらの知識と経験が役立つことも意外と多かった。




「うわさは色々と聞いてるわ。先日も、魔力を使った新しい通信技術の提案をしてくれたそうね」


 カップを片手に、興味深げに尋ねるルシア。


「ああ、無線魔信のことですね」


 誠治は頷いた。


 魔王国には、魔力を使った遠距離通信技術として『魔信』というものがある。


 これは言わば魔力を使った有線電信技術で、離れた二点間を魔導金属(ミストリール)線で結び、魔石から流れる魔力を使い、モールス信号に似た符号で情報をやりとりする。


 通信と言えば早馬か狼煙くらいしかなかったこの世界で、初代魔王・勇者トシヒロが発案した魔信は明らかに時代の先を行っていた。


 ただし不便な点もある。

 有線なので通信線の敷設が不可欠なのだ。


 自由に線が引ける国内の拠点間通信ならば問題ないが、線が引けない他国であったり、船舶や馬車など移動中の相手とは通信できない。


 そんな現状を知った誠治は、空中を飛ぶ魔力波を出す発信機と、その魔力波を受け取る受信機の開発を提言した。

 早い話がトランシーバーだ。


「正直なところ、実用化できるかどうかも分かりませんけどね」


 地球において有線電信が発明されたのは19世紀の前半。その後マルコーニが大西洋をまたいで無線通信に成功するまで実に半世紀以上もの時間が必要だった。


 電気を魔力に置き換えて実現をめざす誠治の案も、同じくらいの期間がかかってもおかしくない。


 正直にそう吐露した誠治に、ルシアは微笑んだ。


「十年かかろうが百年かかろうがいいのよ。『そういうものが作れる可能性がある』ことさえ皆が共有できれば、自然と前に進んでいくわ」


「そう言って頂けると救われます」


 誠治は座ったまま小さく頭を下げた。




「ところで、今日私をお呼びになったのは、何かご用件があるんですよね?」


 誠治が世間話を切り上げて用件を尋ねると、ルシアは微笑を浮かべたまま頷いた。


「ええ。あなた達三人に相談があってね。それで来てもらったの」


「三人って……詩乃ちゃんとラーナもですか?」


 聞き返す誠治に、両サイドの少女たちの雰囲気が変わる。


「あら、おじさま。私たちが一緒だと何か問題があるんですか?」


 笑顔で問う詩乃の目つきが怖い。

 そしてラーナは静かに気配を消した。


「いやいやいや、何も問題ないよ。うん」


 慌てて弁解する誠治。


 ともに命がけの旅をした仲間だ。プライベートでは(節度をもって)親密にしているし、もちろん信頼もしている。

 ただ、こちらの国に来てから所属が分かれたため、これまで一緒に仕事をしたことがなかった。そこに引っかかったのだ。


 誠治は魔導科学省、技術開発局の所属である。

 一方で詩乃は国防省の特殊作戦課に配属され、ラーナは国防省情報局に原隊復帰している。


 所属の異なる三人が集められたとなると、共通点は限られる。例の逃避行か、ヴァンダルク王国関係だろう。


 あまり愉快な話じゃなさそうだな、と誠治は心の中でため息を吐いた。


「……それで、どんなご相談なんです?」


「うーん。何から話そうかしら」


 ルシアは紅茶を口に運ぶとしばし逡巡し、やがてポツリと言った。


「ヴァンダルク王国が、保護している勇者たちを動かしたわ」


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