第80話 明日に向かい歩くために
その夜。
ノートバルト辺境伯がノルシュタット城の応接間に赴くと、美貌の魔王(ゲスト)は椅子にゆったりと腰掛け、お茶を愉しんでいるところだった。
「陛下、お待たせしました」
辺境伯がそう声をかけ、向かいの椅子に腰を下ろすと、魔王ルシアはカップを置き、微笑んだ。
「呼び立てて悪いわね、ヴォルフ」
辺境伯は首を振る。
「いえ、構いません。急ぎ、かつ大事なお話なんでしょう?」
「そうね。……貴方に確保してもらった悪戯坊主の頭の中を覗いたら、今回の大侵攻(スタンピード)のことが大体分かったわ。それで、貴方に伝えておこうと思って」
「こちらに着いたばかりでお疲れのところ、ありがとうございます。……それで、黒幕は何者でしたか?」
声を落とし身を乗り出す辺境伯に、ルシアは軽く目を閉じ、ひと息ついた後で口を開いた。
「ヴァンダルクの筆頭宮廷魔術師、ゲルモアよ。捕まえたあの子はゲルモアの弟子ね」
「ゲルモアが!? 確かに色々と怪しい動きをしていましたが、まさかあんな大それたことを」
辺境伯が『信じられない』という顔で額に手を持って行く。
だがルシアはさらなる爆弾を投下した。
「ヴァンダルク王も今回の件を了承して、国で管理していた超大型魔石を貸し与えてるわ。その魔石を大樹海の魔物をコントロールするのに使ったみたい」
「まさか、王までも! 魔物を操るのに失敗したら、国が滅びるでしょうに」
「本当に。救いようのないアホね。でも彼もゲルモアに乗せられただけよ。……おかしいと思わなかったのかしらね。未だかつて、この世界で魔物を完全に支配下に置いた者などいないというのに」
小さくため息を吐いたルシアに、辺境伯が尋ねる。
「それです。人為的に大侵攻(スタンピード)を起こすことなんて、本当に可能なんでしょうか?」
「実際、起きたじゃない」
こともなげに言葉を返すルシア。
「しかし、魔物を操る術など……」
「本当に聞いたことない? 最近、話題になってると思うんだけど」
ルシアが辺境伯(ヴォルフ)の目を見ながら首を傾げて見せる。
「最近て…………。ま、まさか『魔人』ですか?!」
東の大陸に突如として現れた転移門。
その門から現れた異界の魔人たちは、異形の魔物を操り周辺の国々を蹂躙している。
その噂は商人を通じて中央大陸各国に広まり、ヴァンダルクの勇者召喚のように軍備拡張の呼び水となっていた。
「魔人ね……。彼らが噂にあるような存在なら、まだ抗しようもあるのだけど。残念ながらアレは、そんな生易しいものじゃないわ」
ルシアの目が遠いものを見るかのように細められる。
「飛行戦艦を持つ魔王国でも抗し難い存在だと?」
辺境伯の問いに、ルシアは頷く。
「シュバルツシルトは本来実験艦よ。知っての通り魔力をばか喰いするから稼働できるのは僅かな時間だし。トシヒロ君の最後の道楽ね」
「勇者トシヒロ……初代魔王陛下ですか」
ルシアは微かに笑みを浮かべた。
「そう。でもあの人の道楽が、今は微かな希望になってくれる。さっきの坊やの記憶の中に、シュバルツシルトのような船を建造している光景があったわ」
「ま、魔人は、飛行戦艦も持っているんですか!?」
辺境伯は驚愕し、叫んだ。
「魔人というのは違うわね。ゲルモアを見ても分かるけど、彼らは人間よ。恐らくトシヒロ君とはまた違う異世界から来た人間。彼らは自分の国をこう呼んでるわ」
ルシアはカップを口に運び、お茶に口をつけると、呟くように言った。
「『魔導帝国ライラナスカ』」
同じ頃、誠治の部屋。
魔力灯が照らす薄暗い部屋の中で、寝間着姿の誠治はベッドにうつ伏せに倒れていた。
(う、動けない……)
疲労で全身が重い。
まるで動ける気がしなかった。
戦闘中に負った石片による背中の負傷は治癒魔術師が治してくれたが、疲労ばかりは休息による回復を待つ他ない。
ただ、朝からずっと緊張しっ放しだった為、興奮は未だおさまらず、全く寝付けなかった。
(や、休めん……)
誠治はぐったりとのびていた。
入り口の扉がノックされたのは、そんな時だった。
コン、コン
控えめなノック。
もはや誰か考える必要もないだろう。
「は、はいぃ。今、出ますよ〜」
どっこいしょ、となんとか体を起こし、よたよたと扉に向かう誠治。
扉を開けると、そこには案の定、寝間着姿の少女がいた。
「こんばんは、詩乃ちゃん」
「こ、こんばんは、おじさま」
詩乃は昨夜とちょっと違う感じで、モジモジしながら挨拶を返して来た。
「あ、あの……よかったら、今日もおじさまといっしょに……えっ?!」
詩乃の背後から、にゅっ、と伸びた手が、彼女の襟首を掴み、後ろに引っ張る。
ぐい
「きゃっ!?」
悲鳴をあげる詩乃。
驚く二人の前に姿を現したのは、よく見知った少女だった。
「……やあ、ラーナ」
誠治は苦笑いして声をかける。
まるで忍者だなあ、と思いながら。
「こんばんは。セージ」
空いた左手を、ひょい、と挙げるラーナ。
「ちょっ……ラーナ!?」
バタバタと暴れる詩乃。
ラーナが詩乃に諭す。
「シノ、きっとセージも疲れてる。今日は一人でゆっくり寝かせてあげるべき」
なんと、ラーナらしくもなく誠治を気遣った言葉を口にする。
「そ、それはそうだけど……」
不服そうに口を尖らせる詩乃。
「セージ、これを」
正論をぶつけられ、おとなしくなった詩乃から手を離し、ラーナはポケットから紙の包みを取り出した。
「これは?」
「鎮静剤。弱いものだけど。興奮がおさまらない時とかに服用すると、落ち着いてちょっとだけ寝つきがよくなる」
「おお、それは助かる! 実はなかなか寝つけなかったんだ。ありがとう、ラーナ」
感謝の言葉をかけられたラーナは、ドヤ顔をする。
「当然。わたしは『できる女』」
ふふん、と詩乃に笑ってみせる。
「むぅ…………」
ふくれっ面になる詩乃。
「それじゃ、おやすみ。セージ」
ラーナはそう言うと、背伸びして誠治の右頰に、チュッ、とやる。
「あ! ラーナずるい!!」
詩乃も対抗して、誠治の左頰にキスする。
「あの、えっと、おやすみなさい。おじさま」
再びもじもじやる詩乃。
「ああ、二人ともおやすみ。君たちもゆっくり休んでな」
誠治の言葉に頷く二人。
「じゃあ、また明日」
そう言って誠治は小さく手を振り、扉を閉めた。
「むぅ……。ラーナのせいでおじさまと寝られなかった」
閉じられた扉の前で口を尖らせ、ラーナに仏頂面を向ける詩乃。
「シノは引き時を覚えるべき。押してばかりじゃ引かれるから、たまには引くことも必要。今回は私のリード」
「なっ! わ、私も負けないんだから!!」
ちょっと得意げにするラーナに、詩乃が張りあう。
「望むところ。……まあそれはともかく。私たちも寝よう。シノが寂しいなら、今晩は私がシノの隣で寝てあげる」
ラーナは詩乃の手を引き、廊下を歩き始める。
「ラ、ラーナ! 私、一人で寝られるからっ!!」
「遠慮しなくていい。シノが病的な寂しがり屋なのは知ってる。放っておいたら、またセージの部屋に押しかけるでしょ。だから私が横で一晩中一緒に寝てあげる」
「ええええ!? やだ、おじさまああぁぁぁぁ……」
ずりずりと引きずられてゆく詩乃。
「二人とも、何やってんだか」
閉めた扉の前で腕組みしていた誠治は、はあ、と大きなため息を吐くと、疲れたように首を振るのだった。
二週間後。
ノルシュタットにはノートバルト王国内各地から人が集まり、お祭り騒ぎになっていた。
『対大侵攻、戦勝フェスティバル』
ノートバルト独立宣言と王の戴冠に合わせ二日前から始まったこのお祭りのために、一体どこから集まったのか、町のいたるところに露店が軒を連ね、沿道にまで人が溢れていた。
そして三日目。
天気にも恵まれた最終日の今日、祭りはクライマックスを迎えようとしている。
南門から中央広場に向かって伸びる目抜き通りには、どこぞのテーマパークのパレードよろしくロープが張られ、一定間隔で兵士が警備している。
市民はその外側で主役の登場を待ち構えていた。
やがて、時が満ちる。
南門の外から鼓笛隊のラッパの音が鳴り響き、勇壮なファンファーレが奏でられた。
ゆっくりと南門が開かれると、鼓笛隊が姿を現す。
彼らを先頭にパレードの隊列が入場して来た。
鼓笛隊は、先頭、真ん中、後方に別れ、音で祭りを彩る。
最初に現れたのは、末端の兵士たち。
彼らは歩調を合わせて行進し、その一糸乱れぬ動作で周りを盛り上げた。
続いて入場してきたのは、魔術師団。
こちらは魔法を使って花火のようなものを出したり、空中に文字を描き出したりと、パフォーマンスに余念がない。
沿道の人々は、子供だけでなく大人まで目を輝かせ、イリュージョンに酔いしれる。
華やかな魔術師たちの後ろから轡を連ねて入場してきたのは、勇姿が映える騎乗の騎士たちである。
誇り高い彼らの行進に雰囲気ががらりと変わり、見る側も自然と背筋が伸びるような感覚を覚えていた。
そして、紙吹雪が舞い、歓声と歓喜の歌が溢れる中、騎士たちに囲まれるようにして豪奢な馬車が入場すると、辺りのボルテージは最高潮に達した。
異世界から来た勇者と仲間たち。
強大な黒竜に立ち向かい、なす術なく倒れていった兵士たちの無念を見事晴らしたドラゴンスレイヤー。
その姿を一目見ようと人々は身を乗り出し、熱い視線を送った。
その熱気に困ったような笑顔で手を振るのは、異世界から来た中年男といじめられ少女、その仲間たちである。
「なんか、自分がものすごく場違いな気がするんだけど……」
誠治が引きつった笑顔で呟く。
「大丈夫です。おじさまは今日もとてもかっこいいです!」
隣に立つ詩乃はブレない。
「いや、でもこんなおっさんがこんな所にいてもなぁ」
向かいに座るクロフトに話しかける。
「今、深く傷つき、その痛みの中から生まれたばかりのこの国は、英雄を必要としてるんです。諦めて腹を括って下さい」
黒竜の火球の爆発からテレーゼを守り、代償に右腕の肘から先をなくしたクロフトは、守り抜いた魔術師の少女に支えられながら、人の悪い笑みを返した。
「セージ。こないだも言ったけど、あなたたちはキーマン。一連の物語の主役。だから舞台の真ん中で堂々としてればいい」
詩乃とは逆の位置で誠治に寄り添うラーナが、ふふ、と笑う。
それに合わせるように詩乃も誠治に顔を寄せ、囁いた。
「おじさま自身がどう思おうと、おじさまに助けられた人は確かにいます。ラーナもそう。私もそうです。少なくとも二人の女の子にとっておじさまは英雄なんですから、胸を張って下さい」
「お、おう。わかった」
詩乃に励まされた誠治は、再び笑顔をつくり、人々に手を振るのだった。
パレードはやがて中央広場に到達する。
行進してきた兵士、魔術師、騎士が整列し、それを周りから市民が見守っていた。
今日のために特別に設けられた舞台には、ノートバルトの重鎮たちが並び、中央のイスには二人の人物が並んで座っている。
ノートバルト王国、初代国王ヴォルフ・ザリーカ・ノートバルトと、カンタルナ連合魔王国、第二代魔王ルシア・マチルダ・カンタルナである。
やがて英雄たちを乗せた馬車が到着し、彼らが降りて来ると、大歓声が広場を包んだ。
英雄たちは、誠治、詩乃、ラーナ、クロフトとテレーゼの順に一列となり、立ち上がった二人の王の下に歩いて行く。
音楽隊が彼らの行進に合わせて曲調を変えると、厳かな空気が辺りを満たした。
その場の誰もが、目の前の英雄たちに、そしてこの場にいられなかった名もなき英雄たちに、誇りと感謝を感じていた。
五人が段上に上がり、横一列に並ぶ。
その彼らの胸に、二人の王が勲章を授けていった。
ルシアは誠治とクロフトに。
ヴォルフは詩乃とラーナに。
最後に兵士たちと市民に振り返った英雄たちに、割れんばかりの拍手が送られる。
大侵攻に打ち勝った喜びの歓声は、ノートバルト王国の空高くいつまでも響き渡っていた。
〈第1部・完〉
☆第1部 あとがき☆
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。本作はこれにて第1部・完となります。
書きだめがほぼ無くなりましたので、続きは月2回くらいののんびり投稿になると思います。
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それではまた、第2部でお会いしましょう。
二八乃端月
☆並行連載中の「ロープレ世界は無理ゲーでした − 領主のドラ息子に転生したら人生詰んでた」もよろしくお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/16816452220625525378
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