第25話 くたびれ中年と魔法の石
「ラーナ! 森を抜けたら照明石を!!」
クロフトが二頭の馬に鞭を入れながら叫ぶ。
〈わかった。森を出たら御者を替わるから、弓を使って。もう手持ちの爆火石が小粒のものしかない〉
〈了解!!〉
ラーナは布袋を漁り、口径のやたらと大きい、おもちゃの拳銃のようなものを取り出した。
「何それ?」
誠治の問いにラーナは作業の手を止めず、銃口に白く光る小さな魔法石を放り込みながら、短く「照明石の打ち上げ装置」と答える。
誠治は、目を閉じて手を組み、祈るような姿勢で気配探知に集中している詩乃の手を、上から握った。
〈詩乃ちゃん、クロフトが弓で迎撃を始めたら、未来視で補助してあげて〉
〈ーーわかりました。できる限り頑張ってみます!〉
詩乃は顔を朱くしながら頷いた。
その時、クロフトが叫んだ。
〈森を抜けるぞ!!〉
馬車は森から飛び出した。
数瞬遅れて、化け物たちが森から飛び出してくる。その数、ざっと二十匹以上。
「ばん。」
バシュッ
ラーナの抑揚のない掛け声とともに、おもちゃの拳銃から何かが上空に向けて発射された。
数秒後、
パンッ
頭上で破裂音が響き、辺りが昼間のように明るくなる。
「照明弾だな」
誠治は呟くと、その視線を追跡者に向けた。
光は追いかけて来る赤目の化け物をはっきりと照らし、影を作っている。
誠治は息を飲んだ。
森の中で見たように、それらは霊長類だった。
いや、かつては霊長類だったのだろうと言った方が良いかもしれない。
今や極端な発達を遂げた「それ」は、他の何か、「サルの化け物」としか言えない姿をしていた。
肩から腕にかけての筋肉が異常に発達し、腕の太さは部分的に人間の何倍にも膨れあがっている。
さらにその先の指からは、十センチ以上ある長い爪が伸びていた。
全身は長い毛で覆われ、口には鋭い牙が生え、赤い目が不気味に輝いている。
それらは足をほとんど使わず、長い爪を地面に突き立てて飛び跳ねながら馬車を追いかけていた。
「あんな生き物は見たことがありません」
いつの間にかラーナと御者を交代してやって来ていたクロフトが、隣で弓に矢をつがえながら言った。
そして、放つ。
ヒュン
バシッ
追いかけて来た、一番近い猿の胸部に刺さる。
ギャヒ!
奇声をあげて転がる猿。
だが一度倒れたそいつは爪を地面に刺してゆっくり上半身を起こすと、ドス黒い血を撒き散らし他の個体に遅れながらも、再び馬車を追いかけてきた。
「くっ、なんて生命力!」
クロフトの額に汗が流れる。
しかしぼやきながらも流れるような動作で矢をつがえ、今度は狙いにじっくり時間をかけ、放つ。
ヒュン
グサ
詩乃の未来視による敵位置予測、軌道予測に従って放たれたその矢は、放物線を描いて吸い込まれるようにターゲットの赤い目玉を貫いた。
化け物は一瞬動きを止め、頭部に矢が刺さったままその場で崩れ落ち、ピクリとも動かなくなる。
クロフトが放った矢の先端は、眼窩を通りその奥の脳にまで達していたのだ。
「おお、やった!」
思わず叫ぶ誠治。
「しかし、一匹倒すのに時間がかかり過ぎます」
次の狙いをつけながら苦々しく呟くクロフト。
彼は一匹、また一匹と、矢を化け物の眼球に命中させてゆく。
敵の数は確実に減っている。
だがまだ二十匹近くが健在で、しかも馬車を追うその集団はジワジワと距離を詰めて来ていた。
誠治は逡巡する。
ズボンのポケットには「もしもの時に」とラーナから渡された小ぶりな爆火石……これまでラーナが何度か使ってきたあの爆烈火球の魔法石が、一個だけ入っていた。
今の彼には最初で最後の切り札である。
その爆火石を使うか、付け焼き刃の短剣で戦うか。
詩乃の未来視の援護があるとはいえ、長い爪を持ち五メートル近くの距離を一瞬で飛びかかってくる化け物は、自分より圧倒的にリーチが長い。
わずかでも体捌きをミスすれば、文字通り串刺しだった。
その時、ラーナの声が聞こえた。
〈集落が見えた。このままだと敵を引き連れたまま、人里になだれ込むことになる〉
馬車は道を走っている。
そして道は集落と集落を結んでいる。
このままでは、あとわずかでラーナが言う通りになるだろう。
(出し惜しみしてる場合じゃないな……)
誠治は右手をポケットにつっこみ、爆火石を取り出した。
魔法の封じられた小さな石は、淡く紅い光を放っている。
「詩乃ちゃん」
誠治は、目を閉じ自分の世界で静かに戦っている少女の名を呼んだ。
〈サポートします。できるだけ群れの真ん中に落ちるように誘導しますね。おじさまは私に心を重ねて、石を投げて下さい〉
〈…………わかった。頼んだよ〉
誠治は魔法石を口元に運び、命令を吹き込む。
「『着発』!!」
叫んだ瞬間、それまで静かに紅い光を湛えていた魔法石が、強く輝いた。
「な?!」
眩い光に、誠治は魔法石を取り落としそうになる。
(あれ? ラーナが使った時、こんなに光ったっけ?)
記憶がおぼろげで、はっきりとは思い出せない。
〈セージ! このままじゃ馬車に取りつかれる!!〉
クロフトが叫ぶ。
猿の集団がすぐそこに迫ってきているため、彼は既に目玉狙いをやめ、早さ優先で猿の胸部に次々に矢を打ち込んでいる。
誠治は紅く眩い光を放つ魔法石をにぎりしめ、立ち上がった。
激しく揺れる馬車をよろよろと歩き、荷台の縁に立つ。照明石の光の下、猿の群れがすぐそこまで迫っていた。
〈詩乃ちゃん、いくよ?〉
〈はい!〉
誠治は目を閉じ、メンタルリンクで繋がっている詩乃の意識に自分の意識を重ねた。瞬間、投擲する軌道のイメージが共有される。
誠治はその軌道を何度も意識でトレースしながら、魔法石を握る右手を後ろに引いて振りかぶると、その軌道をなぞるように腕を振り、投擲した。
「ふんっ!!」
魔法石は紅い光の尾を引きながら放物線を描く。上昇、そして落下。紅い光は化け物の群れの真ん中あたりに着弾する。
カッ
その瞬間、草原を眩い閃光が走り、巨大な火の玉が現れた。
「…………」
一瞬の静寂。
火球は瞬く間に膨れ上がり、辺りの化け物を飲み込む。
そして、炸裂した。
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