第24話 闇の中の赤い目

 

 出発から五日目。


 街道を西進していた一向は、ついにヴァンダルク王国西端の辺境伯領に入る。

 正面にはパルト・セラバール帝国との境となっている高い山脈が広がり、その麓には国境の守護と貿易を目的として造られた領都、城塞都市ゲルムが遠望できた。


「きっと、検問の兵士やら間諜やらが手ぐすね引いて待ってるんだろうな」


 御者台で様子を見ていた誠治の言葉に、隣に座るクロフトが頷いた。


「まず間違いなくいるでしょうね。このまま行ったらすぐにお縄ですよ」


 ヴァンダルク西部の街道としては、ゲルムを起点として南北を結ぶ道が山脈の麓に通っていたが、彼らは主要ルートであるその道を避けることにしていた。


 これまで通ってきたヴァンデルム起点の東西街道は交通量が非常に多く、その他大勢にまぎれて通過するのが容易だったが、西部の街道は交通量が少なく、目立つ可能性があったからだ。


「それでは、ここから北上します」


 クロフトはゲルムのひとつ手前の小さな街で、馬に右手の道を進ませる。

 馬車は計画通り北に伸びる側道に入った。当分の間、西の山脈を遠くに見ながら北上を続けるのだ。




 六日目の夕方。

 馬車は森の中を進んでいた。


「思いの外、森が深い。こりゃあ手前で野営した方が良かったかな」


 御者台のクロフトが呟いた。

 それを荷台のラーナが聞きつけ、幌からにゅっ、と顏を出す。


「結果としては、そう。だけど判断が間違っていたとは言えない。森を抜けた先にあるという集落につられたのは私たち全員同じこと。初めて通る道だし、見込み違いは仕方ない」


 毒舌の多いラーナには珍しく、クロフトをなぐさめると、すっと頭を引っ込めた。

 クロフトは面白いものを見た、とばかりにニヤリと笑って肩をすくめると、前を見据えて背筋をのばした。




 馬車は進む。

 日が傾き、辺りはいよいよ暗くなってきた。

 道の端が見えなくなったため、クロフトは夜間走行用の片眼鏡をつけて馬を操る。


 荷台では、誠治と詩乃が隣り合い、向かいにラーナが腰掛けていた。

 幌の中では、すでに相手の顔もよく見えない。


「ごめんなさい。私が『ベッドで寝たい』なんて言ったばかりに……」


「それは皆同じだよ。僕も『あったかいスープが飲みたい』とか言っちゃったし」


 青い顔をして落ち込む詩乃を、誠治が慰める。


「全員で決めたこと。誰が悪い訳じゃない。後悔があるなら次の機会に気をつければいい」


 ラーナも鷹揚に構えてみせた。

 詩乃は何度かうん、うん、と頷いていたが、やがて浮かない顔で首をすくめ、ぽつり、と呟いた。


「実はさっきから、嫌な視線を感じるんです…………」


 誠治とラーナは顔を見合わせた。


 薄暗い中、ラーナが不審げに誠治を睨む。

 誠治はよく見えないなりにその気配に気づき、ぶんぶんと首を振るとラーナを指差して睨み返す。

 すると今度はラーナが首を振り、指差し返した。


「「…………」」


 無言で睨み合う、中年とポニーテール。



 沈黙を破ったのは、詩乃だった。


「森の中から、何かが私たちを見ています」


「森の中…………敵?」


 ラーナがすっと目を細める。

 詩乃は首を振った。


「分かりません。殺意ではないですけど……まるで虫を観察しているような、そんな視線を感じます」


 誠治は背筋に冷たいものを感じ、詩乃の肩を抱き寄せる。


「詩乃ちゃん。全員にメンタルリンク、いける?」


「は、はい……」


 詩乃は頷き、馬車に乗車している全員にメンタルリンクを展開した。

 同時に、気配探知による探査イメージが共有される。


 〈これは……〉


 誠治は息を飲んだ。


 〈何かいるね。それも何匹か。……馬車について来てるな〉


 クロフトが呟く。


 その通りだった。

 探査イメージには馬車を中心として周囲に生き物らしき反応が複数現れていたが、馬車が通り過ぎると、その反応が次々に馬車を追いかけ、森の中を並走し始めていた。

 その数は既に五匹を越え、まだ増え続けている。


 〈こりゃあ人間じゃないね。スピード上げるから、近くのものに掴まって!〉


 二匹の馬が速度を上げ、荷台が飛び跳ねる。


「……っつ!」


 腰がガツンガツンつき上げられ、荷台の三人は振り落とされないよう必死で縁に掴まった。


 〈敵は?〉


 誠治が探査イメージに意識を向けるより早く、ラーナが叫ぶ。


 〈後ろ!〉


 咄嗟に振り返った誠治は、目に入って来た光景に凍りついた。


 荷台の後ろの闇の中に、いくつもの赤い光が飛び跳ねていた。

 筋肉が異常発達したオランウータンのような形をしたそれらは、赤い目をギラつかせ先を争うようにピョンピョン跳びながら、猛然と馬車を追いかけてくる。


 〈なんだこいつら?! ……っていうか、殺気振り撒き始めてるんだけど!!〉


 詩乃とメンタルリンクした誠治の目には、異形の怪物たちがドス黒い殺気を放ち始めているのが見えていた。


 〈下がってて〉


 そう言ってラーナが荷台の端に立つ。

 その時だった。


 キシャー!!


 赤目の化け物の一匹がラーナに向けて飛びかかった。少女に伸びる、化け物の長い爪。


「はっ!!」


 ラーナは素早く短剣を抜き、一閃する。

 剣が敵の腕に触れた瞬間、紫電が走り、敵は感電したかのように後ろに吹き飛んだ。

 あとで確認したところ「にこポンスタン」の応用だという。


 キシャー!


 バシッ


 キシャー!!


 バシッ!


 化け物たちは次から次とラーナに襲いかかり、ラーナはそれらを次々に吹き飛ばしてゆく。

 しかし、吹き飛ばした化け物もすぐに襲撃に復帰し、じわじわと敵の数が増え始める。


 〈ち……〉


 ラーナは舌打ちすると、右手で短剣を構えながら空いた左手をポケットにつっこみ、紅く光る大きめの魔法石を取り出した。


「『着発』」


 ラーナは魔法石を口元に持って行き、起爆方法を吹き込むと、化け物の群れに向かって放り投げた。

 紅い石は放物線を描いて闇の中を飛び、地面に落ちる。

 次の瞬間、


 ドン!!


 闇の中で火の玉が爆発した。


 ギャヒー!!


 異様な奇声をあげ、馬車を追いかけていた化け物たちは爆風に手足をバラバラにされながら四散する。

 見える範囲では、馬車の後ろの敵は全ていなくなった。


「やったか?!」


 叫ぶ誠治。


 だが彼はすぐに気づく。

 メンタルリンクの探査イメージ上に広い範囲で存在していた無数の生体反応が、今の爆殺と同時に『敵』の反応に変わってしまったことを。


 いつもポーカーフェイスのラーナの顔が青ざめた。


 〈次が来るぞ!〉


 誠治の言葉に、クロフトが叫ぶ。


 〈森の出口が見えた!!〉


 馬車は闇の中を疾走する。


 探査イメージには、その馬車に群がるように近づく無数の敵の姿が映し出されていた。


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