第13話 今生きている、ということ

 

「うっ……うっ…………」


 詩乃は誠治の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしていた。

 誠治はただ、彼女の背中をさすり続ける。


 どれだけ経っただろうか。

 少女はようやく誠治のシャツから顔をあげた。

 彼女はぐしゃぐしゃの顔を伏せたまま、自分の背中をさすっている男に問いかける。


「……わ、わたし…………」


「うん」


「ひ、人を……ころ……し…………」


 誠治は詩乃の背中を、ぽんぽん、と叩いた。


「死んでないよ、ソレ」


「……え…………?」


 少女は顔を上げ、惚けたような顔で彼を見た。


 誠治は少し困ったように微笑むと、彼女をひょい、と自分の膝の上に乗せ、倒れたメイドが見える角度に抱きかかえて言った。


「ほら、息してるでしょ? 死んでないよ、ソレ」


 確かに、仰向けに転がった女の胸は僅かだが上下している。


(……廃人にはなってるかもしれないけど)


 心の中で呟く誠治。


「は、廃人……ですか?」


 誠治のシャツを掴む詩乃の手が、微かに震えた。


「うん。君が彼女に叩き込んだのって、拒絶の意思だよね?」


 心を読まれたことには触れずに誠治が優しく尋ねると、少女は、こくん、と頷いた。


「彼女の頭に君が意識をつなげた時に、メンタルリンクを通じて僕の頭にも流れてきたよ。君の意思がアレを拒絶して、アレの意思の表層がまるっと吹き飛んでくのを感じた」


 詩乃の顔が歪む。


「けどそれは彼女の全部じゃなくて、あくまで表層。もっと深い土台の部分はしっかり残ってた。だから多分、彼女は色んなしがらみから自由になったんだと思う。暗殺とか、組織とかからね。きっと後ろ暗い生き方から足を洗うきっかけになるよ」


 ものは言い様である。

 だが彼は詩乃に命を救われ、その命の恩人は自分がしでかした罪の重さで潰れそうになっている。無理やりにでも前向きに捉えてみせたかった。


「……それ、無理してますよね?」


 だが、いまだメンタルリンクで繋がったままの彼女に嘘はつけない。

 詩乃の体は震えていた。

 誠治は少女を強く抱きしめる。


「無理でもなんでもいいさ。そいつは僕たちを殺しに来て、僕たちは生きのびるために最善を尽くした。命をかけて人を殺そうとした奴が、命をかけて人を守ろうとした子に負けただけの話だよ。何より大事なのは、僕も君もついでにそいつも、まだ生きてる、ってことじゃないかな。生きてさえいれば、やり直しは何度でもきくさ」


 もちろんそれは綺麗事。

 この世界に転移してきた時点の誠治の腐り具合を思い出せば、どの口がそれを言うか、という話ではある。

 だが、人は立ち直れる。時間をかけ、近くにいる人間のサポートがあれば。その思いに嘘はなかった。


 詩乃は顔を上げ、誠治の顔を見た。


「それ、半分ウソで、半分ホントですね」


「お恥ずかしながら、ね」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。




 詩乃は誠治から離れ、誠治も首を押さえながら立ち上がった。


「そんなに時間はないだろうし、とっとと逃げるとしようか」


 詩乃が頷く。


「鞄の中のいらないものを出すんで、ちょっとだけ待って下さい」


「売ってお金にできそうなものがあれば、持って行こう」


 誠治はそう言いながら、汚水の中に倒れているメイドに近づき、その指から指輪を抜き取った。


「その指輪……」


 気づいた詩乃に、指輪を掲げてみせる。


「これは、向こうの切り札みたいだからね。素直に返してやる義理はないさ」


 そう言って指輪をズボンのポケットにしまうと、今度は壁にぶつかってひっくり返ったワゴンのところに行く。


 そこに転がっているのは、二本の刃物。特に短剣の方は柄の部分に見事な装飾が施され、それなりの価値があるように思われた。


「いくらかにでもなればいいんだが……」


 誠治が二本の刃物を拾って呟いた時、支度を終えた詩乃が声をかけて来た。


「準備、できました」


 誠治は彼女を振り返り、努めて気楽に言った。


「よし。それじゃあいっちょ、脱走と洒落込もうか」




 王城脱出にあたって、大きな問題が二つあった。


「まず、脱出経路がわからないこと。だけどこれはなんとかなると思う」


「なんとかなるんですか?」


 詩乃が首を傾げた。

 誠治は軽く頷き、自分たちの部屋から移動する際、廊下の窓越しに広い中庭が見えていたことをあげた。


「主立った建物は、中庭を囲むように建てられてた。謁見の間なんかがある『お城』本体を含めてね。王様がいる場所は権威や防衛を考えて奥に配置するだろうから、入口は逆に中庭をはさんで反対側にありそうだと思わない?」


「あ、確かにそうですね」


 詩乃は合点がいったようだった。


「なので、とりあえず城とは反対側を目指して進もうと思う」


 誠治の言葉に少女が頷いた。


「さっき城の食堂に案内された時は部屋を出て左だったから、目指すは右かな。まぁ廊下に出れば窓から城が見えるだろうし、城から遠ざかる方向で」


 誠治はアバウトにそう言った。


「そこで、二つ目の問題。見張りをどうするか」


 当然、城塞内には当直の見張りがいる。それもあちこちに。彼らは定期的に建物を巡回していて、異常があれば対応するのが仕事だ。


「そこの廊下の端で見張ってる、微妙に悪意を持ってる二人は邪魔したら無力化するとして、何も知らされてない他の連中をどうするか……」


 いちいち殺す訳にもいかない。

 反撃を受けてこちらがやられるかもしれないし、よしんば勝ったとしても死体をそのままにしたら大騒ぎは目に見えている。


「……いっそ、何もしないというのはどうでしょうか?」


「え?」


 突然そんなことを言い出した詩乃に、誠治は思わず惚けてしまった。

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