第5話 王と毒薬
「私の料理にだけ、黒いモヤモヤがかかってたんです」
「料理に?」
聞き返した誠治に詩乃は小さく頷いた。
「最初見たとき、王様たちからは灰色のモヤモヤが出てました。他の貴族の人たちも同じ色でーーそれが私が水晶に触れた途端、みんなドス黒い色に変わって私に押し寄せて来て…………」
誰かが『星詠みの魔女』と言った、あの瞬間のことか。
微かに震える少女の手に、誠治は自分の手を乗せた。
「大丈夫。落ち着いて」
恐怖に歪んでいた詩乃の瞳が、驚いたように誠治を見つめる。
「あ! ご、ごめん!!」
誠治は己のしでかした所業に気づいて、慌てて重ねた手を離し、距離をとった。
「僕みたいな四十のおっさんといる方が、ある意味よっぽど危ないな。あはは、はははっ」
冗談めかしてセクハラ行為を誤魔化そうとする誠治。
そんな後ろめたいおっさんを前に、詩乃は呟いた。
「岩野さんの手、大きいですね……」
「ごめん。本当にごめん! 頼むから警察には……」
警察いないけど。
「岩野さんのモヤモヤは、薄い朱です」
「へ?」
「夕陽のようにあったかくて、痛くて、優しい朱色です。…………お父さんみたい」
詩乃は最後に、ぽつりと言った。
どうやら、まだ警察のお世話にはならずに済みそうだった。いや、警察いないけど。
「だからきっと、岩野さんは私にひどいことしません。…………しませんよね?」
少女の双眸が誠治に問いかける。
「あ、いや、まぁ、そんなことしないけどね。もちろん」
別に後ろ暗い気持ちはないけれど、視線に耐え切れず思わず目が泳ぐ誠治。
「…………ええと……その、モヤモヤ見ると、相手の考えてることとか分かるの?」
詩乃は首を横に振った。
「わからないです。ただ相手が自分に好意的なのか、悪意を持っているのかで、色が違って見えるみたいで……」
誠治はちょっとホッとした。
さすがに頭の中が丸見えというのは恥ずかしい。
女子中学生に欲情することはないにしても、綺麗なお姉さんに目がいくことはあるし、何かの拍子にムラムラくることくらいはあるのだから。
「話が戻るけど、さっき出された食事の中で、君の料理にだけ『悪意』のモヤモヤが見えたんだね?」
「はい。お皿に黒いものがかかって、すごい悪寒がして…………」
「……そうか」
誠治は頭を抱えた。
もし彼女の力が本物で言ってることが真実なら、彼女は何者かに毒を盛られたということなのだろう。
王が同席する晩餐の席。誰にもバレずに毒を仕込むのは、王を暗殺するのと同じだけの難易度だったはずだ。
それをやすやすと成功させているということは…………黒幕は王か、それに準じる力を持った誰かということになる。
この世界に、何の準備もなく呼び寄せられた自分たち。
保護者であるはずの王族から命を狙われれば、生き延びるのは至難のわざだ。
いやそれ以前に、この絶望的な状況をたかだか中学生の女の子にどう伝えればいい?
諦めて死ねと言うのか。
無責任に「大丈夫」と言えばいいのか。
誠治が暗い思考の迷路に落ち込んでいると、詩乃が俯いたまま口を開いた。
「……これって王様がお料理に毒を入れて私を殺そうとした、ってことですよね」
何のことはない。中年オヤジが一人で考えこんでいる間に、少女はきちんと状況を把握して現実と向き合っていた。
「…………そうだね。ーーいや。なんで王様だと思ったの?」
「私のお皿が出てきた時に強い悪意を感じて、それでそっちを見たら王様だったんです。私とお皿に向けて真っ黒なモヤモヤをたくさん飛ばしてて……」
「すごいな。そんなことまで分かるんだ」
彼女の目はちゃんと犯人を見抜いていたわけだ。
「…………信じてもらえないかもしれないですけど」
詩乃は力なく俯いた。
この子はどこか諦めたように話をする。
これまでにいろいろあったんだろうな、と誠治は思った。
「信じるよ。水晶触った時の様子見ても、君に特別な力があるのは間違ないし」
『信じる』という言葉に少女はぴく、と肩を揺らした。
「それでこれからの話なんだけど」
「……はい」
「このまま何もしないと君は殺されるだろう。特別な力を持たない僕も多分一緒に殺される。毒を盛ったのが王様で、こっちが気付いて逃げた以上、すぐに次の手を打ってくるはずだ」
「…………はい」
少女の顔に動揺と絶望が浮かぶ。
誠治はやや早口で言葉を続けた。
「だから、とっととここから逃げよう。逃げなくても殺される。逃げても殺されるなら、逃げる方が生き延びられる可能性が高いはずだ」
誠治は思う。
このまま本職の暗殺者が来れば、間違いなく自分など殺されてしまうだろう。
命がけで抵抗したとして、せいぜい詩乃が逃げる時間を稼げるかどうかだ。
正直死ぬのは怖い。だけど人に失望した自分にはそれほど生への執着はなかった。
自分が死ぬのと、親子ほど年が離れた女の子が死ぬのと、どちらが嫌か。そんなことは考えるまでもなかった。
誠治は詩乃の両肩に手を添えると、向かい合って少女の瞳を見据えた。
「僕が君を逃がす。囮になってでも君を逃がす。だから君も最後の瞬間まで諦めないで欲しい」
それは一方的な思いの押しつけ。
が、そんなことは誠治自身も分かっている。
今は考える時間さえ惜しかった。
案の定、詩乃はポカンとした顔で誠治を見つめる。
見つめ合う二人。
「なんで…………」
「え?」
「なんで私なんかに優しくしてくれるんですか?」
顔に戸惑いの色を浮かべながら、少女は中年男に問うた。
誠治は少し考えて、答える。
「君はまだ、絶望するには若すぎるからかな。一応、君の三倍近く生きてきたおじさんとしては『生きてればいいこともあるよ』って伝えたい」
詩乃は誠治の言葉にしばらく逡巡していたが、やがておずおずと口を開いた。
「ーーーーわかりました。最後まで頑張ってみます」
「よし。それじゃあ約束だ」
誠治は軽く詩乃の肩を叩いた。
「それで、さっき話を聞いててちょっと気になったんだけど……」
誠治は詩乃の目を覗き込む。
「ひょっとして坂下さん、モヤモヤを直接見なくても悪意のある奴がどこにいるか分かるんじゃない?」
「ーーーーええと……はい。分かると思います」
やっぱり、と誠治は思う。
彼女が王様の悪意に気付いたくだりで、その可能性に思い至っていた。
仮に敵の位置が分かるなら、逃亡にどれだけプラスになるか分からない。
「ちなみに今、君が分かる範囲でどのくらいいる?」
「えと、ちょっと待って下さい」
詩乃は目を閉じて何かに集中し始める。
そして十も数えないうちに再び目を開けると、誠治に顔を向けた。
「部屋の外の廊下に二人います。それからあっちの離れたところに…………」
詩乃はななめ上を指差す。
「ーーーー強い悪意を持った人が、三人います」
廊下の二人は見張りの兵士で、離れたところにいる三人は王様とその他取り巻きだろう。
「それ、悪意のない人のことも分かるの?」
「はい。一応……」
誠治は愕然とした。
なんてこった。これじゃまるで対人レーダーだ。
「あ……」
詩乃が宙を見つめて呟いた。
「どうかした?」
「誰かが、来ます」
「まじかよ……」
詩乃はほとんど無意識に手を伸ばし、誠治の手に自分の右手を重ねていた。
二人は息を潜めて、部屋にひとつしかない出入口の扉を見つめた。
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