第4話 星詠みの魔女
ラルス王の呼びかけに、少女の足は竦んでいた。
王の威圧的な物言い。身に纏った不穏な空気。自分の前に水晶球に触れた男の人に特別な力がないと知るや、手の平を返したように嘲笑し、冷遇する姿勢。
全てが恐ろしかった。
異世界にやって来たと知った時、彼女は呆然として途方にくれると同時に、心のどこかでほっとしていた。
もうあの家に帰らなくてもいい。
学校に行かなくていい。
牢獄のような日々を送らなくて済むのだ、と。
だがその淡い期待は、段々と不安に置き換わっていた。
何かが渦巻いている召喚の部屋。
笑顔の仮面を被った王女。
そして今目の前にいる王と貴族たち。全てが恐ろしかった。
「どうした? さぁ、お主の力を見せてみよ」
王が催促する。
少女はおそるおそる水晶に近づき、手をかざした。
「……さ、
名前を叫んだ詩乃が球に触れた瞬間、それは起こった。
触れたところから内側に紫色の煙が噴き出し、その煙は瞬く間に球の中に広がると、無数の稲妻を放ち始めたのだ。
ひっ、と悲鳴をあげて詩乃が後ずさる。
「こ……これは!」
ゲルモアが叫んだ。
稲妻はその力と頻度を増し、カメラのフラッシュのように、激しい閃光と爆音を明滅させる。
そして、信じられないことが起きた。
パリン!!
水晶球にヒビが入り、一気に砕け散る。
球に閉じ込められていた煙と紫電が、空中に拡散して消えた。
「「…………」」
予想外の光景に、その場にいる全員が固まっていた。
彼らは見たことがなかった。加護調べの水晶球が割れるところも。強大な力を持つ『その加護』の持ち主もーー。
故に、たかが十四歳の子娘のことを恐れとともに見ることになった。
「…………ほ、星詠みの魔女」
誰かが呟いた。
それを皮切りに、貴族たちがざわめき始める。
険悪な空気が一気にその場に広がった。
「ひぃっ!」
詩乃が悲鳴をあげて後ずさる。
王も詩乃に険しい視線を投げかけていたが、すぐに傍らの王女が近づき、何事か囁くと、小さく頷いた。
「静まれい!!」
王が一喝した。ぴたりとざわめきが収まる。
王は詩乃に語りかけた。
「娘よ。そなたは非常に珍しい加護を持っておる。とても古い精霊の加護だ。その精霊はまともに現出しなくなって久しく、皆が驚くのも無理はない。悪くとらないで欲しい」
詩乃は怯えたように、コクコク、と激しく頷いた。
「さて。これで勇者殿の加護と力の強さが明らかとなった。残念ながら精霊に恵まれぬ者もいるが、異なる力を授かっておるのかもしれぬ。いずれにせよ、等しく我が国の大切な客人であることに変わりはない。彼らには明日から加護の力を操る訓練に参加して頂くとして、今宵は我が晩餐に招きたいと思う」
王様とご飯!
誠治はこっそり溜息をついた。
どうやらまだまだ気を抜けないらしい。
だが、加護なしの落ちこぼれでも客として扱ってもらえるということで、少しほっとしてもいた。
王の意を汲んだ王女が後を引き継ぐ。
「それでは謁見はここまでとします。勇者の皆様、また後ほどお会いしましょう」
誠治たちは侍従に促され、謁見の間を後にした。
転移組は再び個室に案内され、呼び出しがあるまで各自休憩となった。
誠治もローブとジャケットを脱ぎ、ベッドに転がる。
こちらの世界に来てから緊張の連続だったため、あっという間に睡魔が意識を刈り取っていった。
「セイジ様。お目覚め下さい、セイジ様」
どれほど落ちていたのか。
侍女に起こされると、窓の外は、すっかり暗くなっていた。
侍女から晩餐の注意事項を聞きながら、慌てて晩餐に向かう用意をする。
食堂に案内された誠治は、あんぐりと口を開いて固まっていた。
広々とした空間。
豪華なシャンデリアと調度品。
長テーブルに並ぶ銀食器。
ロウソクの薄暗い灯りに照らされて、見たこともない煌びやかな光景が目の前にあった。
既にラルス王もセレーナ王女も姿を現しており、転移組の最後のメンバー……誠治が着席するのを待っている。
「お、遅れて申し訳ありません」
誠治は慌てて自分の席につく。
彼の着席を確かめると、王が口を開いた。
「全員が揃ったようなので、始めるとしよう。まずは礼を言う。遠いところをよく来てくれた。あらためて我が国は、諸君を歓迎する」
まぁ、こちらの意思に関係なく召喚されたんだけどな。
誠治は心の中でツッコミを入れる。
「今日はささやかだが晩餐を用意した。心ゆくまで楽しんでくれ」
王の言葉が終わるや、ワゴンを押したメイドたちが部屋に入ってくる。
各人の前に次々と料理の皿が置かれ、部屋の中は瞬く間に涎が垂れそうな香りに包まれた。
食事の間は会話しないのがマナーだと事前に侍女から聞いていた為、皆、黙々と目の前の料理をたいらげていく。
(ややスパイシーなフランス料理、というところかな)
誠治は過去に自分が食べたものの中から、近いものを思い浮かべる。
こちらの世界に来てから何も口にしていなかった一同は、空腹にまかせてしばらく無心で最上級の料理を頬張った。
「…………ん?」
誠治が隣に座る詩乃の様子に気づいたのは、パンをお供に三皿目の料理を片づけにかかっている時だった。
「食べないの?」
詩乃は片手で口を押さえ、青ざめた顔をしていた。
出された料理には全く手をつけていない。
「ひょっとしてまた具合が悪いとか? 体調悪いなら、部屋に戻って休んだ方が……」
誠治がそう言いかけると、彼女は椅子に腰掛けたまま背を丸めてガタガタと震えはじめた。
「えっと……すみません!」
誠治が声をかけると、側のメイドが寄ってきた。
「彼女、具合が悪いみたいなんで、部屋で休ませてやってもらえますか?」
「かしこまりました」
メイドが肩を貸そうとすると、詩乃は僅かに顔を上げ、目の前にいた誠治の袖をつかんだ。
「え!?」
たじろぐ誠治に掴まったまま、詩乃は声をしぼり出すように言った。
「ひ、ひとりに……しないで」
泣きそうな顔で懇願する彼女に、誠治は残りの食事を諦めた。
詩乃が割り当てられた部屋は、誠治の部屋とは大分趣きが異なっていた。
部屋の広さは同じくらいだが、ベッドには天蓋があり、柱には草花の形が彫り込まれている。
女性客向けの部屋ということなのだろう。
詩乃は具合は悪いものの、歩くのには支障ないらしく、誠治の腕を掴んだまま部屋に戻って来た。
「えっと……そこに座るかい?」
誠治が促すと、詩乃は素直にベッドに腰掛けた。
「水、飲む?」
詩は床を見つめたまま小さく、こくり、と頷いた。
が、
「あー……手離してくれないと、水差しが取れないんだけど……」
詩乃は再び頷く。
が、手は変わらず誠治の袖を掴んだままだ。
「えーと…………まぁ、いいか」
誠治は諦めて、詩乃の隣に座った。
正直、訳がわからない。
具合の悪い年頃の女の子が、なぜに出会ったばかりの臭いおっさんにしがみついているのだろうか。
頼る先は、イケメン高校生なり美人OLなりいただろうに。
「体調はどう? ええと……」
「坂下、詩乃です」
「坂下さんね。岩野誠治です。よろしく」
頭を下げ合う、おっさんと女子中学生。やはり危険な絵面だった。
「それで、具合どう?」
詩乃は床を見つめる。
「体調は悪くないです。…………たぶん」
「だけど気分はすぐれない、と」
詩乃は頷いた。
「そういえばさっき廊下で、具合悪いのは『気持ちの問題かも』って言ってたよね。あれ、今の状況について心の整理が必要って意味?」
詩乃はうつむき、両手で自分の腕を抱きしめると、しばし逡巡した後、口を開いた。
「…………違うんです」
「へ?」
誠治は間の抜けた声で聞き返す。
詩乃は躊躇いながらも、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「その……気持ちの問題っていうのは、本当は違うんです」
「はい?」
詩乃はポツポツと話し始めた。
「こっちの世界に来てから、あちこちでモヤのようなものを見るようになって……」
「モヤ?」
詩乃はこくん、と頷く。
「モヤみたいな霧みたいなものが、人にまとわりついたり部屋の隅を漂ってたりしてるんです。他の人には見えてないみたいだし、最初は目がおかしくなったのかと……」
「確かに、僕にはそんなもの見えないなぁ。そのモヤモヤって、気をつけて見ないと分からないようなもの?」
「はい。……いえ、見えにくいものもあったけど、見ないようにしても見えてしまったり……」
誠治の頭に、ヒトダマという単語が浮かんだ。
確かにそんなものが突然見え始めたら、不気味で気分も悪くなるだろう。
「こっちの世界に来る前も、そういうの見えてたの?」
詩乃が首を振る。
つまり、この子の『精霊の加護』ってやつなのか。
異世界転移で霊能開眼!
……嫌すぎる。と誠治は思った。
「ともかく、さっきは食堂でまたそのモヤモヤを見て気分が悪くなったわけだ」
誠治の言葉に頷いた詩乃は、ややあってとんでもないことを呟いた。
「…………悪意が、見えたんです」
「は?」
誠治は思わず聞き返した。
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