ギギ。ギギ。

 私立のくせに、どこに学費が使われてるのよ、と切実な疑問を抱きながら、建付けの悪いオンボロ木製扉を無理にこじ開ける。

 その奥に、先輩はいた。


 生物実験準備室。名前の響きからして、いかがわしい雰囲気を醸しているが、中に入ると普通の教室と同じ間取りのようで、後ろには薬品棚が取り付けられている。

 小学校の理科室とそこまで変わらない感じだ。


「こんにちは。あれ、部員は他に──」

「今は僕一人だよ」

「で、でも。表彰台に立っていたのは……」

「ああ。覚えてくれてるんだ。ありがとう。

 実はあれ、助っ人なんだよね。僕以外に、全員で四人、あの時はいたんだけど」


 先輩はのんびりとした口調で、声を立てずに笑う。涼しい顔で、とりすましたようにそう答えた。あの人たちは、正式な部員じゃないんだ。どういうことだろう。


「一重さんの中で、模型部ってどんなイメージ?」


「えっと。ペットボトルロケットですよね。前、コンテストに出てたやつは」


「あーそうそう。でもやっぱりさぁ。模型部っていうと、皆の頭の中はプラモデルだったりするのかな。残念ながら、僕はそういうのやってなくて、機械工作とかそっち系なんだよね」


 先輩は釈然としない顔つきで、口元を歪め、落ち着いた声で続ける。


「やっぱ名前変えたほうがいいよね、もっと分かりやすい感じのやつ。ものづくり部とかね。プラモデル制作とかそういうのを期待して見学に来た一年生の子にちょっと無理を言って誘ったんだ。仮部員、としてね。コンテストの参加規定の人数に足りなくてさ。まあ、その大会の後、結局彼らは入部しなかったわけだけど」


 ため息混じりに苦笑を浮かべてそう言う先輩は、どこか寂しそうだった。

 顔つきを改めて、こちらを正面から見つめ直す。


「でね、本題に入るんだけどさ。一重さん、飛べますね?」


 穏やかな目線で、こちらを見つめる先輩。


 え。反射的に視線を逸らしてしまった。背筋に冷たいものが、ぞっと滑り落ちる。身体が固まって、動けない。その唐突な質問は、あからさまな牽制とも取れた。


 二呼吸ほど置いて、先輩は口元を緩めた。

この気まずい空気を振り払うように、露骨に明るい声を出しながら、ごめん実はね、と先輩は切り出す。


「一重さんが、浮いてるのを見てしまったんだ」

「へ?」

 思わず拍子抜けしたような声が出る。

「で、でも、あの時、周りには誰も──。あ、猫」


「うん、その猫ね。僕の家が飼ってる猫なんだ。首輪に探索用の小型カメラを取り付けてて……。猫の視点からどんな世界が見えるのか、とか、猫はどうやって索敵するのか、とかまだ知られてないような習性を発見したくてさ」


 さっきまでの真顔と打って変わって、先輩は意気揚々と語り出した。まさか、カメラが仕掛けられていたとは……。私、あの時、監視されてたんだ。


「でも、なんでいきなり猫が現れたんだ? って思うでしょ。それ、実はね、猫の聴力は犬の2倍、人の6〜10倍って言われてるんだけど。『音源定位』と言って、猫は、音がどこから出ているのかを探る能力を持ってるんだよね。多分、一重さんの周りに発生した突風の音に反応して、近付いたんだと思うよ」


 はあ、と曖昧に頷く。でも、なんだか納得。すると、先輩はまた昼休みの時のように、肩を萎縮させると、小さくくしゃみをした。


「アレルギーですか?」


「うん。でも、花粉じゃないよ。一応僕、猫アレルギーなんだ」


 はにかむように笑いながら言った。猫アレルギーなのに、猫を飼う人がいるとは。

 猫アレルギーって、蕁麻疹とか呼吸困難になるのではないのか。ペットとして、飼うのはまずいような。そう訝しく思っていると、心配が顔に出てしまったのか、先輩は慌てて付け加えた。


「僕はまだ症状が軽い方だから、これぐらい大丈夫」



 ✤ ✤ ✤



「あっ。それじゃあ、先輩も、私と同じく城崎町に住んでるってことですか? 猫を見かけた場所の近くに」


「まぁそうだね。一番早い電車で行き帰りしてるから、会わないだけでね」


 唇を横に引いて、薄く笑う。はぁなるほど、とぼんやり頷く。道理で、私は先輩を見かけたことがない訳か。でもなんだか、同郷の味方が出来たような気がして嬉しくなった。


「それで、私をどうしたいんです?模型部の勧誘ですか? あと、私がなんで飛んだのかって分かります?原因は何ですか?」


 秘密を共有してしまったからには、人前では言えなかったような疑問が、次々と口から溢れ出す。それらの立て続けの質問を、スムーズに、ひらりと躱すように先輩は答えた。


「勧誘ってわけじゃないけど、協力、して貰いたいんだ。それから、一重さんの能力? というか、力かな。それはね──重力を操れる力、だと思うよ。録画の映像をよく見たところによるとね」


「重力を、操る?」


 先輩の顔は、熱を帯びたように少し赤くなっていて、興奮したように捲し立て始めた。しかしその説明は淀みなく、とても明快で、すんなりと頭に入ってくる。


「あっ、えーとね。いきなりだと、分からないよね。じゃあ、簡単な例を出してみるね」


「空間はよくスポンジに例えられる。で、質量を持った物体はスポンジの上におくと、当然のことながら、凹む。これは現実世界も同様。重力によって空間は歪み、それを動かすと、物体はスポンジを凹ませながら、転がっていく。ところが、どうだろう。重力を操作できるとしたら───。重力を操作する。スポンジ──その空間──の重力を操るっていうのは。つまり、それはスポンジの性質を変えることができる、ということ。硬くしたり柔らかくしたり、ね。スポンジの硬さに応じて、物体を跳ね上げることだってできるって訳。それが、一重さんの力」


「それで。なんで、一重さんが重力操作ができるって思ったかというと。まず、あの時、風は吹いていなかった。にも関わらず、風はなぜ巻き起こったのか。第二に、一重さんは浮いた。周りの落ち葉たちと同じように。この二つから推察できるのは、一重さんの接地面──地球の重力と一重さんの体重が操作された、ということなんだよね。つまり、地球の重力に一重さんの体重を振り分けたことで、体重は限りなくゼロに近づき、浮いたと考えられる。さっきの話でいうと、物体はスポンジに接触したあと、ぴょーーんと跳ねて、浮き上がってしまったということ。


 それから、あの円柱空間では一重さんの操作した重力が保たれていて、その中は周りよりも気圧が低くなっていて、上昇気流が発生しているではないかな、と。おそらく、発動条件は足との接触だね」


 え、え……。スラスラと話しだした先輩から飛び出す奇想天外な内容に、頭が混乱する。晴れない霧中に取り残されたように、更なる不安と疑問が私の中を埋めつくしていく。


「それじゃあ歩いたら、ダメってこと?」


「違うよ。発動には意志が伴うのでは、と僕は予想しているんだけど。現に、今日は一重さんは安全に登校できている様だし。それに、一重さんが着地・・・・・・とは言い難いけど、地面に落ちて、尻餅を着いたのは、油断、というか一瞬だけリラックスした状態に入った時だった。僕の愛猫、ドロシーを見た時、癒されてしまったのかな?」


 飄々とした様子で、おどけるようにそう言いながら、先輩は笑った。


「ドロシー?」


「僕の飼ってる猫の名前。眠そうな目で、のこのこと一重さんの前に現れたでしょ? 垂れた目をして、まんだような顔してるから、ドロシー。あとね、別に足じゃなくてもいいと思うよ。力を使う場所は。手でも、背中でも、どこでも身体の好きな場所と、物体さえあれば、その物体間の重力は操作できる、と思う」


「へぇ。でも、私。その力でどうやって、先輩に協力できるんですか?」


 先程の先輩の発言で、気になっていたことを口にすると、真剣な表情に戻って続ける。


「運動部と同様に、今年の夏で僕は模型部を引退しないといけない。だから、といったらあれなんだけど。最後の、コンテストに出ようと思って」


 悔しさと寂しさの混じったような声で、力を込めてそう言った。


「ああ、なるほど。それで、何の大会ですか? あっ。もしかして、鳥人間コンテストですか? 私が、鳥になるとか。でもそれは嫌ですね」


「フォトコンだよ」


 へ? 間抜けな声が口を突いて出てしまった。


「フォトコンテスト。確かに、一重さんの力で空を飛ぶのはいいのかもしれないけど。別の使い道があると思ってね。写真を撮ろうと思うんだ。海の」


「今では結構、ドローンが一般市民の間でも普及して、私有地であれば飛ばせることになってる。上空からの撮影は珍しくない時代になってきたよね。だから、海の中を撮りたいな、と」


「は、はぁ……なるほど」


「人間は、水中では呼吸することができない。これは、水中では重力が働かないから横隔膜が自然に下がらないし……というか、口を開いたら水が入ってきて溺死する訳なんだけど。そこで、僕は考えたんだよね。海の中に、重力を生み出してはどうか、と」


「一重さんの力をもってすれば、海を刳り抜くことができる。半径2 mほどの範囲では海水を避けるような空間が作り出せて、海の断面写真を撮影することができるのはではないか、とね。たぶん。理論上は、可能だね」


 ここまでの説明を聞いて、なんだか面白そうだと思った。気付けば、やります、と私は反射的に答えてしまっていたようで、それを聞いて、ふっと息を吐き、先輩はありがとう、と微笑んだ。

 私の掌はうっすら汗をかいていて、先輩の熱意が伝染したように、体温が上がっているような気がした。



 ✤ ✤ ✤



 田舎というのは、都会とは対照的に、夏のレジャースポットともいえる海と山が揃っているものだ。なんだって、田舎の強みは自然なのだから。

 その例に漏れず、城崎町には伏木海という内海がある。その隣には、曼殊浜と呼ばれるビーチも。


 撮影はそこですることになった。


 別に観光客が来るわけでもなく、地元の人がたまに訪れる程度なので、丁度いいスポットだろう。

 確か数年前に、軽自動車が崖から伏木海に落ちたらしいが、運転手は奇跡的に助かったという事件があったきり、テレビで取り上げられたことはない筈だ。

 当時。その軽自動車がレンタカーだったこともあって賠償がどうとか地元のニュース番組が騒いでいたのを覚えている。



 ✤ ✤ ✤



 翌週。撮影にあたって、先輩が機材の調達をしたというから、様子を見に部室を訪れた。


「これ、ある程度の深さの水圧にまでは耐えられる水中カメラ。泳がないんだけど、一応ね。あと、ラッシュガード」


 ありがとうございます。素直にそう口にして、カメラを手に取った。カシャ、カシャカシャ。事前に、操作確認をしておく。


 それから、と先輩は掌の上に載った、何やら小さい部品をこちらに見せてきた。二つペアの、イアホンのような。


「これ、遠隔信号型の……って難しいことは置いといて。防水の、小型通信機。通信距離もたぶんバッチリだと思うから、連絡用にね」


「すごい、先輩。こんな精密な部品を組み立てるって」


 中学生の趣味というか、娯楽としての部活動でここまで出来るものだろうか。

 心の底から感嘆をこめて言うと、先輩は愉快そうに笑った。


「ふふ、まあね。市販品を分解して、再構成しただけなんだけど。世の流れは、小型化だからね。ICチップやらスマートフォンやら。

 勿論、ものづくり部に改名するだけの腕はあるよ」


 本格的に撮影の準備が進みはじめた。

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