第24話 やっと名前が聞けました!
まず俺が考えたのは、「サイン」という言葉の意味だった。
……何だ? サインって。どこの言葉だ? それって不審者が侵入した部屋の住人に求めるものなのか? 不審者達が使う隠語か何かか?
俺は犯罪者に何を求められてんだ? ていうか俺はこいつに何かあげないといけないのか?
「お願いします! このまま何もできずに起きちゃったら、落胆のせいで絶対仕事できないので! 夢が覚めないうちにお願いします!」
仕事……こいつの仕事? 仕事してるのかよこいつ。少なくともまともな職じゃねぇだろうな。あ、それって不法侵入のことか? もしそうなら、どういう繋がりなんだそりゃ。俺のサイン次第で不法侵入の継続時間が変化するとか、そんな感じのしか思いつかねぇぞ。
「お願いします! ハイム様お願い! もう二度と目の前で拝めないはずだからぁ!」
「ぁ、ちょ、てかお前どうして俺の名前を……ってかいきなり様づけ?」
そうだ。知らない言語は後で勉強すればいい。よくわからない供述も後回しだ。それよりも、何でこいつは俺のことを——
「——私、あなたを見た時からずっと忘れられなかったんです! あの孤独の大学生活の中で唯一の希望で、私にとっての命綱そのものでした! というかそもそも私が究極のコミュ障だったせいで天木君に話しかけられなかったのが全部悪いんですけどそれでもあなたの物語がどういう風に動いていくのかとかこのままローゼちゃんとほにゃほにゃしちゃうのかとか色々考えて——」
「——待て待て待てぇぇぇぇい! ちょっと待て!」
何の前触れもなく俺を襲う言葉の大津波に、俺は大声の防波堤を瞬間的に建設し対処する。しかしそれは結局、勢いのある言葉の返事を勢いよくぶつけただけ。その衝撃は深夜の残骸の街に響き渡り、完璧な消音とはならなかった。
その両者の思いも寄らむ咆哮合戦は、あろうことかこの状況で最も厄介な人間を引き寄せてしまう。
「——どうしたのハイム⁉ 何があったの⁉」
そう、それはついさっき記憶に残る大演説をかまし、俺のしみったれたかっこ悪りぃ迷いに一応の終止符を打った、ローゼ・メイリース先生その人であったのだ。
「うわっ! お前こんな時に入ってくんなよ!」
「叫び声が聞こえたから戻ってきてあげたの……って、だ、誰よこの女性は!」
「知らねぇよ! ずっと前からこの部屋にいやがって——」
「——ずっと前からって、あんたこの人と一緒に私の話聞いてたっての⁉ 私がどんな気持ちでここまで足運んでやったと思ってるのよ! 心配して大損したわ!」
ついさっきまでは俺のことを思ってドアすら開けなかった人間が、今では俺達と同じように周りの配慮もなく叫び飛ばしている。俺が労った疲れなど、どこ吹く風で全然黙ってくれない。
「それは感謝してるよマジで! でもこいつは本当に知らねぇんだよマジで!」
「同じ言葉二回使って本当だったことないじゃない! それにハイム様って、ハイム様って! 混乱の中で疲れた人を部屋に連れ込んでそう呼ばせて、本っ当に最低最悪! さっさと除隊して泣きべそかいて消えなさいよ!」
「そこまで言う必要ねぇだろ! それに呼び方もこいつが——」
「——ちょっと待って下さい!」
その時、不審者が俊敏に立ち上がると同時にローゼとの間合いを詰め、終わらないローゼの暴走を止めた。
「邪魔しないで! それにあんただって、ハイムが傷心の隙に部屋に転がり込んで……って、どうして私の名前を……」
「はぁぁ……まさかハイム様だけじゃなくて、ローゼちゃんにも会えるなんて……もしかしてこの夢覚めたら、私死んでるんじゃないかな。てかもう死んだのかな、書店の休憩室の座敷の上で、ひっそりと……」
ローゼ……ちゃん? ローゼちゃんって言ったのか? 厳格なイメージがつき過ぎて誰も親しい話し方できなかったローゼにちゃん付けだと⁉ こいつ正気か⁉
本当の本当に何者なんだこいつは。いつからか俺の部屋に潜り込み、起きたらいきなり多言語交えて話し始めたと思いきや、どこで知ったか俺の名前を知っていてサインとかいうの欲しがって、挙句の果てにはローゼにちゃんづけ。さらには一人でベラベラと喋り出して妙に感動する。
そのあまりにてんこ盛りな未知との遭遇に懊悩とする中、不審者はあまりの感動に言葉を失くしたのか、目を瞑り、聖堂のステングラスに描かれた天使のように両腕を広げて笑っていた。
「っ! お前は! おまえは 何者なんだ!」
この沈黙を活かしてようやく台詞を言いきり、話題の転換を図る。すると不審者は目をばっ! と素早く開眼させ、俺とローゼの両方を一瞥した後、スピードの落ちない口を回転させる。
「恐らく会えるのは今日の今だけだと思いますが、初めまして! 私、『原田書店』の店長をしております! 原田芽亜(はらだめあ)です! どうぞあと数分、よろしくお願いします!」
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眩い銀閃が朦朧とする視界を照らし、俺の首元に極寒の殺気を突き立てる。何一つ抵抗する術を持たない僕にとって、それはまさに背負わされた十字架の如き、死の宣告だった。
「じゃな」
砂漠のように乾いた一言が手向けとして贈られ、銀閃を放つ剣が高く持ち上がる。しかし、その剣の持ち主である翔太の目には、今から僕という人間を殺そうとしているにも関わらず、やはり何の意志も、微かな力も宿ってはいなかった。
そして今、掲げられた刃が振り下ろされ、俺の脳天を一直線に——
「ヤメロ」
——その瞬間、辺り一面に野太い重低音が響き渡り、剣はすんでのところで斬撃を止め、俺は一命をとりとめる。
「誰だ——っ」
死を直前にして五感が鋭敏になったせいか、翔太の息を詰まらせた音が聞こえる。落命を免れたことを理解した僕は、閉じていた目をもう一度僅かに開き、すりガラス越しのような視界の中から、その声の主を探す。
「ヤメロ。ケンヲテバナセ」
そして見つけたのは、判然としない巨大な生物の姿だった。
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