第25話 知り合いがいました!

 驚愕がぼやけていた視界を切り開き、その夜風に揺れる白銀の体毛が輪郭を持って映り始める。同時に冷え切った空気に現れる白い息が、後ろに並び立つ牙を映えさせ、強大な殺気をまざまざと感じさせた。

 こんな状況でいうのもおかしいけど、マジでかっこいいな、グランデス。やっぱり狼みたいな犬系の動物は、夜の景色が映える映える……え? グランデス? え? ミルシア?


「ちょ……どうして……」

「マッテテ、浩平オニイチャン。スグタスケルカラ」


 いやいやいやまずい。これはこれでまずいぞ。

 今ミルシアが立っている場所は、本部の中央に広がる庭園。この建物がコの字型になっているが故に生まれた空間だ。ここに来るまでの間で、誰に姿を見られていてもおかしくない。

 それに、もし奇跡的に誰にも見られていなかったとしても、今ここに目撃者が生まれてしまった。しかもその役は、よりによってこのイカレ野郎だ。


「……んだよ、このでけぇ犬は。こんなやつ、魔獣の記録には——」

「——ダマレ。ハヤクケンヲステロ」


 どうやら彼女の殺意は本物だ。かつて僕も、人の身体を介してだったが感じたことがある。あれはきっと、野生動物が宿す守衛本能の一種。自分の仲間が殺されそうになった状況下で発動する、極限の闘争心。

 どうやら、僕はこの僅かな期間で、彼女から結構大きな信頼を勝ち得ていたみたいだ。素直に喜べないのが、なんとも惜しい。


「悪りぃがよ、ここは俺の縄張りなんだ。どうやって入り込んだかは知らねぇが、騒ぎを聞きつければすぐに騎士共がやってくるぞ」

「イイカゲンハナセ」


 ダメだ。このままでは、本当にここで戦闘が起きてしまう。そうなれば二人の戦いはどうなるかわからないが、この大都市たるケルダンはさらに焦土と化し、ミルシアは確実に殺されるだろう。

 一度戦いが始まれば、もう止めることはできない。今しかないんだ。考えろ。身体が動かないなら頭を回せ。残ってる体力も気力も生命力も全部使い果たして、絶対に阻止しろ。正真正銘の本気で。


「お……お前は、ここで終わってもいいのか、よ……」

「……あぁ?」


 決死の覚悟でどうにか絞り出した言葉は、奇跡的にやつの意識を引くことに成功する。


「ここでもし負ければ、お前の夢は終わる。たとえ、こ、この戦いに勝ったとしても、お前の望む環境には、きっと戻らない」

「……だから食われろってか?」

「そうじゃない。ミルシア、君も一度引くんだ。ここで戦ったら、一緒に来た意味がないだろ」

「デ、デモ浩平オニイチャンガ——」

「——ローゼとハイムを裏切っちゃダメだ。頼む」


 そう告げると、ミルシアはかなり激しく喉を震わせたものの、最終的には折れてくれたようで、その場で少女の姿に戻ってくれた。

 だがすぐに立ち去ろうとはせず、その両目は未だ殺意の残響を残して、まっすぐ翔太を見ている。その視線の意図を察した翔太もまた、不満たらたらな憎たらしい表情を浮かべながら、握る刃を鞘に納めた。


「浩平お兄ちゃん!」


 事態の収束を見届けたミルシアが、すぐさまズタボロの僕に駆け寄ってくる。こういう弱っている時、純朴な思いというのは最強の良薬だ。少なくとも、心持ちは今の一言で回復できた。


「あ、ありがとね」


 僕は彼女の力を借りてやっとのことで立ち上がる。すると、沈黙のままこちらを睨んでいた翔太が、苛立ち満載の口調で言った。


「さっさと失せろ。気色悪りぃ光景見せんな」


 それに一切の返答はせず、僕とミルシアはやつに背中を向けて歩き出す。本当ならすぐそこにある装置を拝んでおきたいところだが、せっかく収まったこの流れをぶち壊すわけにはいかない。口惜しいが、こっちも撤退だ。


「おい」


 んだよめんどくせぇな。いなくなって欲しいのか逆なのかどっちなんだよ。気色悪いってセリフ完全にブーメラ——


「——俺は帰らねぇからな。そのためならなんでもする」

「……僕は、必ず帰る。お前が何をしようとも、絶対に諦めない」


 決して忘れられない、終生の怨敵。

 これがその男との、全く予想外で、微塵も歓迎しない最悪の再会だった。


—————————————————————————————————————


「痛ってえ……本気で殺されそうになる体験って、こんな感じなんだな」


 ミルシアを帰らせ、一人夜道を歩く中で、僕の口は身体の痛みに反比例して、口を驚異的なスピードで回していた。


「どこまでいってもクズはクズのままなんだな、本当に。むしろ嬉しいわ。あいつが正真正銘のクズ野郎ってことが再確認できたし」


 客観的な視点で考えると、意外にも僕の死生観は軽いもののようだ。真っ当な死を迎える直前までいったのに、出てくる言葉はあいつへの低レベルな陰口ばかり。確かに怖かったはずなのに、いざ生き残ればすぐに悪口大会か。自分で言うのも変だが、本気であいつが嫌いみたいだ。

 とまぁ不必要なことを考えていると、予想よりも早く宿舎に辿り着いた。

 同時に頭に浮かんでくるのは、もちろんハイムのことだ。今日のあの戦いの後、彼は本来の物語にはないメンタルブレイクに見舞われていた。あれからそれなりに時間は流れたが、無事に立ち直っているだろうか。完全復活はできていなくとも、せめて前向きな気持になってくれればいいのだが……。

 階段を昇り、二階に差し掛かってすぐの部屋に手をかける。すると、部屋の中からそこそこ大きめの会話声が聞こえてきた。

 あれ? 意外と立ち直ってたりするのか? 妙に賑やかだn——


「——だから、ここは夢じゃねぇって何度言ったらわかるんだよ!」

「その反応も私の想像通り! 何この夢最高過ぎなんだけど!」

「………………え?」


 ドアを小さく開け、部屋の中を覗いた僕の視線の先にあった人物の姿に、僕は絶句する。


「……原田、さん? え?」

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