第10話 なんかぐちゃぐちゃです!
「————ぃちゃん。お兄ちゃん起きて。ねぇ、お兄ちゃん」
肉体を揺さぶりながら、必死に声をかけてくる何か。地の底に眠っていた意識が少しずつ汲み取られ、僕はすでに機能していた聴覚に加え、触覚、視覚の順に再起動を……ん?
「んあ、あれ? この流れ前にもやったような——ぁ」
ぼやけまくっていた視界が晴れると、そこには何もせずただじぃーっと僕を見つめる、無数の魔獣達の目があった。まるで屠殺前の家畜を見下ろすかのような、どこか憐れみを含んだ血眼達が。
「あ、あぁ、はぁ——」
「——お兄ちゃん! もう気絶しないで!」
肉体から魂が飛び抜け、幽霊状態からさらに幽霊になろうとしたその変化の最中、微かに残っていた痛覚にハルマゲドンの如きハイパーボイスが突き刺さる。その衝撃は沼の底に沈みかけていた全神経をごっそり引っ張り出し、雷鳴の如き速さで僕の身体に接続を開始。僕の魂はその流れに絡まり、辛うじて昇天はしなかった。
「っはぁ! 大丈夫! もう寝ないから!」
慌ててそう言うと、少女は「もう!」と言いながら腰に手を当て、頬を膨らませてこっちを睨んだ。可愛い。こんな状況でも感想が出てくるんだから、流石は全世界共通の正義である。
「もし今も気絶してたら、お兄ちゃんこの数分で四回も気絶してたんだからね! 同じ仲間なんだから、そんなに驚かないの。いい?」
マジか。じゃあ俺はもう三回も気絶してるってことかよ。何があったらこんな短時間にそんな多く魂のキャッチ&リリースができるんだよ。前代未聞の大記録じゃないか。ギネスに名前載るなこれ。
と、どこまでも幼稚で笑えない想像を膨らませた時、鼓膜を震わせた一言によって、そのワンダーランド風船は音を立てて破裂した。
「ね、ねぇ、今仲間って言った?」
「うん。そうだよ? そろそろお兄ちゃんも、一度変身を解いたら? 人に見られないようにするのって、大変でしょ?」
どこまでも純粋で清々しい善意が、僕を包み込んでくる。彼女には僕を疑う気など全くないのだろう。危ういながらも素晴らしい、子供にしか持てない究極の優しさだ。
だけど……え?
「いや、僕そんなこと——」
「——でもびっくりした。私達以外にも洗礼魔法から逃れられた魔獣がいたなんて」
いや、いやいやいや。
「た、多分勘違いしてると——」
「——あ、ていうか私ももう変身しなくていいんだった。村の雰囲気を見てきたけど、まだバレてないみたいだから大丈夫。みんな安心して——」
「——僕、魔獣じゃないよ」
瞬間、洞窟に響いていた魔獣達の喜びの唸り声が、僕の言葉一つで見事に消え失せた。
「…………え?」
「あと、君も人の子じゃないよね」
今の少女の口ぶりで思い出した。僕が想像した魔獣の中に一種類だけ、人間や他の生物に姿を変えられる能力を持ったやつがいたことを。またその魔獣は知性を持ち、魔術に対して心得があることも。
すぐに思い出せなかったのは、結局この魔獣を作品に登場させたことはなかったから。つまりは、没案だったからだ。
「君の名前はグランデス。そう! 僕が最初に考えた魔獣、グランデスだ!」
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一日の始まりを告げる朝日が僅かに顔を出し、紫がかった空の美しさが、閉じかかっているまぶたを一気に引き上げた。未だ全身から離れようとしない眠気と戦い、恋しかった藁布団との別離を果たした俺への、世界からのご褒美といえるだろう。今の俺には、この絶景だけがエネルギーだ。
「ほらハイム。見とれてないで登るよ」
呆然と空を見上げる俺に、ローゼが小言をぶつけてくる。その身体と鎧は土埃にまみれ、目の下には堂々とくまが浮かび上がり、その様相は完全にヤマンバだ。ぜひとも真正面から伝えてやりたいところである。
「ふわぁぁぁ……なぁ、何で俺達山登ってるんだ?」
「言ったでしょ? この山に女の子が迷い込んじゃったの。早く見つけないと、最悪の場合——」
「——近辺で魔獣の発見報告はないだろ? それに助けるにしても、村の人達と協力してやりゃあいいじゃねぇか」
「バカね。ああいう子は何かしら問題を抱えてるの。そこに大勢で見つけに行ったら、心を開かなくなっちゃうでしょ? 保護した後のことも考えなさいよ。それに、昨日のこともう忘れたの?」
恐らくはハルバード平野のことを言っているのだろう。
「この山にもいるかもしれない、ってことか」
「そう。戦う術を持たない村の人達を、この山に入れるわけにはいかないわ」
そう言って、ローゼは正面にあった斜面を素早く登りきり、さらに奥へと駆けて行った。
「あ、おい待てよ!」
夜中ずっと山を駆け回ってたってのに、まだあんな体力残ってんのかよ。前世はマジでヤマンバだったのかもしれないな。おお恐ろしい。
それにしても『一人で山に入り込んだ少女』か……なんかきな臭いな。
ローゼは村人を巻き込みたくないと言っていたが、俺からすればあっちから巻き込まれに来なければおかしいと思う。なんせ村の大切な娘が、何を思ったか一人で山の中に走って行ったんだからな。
日が昇って十数分。この時間になって誰も起きていないなんてことはないはずだ。なのに村の方からは、騒動に気づいた雰囲気は見られない。というか、そもそもその子の親とかはまだ気づかないのか?
「それと……ローゼが追いつけない速さって、絶対おかしいだろ」
ローゼは戦いの疲れを全く癒さず、慣れない森に入った。そんな悪条件なら、誰だって足は遅くなる。地元の人間の方がよっぽど速く動けるだろう。
だがそれを加味してもだ。ローゼが追いつけないほどのスピードで山を登る少女なんて、空想の産物としか思えない。少なくとも生身でできる芸当じゃないことは確かだ。
「それこそローゼみたいに、加速魔法のようなものを使えなければ……まさか……」
俺の脳裏に、一つの可能性がよぎる。それは何の根拠もないただの思いつき。だが逆に、これ以上辻褄の合う思いつきはないと、俺はどこかで確信していた。
『その少女は、もしや人じゃ——』
——その瞬間、
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁ————!」
「っ! 何だ⁉」
大地が揺れ、森がざわつき、木々が焦ったようにいきなり震え出す。そして大きな枝葉のさざめきと共に、確かな悲鳴が俺の鼓膜に突き刺さる。
「ローゼ! くっそ当たったかもしれねぇ!」
ようやく剥がれ落ちた眠気を踏みしめて、俺はその足を速めた。
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