第11話 また僕がやることになりそうです!
山に点在する凹凸を乗り越え、いくつかの茂みを抜けたところで見つけた、木々の生えていない剥げた場所。そこに滑り込んだ私は、何の前触れもなく現れた恐怖の権化の放つ拳に吹き飛ばされ、悲鳴と共に大木に衝突した。
「うっ……ああぁ……」
全神経に突き刺さった激痛が、なんとか疲労を詰め込んでいた壺が崩壊。その重さを何倍にもして私の上にのしかかり、意識ごと押し潰そうとする。五感は衝撃で鈍り、神経は一気に摩耗し、私はついに消沈した。
「ジャマガ……アァ、キノウノオネエチャンカ」
朦朧とする意識の元に、おどろおどろしい声が届く。人語なのかそれ以外なのか判別できない、しかし確実に認識できる、中途半端な言葉だ。だがその言葉の並びには、確かな知性と侮蔑の意志を感じた。
靄のかかった視界を残る精力をかけて凝らし、私はその巨大魔獣の姿を見た。
この平野の空間を埋め尽くす白銀の巨躯。その白い毛並みはまだ僅かな朝日を見事に反射し、強靭な全身の筋肉を覆い尽くす。爪を地面に食い込ませ、尖ったその口には最大の凶器たる牙が整列、さらには血走った眼光と、鋭利な武器の三点セットを揃えた、巨大な餓狼。
名前は何だろうか……。こんな魔獣、本や戦地からの報告書には書かれていなかったはず……。
「マァ、イイヤ。サキニコノオニイチャンカラヤルネ」
餓狼の視線が、私から何もない空間へと向けられる。そしてあたかもそこに獲物がいるかのように体勢を低くし、一気に食らいつく準備を整えた。
「ローゼぇぇぇぇぇぇ————!」
そこに猛烈な気迫と闘志を持ってハイムが現れ、究極の殺意が向けられた場所に立ちはだかる。
「モウヒトリキタ。ダレ?」
「てめぇ、よくも……絶対にここで討ち取ってやる!」
腰元に手を伸ばしたハイムは、荒ぶる闘魂を力に変え、躊躇なく腰元の件を引き抜く。魔獣の体毛に負けない輝きを放つ刃がまっすぐに魔獣を捉え、圧倒的な武力の眼前に掲げられた。
「ローゼ、お前は休んでろ。ここは俺がやる!」
「ハ……ハイ、ムぅ…………」
私のまぶたが、ついにその重みに耐えきれず墜落。両目が閉じられる。別にハイムの言葉に安心したわけじゃない。ただ疲れてただけ。疲れてただけ……だから……。
「気を……つけ……ぇ」
————————————————————————————————————
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ————!」
僕は間一髪でグランデスの牙を躱し、ちょうどやってきたハイムの背後に滑り込んだ。今はハイムの両足にしがみつき、全身の震えをおすそ分けしている最中だ。
「ありがと! マジで助かったよハイム! 本当に! マジで! マジで死んだと思った! てか死んだ! 気持ち的には一回死んでる! 本気の本気でありがと!」
こう際限なく湧き上がる感謝を述べても、ハイムからの反応は一切ない。まぁ、これが僕を認識できていたとしても、目の前の敵に意識を向けているのは当然のことだろう。彼にとって僕は、目に見えない疫病神なのだ。
「オニイチャン、ニゲナイデヨ」
「ほぅ、一応脳みその方も話せる程度にはデカいわけか。どうやら、図体だけの野良犬ってわけじゃねぇようだな」
きっと僕に向けた言葉なのだろうが、奇跡的に会話が成立し、ハイムは俄然闘志を燃やす。さっきローゼに告げた言葉からも察するが、ハイムの脳に逃げる選択肢はないようだ。討ち取る気満々である。
だが相手は、昨日のアークゴーレムに負けず劣らずの巨体だ。こう真正面から対峙してしまった以上、奇襲などの工夫もできない。この圧倒的な武力を前に、手負いの仲間と幽霊の僕を庇いながら(僕の場合は結果として庇われてるだけだけど)、剣一本と鎧一つで戦わなくてはいけない。
それにこいつを倒しても、洞窟にはまだ大量の魔獣達が身を潜めている。あいつらも倒さなくてはいけないとなると、グランデスとの戦闘で使える体力や魔力も制限しなくてはならないわけで……やばいな。多分勝てないぞ。
「コノスガタヲミラレタイジョウ、サンニントモコロサナキャダカラ。ゴメンネ」
「算数は苦手か? ま、犬には手に余る文化だし、当然だな」
「ウルサイ。クウ」
——周囲に朝の森らしい静寂が戻る。だがしかし、その静寂は嵐の前の静けさであり真の山の静穏ではなく、そこには決して音にならない狂気と闘志のぶつかり合いが、確実に火花を散らしていた。
開戦の火蓋が近いことを察した僕は、すぐにハイムの足から離れて——
「——って、あれ? ちょ、ちょちょ、ちょっと?」
腕が離れない。というか動かない。命を失う寸前にまで追い詰められた瞬間の恐怖が、まだ身体から抜けきっていないのだ。それどころか理性の範疇を超えた、深層心理の奥にまで浸透してしまっている。
「離れろ、離れてくれって! まずいって! おい頼むよ!」
「うるせぇな! 集中させやがれ!」
「こっちだって必死なんだよ! すこし待って————ん?」
「あ?」
目が合った。場違いな苛立ちが飛んできたその方向を見て、ハイムと視線がぶつかった。偶発的ながら、互いに言葉を交わすことができた。
ハイムの顔が固まる。口をまん丸に開け、あり得ない僕の存在に対し、一瞬ながら意識を奪われている。そしてそのひょうきんな顔と精神状況は、僕も全く同じだ。間違いない。今、僕とハイムは互いを認識して——
「————」
その時、深緑の木々が彩るこの山に、第三の光が舞い降りる。それは魔獣の毛並みの反射よりも、騎士の握る闘志の刃の輝きよりも鋭く、眩い光が。
——僕はゆっくりと目を開ける。いつの間にか立ち上がっていた僕は、目の前にとんでもない脅威が見つめる中、何故か自分の足元を注視し、右手に構えていた剣を下ろしていた。
「ま、まただ。俺はまた、ハイムの身体に……」
「ナルホド。ワカッタヨ」
脈絡なく、グランデスの濁った言葉が耳を刺す。
「オニイチャンノコトダッタンダ。因子ッテ」
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