第11話 仕事とプライベート 3/3

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- 同日 十九時

-「イタリア酒場 グラッチェリア」店内


「どうだ? プライド、ちょっとは捨てられた?」

 言いながらビールを飲む森山。

 その顔を見ながら、ひと月ほど前のことを思い出して、改めて思う。

(もしかして、この騒動の諸悪の根元はこいつなんじゃないのか?)

「どうだろうね」

 パンチェッタをつまみながら、ビールを飲んで答える。

 赤ワインには早すぎる。

「なにそれ?」

 同じ席の女が言う。

 今回は同じサークルにいた、深田という女子も参加していた。

 彼女はビールは飲まないらしく、赤ワインが入ったグラスをすでに持っている。

 森山が直前に声をかけたらしい。

 深田の問いには森山が答える。

「いやこないだね、くだらねえプライドを捨てた方がいいんじゃないかって話してたのよ」

「あー、畑中結構あるよね、そういうの」

 森山はずいぶん楽しそうに話している。

「でもさ、前みたいにふてくされてるような感じ、なくなってないか?」

「確かにー」

「そうなのか? 自分じゃわからない。っていうか、四六時中ふてくされてるか? 俺」

「そうよ、雰囲気はね、ずっとあったよ」

(そうなのか……)

 テーブルの上の料理が寂しくなったので、メニューを見て、店員に声をかける。

「すみません、この特選シーフードピザください」

 歩いてきた店員が愛想なく答えた。

「あーそれもう全部出ちゃったんすよね」

「おっっ、とぉ? じゃあどうしよかな。また考えます」

 店員が去ったあと、森山が言う。

「ほら、それ」

「あん?」

「いつもだったらあからさまに不快な顔してたぞ。『てめえこっち客だぞ。口の利き方に気をつけろ』って感じで」

「うん、そうだった。畑中は」

「いや! そりゃたまにはあったかも知れないけど、しょっちゅうじゃないだろ?」

「いーや、違うね。お前のいないとこではちょいちょい話題になってたもん」

「ねー! そうだよねー?」

「あのさ、そういう、俺の陰の評価とか、普通言わないんじゃないの?」

 森山と深田と、三人の話は、最近の仕事、大学時代のサークル仲間の近況などなど、取り留めのない内容だった。

 ただ気になるのは、近くの席から睨みをきかせている、サクラだ。

 それに付き合わされているらしい野々宮漣は、俺よりも早くにオーダーしたであろう、特選シーフードピザをサクラの分も取り分けている。

「いや、そんでさ」

 森山が言う。

「俺もお前に『プライド捨てろ』なんて軽く言ったけどさ、責任感じたわけよ」

「畑中って結構引きずるもんねー。人から言われたことは特に」

 さっきから深田が俺を呼び捨てにするたびに、サクラが立ち上がろうとしている。

 それを必死に押さえる漣。

(漣さん、ごめん! 女も来るとは知らなくて)


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 何度も日本に来たことがあるエミリアも、実は土曜の夜の繁華街というのは、経験したことがなかった。

 洋の東西入り交じる飲食店が軒を連ねる、そんな街並みは見ているだけで楽しい。

(あら! ブリティッシュパブとかあるのね。雰囲気なつかしいけど、日本人に受けるのかしら)

 物珍しさからキョロキョロしてしまうが、すぐにとなりの『彼』の存在に、意識を引き寄せられてしまう。

 今からは、客として入るのだ。

 カップルで。

(だ、だめだぁぁぁぁ……)

『彼』が口を開く。

『嬉しいです……ほんとに……あの、贅沢なお願い、いいですか?』

「な、何かしら?」

精一杯余裕を取り繕って答える。

『デートっぽく、ピザを一緒に食べたいです……シェアして』

(い、いいいいいいんじゃないかしら……)

「いいわよ」

(想像しただけで死ぬわ)

『ごめんなさい、つまんないけど、ほんとに、最後にやり残した夢なんです。あそこはどう?』

『彼』が指した店は、イタリア料理店のようではある。

「グラッチェリア」という、変わった店名だ。


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 サクラの、今にも深田に飛びかかろうとする気配に気づかず、森山が話を続ける。

「そんでな、面白い神社見つけたから、こんど行こうぜ。『物捨神社』って言うらしいんだよ」

(やめろ)

「やば! 畑中、プライド捨てられるじゃん! 童貞も捨てちゃう? 畑中ならあたしが捨てさせてやってもいいけどねー」

 いよいよサクラが立ち上がり、漣がサクラの手を握り、引き留めた。

 サクラの手にはすでにピザカッターが握られていた。

(殺すつもりかよ)

 そのとき、店員の声が響いた。

「いらっしゃいませ!」

 店の入り口は視界の中にあるので、入ってきた客が全身白の目立つ服を着ていて、長いブロンドを揺らしていれば、なんとなく注視してしまう。

 エミリアだ。

 彼女もすぐにこちらに気づいたが、様子がおかしい。

 びっくりして立ち止まる、と言うより、硬直に近い。

 目を見開き、現実を拒絶するような表情だ。

(いや、驚きすぎだろ)

 エミリアの視線は俺ではなく、ほかの席の方に向いている。

(なんだ? いつもと様子が……漣さんがここにいることに驚いてるのか?)

 エミリアのとなりにいる人物に見覚えがあった。あれは。

(え? 漣さん?)

 視線をサクラの方に戻すと、確かにそこに漣がいる。

 サクラも漣も、エミリアとそのとなりに立つ人物を、凝視している。

 再び、エミリアの方を向く。

『嬉しいなぁ……僕のゆm』

 霧のように男の顔が消えた。

「見ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 絶叫するエミリアが、聖女のナイフを男の胸に突き立てた。

 少女の叫びと、連れの男をいきなり刺す奇行に、店内にいる全員が釘付けになった。

 ナイフを胸に刺された男は、よく見ればマネキンだった。

 確かに先ほどまでは自分で動いているように見えたが、とにかく、今はもうマネキンにしか見えなかった。

 経緯はさておき、エミリアが、マネキンについた霊を祓った、というのはなんとなくわかった。

(あの男の霊、なんか言いかけてたぞ)

 絶叫を終えたエミリアが、肩で激しく息をしている。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 マネキンからナイフを抜き、こちらを向くエミリアに、漣が席に座ったまま声をかける。

「えっと、エミリア……どうしたの?」

 エミリアは動かない。ただ、虚ろな目で漣を見ている。

(いや、違う! エミリアは、サクラを見ている)

 エミリアが見ていたのは、正確には、サクラの右手だった。

 先ほど、深田に襲いかかろうとしてピザカッターを握ったサクラの右手。

 そのサクラの右手を、制止しようとした漣が、ギュッと握っていた。

「漣さん! ダメだッ!! 放して!!」

 エミリアが地を蹴り、一瞬でサクラとの距離を詰めた。

 ためらいなくサクラに、聖女のナイフを振りかざす。

 漣が右手を放したことで、サクラは手に持ったピザカッターでそれを受け止めることができた。

 二種類の刃物が、二人の少女の間でぶつかり、削り合っている。

 その音は呪詛の歯ぎしりのようにも聞こえた。

 エミリアが恐ろしく哀しい声を出す。

「なんで……あんたが漣とデートしてんのよ…………ピザシェアしてんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 後に関係者が知ることになる「好きな人と一緒にいられない休日、好きな人に似た霊をマネキンに憑かせてデートしていた事件」は同情を禁じ得ないが、今はまだサクラも何も知らない。

 そして、サクラはサクラで不満がある。

「っさいわね…………こっちだってね……勘違いアバズレの腐った声聴きながらイライラしてたのよぉぉ!!…………あんたが憂さ晴らしの相手してくれるっつーのね!!!!」

「サクラァァァァァァァァァァ!!!!」

「アバズレェェェェェェェェェェェ!!!!」

 サクラの方は、怒りがエミリアに向いていないようだが、乱闘としては成立してしまった。

 客、店員は逃げ出し、食べかけの料理は宙を舞う。

 椅子は窓を割り、いくつかの照明も機能不全となった。

 三十分後に駆けつけた警官六人によって制止されるまでの被害総額は、相当のものであったはずだ。

 だがその請求は何日経っても来ることはなく、その日も、警官に逮捕されることもなく、厳重注意だけで終わった。

 俺と漣は後日、警察にまで影響し得るとてつもないコネを作ってくれていたゴリアスに心から礼を言うことになる。




つづく

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