第8話 エミリアとゴリアス 3/3

―物捨神社 境内


 食堂に五人を残した。

 全員が真相を黙っていれば、エミリアは無害なはずだ。そしてそれは、五人全員で、合意が取れている。

 ゴリアスは俺より先に社務所から出て、敷地内を歩きながら話す。

「エミリアの祖母、つまり私の母は、すでに他界してるがね。母は十五のときに家族を全員殺されているんだよ……悪魔にね」

 オカルトチックな話になってきた、というのが正直な感想だが、昔の話だと思えば、なぜか受け入れられる。

(てことは、孫のエミリアが来月十八だから、おばあさんは生きてたら八十前くらいか。その人が十五歳のときだから、六十年か七十年前の話ってことだよな)

「悪魔に取り憑かれたのは、母の姉だよ。当時十八だった。母の姉の心を食いつくした悪魔は、体を乗っ取り、母以外の家族全員を殺し、そのままその体に火をつけ、燃えながら語ったらしい」


**********


『悪魔は十八の歳まで待つのさ……心が育つのをゆっくり眺めて、それから食うんだよ』


**********


 どういう言葉を出せばいいのか戸惑っていたら、ゴリアスがこちらを見て笑った。

「信じられんかね?」

「いや、そういうわけじゃないですけど、どうしておばあさんだけが助かったんですか?」

「母はそのとき、教会の神父という仕事に憧れていてね。神父からもらった十字架の首飾りを肌身離さず持っていたらしい。悪魔は、そんな母には近づけなかったんだろう……」

(なるほど、話の筋としてはわかる)

「私も母から伝え聞いた話だよ。そして母はそれから、悪魔と名のつく全ての現象を、憎むようになった。エクソシストとしての道を歩きはじめたんだ」

 石畳を抜け、ジャリ、ジャリと小石を踏みながらゴリアスが歩き、話し続ける。

「エミリアが五歳のころ、近所で子どもの行方不明騒ぎがあってね。大人たちが方々探し回っても見つからなかった。だがエミリアが私に言ってきたんだ。『フワフワした影があっちに連れていった。穴に隠そうって言ってた』と」

 少し、風が吹いた。

「エミリアの言う通りの場所を探すと、子どもがいたよ。後でその子に聞いた話では『呼ばれる声についていった。体は逆らえなかった』ということらしい」

 子どもには不思議な力がある、というのは否定しない。エミリアにも、その力が強く出たのだろう。

 ゴリアスが溜め息をつき、言った。

「それからだよ。私の母の熱心な教育が始まったのは」

(なるほどね……『エリートエクソシストになるためのエリート的な教育』か)

「エミリアが十五のときには私の母は他界したが、それまで毎日のように、エミリアは聞かされていたんだ。名家の人間としての心構えと、悪魔に家族を殺された話と、憎しみの言葉を……『悪魔に気を許してはだめ』……『悪魔に生を許してはだめ』……『悪魔に希望を許してはだめ』」

 風が強く吹いた。

「あの子のエクソシストとしての実力は本物だ。信じられんかも知れんが、イギリス国内だけでも、たくさんの人を救ってきたのを、私は見ている」

(信じる信じる。こちとら三体も人ならざるモノを生み出している身なんだ。悪魔だなんだと言われてもすんなり受け入れるしかない)

 しかし、エミリアの実績を語るゴリアスの顔は、ちっとも嬉しそうではない。

「だが悪魔への攻撃は、しばしば、猟奇的ですらある。まるで、母の怨念に取り憑かれているように」


**********

―社務所 玄関


 ゴリアスとふたりで、靴を脱ぐ。

「君の心の中から出たものを、悪魔呼ばわりしていることは、私から謝らせてくれ。申し訳ない」

「いえ、なんていうか、俺にもあれが何なのかわかりませんから」

(悪魔だって決めてしまえば、楽なのかもしれないけどな。……そういえば、俺が初めてここに来たときも、お祓いしてもらおう、なんて気持ちがあったな)

 恥じ入りながら自省した。だが、悪魔呼ばわりされるのは、気に入らなかった。というより、受け入れられなかった。宗教観の違いだろうか。

 靴を脱ぎ、スリッパを履き、食堂に戻る。

 戸を開けると、さっきまでとはうってかわって、妙に和やかなムードになっていた。

 ダイニングテーブルの上には、エミリアのものらしきボストンバッグが置かれ、中身が見えている。

 さきやサクラはあれこれとエミリアの服や持ち物について、尋ねている。

 それを横目に、れんは椅子に座り、プライドは洗い場で食器を片付けている。

「これは?」

 問うサクラと答えるエミリア。

「聖女のナイフよ。物はもちろん、霊体のように、実体のないものも切れるの」

 ギスギスした雰囲気はもうなかった。

 全員がわかっていたからだ。

「こいつは何も知らなければ無害だ」と。

 プライドはにこやかに、洗った皿や調理器具を拭いている。

 流しの橫には拭き終わったものを並べてある。

 鉄フライパンだけは拭かずに、コンロに置いて強火にかけている。

 俺も持っているから知っているが、鉄フライパンは洗ったあと、強火で白い煙が上がるまで水分を飛ばし、油を塗るという手入れが必要だ。

「じゃあさ、これは?」

 問うサクラは楽しそうだ。

「祝福のローブ。悪魔からの攻撃を防ぐことができるの」

(仲よさそうに見える……サクラに年齢なんてものがあるとしたら、ふたりは同い年だったりするのか?)

「じゃあこれと、これと、あとこれは?」

「機内持ち込み用聖水と、退魔のハンディファンと、天使のブラ」

「フフッ、なによそれ」

(ほんとに何だそれ見せてくれ)

 咲がふたりを見守りながら、言う。

「じゃあわたし、お風呂さきにいただくわね」

「あ! 咲お姉様! 私もいっしょに入る!」

(まぁ、親戚なら今日はここに泊まるのも普通のことだな)

 勢いよく立ち上がったエミリアが、自分の服の裾を踏んだ。

 よろけながら、踏みとどまろうとするが、またよろける。

 スリッパは、欧米では履きなれないのだろうか。

 よろけたエミリアが無意識に手をつこうとした、その手の先には、火にかかったままの、鉄フライパンが白い煙を上げていた。

(あぶない!!)

「あぶない!!」

 声を上げたのはサクラだった。

 サクラは素早い動きでエミリアの手を取り、間一髪、大事に至るのを防いだ。

 二本の足でしっかりと立ったエミリアが、驚いた顔でサクラと、サクラが掴んだ自分の腕を見つめる。

「あ……」

 ありがとうという言葉は、このとき出てこなかった。

 声は小さく、聞こえなかったが、口は動いていた。

「あくま」

 次の瞬間には、エミリアが手にした聖女のナイフが、サクラの右腕を切り落とし、サクラの胸の中央に深々と突き立てられていた。

 全員の認識を置き去りにして、エミリアがつぶやく。

「さすがに触られたらわかるわよ」

 サクラの体の崩壊が始まった。


つづく

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