第5話 咲とサクラ 2/2

「では」

 れんが扉に手を伸ばす。なんでもない動作であり、見た目と体格は反社だが、その所作は神聖で、不可侵なものを感じた。

(伊達に宮司ぐうじじゃないんだな)

 祠の扉がカチャリと音を立て、中が開かれた。

 漣がつぶやく。

「やっぱり……動いてる」

 漣の体の後ろから祠の中を覗いた。中には石が三個、置かれていた。

 不適切な感想かもしれないが、何の変哲もない石が何の変哲もなく転がっているように見える。

 サクラが口を開いた。

「で、これを元に戻せばいいのよね?」

「はい。それは私がやります」

 漣の真剣な口調を聞いて、彼に直接声をかけることに気兼ねしたのか、プライドがさきに尋ねた。

「ご神体の石は、すぐ崩れるような積み方をしていた、ということですか?」

「ええ、絶妙なバランスよ」

 漣がご神体の石を慎重に手に取った。さほど大きくない祠の、さらに大きくない扉に、太い腕を入れている。彼の腕は、ここから見える範囲ではほとんど動いていないが、祠の内部では繊細に動いているのだろう。

 石が触れ合う、固い、カチャカチャという小さな音が続き、ゴトッという重い音が聞こえた。

「くっ」

 うまく重ねられないらしい。

 カチャ……カチャ……ゴトッ……

 一連の音が何度も、土曜日の木漏れ日の下で繰り返される。

 よほどシビアなバランスで重ねる必要があり、そのために緻密な動作が求められるのだろう。

 誰もが漣から目を離せない。

 声援を送るつもりで、視線を送っていた。

 そんな中、プライドが咲に尋ねた。

「ただ単に、積むだけではいけないんですね」

「ええ、これを見て」

 咲の手には一冊の本。いかにも年代物だ。応接室を出るときに本棚から持ち出したのだろう。

 開きながら咲が続ける。

「ここに、ご神体の積み方が」

 咲が指差したところを、俺を含む三人が覗き込む。思わず、息を飲んだ。見覚えがあったからだ。

「なんで……」

 俺の言葉に咲は黙ってうなずく。見覚えがあるという認識は、見たことがあるという確信に変わった。

 ツイッターでバズっていた。

「なんで……こんな……石積みアートみたいに」

「私にもわからないわ」

 地震で崩れるはずだ。

 カチャ……ゴトッ

「くっ」

「ねー、漣さん、それできそう? 石積みアートなんでしょ? 無理くさくない?」

 サクラの声は半ば諦め気味だ。

「……できます……宮司として、ここは、やりきって見せます……甘えは……捨てます!」

「……そうね」

 咲は漣を見守りながら言う。

「この神社で、宮司の神職に就くために……もっとも厳しい修行がこれよ」

(じゃあこの石積みアートがつらかったから、漣さんは咲さんを出したんか)

「……あのときは、結局免除してもらいましたが……今は、私を頼ってくれている、畑中さんのために……」

「免除とかあんのね」

(甘えを捨てきれてないってはっきりわかるな)

 カチャ……ゴトッ

「くっ……」

 また失敗したようだ。

「あのさー、それ大丈夫なの? さっきから」

 サクラとプライドはもはや外野と化していた。

「僕も気になりました。不可動石という名前の神様なんですよね? 動かしたり崩したりしたら、バチが当たるんじゃないですか?」

「さっきからバチ当たり続けてるわよ」

「し……静かに……」

 祠の中から、何の音も出なくなって、約1分。

「で……できた! できました!」

 漣が勢いよくこちらを振り返り、祠の前から体をずらすと、三つの石が重なってるのが見えた。本の中に記されていた通りの配置、角度だ。

(おぉ!)

 感嘆の声を上げようとしたが、それはバサッという音に阻まれた。

 嫌な予感は、頭の片隅にあった。

 音の方を向くと、一冊の本が地に落ちていた。ついさっきまで、咲が手にしていた本だ。

 咲の姿は、どこにもない。

 漣の真剣さ、言葉からも、咲がいなくなった理由は明白だった。漣は甘えを捨てきって、その象徴である、本来存在するはずのない姉を消したのだ。

 サクラが戸惑いながら、本を拾った。

 祠の扉を閉めながら、漣が口を開いた。

「行きましょう」

 背を向けたままだったので、彼の顔は見えなかった。


**********

ー社務所 一階 食堂


 一般的な家庭のダイニングキッチンの三倍ほど広い空間の中央にあるダイニングテーブルに伏して、サクラは二十分近く泣き続けている。

 たった数時間の付き合いとは言え、サクラにとって咲は、姉のように慕える存在になっていた。これからいろいろと教えてもらえる。その矢先に、消えた。

 時刻は昼前、十一時を過ぎていた。

「お蕎麦でも」という漣の好意に甘え、サクラと二人、椅子に座っている。

 プライドは「私はもうお客さまではないので」と言って、漣の手伝いを5分前から始めている。

 サクラの泣き声が小さくなってきたので、声をかけた。

「サクラ」

 返事はない。

「このあと、少し出かけよう」

 顔をこちらに向けた。だが、向けただけで返事はない。

 返事は待たずに漣の方を向いて訊いた。

「漣さん、かまいませんか?」

「もちろんです。お仕事を覚えていただくのは、急ぐものではありませんし、姉がいなくなってすぐに働き手としていてくださるだけで、こちらは大助かりです」

『いなくなって』という辺りでサクラが再び泣き出した。

「うえーん!」

(絵にかいたような泣き方だな……)

「咲姉……いろいろ教えてくれるって言ったのに……」

 プライドが静かに言った。

「漣さんは、つらくないですか?」

「ええ、野々宮咲は、サクラさんにとっては今日できた友人ですが、私にとっては6歳のときに他界した姉です。寂しくないことはないですが、受け入れていますよ」

(そういうもんか。うん。そうだな)

「甘えは、捨てたんですね」

「どうでしょう。でも、そういうことなんでしょうね」

 サクラには悪いが、野々宮咲が消えたことは俺にとっての希望になった。

 捨てるに捨てきれず中途半端に生み出してしまったこの二人を、元通り消すことができる。そういう希望になったのだ。

 おそらく漣も同じ気持ちだろう。サクラがここまで悲しんでいなければ、お互いに「よかったですね」と声を交わしている。

 ふと、あることが気になった。

 が、すぐにプライドがその疑問を言葉にした。

「咲さんが出てきちゃったのは、漣さんが修行でご神体を動かしたからじゃないんですか?」

(そう、それを思った。漣さんが修行で行き詰まったときに、咲さんがでてきたんだから)

 だが漣の答えは、否、だった。

「おそらく違います。もしそうなら、記録に残されている『物捨騒ぎ』の全てに、そう書かれているか、代々の宮司が例外なく『物捨騒ぎ』に関わっているはずですから」

(なるほど、たしかに、その通りだ)

「修行は修行、バチは当たらないのでしょう。こじつけに聞こえますか?」

 漣がこちらに問う。

「いや、そんなことは」

 神道の宗教観に明るくはないが、納得はできた。筋も通っている。

 漣が話題を変えた。

「あ、おでかけはよかったら三人でどうぞ」

(そうだった)

「サクラはどうだ?」

 涙をぬぐいながら答える。

「あたしは……ご主人様と離れることがストレスになる存在なので、もちろん行きたいです。行くんでしょ?」

「ああ、何も準備してないからな」

 何をどう準備するのかもわかっていないが、取り掛からないことには解決しない。なにせ、明日に迫っているのだ。

 早めの昼食を漣と二人で食べている間、食事の必要のないサクラとプライドを敷地内の散歩に出かけさせた。これからいろいろ覚えていくのに、施設の配置はわかっていた方がいい。

 昼食とふたりの着替えの後、三人で神社を出た。

 漣の問題は解決して、次の問題は、今度こそ先延ばしにできない、明日のA子とのデートだ。



つづく

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