第4話 A子と童貞 2/2
-物捨神社 社務所 一階 応接室
「まー、そうよね、畑中っちは根っからの童貞だもんね?」
「姉さん、わかるの?」
漣が反射的に口を開いた。
(変なとこに食いつくな)
俺の連れが二人になったことで、応接室では椅子が足りず、咲だけは座らずに立っている。
最初は漣が立っていようとしたが『宮司を差し置いて座れるわけないでしょ』とのことだった。
弟の問いに姉が答える。
「いやなんか、畑中っちさ、この見た目の私にすごい敬語だし。タメ口になるときもすごい恐る恐るだからね。女に慣れてない感が全身から出てるの、わかんない? 顔色伺いながら喋るしね。自信無さそうでイライラするし、人によってはキモく見えるんじゃない?」
「そう! そうなんすよ! もうなんか、女の子怖いのは治らないです」
つい先ほどプライドにプライド抜きを頼んでいた自分を心から誉めてやりたい。
このような会話は、プライドを持っていてはとても耐えられる気がしなかった。
漣が神妙な顔で言う。
「ではやはり、畑中さんは『女性への恐怖心』も、プライドと同じく、捨てたいものだった、ということですね」
(童貞って言わない……漣さん、あんた優しいよ。見た目は怖いけど)
「あんた、畑中っちの前でオブラートに包むことないわよ」
「そうよ、ご主人様が余計プライドを捨てきれないじゃない」
(みんな俺のことを考えてくれてはいるんだな)
「まー、でも、畑中っち。よかったね! 卒業おめでとう! 彼女できたじゃん!」
「あ! そうだ、連絡まだ入れてない!」
ポケットからスマートフォンを取り出し、文面を考える。
伝えたいことはあったので、指はスムーズに動いた。
『今日は急にごめん。どうしても受け取らなきゃいけない荷物で、親も今日の朝しか無理だって言ってたの忘れてて……ほんとごめんね! お詫びは今度させてください! リクエストあったら教えてね! 昨日の一軒目みたいな安いとこは、もういいやって感じでしょ? あとそうだ、なんか部屋に忘れ物してないかな? あればとっといてくれる? 』
送信ボタンを押してから、疑問が浮上した。
(これは、彼女ができたということになるのか?)
不意に、過去に見たネットブログが脳裏によみがえった。
『ヤリ捨てされる男たち ~捨てられないためのテクニックを持とう~』
いつの間にか手に持つスマートフォンの画面を覗き込んでいた咲がニヤニヤしている。
「んー、畑中っちー、長文がおじさんくさいですなー」
(うるせえな、なんであんたは20年前に死んでるのにそういうのに精通してんだよ)
咲はこの話題を手放さない。
「んでさ、A子ちゃんって、どんな子?」
自然な訊き方に思わず答えてしまった。
「会社の後輩っすね。ほとんど接点はなかったんですけど、夕べ急きょ飲むことになって」
「へー、そういうことよくあんの?」
「いや、ないっすよ。会社帰りなら決まったメンバーがほとんどで、ほぼ男」
「ふーん、向こうは畑中っちのこと良いって思ってたのかな?」
「どうでしょうね」
「少なくともご主人はそう思っていましたよ」
プライドも加わった。
「おい! そういうこと言うな!」
「なにー? 畑中っち、ばれたくないの? またプライド出てきた?」
「ご主人様はね、ここ一週間、プライドがだいぶなくなってたんだよ。だから、ちょっとモテたんじゃない?」
サクラが面白くなさそうに言う。
(そうなのか? 自覚はなかったが)
「そっか、プラっちが出たあとのことはサクラちゃんが詳しいか」
ブーブブッ
着信バイブの振動はみんなに聞こえたようだ。
メッセージアプリを開く。A子から、立て続けに数通のメッセージだ。
(ほんとだ、若い女の子は短文を連投するのか)
文面は穏やかで、絵文字もスタンプも使われている。
「よかった、今朝ひとりで帰ったのは許してもらえてるっぽい」
画面をのぞき込まれないためにも、解説しておいた。
「やるねー! おかわりできそうじゃん!」
「あんたほんといくつなんだよ!」
最後のメッセージは、少しだけ時間を置いて受信した。
『お詫びなんかいりません。でも、明日私、暇なんですけど、畑中さんは時間ありますか?』
(おお! 来たよ)
『明日は俺も大丈夫。埋め合わせのチャンスありがとう』
「姉さん、とりあえず本題に入りましょう」
漣が切り出したのでスマホをポケットにしまった。
「なによ、本題って。まだこの現象のことは大したことわかってないじゃない」
予想はしていたが、やはりそうだったか。
「やっぱりそうですか?」
こちらの問いに漣がうなずく。
「ええ、私もこの現象については、十年近く調べていますので、今から新しい発見というのは、なかなか」
「ごめんねー」
咲が明るく謝る。
「いえ、いいんです。俺の問題ですし」
するとサクラが割って入った。
「それじゃあ、その本題ってなんなの?」
「ええ、プライドさんとサクラさんは、この神社に住まないか、という提案です」
(な、なるほど……)
思ってもない提案だった。が、これほどありがたいものはない。プライドひとりの同居でさえ、大家一家の好意に甘えるのもほどほどにしなくてはいけないと思っていたところだ。ここにサクラまで加わった今、いよいよどうにかしなければならなかった。
「畑中さんの生活もあるでしょうし、おふたりにはここにいてもらった方が、調べる方としてもありがたいです」
「あたしはやだなー」
サクラが抗議した。
「なんでだよ」
「さっきも言ったけど、ご主人様に近付くのって本能的なものなの。長年一緒にいたから。くっついてるのが落ち着くし、離れているのはストレスなのよ。巫女服は着てみたいけどね」
サクラの巫女服姿を想像してみた。
「あー、そりゃ確かに見たいな」
「え?」
思わず言ってしまい、全員を、特にサクラを驚かせてしまった。
「な、なんで?」
「いや、だって絶対かわいいだろ、お前」
「ご主人様……」
(なんで嬉しそうなんだ?)
サクラが勢いよく両手を握ってきた。その瞬間、得体の知れない恐怖に包まれた。
(この感触!?……感触というより)
俺の戸惑いには気づかない様子で、サクラがまくしたててきた。
「そういうの好き? 着ます! あたし! なんでも! なんならご主人様の部屋で着るよ!」
「いやいやそうじゃなくて!」
サクラが握る手を振りほどいて、今度はこっちからサクラの手を強く握った。
「サクラ……」
「あんっ///」
「やめろ! お前、なんでこんな冷たいんだ」
「あ、やはりそちらもですか」
驚く俺に漣が言う。
「姉も同じですよ。その、捨てきれずに出てきた存在というのは、体温がないんです。当たり前と言えば当たり前ですよね」
プライドに手を突っ込まれたときは、痛みの方が勝っていて、気づかなかったのか。
なるほど、確かに代謝しないのであれば、体温というものが生まれないのだろう。
「あたしの巫女姿見たら、ご主人様が熱くなっちゃって、あたしをあたためちゃうかもよ」
彼女の軽口や、プライドの能天気さを前に忘れそうになるが、目の前のふたりは、人ならざるものだと改めて感じた。
同時に、寒気がした。体温を持たない、人から生まれた人でないモノ。プライドもサクラも、あからさまに危害を加えてくるわけではないが、やはり、消したい。
それは本能的な恐怖に近いかもしれない。
「ね? 部屋で着てあげるから」
「いや、うちはレンタルサービスはしてません」
「えー! せっかくの巫女服が」
漣が制止するが、あまり効果は見られない。
(それと、レンタルサービスって言うな、漣さん)
「畑中っちさ、言うことが思い切ってきたわね。面と向かって『かわいい』なんて。ま、ほんとにかわいいんだけど……」
その言葉が終わってすぐ、咲が声の調子を変えた。
「あー! そっか!」
「どうかした? 姉さん」
「プラっちも、サクラちゃんも、畑中っちの内面の具現化なのよ」
咲の言葉に、ピンと来た。そうだ、初めてプライドを見たときの思考は、『俺もこんな見た目ならよかった』だ。
「咲さん! それ、ほんとそうです! プライドなんか、まさに、こんなルックスだったらいいなって。こんなルックスだったら、プライド満たされまくりだなって、思います」
「だよね? で、サクラちゃんは畑中っちの童貞くささの表れだっていうわりに、サクラちゃん自身は童貞っぽい見た目じゃないじゃん?」
(確かにそうだ)
「サクラちゃんの服装とか髪型、すごい特徴的だなーと思ってたのよ。ある種の好みにはベタというか。それって畑中っちの、性癖がそのまんま具現化されたものなんじゃない? うわ……きっしょ……」
「やめてください……」
『オタクの願望そのまんまだな』とは思っていたが、本質は『俺の願望そのまんま』だったわけだ。
漣が口を開いた。
「では姉やお二人が、『捨てたいけど捨てられない』というような葛藤の結果、生まれたものだとすると、私や畑中さんの心理的な問題を解決すれば、消すことができるかもしれませんね」
「ご主人様、あたし消えても寂しくないの?」
「おう、今はまだそんなに情も湧いてないし、なんとなく怖いからな。消すなら今のうちだと思ってるぞ」
漣が話を戻しに口を挟む。
「ま、まぁ、簡単に解決する問題ならここまでこじれていませんからね。すぐにお別れとはいかないかもしれません。では畑中さんもここに住み込みますか? プライドさんとの相部屋になりますが。それならお二人も問題ないわけですよね?」
漣はサクラとプライドの方を見て訊いた。
「もちろん!」
「ありがたいですが、お世話になる以上、きちんと働かせてくださいね」
(妙に殊勝なことを言うな。プライドの癖に……でも、断らなきゃならない)
「あの、俺は住まないですよ?」
「えー! なんでよ、ご主人様! いいじゃん!」
これ以上の変化は生活の乱れではない。純然たる、破綻だ。
「俺はお前らと違って、スーツだPCだ靴だなんだと必要なものがあるからな。そういうの全部持ってきて『お世話になります』ってのは無理。いくらスペースがあるからといっても、それは受け入れられない」
(あとゲームがしたい。こいつらがいない間に)
漣が少し笑ってうなずいた。
「そうですか、わかりました」
漣に顔を向けて、言い訳がましく言う。
「ありがとう。それに、外から見る人間がいた方がいいかもしれない」
「そうですね、ではそうしましょう」
「俺は基本的に毎日立ち寄るから、しっかり働けよ」
「そうねー、ご主人様がいないんだから、することないしね。離れるのはできるけど、我慢してるだけなんだから、ちゃんと毎日来てね」
咲が割って入った。
「そういえば畑中っちはどこ住んでんの?」
咲の問いに町名で答えた。
「なんか、微妙に遠いわね」
「そうなんですよね、会社帰りにここに来るには、いつもと違う駅を」
漣が勢いよく身を乗り出した。同時に、自分が大事なことを言い忘れていたことを思い出した。
「畑中さん! じゃあなんで! この神社の前を通ったんですか? あの日」
「そう! それ! 地震だよ!」
漣が聞き返す。
「地震?」
先週の金曜日の深夜のことを話した。地震が起きて電車が止まって、最寄り駅まで行かなかったから、ひと駅分の距離を歩くことになったことを話した。
「地震……ですか」
話を聞くと漣は棚の本を取り、ページを繰り始めた。
「畑中っち、そういう大事なことは早く言いなさいよ」
「ご主人様のそういううっかりなとこ、かわいい」
「お前、キャラ変わってない?」
「記されている記録を見る限り、ところどころ符合しますよ」
「ほんとに!?」
「ええ、地震の後に、物捨て騒動の相談が寄せられたのが、十件中、四件です。が」
「が?」
思わずオウム返しをしていた。
「それだけです。地震があって、その後、相談に来た人がいる。つまり、畑中さんがこれまでのパターンに入っていることがより確かになった、ということしかわかりません」
「そっか」
俺の落胆を引き取ったのは、意外にもプライドだった。
「それでも十分じゃないですか?次は地震とこの現象を結びつけるなにかを探し当てればいいわけだから」
(確かに)
「なんか、プラっちがそんなこと言うのって意外ね」
(本当にそうだ)
「いいじゃないですか。僕だって今は楽しいですけど、ご主人が困っているのもわかっていますから」
(そういうもんか)
「でもさー」
咲が続ける。
「そんなもの、この神社にある?」
咲の言葉を最後に、漣をはじめ、みんなが黙った。神社に長く住む二人がそろって思い当たらない状況では、部外者は口をはさめない。
(この現象が祟りやバチの類かは知らんが……)
「よく聞くのは、祀っている大事なご神体? とかを、壊したり傷つけたりしたら、祟りがあるとか」
「ご神体、ですか……」
漣の反応は薄い。その反応にプライドが言葉を重ねた。
「あるんですよね? ご神体」
「ええ、ありますよ。この神社の参道の入り口にある祠の中に」
サクラも加わる。
「あ、さっき来るとき見た。扉がついてたやつ?」
「ええ、ちょうど、畑中さんが先週の深夜、倒れた場所ですね。そこにある小さな祠です」
(あの場所か……)
「その中にある、不可動石と名付けられた複数の石が、この神社のご神体です」
(不可動石……)
「漣、それって、絶妙なバランスで積まれていて、『決して動かすべからず』って代々伝えられてる、あのご神体?」
「そう」
(そうか)
「いやそれだろ!」
「えっ?」
「地震で動いたんだろうが!」
「た、確かに! そうか!」
「ほんとね、漣!」
サクラとプライドが姉弟を追い詰める。
「あんたたち、やる気あんの?」
「甘え以前の問題ですね」
「やめてよ! 漣をいじめないで! そもそも不可動石のことは、代々続く神社の記録の中で、この騒動と一緒に書かれていないのよ!」
「代々なにやってきたのよ」
(これからお世話になる人たちを悪く言わんでくれ、といつもなら思うところだけど、今だけは同感だ。まぁ、ともあれさっそく見に行きたい)
立ち上がって姉弟に言った。
「それじゃ、案内してもらますよね?」
つづく
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