第4話 A子と童貞 1/2

ここまでのお話

 同僚A子の部屋に泊まった翌朝、ふたりで朝食を、との計画だったが、ひとりの少女が畑中に「あたしはあなたが捨てた童貞」と名乗り出た。その上、プライドがつきまとっていたらしい。

 これ以上の混乱は日常生活に支障、いや、破綻をきたす。


**********


「いや、ほんとお前らどこいたんだよ」

「あたしは今から七時間二十分前にこのアパートの前にいたわ」

「僕は基本的にご主人の近くにいたんですよ? 知らなかったですか?」

「あ、いや、いいや、お前らしゃべるな」

(まずい……なんとかしなきゃ……今まで近くにいたというこいつらは、帰れって言われても帰らんだろうし、こいつらにこのあとを遠巻きに見られるのはムカつく)

 ドアを少しだけ開けて、その隙間に頭を入れた。

「ごめん、A子ちゃん」

「はーい! ごめんなさい! もうちょっと」

「いや、こっちこそごめんなんだ! 今日朝から予定あった!」

「え? そうなんですか?」

「うん、親が荷物持ってくるんだった! だからごめん!」

 A子が部屋の奥からこちらを覗く。

「……ちょっともダメですか?」

「ほんと、ごめんね! 連絡するから!」

 エレベーターを目指して足早に廊下を歩く。

「いいか、お前ら、今すぐ俺から離れろ。そして三十分後に俺の部屋に来い」

(こいつらの電車代なんて持ちたくないし、そもそも連れだって歩いてるところをA子に見られたくない)

 プライドと少女は黙ってエレベーター横の階段を降りていった。


**********

-九時三十五分

-ハイツ・ハイライト 二〇五


 アパートに着くと、小林香織がいた。

「あ、畑中さん、お客さんが……弟さんと、あとひとり」

「おはようございます。ありがとう」

 あいさつもそこそこに、足早に階段に向かい、走るようにのぼった。

 ドアの前に二人はいた。こちらから声をかける前に少女が口を開いた。

「おそい」

 なぜこんなにも煩わしい存在に、文句を言われなければならないのか。そう思うと、無性に腹が立った。

「うるせえ。こいつの合鍵使って入ってろよ」

「まぁまぁ、怒ってもいいことないですよ」

「なんでお前はそんな呑気なんだよ」

「なによ、急いで来たのに……」

「どうせ疲れないんだろ。ほら、入って」


 小林香織は三人が部屋に入って行くのを見送った。

 あの中で、いったい何事が話されるのか。想像するだけで、こちらの方が不安と期待にさいなまれる。

(……修羅場だ。……修羅場だわ。……今カレと元カノ……それに畑中さん、朝帰りよね?)

 朝の陽ざしが妙に強く感じられた。

(三角……四角関係だ、少なくとも……あぁ、つまらない日常に射し込んだせっかくの光が……失われちゃうのかしら)


 小さいテーブルを三人で囲んで座る。

「……二人目か」

「そういうことになります」

「僕はプライドです。よろしく」

「童貞です。よろしく、ご主人様」

「だからやめろ!」

「あ、失礼、正確には素人童」

「そうじゃねぇ!」

(そこの正確さは求めてねえよ)

 冷静さを取り戻すように一息つき、改めて少女に向かって言った。

「童貞って呼べる見た目じゃないだろ」

「じゃあどう呼んでくれるの? チェリーちゃんとかにする?」

 少女は口の端だけで笑う。

「サクラ、ではどうですか?」

「あ、いいわね、それ」

「何がいいんだよ……」

「センスよ。なかなかやるね、あんた」

「いやぁなに、『文才だけはそれなりにある』と思い込んでる人から出たプライドですからね。そりゃね」

「やめてくれ、そういうの……心に来る……」

(もうやだ……コーヒー飲もう……)

 マグカップにドリップバッグをセットしながら、思い出した。

「そうだプライド、お前さっき、俺にずっとつきまとってたみたいなこと言ってたよな」

「はい」

「はいじゃねえよ、家にいろって言ったろ」

「言われてません」

 きっぱりと反論してきた。

「いやだってお前、先週の土曜の、神社から戻ったときに」

「あのときは月曜日からはついてくるな、と言われただけです。ですから、ご主人が家を出たあと、ついていかず、十分な時間を置いてから、近付いたんです」

(いや、近付いたんですって……ん?そう言えば……)

「えっと、サクラでいいんだな? きみもさっきの、部屋の場所、わかったんだよな?」

「ええ」

「わかるもんなのか?」

「そうね、帰巣本能みたいなもんじゃないかしら? 本体に引き寄せられるとか、ほら、何とか細胞? リユニオン?」

(まぁ、言いたいことはわかった)

 プライドが加わってきた。

「僕がご主人を騙してまでつきまとっていたのも、そういう感覚が、僕にそうさせたんです。すみませんでした」

「まぁそれはいい。俺にも同僚にも、バレてなかったんだし」

 コーヒーが入ったマグカップをテーブルに置いて、座った。

「それで、サクラ、きみは何なんだ?」

「だから童貞だって言ってるじゃない」

「いやだから! 俺が昨日素人童貞を捨てさせてもらったのはもういいから! なんで付きまとってんだよ! 捨てたくても捨てきれないものが付きまとうルールでやってんだよ! もう捨てたろ! 童貞は!」

「だから、捨てきれてないんでしょ?」

「……ぐっ! 捨てたんだって!」

「捨てきれてないのよー」

「なにをだよ!」

「童貞くささ」

(やめてくれ)

「やめてあげてくださいよー」

「仕方ないわよー、染み付いちゃってんのよねー、ご主人様には」

「ご主人……仕方ないみたいですよ」

「黙ってろ」

(よし、神社行こう)


**********

-物捨神社 参道


「素敵な神社ねー、ご主人様。ちっちゃいおうちがかわいい」

 石畳を軽い足取りでサクラが歩く。

「ご主人、足取り重いですよ?」

「プライド……あれ、やっといてくれ、抜くやつ」



つづく

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