第3話 畑中とA子 2/2

-金曜日 二十二時

-bar 『in the Warhol 』


 「あの、畑中さんって、お酒好きなんですね」

(女とふたりでバー……こ、これは、行けるのか?)

 振り返ればここ数日、というより月曜日から、職場の人間の反応は気になるものだった。

(なんか、いろいろうまく行ってたな。あんまり怒られなかった気がするし)


**********

-月曜日


「 畑中くん、これ、間違えてるわよ」

「あ、ほんとですね、ごめんなさい。まだ修正間に合いますか?」

「十六時まで待つわ」

「うわー! 優しい! ありがとうございます!」


**********

-火曜日


「課長、コーヒー飲みません?」

「いや、いらんよ」

「えー、俺めっちゃ上手く淹れますよ。誰か飲まない?」

「あ、畑中さん、じゃあ、私いいですか?」

「もちろん、いいですよ……どうですか? 課長、ほしくなったでしょ?」

「いらんよ」


**********

-水曜日


「松江さん、そのピアスいいねー」

「え、ありがとう」

「どういうとこで買ってんの?」


**********

-木曜日


「これって、石田くんが作ったの?」

「はい。どこか間違えてました?」

「いや、すごい見やすい。読みやすい」

「そうですか」

「すごいね、これ。今度書き方教えてくれない?」

「は? 僕が、畑中さんにですか?」


**********

-金曜日 十八時三十五分


「あー、終わったー。飲み行こー」

「畑中さん、ひとりで行くんですか?」

「うん。来る? 」

「え、私ですか?」

「そうですけど?」

「えーと、邪魔じゃなければ」

「高いお店じゃないよー。ごめんね」



**********

-金曜日 二十一時


「おいしかった?」

「はい」

「よかったー。結構お酒飲めるんだね」

「そうですかね」

「俺もう一軒行くけど、どうする? まだ飲みたい?」

「そうですね。明日休みですし」

「バーとか、行く?」

「行ったことないですけど、行ってみたいです。畑中さん、行きつけとか、あるんですか?」

「この辺のバーは知らないねー。俺んちの最寄り駅なら間違いないけど」

「あ、私の最寄り駅、そんなに離れてないんで、行ってみていいですか?」



**********

-金曜日 二十二時

 

(なんてこった……プライド捨てたら同僚の女の子とバーに来れました)

 「あの、畑中さんって、お酒好きなんですね」

 A子。

 部署が同じということ以外、特に接点はない。二年後輩。

「んー、酒っていうより、酒場が好きだね。なんか楽しいじゃん」

「今日はいろいろ話せて楽しかったです」

「まぁいろいろあるよね。話くらいならいつでも聞くからね。普段助けてもらってるからさ」


**********

-金曜日 二十二時三十分


「二杯目はどうする? しんどいなら飲まなくてもいいけど。もう出ようか?」

「いえ、まだ飲みたい気分です」

「そ、そっか」

「何がおいしいんですか?」

「俺はバーボンが好きだけど、飲んだことある?」

「飲んでみたいです」


**********

-土曜日 零時十分


「畑中さん……ほんと……すいません……タクシー呼んでください」

「大丈夫?」

「…………大丈夫ですよ…………帰れます」

 ガターン ガチャーン

「今のうち住所教えて!」


**********

-土曜日 零時五十分


「お忘れものないようにお気をつけください」

「どうも……ここの七一五ね……歩ける?」

「がんばります……がんばってますよね?!  あたし!」

「うん、そうだね」

「ごめんなさーい! 畑中さーん! 怒らないでー!」

「怒ってないって!」


**********

-零時五十五分

-ビレ・パークサイド 七一五


 ドサッ

「ふう……水、買っといたけど、飲む?」

「はい……畑中さんも……冷蔵庫に水あります……飲んでってください」

「ありがとう。あ、タクシー帰しちゃったな。待っててもらえばよかった」

「帰らないでください」

「はいはい」


**********

- 七時十五分


(……行けてしまった)

 A子を起こさないようにベッドから降りた。

 上下一枚ずつだけ着て、スマホを取る。

 時刻は七時十五分。

(……行けてしまった。こんな天パ野郎が……ごくスムーズに)

「おはようございます」

「あ、おはよう。ごめんね、起こした?」

「いえ、大丈夫です。うわ、部屋きたない……」

「そんなことないよ」

「あの、タクシー代とか、ほんとすみませんでした。お店も全部、出してくれましたよね?」

「あんま気にしないで。気になるなら今日の朝ごはん、ごちそうしてよ」

「あ、そうですね。はい、そうさせてください!」

「九時くらいに出ようか」

「はい」


**********


「じゃ、外で待ってるよ」

「はーい。あとちょっとでーす」

 弾むような声だ。

 靴を履いて部屋を出た。アパートの廊下からは、電車が走るのが見える。

(ここからなら、近い方の駅で電車に乗って、2駅か)

 ヘアワックスがほとんど取れた髪を触る。

 朝シャワーを浴びるのは断った。

 替えの下着はないし、体を洗ったあとに一度脱いだものを着るよりは、朝のうちだけ同じ下着を使う方がましだ。

 道すがらの店で朝食を済ませたら、一度部屋に戻る方がよさそうだ。

(駅までの、てきとうなカフェでいいのかな?)

 ポケットからスマートフォンを出そうとしたときに、人の気配に気付いた。

 アパートの廊下をこちらに向かって歩いてくる。

 女だった。

(若いな……十代か?)

 黒髪は長くツインテールにまとめており、ピンクのチェックのミニワンピース、黒のニーハイソックス。

(なんつーか、オタクの願望そのまんまみたいな格好だな)

 その少女と、目が合っている。

 そして目が合ったまま、彼女は俺のそばまで来て立ち止まった。

 女の瞳は大きく、身長は低い。

「畑中伸一さんね」

(?  誰だ?)

 記憶全てを点検する時間はなかったが、このタイプの女と関わったことがないことは、そこまで労力をかけずともわかることだ。

 黙っていると少女が口を開いた。

「まぁ、答えなくてもわかるんだけど」

(わかる? 俺が、畑中伸一だということが、か? A子の知り合い?)

「えっと、どちらさま?」

「……童貞」

(ん?)

 電車が走る音が、マンションにも届いた。

「あたしは、あなたが昨日捨てた童貞」

「いやいや……は? 違うでしょ」

「確かにそうね……正確に言えば、素人童貞」

「そうじゃねえよ!」

(A子に聞こえてないだろうな、これ)

 ドアは閉まっているが、思わず部屋の中を気にした。

 これは聞かれたくない。

「あれ? また出てきました? プライド」

「どこにいたんだよ! お前!」



つづく

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