15. 遥かなる48時間 ④

7

 飲まされた錠剤は、睡眠薬だった。篠山さんと伊藤さんはそうそうに眠りについたが、俺は睡眠薬が効きにくい体質だったのか、指で背中に痛みを与えてなんとか持ちこたえていた。脳の機能が遮断されるような感覚の中、寝たふりを続けて情報を探るも、こいつらときたら下卑た会話をするばかりだった。


「クソ。本気でひっかきやがって、皮が捲れてるよ」

「それ何回目? 仕返しは後ですればいいじゃん。 蝋たらしてみるとかどう?」

「そんなんあったっけ」

「多分残ってると思うよ」


 しかもこの集団は、誘拐や強姦を繰り返しているらしく、ずいぶんと手慣れていた。場所を悟らせないために睡眠薬を飲ませることをはじめ、途中で篠山さんのスマホを捨てたりと、至れりつくせりだ。幸いだったのは、殺しだけはやっていないということだけだった。

 頭は眠気で朦朧としているから策という策も思いつかないし、この人数相手に力で倒せる自信もない。今のところ考えられる脱走タイミングは、車から別の場所に運ばれる時だけ。それも相手が一人でかつ自分が真っ向から退治して勝てること前提だ。失敗すれば袋叩きにあい、今度こそ勝ち目はなくなる。加えて現実的に二人は抱えられないので、伊藤さんと篠山さんが眠っている間は実行できないという事情もあり、現状では勝算のない考えだった。


 こんなことになるんだったら、散歩じゃなくて、筋トレの一つでもして鍛えるべきだった。この理不尽な後悔を強いられることの苛立ちを、奥歯を噛みしめてなんとか耐える。程なくしてやってきた眠気も、指で脇腹を思い切りつねってやり過ごした。


「あと何分くらい?」

「あと5分くらいかな」

「ちょっとじゃん。楽しみになってきた」

「ホントだよ! メチャクチャ可愛いじゃんこの子達。マジでビックリしたよ」

「だろ? なかなかいないって」


 くだらねえ会話だ。もう性欲でしか人を見ていないような、いや、人とすら見ていないのかもしれない。自分たちが中心に世界が回っていると言わんばかりの態度だった。


 ヤツらの言う可愛い子にはもしや俺も入っているのか。こんなくだらない連中に犯されるなんて、死んでも嫌だ。抜け出すチャンスは必ずやってくる。

 隣の伊藤さんを指でつついて軽く揺さぶる。これくらいじゃ起きないことは承知の上だけど、やれることはどんな小さなことでもやって、少しでも俺たちにとっていい状況を手繰り寄せなければならなかった。


 聞きたくもない会話と、走行音だけが聞こえる車内からすべての音が消えた。どうやら目的地にたどり着いたようだ。律儀にもシートベルトを外す音がした後にドアが開き、何人かが下りていった。

 俺はドアの閉まる音を確認して、薄目になる。俺たちがいる最後尾のシートからは完全に車内は確認できないが、わずかな視界には運転手だけ映らなかった。


 これはチャンスか。運転手をどうにか車外に追いやれば車を乗っとることができる。車さえあれば大通りにも出れるし助けを呼べる。問題は運転手をどかす方法と、細かい運転の仕方がわからないことだ。それでも、これを逃せば1対1になる状況はもうないかもしれない。まさに千載一遇。


 今だ。今しかない。やるんだ俺。アイツを後ろから殴って、外に弾き出して内から鍵を閉める。そしたらアクセル踏んでハンドルを握れば良い。無免許運転なんて強姦に比べたら屁でもない。


 ――だが躊躇っている場合ではないのに、体が動かない。ほんの少し勝てないかもしれないと、その考えが頭をよぎると、腕と足が鉛のように重くなっていく。そして無情にも、俺が勇気を出せずにいる間に再び車は動き出した。


「んじゃ早いとこ椅子に縛ろう」

「そうだな」


 最悪なことに、戻ってきた男たちが俺たちを担いでどこかに運んでいく。けむったく、埃っぽい場所だった。むず痒くなる鼻が反射的にすするのを我慢して、そのまま連れていかれていった。起きているのに全身の力を抜くのは至難の業で、気が気ではない。


 俺は何かに座らされ、一度腕の拘束を解かれる。思いの外早くやってきた次のチャンスに、心臓が早くなる。


 今度こそ本当に最後かもしれない。今こそ力を振り絞って立ち向かうんだ。連中が油断している今、不意をついて攻撃するしかないだろ。


 ――しかし俺の腕は動かず、腕が椅子に縛り付けられる。


「じゃあいつものように目覚めた人からヤってくってことで!」

「え~俺我慢できるかわからん。もうたってるし」

「寝てる間にするの、面白くないだろ」

「そうかな、俺はよかったけど」

「お前がよくても、まだ順番も決めてないだろ」

「いいじゃんそんくらい。じゃあさ、ユウちゃん譲ってよ。腕の恨みもあるし」

「俺も狙ってるからじゃんけんだろ」


 クソ野郎どもが俺たちを犯す算段をつけていた。薄目で確認すれば、どいつもこいつも気味の悪い笑みを浮かべて、じゃんけんに興じていた。


 思わず息を飲む。話声もその内容も、まるで携帯ゲーム機を持ちよって遊ぶ予定を立てるかのごとき軽さだったからだ。罪の意識があまりにも希薄で、倫理の欠片もない。殺しはしないだろうが、半殺しにはするだろう。俺はこんなに軽い気持ちで人は罪を侵すことができるのかと、にわかには信じがたかった。仲間内の秩序を守る能力はあるのに、それより大きな輪の秩序は守れない矛盾。それなら同じニートの方が絶対にマシだ。こんな奴らが今もこうして捕まらずいるのが、不思議でたまらない。


 思えば、初めて合ったときに感じた不快感は、これだったのかもしれない。最初から人ではなく慰み者として見ていたから、慣れ慣れしく、向けられる態度が軽かったのだ。言ってみれば、おもちゃに過ぎない。自分を楽しませるためだけのおもちゃ。ならば伊藤さんのような誠意なぞ、どこにもないのが当たり前だ。


 やはりあの時篠山さんからスマホを奪い取ってでも警察に付きまとわれてると通報すべきだった。アリーナ付近は人通りもまだあったし、駅からそう遠くないから警察署も近かったハズだ。それがどうだ。何も行動できなかったからここに縛り付けられて、ただ犯されるのを待つしかなくなった。今でさえ二度もチャンスがあったのに、何もせずになすがままで。

 いや今日だけじゃない。俺はずっと、肝心なところで勇気を出せず流されてばかりだった。高校も大学も流されるがままで、ニートになったのだってそうだ。そして月見荘に来た理由も、女になったときも、服を買いに行ったときも、伊藤さんにアルバイトを断れなかったときも、いつも俺は決断していない。自分の心から逃げて、ただ目の前に降ってきたものを受け入れただけだった。

 

 俺のせいか。俺のせいなのか? こうなったのもすべて、こんな目に合うのもすべて。――そうなのかもしれない。でも、だからこそ尚更ここから無事無事抜け出すことを諦められなくなった。俺はともかく、伊藤さんにも篠山さんは目的のために行動を起こしてアルバイトに向かっていたんだ。ちゃんと前に進もうとする人が、こんな結末を迎えていいはずがない。


 今こそ脳みそを使い、打開策を考えるべきだ。幸いにも動かなかったことで生まれた誤算が一つだけあった。連中の言うことを信じるとするならば、寝ている間は猶予があるということだ。二人が起きるまでは目いっぱい時間を使える。


「あとどれくらいで起きると思う?」

「えー1時間くらいじゃない? まだ寝てから30分くらいでしょ」

「長すぎ! シャワー浴びてくるわ!」

「あいよ」


 丁度いい情報も手に入った。奴らは少なくとも1時間は油断しているハズだ。

 まずは状況を確認しよう。場所は埼玉ハイパーアリーナ付近から30分程度の場所にある、小さい倉庫か作業場。あの大きなバンで中に入った先だから自宅はあり得ない。その中で、俺たちは椅子に腕のみを縛られ座らされている。触れた際のひんやりとした感覚でパイプ椅子が確定して、固定しているのはおそらくガムテープだ。口にテープをしないということは、この倉庫がよほど防音に優れているか、それとも周りに住民がいないかの二つだ。そして今わかったことだが、見張りという見張りがいない。連中は、当然のようにシャワーを浴びに行ったり、隅にあるゲームで遊びながら俺たちが目を覚ますのを待っていた。


 あまりにも少ない情報だ。これだけだと俺だけで脱出の糸口を見つけるのには困難を極める。せめて固定電話の有無と住所だけでも知りたい。


 ええいダメだ。感覚的な情報からは何も見えてこない。

 次は視点を変えて、連中について整理しよう。まず一人目。ツーブロックの男は、俺たちの会話に最初に交じったのにはじめ、打ち上げと称して誘拐しようとした際先陣を切っていたすべての元凶。落ち着いていて、焦らず周りをなだめる、リーダー的存在だ。主導はおそらくこいつだ。

 二人目のマッシュルーム頭の男は、俺の首を絞めたヤツ。車内で何度も腕の爪痕のことで文句をつけており、執念深く激高しやすい、プライドの高いタイプだ。後は力が弱い。1対1の状況を狙うなら、絶対にこの男だ。

 三人目の整髪剤で長い髪を固めた男については、印象が薄く、正直わかることもない。覚えているのは他3人に比べて静かで、何が楽しいのか、いつもニヤニヤと笑っていたことだけだ。

 最後のバンから現れた男は、筋肉質な体をしており、運転を担当し俺たちをここまで運んだ。こんなことをしているのに、マッシュルームが俺を殺そうとすると止めに入るなど、いささか苛立つ常識的な部分もある。裏方からのサポートがこいつの役割だ。

 4人の共通点は、年齢と、軽いノリの話し方、そして力関係があやふやなところだ。連中は学生、それも同級で、同じ学校である可能性は高い。加えて、これが常習と化しているなら、もみ消すだけの背景があるということだ。いいとこのボンボン連中である可能性も高かった。


 問題はこれからどうされるか、ということだ。

 人の性癖はわからない。ましてや連中の性癖などわかりたくもない。だがこれが俺たちの強姦が目的なら、考えてみる価値はある。例えば――


「ねえ見てよ、ヨシノちゃん起きたっぽいよ」

「え? ホント? 早いね~まだ30分だよ。まいいや、みんな集合~」


 ツーブロックの男が号令をかけると、ぞろぞろと足音が響き渡る。

 嘘だと言ってほしかった。冷や汗が湧き出て、鼓動が早くなる。まだ何の策も練れていない、最悪のタイミングで伊藤さんが起きてしまった。

 どうする、どうすればいい。喉が渇いていき、足がわずかに震えてくる。


「おはようヨシノちゃん。俺のことわかる~?」

「……」

「なんとか言ってよ~、それじゃあ会話にならないよ~。じゃあさ、俺たちがこれから何をするかわかる?」

「……考えたくもないです」


 怯えてる間に時間が止まってくれるなんてことはない。俺が震えている間にも伊藤さんには刻一刻と最悪の時が迫っている。


 考えてる暇はない。とにかく時間を稼ぐ時だ。気を狂わせて、何も感じなくし、後先なんか考えるな。今だ。今だけでいい。ほんの一瞬、今こそ勇気を出せ、俺!


「俺たち、今から君のこと犯すから」

「うおおおおおおおおおおおおお!」


 頭を真っ白にし、拳を握りしめて声が続く限り叫んだ。しばらくすると胃と肺からすべての空気が抜け出して、せき込んだ。


「え、何。急に叫んじゃったりしてさ」

「さあ? 助けでも呼ぼうとしてるんじゃね?」


 目をがん開いて連中を睨みつければ、ツーブロックとマッシュルームがそんなことを喋っていた。整髪剤と筋肉質は見事に驚いた顔をしており、口が開いている。


「ああそういうこと。優ちゃんさあ、残念だけどここ防音でね。そんくらいの音だったら――」

「うるせえ! お前らこれで終わりだからな! ここに来る前に警察を呼んでおいた!」


 こうなったら口から出まかせだと、俺は警察が来るとほのめかした。とにかく連中が少しでも警戒し始めるようなことを吐いて、時間を稼ぐ。その間に打開策を見つけないといけない。

 しかし、やつらは俺の出まかせには全く見向きもせずに、4人で向き合った。それから大きく口を開けて笑い出した。

 

「ね、言ったでしょ。フリーターなんてみんなバカだし大丈夫だって!」

「そうだったね! あ~面白い!」

「何がおかしいんだバカ!」


 面と向かって馬鹿にしてきたので、こちらも負けじと言い返す。沸騰した脳はまだ冷えず、相手の言葉から意図を読み取ることはできなかった。それにヤツはフリーター自体をバカにした。流石にこれは看過できない。


「優しいから教えてあげるけどさ、君らがいつ警察を呼ぶ時間があったのよ。しかもユウちゃんスマホ持ってないでしょ。嘘つくならもっとマシな嘘つきなよ~」


 ツーブロックが上から目線で俺に講釈を垂れてくる。そんなの百も承知のことだ。わざわざ見くびってくれるなら、隙ができた際に逃げ出せる確率が上がる。


「うるせぇ。お前ら俺たちに指一歩でも触れてみろ、訴えてやるからな!」

「え~そうなんだ~。怖いね~~っと」


 そう茶化して、マッシュルームは伊藤さんの頬をつついた。

 俺の怒りのボルテージは一瞬で頂点まで達した。


「おい! ふざけんなマッシュルーム」

「はぁ? 調子乗るなよクソアマ!」

「まあまあ落ち着いて。優ちゃんさ、”俺”なんて一人称使っても怖くないし、俺たちは実際訴訟なんて怖くないワケ」

「どうしてだよ」


 大方の予想だと、親の金でもみ消してるからだ。人間誰だって、完全に欲望をはねのけることはできない。だから別に興味もないし溜めるほどのことではない。こっちだって、その気なら私刑という手もある。


「こんな事件誰もやりたがらないし、金さえ握らせとけばだーれも相手にしないよ。それにさ、俺たち天下の総能大生だよ? 俺たちとヤれるんだから、むしろ誇りでしょ」

「ね」


 予想通り、金を握らせていた。だが、追加で予想外の返答が返ってきて、目を丸くする。ただいい大学に行っているというだけで、こんなことが許されると、そう考えているのだろうか。まさかとは思うが、確認せずにはいられなかった。


「……本気で言ってるのか?」

「え? 本気本気。そもそもこうやって君みたいなバカな人間が俺たちと話しているのがもう光栄だと思ってほしいわけ」


 絶句。唖然を通り越して、呆れ果てた。俺はこんな子供みたいなやつに怯えていたのかと情けなくなり、これならまだニートである俺の方がよっぽど大人に思えた。


「無駄話はこれくらいにして、それじゃこれから君たちのことを犯しまーす」

「俺たち君たちが起きるまで我慢したんだ。だからこれからたっぷり楽しませてもらうからな」

「よろしくね、芳乃ちゃんに優ちゃん」

「よろしくね~」

「おい待てよ!」

「待たないよ。よくも俺の腕に傷つけてくれたねえ。ほら見てよ、メッチャ跡になってる」


 マッシュルームが伊藤さんの元を離れ、腕を見せつけながら俺に迫る。どこまでも小さい男だと、心底呆れた。しかしこいつが相手なら好都合、足は自由だから勝てる可能性がある。勝負は一瞬。近づいてきたら脛に蹴りを入れて、パイプ椅子を背負うように前傾になってタックルだ。あとは顔に頭突きでもかましてやればいい。

 ゴングが鳴るときはすぐにやってきて、マッシュルームが俺の間合いに入った瞬間に、つま先で思い切り脛を蹴り上げた。


「痛ッて!」


 お次はタックルだ。俺は足をゆらしてブランコのようにリズムを取る。そして上半身をのけぞらしいざパイプ椅子を浮かせて前傾姿勢へ。


 とは、ならなかった。そうなる前に、すぐに回復したマッシュルームが俺の左頬を思い切り殴り抜けていた。殴られた衝撃は全身へ伝わって、椅子ごと右に倒れる。椅子が倒れるのには少しの猶予があったため、ギリギリで頭を地面に打つのは免れた。


「イッ……」


 痛い。不意の攻撃に、口の中を切り、血の味が構内に充満する。

 とっさの暴力に驚いたものの、食いしばって伊藤さんに視線をやる。あっちに残った三人は、動くのをやめ、俺の方を見つめていた。


「よくもやったな! お前! ナメんじゃないぞ!」

「グッ! フッ!」


 マッシュルームは目の前に立つと、何度も何度も俺の腹を蹴った。そのたびに喉から空気が吐き出され、咳が漏れる。鈍い痛みが腹を伝って胃酸が逆流してくると、それが咳と共に排出された。そして腹への衝撃から身を護るため、勝手に上半身が丸まっていった。

 そうしたら今度は蹴りにくくなったのか、頭を踏みつけてきた。地べたにべったりだった靴底は擦れていて、とても汚い。体重をかけられ、割れそうなほどに頭蓋が圧迫された。


「グ……」

「オイやめろ! 殺したら面倒だっつったろ!」

「うるさい! こんなんじゃ死なないって!」

「いいからやめろよ!」


 誰かが止めに入ったのか、俺の頭から足はどけられた。残っていた腹痛と圧迫からの開放感で、ぐるんぐるんと視界が回って、思い切りゲロを吐き出した。顔半分は床に接していたため、わずか顔に付着した。


「落ち着けって連。暴力じゃ屈しないってこういう生意気なのはさ」

「そうだよ。前にお前が言ったんだぞ」

「でもこいつが!」

「でもじゃねえ!」


 痛みで思考が纏まらない。俺は深呼吸をして、無心で荒い呼吸を正常に戻そうとする。


「……わかったよ、ごめんみんな」

「わかればいいよ」

「んじゃさ、俺たちも協力するから、精神の方を屈服させようよ。ほら、前にやったやつ」

「ああアレか。いいね! そうしよう」


 なんとか呼吸を正常に戻したら、次は吐しゃ物の臭いが鼻孔をくすぐり、吐き気が募る。このまますべてを吐き出して楽になりたかったけど、そうはならず俺は椅子ごと元に戻された。


「……クソ野郎が」

「まぁまぁなんとでも言ってなよ」


 ギリギリの中で吐き出した悪態もかわされ、ツーブロックに足を抑えられる。そして後ろから誰かに口を押えられ、何も言えなくなるも、んーんーと喚いて逃れようとした。急な事態に何事か驚いていると、腰のベルトがとられてショーツごと剥きとられた。それからハサミを持ったマッシュルームが残りの服を切り刻んで、俺は全裸にされた。

 大勢に全裸を見られるが、こんな状況で羞恥心など湧くわけもなく、ただ怒りだけが募っていく。


「やっぱ体もいいじゃーん。見てよ。毛もないし、しみもほくろもないよ」

「うわホントだ。そそるなあ!」


 下卑た視線を受けて不快感を隠せず暴れようとしたのも押さえつけられて、腕からガムテープを取ったら、4人がかりで移動させられた。


「はいご対め~ん」


 どこかと思えば、伊藤さんの目の前に俺はいた。器用にも無理やり顔を見合わさせられる。連れ去られてから初めて見た伊藤さんの顔には、涙の筋と、申し訳なさそうに細く結ぶ口があった。


「それじゃ芳乃ちゃんはちゃんと見ててあげてね。ユウちゃんが犯されるところを」


 そういうことか。自分が犯される姿を別の人に見させることで、精神的に屈服させようというわけか。浅はかなことだ。

 誰かが俺の体勢を変えさせ、マッシュルームが俺の正面に立った。欲丸出しのアホ面だ。


 俺でよかった。俺ならいい。こんな辱めは伊藤さんや篠山さんが受けるべきではない。後はずっと反抗的になってひたすらに凌辱されればいい。朝になれば誰かが気が付き助けてくれるだろう。どうせ女になろうという努力もしてこなかったんだ。こんくらい屁でもない。


 俺は伊藤さんの顔を見て、わずかに笑みを見せた。案内の仕事が始まる前に、彼女は俺に勇気と希望をくれた。だから今度は俺が返す番だ。


 いよいよマッシュルームがズボンをズり下ろして、下半身をあらわにした。


「待った!」


だがそこで、ツーブロックから何故か待ったがかかる。


「え、どしたの」

「芳乃ちゃんからやろっか。そっちの方がいい」

「……は?」

「あーね、わかったわ」


 言っている意味がわからなかった。どうしてそういうことになるのか、少しも理解ができなかった。わけもわからぬまま、俺は新しい椅子に座らせられると、腕と、今度は足にもガムテープを巻かれて拘束された。

 そしてハサミを取り出してついさっき俺にしたことを、伊藤さんにもしようとしていた。


「おいやめろ!」

「なんで俺たちが君の意見を聞かなきゃいけないわけ?」

「やめろって言ってんだろ!」

「ほらね~そういうタイプだったでしょ」


 いくら叫んでも笑って流されるだけで、すぐに全裸にされた。そして持ち上げられて、俺の目の前につれてくると、再び顔を合わせられた。伊藤さんは口が半開きになっており、涙と鼻水で綺麗な顔が汚れている。

 ふざけるな。こんな話があってたまるか。


「じゃあよく見といてね! ユウちゃん」

「それ以上動いてみろ! 殺してやるからな!」


 ガタガタと全身を揺らすも、パイプ椅子がぐらぐらするだけで、体はその場からピクリとも動かない。俺が吠えれば吠えるほど、あいつらは笑い、嘲る。ただ憎い。心の底から憎い。憎悪ばかりが胸中にあった。


「じゃあ大翔ちゃん、やっちゃって!」

「おい! おい!! やめろオ゛オ゛!」


 ――これも俺のせい? 俺が変に抵抗なんてするから、伊藤さんが標的にされて食われようとしている。人をまるで玩具のように扱うこんな化け物みたいな連中に、差し出すものなど何もないはずなのに。いつもそうだ。抗ったのに。頑張ったのに。抗おうとしたのに。頑張ったのに。現実は俺の思い通りにはいかなくて、最後に自分を投げ捨ててまで助けようとしたものすら助けられない。どうしてこうなったのかな。俺がもっと早くに決断してたら、もっと勇気を持っていたら、もっと強ければこうはならなかったのかな。


 あれだけあった憎悪もなくなっていて、駆け巡る思考に脳みそを支配されていた。ぽっかりと空いた胸中に、代わりに生まれたのは純粋な悔しさだった。


 だがそれも、やがて絶望へと変わる。






 はずだった。

 突然シャッターを殴る音が聞こえて、一瞬にして場が冷え込んだ。男たちは困惑して、一度伊藤さんを地面におろす。


「警察か?」

「わからない、とりあえず静かにしてやり過ごそう。電気も消してくれ」

「わかった」


 小声でそんなやり取りをして、そのうちの一人が電気を消しに向かう。

 その最中、シャッターの向こう側から、怒りに震える叫びが轟いた。


「おいいるか! 貴様ら骨も残らないと思え!」

「問答無用じゃ! ぶち破るぞ!」


 

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