05

 顔の良い男の唐突なドアップに視界が占拠されたことにより、ケイの情報処理能力と思考が悲鳴をあげる。

 仕事をしていた時ですら、こんなに混乱したことはなかったと……一周回って冷静にそんなことを思ってしまった。


「そう言えば、まだきみの名前を聞いていなかった。教えてもらっても良いかな?」


 このとき、アレクシスの背後に少女漫画のようなキラキラとしたエフェクトが見えたような気がした。後にケイはそう語った。


「俺は、螢です。狩野尾螢」

「カノオケイ……変わった名だね?」

「あー……ケイで大丈夫です」


 彼らの名前からして、きっと横文字文化なのだと言うことは察していたが案の定。やはり漢字文化ではないらしく、ケイのフルネームは伝わらなかったようだった。


「トゥリトス地方の一部の人間は、その者と似たような名を持つ者たちが居たように記憶しています」

「すると、きみ……ケイくんはトゥリトス出身なのかい?」

「えっと……トゥリトスって、どこですか?」


 アドルファスが思い出したようにそう告げると、アレクシスも『あぁ』と納得したような顔をした。

 が、ケイには何のことやらさっぱりだった。トゥリトス? そんな地名……もしかしたら地球のどこかの国の小さな町として存在しているのかもしれないが、生憎と存じ上げない。


(これはやはり、もしかするとの展開の可能性が有力なのか?)


 ケイの回答に二人は驚いている様子だ。それはそうだろう、彼らにとっては当たり前に知っている地名を知らないと答えたのだから。


「ふむ……」


 アレクシスはケイを上から下までマジマジと観察した後、何か考え込むように顎に手を当てている。時間にしてほんの数秒程度だったが、その間に考えていることでもまとまったのかパッと表情が明るくなった。


「そうか、ケイくんはきっと記憶喪失なんだね」

「……は?」


 あまりに唐突なセリフに、思わず素っ頓狂な声が上がってしまう。これは不敬罪にならないだろうか? 慌てて口を閉じると、アレクシスは人の良さそうな笑みを携えたまま更に言葉を続けた。


……そうかそうか、辛い思いをしたね」


 ポンポンと肩を叩かれ、唖然としてしまう。

 それはまるで、な口振りだった。

 仕事をしているときにも似たようなことがあったなと、何かを察したケイはアレクシスに深く追及することなくその言葉を敢えて受け入れる。


「あははははー。そうかもしれないです……地名を思い出せないとか、俺記憶喪失なのかも」


 乾いた笑いを浮かべながら、ケイはアレクシスの言葉に便乗した。

 もし、これが本当に夢ではなかったら? もし、想像通りの展開だったら? 社畜魂が『権力者の言葉には逆らうな』と脳内で警鐘を鳴らしている。


「記憶喪失ではこの先の生活が大変だろう? そうだな……アドルファス」

「はっ」


 嫌な予感、と言うよりは確信の方が正しいと思う。きっとこの後の流れには逆らえない。直感的にそう感じ取ってしまったケイは、引き攣った笑顔を貼り付けたまま二人のやりとりと見守った。


「この少年、しばらく屋敷で保護をしてやってくれるか?」

「……御意に」

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