山頂のカフェ

野口マッハ剛(ごう)

「頂」

 Aが登山を趣味で始めてまだ日が浅いときのこと。どうして人々はしんどい思いをしてまで山に登りたがるのかと考える。一度や二度ぐらいなら、Aは山頂まで登ったことはある。それでも山の高さは六〇〇メートルなのだが。確かに山頂まで登りきってからの達成感は何よりのお土産にはなる。その思い出が自信につながったりもした。しかし、六〇〇メートルぐらいの山なら小学生でも登れる。Aが二度も休日の山頂で目にしたものは、変わらずにそこにある下界の景色と、笑顔の家族や高齢の登山者たちである。Aはその登山に何かを見つけたかった。結局のところ、しんどいと思って登っているのは、自分だけではないかとAは悩むのであった。

 Aは平日、仕事をして休日に山登りについての本を図書館等で読むのだ。今は二月。雪こそは降らないが、それでも寒さを感じさせる。登山の知識がない頃に、その標高六〇〇メートルの山に挑戦したはいいものの、途中で引き返したA。その時に比べると今では自信はついている。けれども山の高さが六〇〇メートルでもへとへとになるAは体力をつけようと筋トレやマラソンをしていた。結局は休み休みのトレーニングになるのだが。

 こうAは空想するのだ。

 山頂にカフェがあればいいな、と。

 けれども、あればいいなぐらいにしか思っていないので、そこまで真剣には考えないのである。

 そして、今日はAにとって趣味の登山の日であった。まだ寒いのだが天気は良かった。登る前の脚は軽く、心もどこか晴れているようだ。

 Aが山頂を目指すのはこれで何回目だろうか。

 今日という日は登山に対する何かを見つけたいとAは考えている。それと、山頂にカフェが出来ないかとまだ空想しているのである。

 両手にポール(杖)を力強く握りしめながら登山道を登っていく。時々、森林の景色を楽しみながら。一歩一歩、力強く踏み出していく。ポールを上手く使いながら。

 すれ違う下山者と挨拶を軽くする。これは都会や街では味わえない気持ちでもある。登山だからこその何かの縁だとAは思う。

 さて、しばらくしていく内に毎度のように息が上がってくる。Aは元々、小中高と共に帰宅部だった。つまりは運動とか体育会系とは無縁であったAである。体力の自信のなさには自覚があった。

 たまに立ち止まっては、暑くなる体温を水筒の水で調節する。

 空気が美味しいと言うにはまだまだ早い。

 だが、Aは早速、意志がくじけそうになっていた。

 帰りたいとまで思い始めるA。

 果たして大丈夫なのだろうか。

 しばらくそこで立ち尽くすA。登山者たちが登ったり下りたりするのを見ている。こんなことを考え始める。山頂にカフェがあるわけがない、それなら今から街のカフェに行った方がいいと。

 無言で引き返し始めるA。どうかしていた、そもそも運動音痴の自分が登山なんて間違っていたのだと。Aが街に到着したのはちょうど昼の一時である。そうしてカフェを探して歩く。

 少しだけ胸の内には後悔というものがあった。もしも、山頂に登れたのなら明日はきっと自信に満ちあふれていたのかもしれない、と。しかし、もう遅い。Aは登山を、今後一切しないと決める。もうしんどい思いをするのはごめんだと。

 ひとつのカフェがある。吸い込まれるように店の前に。

「頂」そう店の看板には書かれてある。

 ちょっとだけ違和感を感じてAは店の中へと入る。

 最初に目に入ったのは登山用の道具が飾られていたことだ。

 Aは気まずい気がしながらも席につく。店内はそんなに広くはない。カウンター席が七つにテーブル席が二つだけ。どうやらこの店は山小屋を意識したカフェらしい。マスターは体格がよかった。

「アイスコーヒーを一つ」

 Aは登山のことを忘れようとしている。もう考えたくもない。もう仕事以外は何もしたくない、と。

 マスターはコーヒーを淹れながら、カウンターに座る男性客と山について話している。こう夢を語るマスター。

「私はいつか山頂にカフェを開きたい。でも、無理なのはわかっている。しかし、若いときに私はこう思った。山頂にカフェがあればな、と」

 これを聞いたAはポールを見つめる。

 どうして自分は登山をやめるのかと。

 なぜか胸に熱いものが込み上げてくるA。

「あの! 自分も山頂にカフェがあればいいなって思います!」

 気付けばAはマスターにそう大声で言っていた。

「そうだよね、けれども所詮は難しいのさ」

 マスターはどこかさびしげに答えた。

 Aはというと、マスターの考えに共鳴するかのようにふつふつと心に熱を帯びている。山頂のカフェ、きっとそこで飲むコーヒーは格別の美味しさなのだろう。

「お待たせ、アイスコーヒーです。そのポールはまだ新しいようだね? 登山が好きなのだね?」

 マスターの言葉にAは頷く。しかし、引き返して来たとは言えなかった。その代わりにこう返すA。

「山頂のカフェがあれば毎日でも通いたいぐらいです。今はこのお店を山頂のカフェだと思ってコーヒーを頂きます」

 一口飲んでAはポールを見つめる。

 アイスコーヒーの味は、まだ見たことのない山の頂からのいざないのように思えた。

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山頂のカフェ 野口マッハ剛(ごう) @nogutigo

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