第一章 物語の始まりⅡ

「行ってきまぁーす!」

少女は玄関で、元気よく声を張り上げた。

その声は廊下に、居間に、キッチンに、ベランダに。

「……」

響いていくが、肝心の返事がない。

「ふぅ…」

少女はため息をついた。しかし悲しそうな顔はしない。

これが普通だから。

これが日常だから。


少女はもう一度行ってきますとつぶやいて、家を出た。




―で、迷った。

「…ここは…?」

目的地…彼女が今日から通うことになる高校へは、簡単に行けるはずだった。

別に複雑な道を通っていく必要もない。

ただ『家から東へ行く』だけだったはずだが…。

「うぅ…分かんないよぉ…」



この少女の名前は渡辺朋美。

竹前高校に通うため、つい先日竹前町に引っ越して来た。

『お人形さんのようだね』と言われることはしばしば。

年不相応の身長やスタイルに、大きくクリッとした瞳。

それらから中学生と間違われることも多い。


「あっ!あれだきっと!」

そんなお人形さん風少女、渡辺朋美は目的地への道しるべ。

町に唯一の商店街を見つけた。

「はぁ…やっと見つけたよ」

朋美は安堵した。

必死に探し回った結果、その目的に辿りつけたから。

もっと長い時間見つけられないという事態には陥らなかったから。

そして彼女は油断していた。

これもまた安堵や安心から。

朋美は普段なら律儀に行う『立ち止って左右を確認する』という行為をしなかった。


その結果…

「きゃっ⁉」

「うわっ⁉」




朋美は誰かとぶつかったと思った。

その理由はぶつかった際、自分以外の誰かの声を聞いたことだった。

「いたた…」

尻餅をついた朋美はその誰かを確かめるべく瞳を開けた。


「……」

「……」

そこにいたのは男の子だった。

向こうはまだこちらに気付いていない。

しかも引っ越して来たばかりの彼女にとっては当たり前だが、その顔に見覚えはなかった。

二人の身長の差によってわずかに見上げるようになったその状況で、朋美は男の子の顔をずっと見ていた。

(あれ…何この感じ…?)

その少年の顔は至って普通。

髪型も目元も口元も。

鼻や顔の輪郭といった所まで。

すべてがありふれていて、特徴という特徴がない顔。


だけども朋美は、その顔から目を逸らすことができない。



と、突然。

その少年が目を開けた。


「‼」

声には出さないが、びくっ‼と両肩に力が入る。

思いっきり目が合った二人は、そのまま固まった。

(え?何でこの人こっち見てるの⁉え?えっ?)

じっとこちらを見つめてくる少年に混乱してしまう朋美。

その時、少年が口を開く。

「俺はな…」

「?」

首を傾げる朋美。そして少年は、


「俺はロリコンじゃねぇー!」

叫びながら逃走。

「えっ⁉ちょっと⁉」

朋美が叫んだが、少年は気にせず走り去った。


「…ロリって…」

朋美は一番気にしていた所をつかれて、がっくりと肩を落とした。




「はぁ…」

朋美は先ほどの言葉をまだ引きずって、とぼとぼと歩いていた。

見知らぬ人に突然ロリ呼ばわりされる。

普通の人なら怒りさえすれ、落ち込むことはないだろう。

だが今の朋美は猛烈に落ち込んでいた。

「はぁ…」

彼女の周りの空気は明らかにどんよりとして、重い。

もしこれが漫画なら、確実に『ズーン』という効果音が描かれているだろう。


とりあえず落ち込むのは後にして急がなくてはならない。

そう朋美が思えたのは、五分ほど歩いた後だった。

きっかけは単純。

自分の横を急ぎ駆けていく小学生を見たからだった。


「急げ、急げー‼」

「わー‼」

「きゃー‼」

(あの子たちも急いで…ん?)

「あっ‼」



朋美はゆっくりと、長い時間走り続けられるペースで走り始めた。




「はぁ…はぁ…」

それでも息は切れる。

というか、やはり焦りで思ったよりスピードが出てしまっていた。

商店街に入りしばらくした所で立ち止ってしまう。

「ふう…」

そして立ち止ったことで、周りが見えてきた。



未だ寝静まっていた住宅街とはうって変わって、商店街は活気に満ち溢れている。

「いらっしゃーい!」とか「まいどありぃ」とか。

今がまだ朝早いことを忘れさせるような雰囲気がそこにあった。


「おっ!そこのお嬢ちゃん可愛いねぇ!」

悩みすぎて魚と睨めっこしている女性客の圧力に気圧され、苦笑いをしていた魚屋の店主が話しかけてきた。

「見ない顔だけど?」

「あっはい!少し前にこの町に引っ越して来ました。渡辺朋美といいます」

「へぇー、中学生かい?」

「高校生です‼」

物静かで、基本的に大声も出しそうにない朋美だが、そこに関しては力強く答えた。

「そこだけは譲れないです!」

「ははっ!そうかい、そうかい」

女性客はまだ魚を見つめていて、会話もできそうにない。

店主はさらに眉間のしわを増やしつつ無理矢理笑いながら言う。


「まあ、この町の子供たちは皆俺らの子供みたいなもんだからな。何かあっ

たら、遠慮なく言うんだぞ?」

「……」

僅かな沈黙。

が、その僅かの中に言いようもない『悲しみ』と『喜び』が混在していた。


「…はい、ありがとうございます」

結局、朋美は笑った。

そのどちらもひた隠しにして。

ただこれまで通りで…。



「あのー…」

「ん?」

「ところで今の時間って分かりますか?」

「えっと……八時二十分だけど?」



ちなみに今日は八時三十分までに登校しなくてはならない。




「やっと…ついたぁー!」

目的地、竹前高校の桜の木の下で、朋美は珍しくはしゃいでいた。

慣れない土地での高校生活初日。

その登校中に様々なことがありすぎて、感情が溢れてしまったのか。

かわいらしくぴょんぴょんと飛び跳ねる姿は、同じく遅刻気味で駆けこんで来た人たちの注目をいやでも集める。

「…はっ⁉」

乱れた服装、派手な金髪、そして口にくわえた食パンという不思議な少女がこちらをガン見しながら通って行った。


それらの視線に気づいた朋美は、

「は、は…」

顔を真っ赤にして、

「はわぅ‼」

駆け出した。




あっという間に教室に着いてしまった。

自分でもありえないスピードで階段を駆け上がり、廊下を走って来た朋美。

心の中で、

(これが火事場の馬鹿力って言うのかなぁ…)

とか、ちょっと的外れなことを考えていた。


キーンコーーンカーンコーン


「‼」

それを突然のチャイムが破る。

朋美は驚いて、反射的に教室に飛び込んだ。



教室内は始めがやがやとしていたが、チャイムの音と共に飛び込んで来た少女の登場に、一瞬で静まり返る。

更に、

「あの子…かわいくね?」「あぁ、やばいな」

「お人形さんみたいね」「かわいー…」

と、あちらこちらからつぶやきが聞こえる。



「……」

朋美はりんごか何かのように真っ赤になりながら、自分の席を探し、座った。

「あとで話しかけてみようかな…?」「やめとけ。またふられるぞ」

「お友達になりたいなぁ…」「絶対いい子よね、あの子」

しかしつぶやきは止まらない。

直接話しかけてくるわけでもなく、ただひそひそと聞こえてくるだけだが、その話題は自分であるとよく分かる。

それが尚更恥ずかしがる朋美の気持ちを倍増させた。

恥ずかしさのあまり無性に逃げ出したくなった朋美は、席を立ち、教室から一度出ようと歩き―


ドンッ‼


音がするくらいの衝撃で仰向きに倒れる朋美。

更に上に何かが乗っていて立ち上がれない。

とりあえず乗っているものの正体を確認しようと、そのまま上を見上げてみた。

「あっ…」

相手が気付いた。

朋美も気付いた。



「…さっきはぶつかっちゃってごめんね…ほんと」

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