第一部:Black Story
第一章 物語の始まりⅠ
今日はいい小春日和。
春の朝日を浴びながら人々は動き始める。
どこかの交差点で早出のサラリーマンが時計を気にしていたり。
とある家で中年女性が朝食を作り始めたり。
夜通しゲームに興じ、疲れ切って今寝始めた大学生がいたり。
人々はただ平凡な日常を過ごしていた。
「……」
そしてここにもひとり、平凡な日常にある少年が…
「……」
小鳥たちのさえずりを聞きながら…
「…ぐぅ…」
座ったまま寝ていた。
「竜馬、遅刻するわよ!」
「ふぇ…何が…」
「何寝ぼけてんのよっ!」
「…はっ!」
少年…真田竜馬は目を覚ました。
ちらりと背後の壁掛け時計を見た彼は、
「あっ」
今の時間を見て、素っ頓狂な声をあげた。
彼の名前は真田竜馬。今日入学式を迎える高校生。
勉強も運動も顔も中の中。
中学校時代は、彼ひとりでは良くも悪くも目立たない少年だった。
「やばい、やばい…あいてっ!」
「もう…」
焦るあまり滑って尻餅をついた竜馬を見つめるのは、母である恵美。
夫を十年前に病気で亡くした彼女は、女手一つで二人の息子を育ててきた。
「行ってきます」
「あっ、いってらっしゃ―」
恵美が言い切る前に、バタンという大きな音と共にドアが閉まった。
「もう…反抗期かねぇ…」
そして先ほど出ていったのが竜馬の弟、晴馬。
彼もまた、今日が入学式の中学一年生だ。
兄とは違い、頭脳明晰で運動神経抜群。
だがそれは努力の積み重ねによって得たものではない。
いわゆる『生まれつきの才能』というやつだ。
まあ、それ故にとある欠点が生じてしまっているのだが…。
「やばい、やばい、やばい…」
竜馬は『やばい』を連呼しながら、準備を進める。
幸い今日は寝癖がついていないので、いつも時間のかかる寝癖直しは短縮できそうだ。
「よし、できた!」
髪も解いたし、歯も磨いたし、鞄も持った。完璧!と心の中で叫ぶ竜馬。
そんな彼を恵美が呼び止めた。
「ちょっと!あんたそんな恰好で行く気⁉」
「え…?」
ゆっくりと視線を降ろす竜馬。
「…あっ‼」
そして気づいた。
竜馬は一番肝心な服装について、忘れていた。
つまり、
彼はまだパジャマ姿だった。
「うぉぉぉぉぉっ‼」
(頑張れ!俺!)
パジャマから着替えて、竜馬は走っている。
彼が今走っている道は左右に建物がなく、開けている道だ。
ここでこの町について、軽く説明しよう。
この町は竹前町という。四国にある小さな小さな町だ。
全国的に有名な観光地があるわけでもなく、大きなショッピングセンターがあるわけでもない。
町の土地のおよそ半分が田園で、主に米が作られている。
基本的に町の南部に田園地帯が集中していて、竜馬が今走っているのもそこだ。
彼の家は田園のなかにポツンとあるため、どこに行くにもこの道を通らなくてはならない。
そして今は新しく通う高校へ向かっている。
西に2キロ。北に2キロ。
直線距離にして約2.8キロの位置にある、竹前高校という高校だ。
「はぁ…はぁ…」
そもそも本当はこんな予定ではなかった。
高校生初日を、余裕をもってすごしたかったのだ。
そのために目覚まし時計を三つも仕掛けたし、
昨夜の気になるバラエティ番組もあきらめた。
しかし現実は…
(なんでこうなるんだよぅ…)
朝は時間どおりに起きられず、
更に食卓でもウトウトと舟をこぐ始末。
これらから分かるように竜馬は朝にものすごく弱いのだ。
(間に合うかな…)
登校時間ギリギリの状況。
田んぼのなかを駆け抜け、住宅街を走り抜け…
竜馬は遅れながらでも次第に学校に近づいていた。
そんな折…
「急げぇ…うわっ⁉」
「きゃっ⁉」
「いてて…」
家の北にある住宅街の先、町の商店街に入り、あとは真っ直ぐ走るだけという時に竜馬は何かにぶつかった。
突然の衝突に何とか体勢をととのえ、転ばない様に踏ん張る。
「な、何だぁ…ん?」
てっきり電柱か何かにぶつかったと思っていた竜馬。
しかし、彼の目の前にあったのは電柱でもポストでもない。
「いたた…」
そこにいたのは尻餅をついた女の子だった。
「……」
「……」
何が起こったか一瞬理解できなかった竜馬。
目の前の女の子には見覚えがない。
竜馬は小さい頃からここ竹前に住んでいる。
地元の娘なら、なんらかの見覚えがあるはずだ。
しかし、
(見たことないなぁ…)
そう、見たことないくらい……かわいいと思った。
(…っていかん!俺はなにを考えてるんだ!)
身長からして中学生だろうか?
瞳を潤ませながら、こちらを上目づかいで見てくるさまは、何かそそられるものが―
(―だから違うっての‼いいかお前ら、俺は…)
誰に語り掛けるわけでもない。
「俺はな…」
「?」
何も言わず、可愛らしく首を傾げる女の子。そして竜馬は、
「俺はロリコンじゃねぇー!」
叫びながら激走。
「―――ッ!」
女の子が何かを叫んでいたような気がしたが、竜馬は気にしないことにした。
「はぁ…はぁ…。しんど…」
竜馬はゆっくりと立ち止った。
そのまま学校まで走り続けるつもりだったが、彼の体力がそれを許さなかった。
学校まであと約1㎞。
たった一㎞だが、特に運動をしているわけではない竜馬にとってその1㎞は“たった”ではない。
「まだこんなにあるのかよ…」
竜馬はがっくりと膝をついた。
そんな竜馬の隣を小学生たちが元気よく走っていく。
ああ、俺の体力は小学生以下か…とさらに気を落とす竜馬。
その視界の端に見たことのある人物が映った。
(ん?あれは確か…)
見たことがある…というよりは、さっき見た人影。
先ほどぶつかった人形のような女の子だった。
必死で走っているところから、何か急ぎの用事があることがうかがえる。
ただ前しか見えてないのか、竜馬のことは気付いていない。
そのまま女の子は竹前高校の方向へ走っている。
(…何をあんなに急いでるんだろうか…?)
やっぱり気になる。
追いかけてみようかなとか。
でも突然話しかけるのもなぁとか。
これまであまり女の子と話したことのない竜馬は心の中で悩んだ。
それはもう壮大に悩んだ。
彼の中で『朝ご飯はパンかご飯か』ぐらい悩んだ。
…ちなみに竜馬はどちらでもいい派なので、これはかなり悩んでいるというわけだ。
「うーん…」
そんなこんなで絶賛お悩み中の竜馬。
その間に女の子はいなくなってしまっていた。
「…あれ?」
再び学校へと進みだした竜馬。
彼が向かっている竹前高校は平野のど真ん中にある。
で、そもそも竹前町には山がひとつもない。
瀬戸内海に面した、四国北西部の小さな町だ。
特別な名産品があるわけでもなく、何か有名な名所があるわけでもないその町では、中央を南北に走る商店街が活気の中心となっている。
「おはよー竜馬君。今日はゆっくりだねぇ」
学校へと向かっていた竜馬に、朝から魚屋で買い物をしていた女性が話しかける。
このように、近所の人と親しい関係になれるのもまた小さな町だからこそである。
「おはようございます。でもそんなにゆっくりではないですよ?」
「え、そう?」
目の前に並ぶたくさんの魚たちを一匹一匹吟味しながら、女性が答え、
「はい、普通にいつも通りです」
竜馬もゆっくりと歩きながら笑顔で返した。
日常。
これがこの町の日常。
でも、
「いや、スピードはいつも通りかもしれないけど、時間は大丈夫なの?」
「はい、大丈夫で……あっ!」
竜馬は今朝のことを思い出した。
今日に限ってはこんな事をしている場合ではない。
竜馬は再び走り始めた。
その後ろでは買い物客たちが頑張れっ!と声を上げている。
竹前高校まであと五〇〇mほどだ。
商店街を抜けると、再び左右両側に田園が広がる。
今は春で田植えはまだだが、夏になるとこの辺り一面が緑の世界となる。
そして竜馬はそこを走り続けていた。
遅刻間際の大激走。
しかしその足取りは軽くない。
「もう…ちょっと…だ」
ふらふらしながら、田んぼの間を駆け抜けた竜馬。
そんな彼の目の前に姿を現したのは…
「すげぇ…」
桃色の世界。
そうとしか言い様がない。
真っ白な竹前高校の校舎沿いにたくさんの桜の木が咲き並んでいて。
また、その花の一部が風に乗って舞う様は見る人の心を高ぶらせる。
まるで桜に迎えられているようだなぁ…と竜馬は感動を覚えた。
「おっ竜馬!」
「おはよぅ………すぅ」
「航輔!立ったまま寝るな!」
見知った顔と聞き慣れた声。
そしていつものやりとり。
この二人は竜馬の幼馴染だ。
「全く…航輔も困ったもんだよなぁ…」
腰に手を当て、うんうんとうなずいているのが相川拓摩。
眼鏡がトレードマークの彼は三人の中で一番勉強ができる。
が、別に秀才というわけではない。
残りの二人ができないだけだ。
特に…
「ふぅ…やっと目が覚めた。あっ!竜馬、べ、別に寝てないぞーうん」
「いや、寝てただろ…」
あからさまな嘘をついて得意になっているのがもう一人の幼馴染、篠原航輔。
…彼は本当に勉強ができない。
それはもう本当に。
とある友人A・T曰く『あいつは史上最強のバカだ‼』とか。
とある友人S・R曰く『むしろ尊敬するレベルだよ』とか。
しかもそれらを聞いた本人が、『照れるなぁ~』と壮大な勘違い。
…それだけのバカなのだ。
「いや、寝てない、寝てない」
「いやいや、寝てたって」
「いやいやいや…」
「いやいやいやいや…」
『いや』の応酬。
どうやらまだ “寝てた”か“寝てない”かで言い争っているらしい。
桜の花びらがひらひらと舞う中、言い争っている二人。
その光景はひどく滑稽なものに見える。
「まぁ落ち着けよ、二人とも」
止めに入る竜馬。
彼はいつもこんな役回りだ。
そして、
「うーん…そうだな」
「まあやめるかー」
二人は落ち着く。
これもいつも通りの日常。
竜馬達が過ごしているのは、剣を持った勇者が冒険をしているような世界ではなく、科学技術が発達した超ハイテクな世界でもない。
ただの平凡な日常だ。
だから…
キーンコーンカーンコーーン
「‼」
「‼」
「⁉」
ポピュラーなチャイムが鳴り響く。
平凡な世界だからこそ時間は普通に流れていく。
「やばいっ‼」
「急げ、急げ!」
「ふあぁ…やっぱ眠いわ…」
時間がない。
少年たちは駆けだした。
「教室は何階⁉」
「えぇと…二階!」
「よし‼」
高校の廊下を走る三人。
周りを見回してみても、人は誰ひとりいない。
間違いなく遅刻だろう。
まぁ、それでも急がないわけにはいかない。
「確か俺と航輔が一組。拓摩が二組だったな⁉」
「ああ、それじゃあまた後で!」
階段を登りきってすぐの教室。
そこが竜馬と航輔の一年一組の教室だ。
「ふぅ…」
その扉の前までやって来た竜馬は足を止めた。
はぁ…遅刻かぁ。あんなに頑張って走ったのに…と若干ブルーになりながらも、竜馬は目の前の扉に手をかけた。
そしてゆっくりと扉を開けて…
「ちょ!おま、はや‼」
「え?」
扉が開ききった瞬間、後方からよく意味の分からない言葉と衝撃がやってきた。
ゴンッ!という音と共に前方へ吹き飛ぶ竜馬。
完全なる不意打ちだったため、竜馬は前向きに倒れこんだ。
そのまま反射で両手を地面につき、四つん這いになる。
「…えーと………」
大量の視線を感じて顔を上げてみる。
「……………」
「……………」
「……………」
沈黙。
ただ沈黙。
いたたまれなくなった竜馬は自然に視線を降ろした。
そして”目があった”。
「あっ…」
そういえば先ほどから何か体の下に感触を感じていたような…とか思う竜馬だが、正しくその通りだった。
そこにいたのは…
「…さっきはぶつかっちゃってごめんね…ほんと」
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