第一章 物語の始まりⅢ

「痛ってぇ…」

後頭部をさする真田竜馬。

そこには大きなたんこぶが。


彼は今、自分の椅子に座っている。

周りはガヤガヤと騒がしく、元の状態に戻っていた。

「にしても、さっきのは痛かっただろ…」

『真田』『篠原』ということで、竜馬の一つ後ろの席から親友である篠原航輔が話しかけてきた。

「まぁ、結構…」



わずかに時間は遡る。

不可抗力で女の子を押し倒す形となったしまった竜馬。

「…さっきはぶつかっちゃってごめんね…ほんと」

気付けば女の子の上に跨っているという状況。

頭が混乱して、次の言葉が出てこない。

というかそもそも、その場から動くという選択肢もとれずにいた。

そこから数秒だったか、数十秒だったか。

いまいち竜馬は覚えていないが、それくらいたった時、


「あれ⁉」


何の予兆も、予感もなく、


「えっ⁉」


彼の体は宙(そら)を舞った。




「まさかあんなに高く飛ぶとはなぁ…」

「すごかったぜ、マジで」

宙を舞う親友を真後ろから見ていた航輔はそうつぶやいた。

が、心なしか感情がこもっていない気がした竜馬は問いかける。

「どうしたんだ?」

「いや、何でもない…」

次は目を逸らされた。

「……」

「いやー、さっきのはすごかったね」

いつも通りなら隠し事なんかしない、というか出来ないだろうに何を…と親友の不審な態度を訝しむ竜馬に、一人の少年が話しかけてきた。

「まさかあんな漫画とかでありそうなことを、現実で見れるとはねぇ…」

その少年はにやにやと笑みを浮かべながら話してくる。

「…あんたは?」

「はっはっは‼よくぞ聞いてくれた‼」

少年は大声で笑った。

「僕は高木護。このクラスの学級委員長だよ!」

胸を張って、そう高らかに宣言する学級委員長。

「へぇー」

(まぁどうでもいいけど…)

全然真面目に聞いてない竜馬など意に介さず、

「僕はねぇ、幼少の頃から人の上に立つ人材となるための教育を受けてきた

んだよ。それはね―」

彼は自分の幼い頃の話を始めてしまった。

「……」

「ふぅー」

航輔は机に突っ伏した。

「…まだ眠いのか?」

「いやー…」

ただ航輔は退屈だっただけなようだ。

「それでねぇ…ていうか、君たち聞いてるかい?」

「んあー…」

「聞いてるよー…」

「…まあいいや。それでねぇ―」

再び話し始める護。

「んむー…」

だれている航輔。

そんな二人に竜馬はやはり気になっていた事を聞いてみた。


「あのさー」

「んー?どうした、竜馬?」

「―つまりどうすれば人を…ん?質問かい?」

「俺がさっき吹っ飛んだ時のこと、教えてくれよ」



「……」

「……」



「ん?どうして二人とも目を逸らす?ちょっと、航輔!委員長!聞いてんの

か⁉」




そんなわけで。

「どんなわけだよ…」

竜馬は今独りで廊下を歩いている。

先ほどの教室でのやりとりの後、体育館に移動し入学式があった。

…なんというか、定番の式だった。

校長先生や町のお偉いさんによる聞いている側からはどうでもいい話が続き、どうしても眠くなってくる。

中には立ったまま眠っている猛者もいた。

竜馬もまた、その眠気と戦った。



と、(精神的な)戦いを切り抜けた竜馬。

今日の予定は終わり、あとは家に帰るだけである。

「ふあぁぁーっ…」

大きなあくびをする竜馬。

今の彼は珍しく一人だ。

二人の友人はどちらも用事があるらしく、急いで帰ったのだった。

「はぁー…」

一人での帰途を想像するだけで、さびしくなってため息がでる。

それ程までに竜馬は二人のことが好きなのだ。



彼ら三人の出会いは、別に特別なものではなかった。

今から十二年前。

ある騒動をきっかけに竜馬と母、恵美。そして父、洋一の三人家族は、竹前町へと引っ越して来た。

その頃はまだ若い家族が少なかったこともあり、地域をあげての移住者歓迎のムード漂うなかの引っ越しだった。

その手伝いに来ていたのが、相川一家と篠原一家だったというわけである。

子供が同い年だったこともあり、それ以来この三家族は家族ぐるみの付き合いだ。



「おい」

そんな竜馬にかけられる声が一つ。

「え?」

その声の主は竜馬の目の前に立っていた。

「お前、新入生だろ?」

目線だけを向けて見たその正体は金髪の女の子だった。

「…ふーん、私の問いかけを無視するとは、あんたなかなかやるねぇ…」

やけに短いスカートや、そのスカートからはみ出たシャツなど。

何だか不良少女の定番みたいだと竜馬は思った。

「よし、決めた…」

「…何をですか?」

先ほどまでの言動から、自分より自分より上級生なのは明らかなので、一応敬語を使ってみる。

それに対して金髪の少女は、ニヤリと笑みを浮かべて、



「あんたを私のパシリにしてやるよ!」

「嫌です」

「……」

「……」

「…え?」

「いや、『…え?』じゃなくて。パシリとか嫌だし」

「じゃ、じゃあ私の…奴隷にしてやるよ!」

「だから嫌だって」

「な、何で⁉」

「何でって言われても…。いきなり奴隷とか…意味分かんないでしょ!」


…ごもっともである。


「い、今までのやつはそんな反応じゃなかったのに…」

「…どんな反応だったんですか?」

「皆、恐れをなして立ち去っていったのよ⁉」

「いや、それ呆れてただけなんじゃないですか?」

「…ふふふ…あんた、なかなかやるじゃない…」

「まあ、何もしてないですけどね」

「こうなったら…」

呟くと少女は歩き始めた。

「っ⁉」

驚いた竜馬は逃げようとする。

が、その間もなく少女が目の前に迫って来た。

「……」

「……」

沈黙。そして…


「えぃっ‼」


外見からは全く想像できない可愛らしい声と共に、少女は竜馬を自らの胸元に抱き寄せた。


「っッっっっ⁉」

で、竜馬は混乱した。


「△★○□っ‼」

驚いてあげた声も言葉にならず、

(こっ、この人何して…。あっ、意外と大きいしやわらか―じゃない‼)

思考も全然まとまらない。

結局できることといったら、わたわたと手足を動かすことだけだった。

だったのだが、



「……」

静かに竜馬を押さえつけていた腕の力が抜けていく。

「…あれ?」

ちらりと上に目をやると頬を赤く染めた金髪少女と目が合った。

「あっ…」

その顔が一瞬で真っ赤になる。そして、



「は、恥ずかしー!覚えてなさいよー‼」

そんな捨て台詞を残して去って行った。


長い長い廊下を駆け抜け、あっという間に姿が見えなくなる。

残されたのは竜馬一人だった。



「はぁ…?」




「ふぅ…」

竜馬が今歩くのは校舎を出る直前のところ。

靴箱があるのが定番なのだろうが、ここ竹前高校は土足が決まりなので、ただの校舎の出入り口である。

「ふぅ…」

放課後ということもあって沢山の人が行き交う中、竜馬はため息をついた。

先ほどの予想外の邂逅、及びラッキースケベは彼の体力―主に精神的な―を奪っていた。


ニャーオ


校舎を出て、桃色に染まる桜並木の横を抜け―

「―って、ん?」

何かの鳴き声が聞こえる。


ニャーオ


その声を追う、というかその声の聞こえる方へと歩を進める。

「あー…」

その声の元は簡単に分かった。

正門のある方向とは逆向き。

校舎を出て右手にある桜の木の下に、一人の女の子が立っている。

「……」

ただ黙って立っているだけでなく、僅かに上を見上げている。

そしてその視線の先には一匹の猫が。

「うーん…困った。どうしよう…」

女の子の声も聞こえる。

(多分あの猫を助けたいってことだろうな…)

猫は木の上くらいの高さなら問題なく飛び降りることができる。

別に人間が手出しをしてやる必要はない…。

ということを、竜馬は知っていた。

でも―



「私が受け止めてあげれば…」

「あの猫を降ろしてやればいいんだな?」

「えっ⁉」

ぶつぶつと一人呟く女の子の肩をポンッと叩くと、竜馬は木に登り始めた。


幸い枝がたくさんある木であったため、手をかけて登ることはできる。

が、運動神経の良くない竜馬は何度もずり落ちそうになった。

それでも何とか猫の元へたどり着き、手を伸ばしてやる。

「ほら、降ろしてやるからな」

木の上にいたのは黒猫だった。

こうして近くで見てみると、ピンク一面の中の黒色だからかなり目立つ。

ただ満開の桜の木の中にいるため、外側からは見つけられなかったのも頷ける。

(あの子、よく見つけたなぁ…おっと)

黒猫は最初こそ警戒していたが、すぐに差しのべられた手に飛び乗った。

(もしかしてこいつ、本当に降りれなくなってた…?)


と、竜馬が考えた瞬間、

「うわっ⁉」

黒猫に手を差し伸べたので、必然的に足だけで体重を支えることとなっていた竜馬。

先述のとおり、あまり運動が得意でない彼がそのままいられる訳もなく。

足が緩み、木から落ちてしまった。


ドスンッという大きな音がする。

「痛たた…」

「だ、大丈夫?」

「あぁ…大丈夫。…ほらっ」

「あっ…」

心配そうに寄って来た女の子に、竜馬は黒猫を手渡した。

「ありがとう…」

「うん、それじゃあ―」

「待って‼」

立ち上がり、再び正門へ向かおうとする竜馬を呼び止める声。

当たり前だが、それは後ろにいる女の子が発したものだ。

「ん?」

足を止め、振り返る。

桜の木の下で向かい合う男女。

しかもその女の子は何か口ごもっている。

これはドラマとかで告白されるシチュエーションだよな、と思ったが竜馬

はすぐにその考えを振り払った。

それでも、しだいに高まっていく鼓動を感じ…


「わ、私の名前、水連寺美影。覚えておいて」


「な…な…」

(何ぃぃぃ―‼)

 その一言で爆発した。

(な、名前を覚えておいてって…まさか俺のことが好きとか…?)

 あまりにも短絡的な考えだが、生まれてこの方、この手の経験は一度もない竜馬にとって、見知らぬ女の子からのこの言動は…アウトだ。

 竜馬は改めてその女の子をよく見てみた。

 髪は短めで、緑がかった青色。

 恥ずかしそうに伏せられた瞳も同じような色だ。

 頬を僅かに赤く染めたり、右手の人差し指で右の太ももに丸を書いたりと、その細かな動きが竜馬の胸を打つ。

「な、何でそんなことを⁉」

 あたふたしながら竜馬は問う。

「そ、それは…私…」

 その女の子、水連寺美影は頬をさらに真っ赤にした。

 竜馬は返答を待つ間も、鼓動が早くなるのを抑えられない。

 そして…


「…わ、私、あなたと同じクラスだから!」


「…………はい?」

「知ってた…?」

「いや……」

時間が止まったようとは、このことだろうか。

予想だにしなかった言葉は、期待をしていた分彼の心に大ダメージを与えた。

「そ、それじゃあ」

 美影は逃げるように去っていく。 

 竜馬はその場から、ただ動かない。 



(あぁ…逃げ出したいのはこっちの方だよ…)

 という本音を口にだすのもどうかと迷った結果、竜馬はひたすら心の中でリピートすることにした。


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