第四十三話 思い立ったが吉日
姿勢を正して数分後、シンシアが扉を開けた。彼女の左手には黒のお盆があり、湯気の立ったマグカップが二つ乗っている。シンシアはサキヤノの向かいの椅子にゆっくりと腰掛けながら、
「勅使さん。怪我の具合はどう?」
「あ、えぇ、おかげさまで。ありがとうございます。その、俺は元気……だよ?」
「そんなに硬くならなくて良いわよ」
シンシアはお盆を机に置くと外套のボタンを外した。脱いだ外套を椅子の背にぞんざいに投げ、溜め息を一つ。
「お疲れですか。……いや、疲れてる?」
言い直すサキヤノを睨んでから、シンシアは頬杖をついた。
「貴方いくつよ」
「へ?」
「年齢」
「十八です」
「あたしは二十四」
若い、とサキヤノは目を丸める。立派な経歴を聞いた後だから、もっと歳上だと思っていた。サキヤノは若いながら最前線で活躍するシンシアに尊敬の眼差しを向け、同時に大変な苦労があっただろうと労いの言葉を放つ。
「すごいですね、きっとたくさん辛いことが……」
「違う」
サキヤノは言葉を呑み込む。シンシアはぐっと腕を天井に伸ばすと「そうじゃなくて、歳が近いって話」と言った。
「はぁ」
「つまりね、そんなに歳が変わらないんだから親しげにしなさいよ。勅使だろうが副団長だろうが関係ないと思わない?」
「そ、うですね、うん。一理あるよ、うん」
サキヤノは濁して答えるが、シンシアは不満そうに腕を組んだ。
「あたし、同じやりとり何度もやるの嫌いなんだけど」
「う、うん」
頷きながら、そうだったとサキヤノは一人で納得する——このやりとりは人が違うにしろ二回目だった。
「やっぱり敬語はやめるけどさ、呼び捨てはハードル高いんだよね」
すんなり敬語が崩れる。シンシアはびっくりしたのか、眉を上げるが「それなら構わないわよ」とすぐに微笑んだ。
「ありがとう、シンシアさん」
「良いの良いの、無茶振りしたのはあたしなんだから。そんなことより……ほら、温かいスープを用意したの。これでも飲んで落ち着きましょ」
シンシアはお盆からマグカップを一つ手に取ると、上品に傾けた。サキヤノも頷き、マグカップを掴んでスープを啜る。コンソメのような味が口に広がり、熱いスープが喉を通って身体全体を温めた。
美味い、とサキヤノは感動しながらスープを口に含む。
「お腹は空いてない?」
「今のところは大丈夫」
シンシアがポケットに手を突っ込んですぐ、サキヤノは食い気味に答えた。
シンシアが「そう」と椅子に座り直したところで、静寂が訪れる。互いにスープを飲む音だけを聞き、時間はゆったりと流れた。
この部屋はなんなのか、とサキヤノはマグカップの淵に口をつけたまま監視カメラに視線を移す。無機質なレンズの奥に誰がいるのかは分からないが、見られているなら非常に気になる。
何を思って監視しているのか、何の目的でこの部屋があるのか。
サキヤノは今度はシンシアに視線を落とす。見られていることがバレないよう、細心の注意を払って。
シンシアは相変わらず頬杖をついて、スープを少しずつ口に運んでいた。猫舌なのか、息を吹きかけ、湯気を散らしてから飲んでいる。
——まさか猫舌なんて。
サキヤノはそう思いながらスープを飲み干し、机にマグカップを置く。
飲み終えたサキヤノを見たシンシアは、名残惜しそうにスープを見つつ手を下ろし、口を開いた。
「突然だけど、サキヤノにライノスの現状を教えてあげるわ」
「あ、うん」
突然ではあるが、きっと意味がある話なのだろう。サキヤノはマグカップを眺めるシンシアへ顔を向けた。
「この部屋は一応、他の人に盗み聞かれないようにする部屋よ。一対一で話すには丁度良い場所なの。本当は尋問とか、そういう時に使う部屋なんだけど、内緒ね?」
シンシアはサキヤノの反応を伺いながら、慎重に言葉を紡ぐ。
「それでね、アルカナのことなんだけど……見て分かったかもしれないけど、ここは閉鎖的な国なの。昔の大戦のせいで嫌われてるし魔物も出るしで、外交は聖都だけ」
閉鎖的な国。
アンティークも似たようなことを言っていた。サキヤノもこの建物に着く僅かな間で、この都市の統一感をひしひしと感じていた。
ほとんどの人が軍服を羽織り、それ以外も統一された服装。髪は多色だったが、顔立ちは皆似ていたような気もする。
シンシアは桜色の双眸をサキヤノに向けたまま続けた。
「争いがない国って聞こえるかもしれないけど、アルカナは常に魔物と領土を取り合っているの。魔物は毎日攻めてくるし、他国がここぞとばかりに狙ってくる。土地は肥えてないし荒れ放題だけど、広さがあるから……かしらね」
「閉鎖的だからって、平和じゃないんだね」
「ええ、そうよ。むしろ全方位警戒して休む間もないから、きっと国は大変なんでしょうね」
シンシアは他人事のように呟くと、スープを
「だからアルカナは防衛手段で軍を持つの。……首都のライノスを厳重に守っているだけだから、ライノスの軍と言っても過言じゃないけどね」
シンシアは空になったマグカップを机に置き、サキヤノに身体を寄せる。前傾姿勢で口元に手を添え、シンシアが囁いた。
「まぁ、その軍がね。今は忙しいのよ。正直、聖都に構っていられないくらいね」
「タ、タイミング最悪だったんだ。なんかその、ごめんなさい」
全然、と首を振って彼女は座り直す。
「最近は魔物の襲撃頻度が上がっただけ。確かにライノスに攻め入られるけど、追い返すことには成功してるから……って、ごめんなさい、脱線したわ」
んん、と咳払いするシンシア。
「最近は明らかに攻め方が変わってきてね、一言で言うとやらしいのよ」
「や、やらしいですか」
「性格が悪そうな指揮官の攻め方。まぁ、そんな今回の魔物の親玉はもう分かってるんだけどね?あとはボスを倒せば、ライノスで多発する争いがなくなって、一時の平穏が得られる」
「一時」と強調するシンシアの瞳には諦めの色が浮かんでいた。暗い表情に尻込みし、サキヤノは言葉を選ぶ。
「……でもきっと、簡単にはいかないんですよね?」
「その通りよ」シンシアは小さく唸った。「この話は一旦置いておいて、ここからは貴方の話を聞きたいんだけど、良いかしら」
「も、もちろん」
「まずは……そうね。宿屋で目を覚ましたところから」
「はい」
頷き、サキヤノは自身が起きてから宿屋で起きたことを包み隠さず話した。
ルーの話は端的に、まずは白髪の女性の特徴を伝える。本能で感じた奇妙さと違和感、言いようのない恐怖を感じたとも念のため口にする。
女性は『
——異界人が選ばれる。
それは魅力的な響きだと今なら思える。だが、選ばれるのが良いことなのか悪いことなのかは不明だ。崇高な目的があると語っていた為、人によっては嬉しいことなのだろう。
「……なるほどね。
サキヤノの話を終始無言で聞いていたシンシアが、深く頷く。
「名前は聞いた?」
「いや……」
「せめて名前くらい聞かなきゃ、誰か知ってる人がいるかもしれないでしょ」
「たっ、確かに」
「んもう」シンシアは呆れたように腕を組んだ。「でもまぁ、すごく重要な情報が聞けたから、そんなことは別に良いわ」
「肝心なところで、すみません」
サキヤノが顔を伏せると、シンシアが「拗ねるな、もう」と困ったように言った。
「それにおかげさまで、さっきの話の続きができるわ」
「さっきの……ってのは、魔物の親玉のことで合ってる?」
「そうよ、話を戻すわ」
シンシアは頷き、視線を彷徨わせてから、頬杖をついた。シンシアの端正な顔がサキヤノに向けられる。暫く目を合わせ、サキヤノを見つめていたシンシアは、愉しむように口角を上げた。
気まずさに負けてサキヤノが目を逸らすと、ようやく彼女は口を開いた。
「実はね、魔物の親玉は異界人なの」
「……へ?」
「ね、びっくりでしょ?あたしも初めは耳を疑ったわ」
異界人が魔物を操っているのか、とサキヤノは息を呑んだ。シンシアは冗談を言う女性ではないだろうから、きっと魔物の親玉は異界人に間違いない。アルカナを、ライノスを攻め入る理由は分からないが、異界人が魔物を統治しているとなると、自分にも関係がないとは言い切れない。
もちろん赤の他人の可能性が高い。だが、同じ異界人。それだけでサキヤノの興味は魔物に向いた。
もしかすると、その異界人の特殊能力が魔物に関係するのかもしれない。自身の特殊能力「致命回避」を思い浮かべながら、サキヤノは予想を立てる。
動物の操作。魔物の言葉の使用。強制的な言霊等々——。特殊能力が多数あるなら、当てはまってもおかしくはない。
「あっ」
サキヤノは不意に閃いた。
異界人は弱い。一人じゃきっと、やれることも少ない。手段だって限られる。
なら、集団はどうだろう。人の数だけ作戦があれば、国一つ混乱させるのも不可能ではない。
シンシアがサキヤノの考えを読んだように、意味ありげな笑みを浮かべる。
「その異界人も、
「そう。あり得なくないでしょ?貴方から聞いた感じ、異界人よりも身体能力は高いみたいだから、魔物を統べるのもできそうだし」
シンシアは腰の鞘を鳴らして立ち上がった。
「集団なら、あの周到さと執念深さは納得できるわ。
お礼を添えたシンシアが椅子を整える。
「充分過ぎる収穫よ。お待たせ、早速本部に向かいましょうか」
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