異世界の在り方

第四十一話 単純な言葉



 荷台の中まで聞こえるベルの甲高い音。

 それがライノスに入門する時の合図だった。

 サキヤノはアンティークに促され、窓から外を眺めた。後ろへ過ぎ去る景色は所々に機械が散らばり、地形は荒れている。今まで馬車が揺れなかったのが不思議なくらい、荒れ放題の不整地。

 山一つ越えた聖都とはかけ離れた土地だ。

 汚いでしょ、と呟いたシンシアに首を振り、サキヤノは首を引っ込めた。

 聖都、ヴィリジット王国、シンルナ鉱山、アルカナ王国と旅したサキヤノは、その国々の相違を密かに楽しんでいた。自覚はなかったが、きっと湧き上がる好奇心は期待から生まれているのだろう。緊張し、震えながらもそう思ってしまう自分がいる。


 ——まだ異世界には期待している、ということか。


 サキヤノはファンタジーの憧れを噛み締めつつ、マグカップを床に置いた。

 シンシアに連れられ、サキヤノは荷台から飛び降りる。最後にゲルトルードが降りたのを確認して、シンシアが荷台の幕を下ろした。

 サキヤノは並んだ馬車の最前列へ視線を送る。石の積まれた砦と、横には小屋が一つ。お世辞にも綺麗だと言い難い粗末な造りの門は、ゆっくりと開いていた。ライノスの砦の前には重厚な鎧を着込んだ人物が一人立っており、その人はシンシアを見つけるとすぐに駆けつけ、丁寧なお辞儀をした。

 随分な距離に見えたが、男性は少しも息を乱さずに敬礼をする。


「シンシア副団長、お待ちしておりました」


 「挨拶は良いので早く救護団へ要請を」シンシアがサキヤノに目線を遣る。「対象は聖都からの勅使です」


「……はっ」


 門番はサキヤノを一瞥し、視線を上げてから口籠った。白髪に戸惑っているようだ。

 「彼は勅使です」シンシアは力強く、そして脅すように怒号を飛ばす。「このアルカナ領で負傷されました。聖都はこのアルカナにとって今や欠かせない存在です。彼を見放すことは聖都を見放すことと同等です。さすがの貴方でも、事の重大さは理解できますよね?」


「ええ、もちろんです。承知しました」


 門番は一歩下がって再び敬礼をすると、回れ右をして小屋へと走った。

 歯痒くなるサキヤノに対して、シンシアが鋭い視線を向ける。


「だからって調子に乗らないでよ。貴方は本当に、どうしようもなく弱いんだから」


「うっ、そ、そうですね。心に刻んでおきます……」


「努力はさせてあげるけどね」


「はいっ?」


「……なんでもない」


 シンシアはサキヤノを尻目に馬車へ合図を送った。複数の馬車は開いた砦へ一糸乱れず進行し、あっという間に姿を消す。

 そして砦まで歩くと、白衣を羽織った軍人がサキヤノを待っていた。サキヤノとゲルトルードは回復魔法をかけられてから、ライノスに招かれる。


 ライノスは思っていたよりも現代的だった。聖都は古い街並み、城郭都市は近未来的な建物が多かったからか、一番馴染みのある外観である。

 サキヤノは門の奥に目を向けた。黒や焦茶といった落ち着いた色合いの家が道沿いに並んでいる。複数ある窓、外壁に浮き出たはり、そして奥行きのある家々は、チューダー様式に近い。

 確かに他と比べると自分のいた世界に近いかもしれない、とサキヤノは納得した。アンティークが言っていたこともあながち間違いではないだろう。

 外国の雰囲気を味わいながら、サキヤノはシンシアの後に続いた。後ろを振り返ると、ゲルトルードは物珍しそうに辺りを見渡しており、隣ではアンティークが顔を顰めている。その視線はゲルトルードの腕に注がれていた。


「なんと住みやすそうな国か!」


 ゲルトルードの腕の中では、ヴァレリーが羽角をぴこぴこと動かしている。

 どうやらヴァレリーの甲高い声が気に食わないようだ。はしゃぐヴァレリーを見つめながら、サキヤノは苦笑する。

 そこで、ふとサキヤノは思い出した。


「あの、ちょっと待ってください」


 シンシアを呼び止めてからサキヤノはバッグを漁り、久しぶりに使用する機械を握った。一見するとただの手鏡にしか見えないこの器具。だが持ち手の円筒には赤い突起が一つあり、鈍い光を放っている。

 あれ、とサキヤノは眉を寄せた。前も光っていたかと記憶を探るも、アンティークの急かす声で慌ててボタンを押す。かち、と小気味良い音。次いでランプが点灯し、やがて消えると作動したことをサキヤノに知らせた。


「お待たせしました」


「そんなもの持ってたのかよ」


「はい、ディックさんから預かりました」


 アンティークが興味なさそうに鼻を鳴らし、サキヤノを追い抜いた。シンシアは肩を竦めるも、足は止めたままだった。サキヤノは機械をしまってから首を傾げる。


「どうしたんですか」


「いえ、まず説明しなきゃと思ってね」


 シンシアは街灯のある歩道へ寄ると、サキヤノを手招きした。着いてきたゲルトルードを制止し、アンティークを指差す。


「ゲルトルードはあっち」


「えっ、私アンティークさんと一緒なんですか」


「サキヤノとは込み入った話があるの」


 ゲルトルードは不服そうに眉を寄せるも、渋々アンティークの元へ走っていった。

 シンシアはゲルトルードの背を見送り、溜め息を一つ吐く。疲れてるのかとサキヤノが覗き込むと、彼女は露骨に嫌な顔をした。


「……なに。あたしに熱い視線なんて送らないでよ」


「い、いえいえそんな……」


「ふぅん?言わなかったけど、見られるのは嫌いだからあんまり見つめないでね」


「精進します……?」


「あと敬語。もう要らないわ。使われ過ぎて嫌なのあたし」


 シンシアは髪を掬うと、細い指で軽く払った。一挙一動が麗しいが、見られるのが嫌いならとサキヤノは意図的に下を向く。

 すぐに敬語を止めるのは勇気がいるだろう。注意しなければ。

 そう考えて、サキヤノは既視感を覚える。


「あっ」


 すぐに記憶と合致した。魔術を教えてくれた砂漠の人。忘れていたのが失礼なくらい印象深く、サキヤノが感謝しなければならない男性。

 そしてまた記憶が蘇る。ルーと出会う直前に目眩を起こしたこと、夢で感じた異常な渇きに現実でも襲われたこと。まるでパズルのピースのように、記憶が一つ一つ繋がってゆく。

 あと少しで全て思い出しそうなところで、シンシアが踵を返した。かつん、と響いた靴の音でサキヤノは顔を上げる。


「……じゃあ、まずはサキヤノ」


「はい」


「あの異界人について聞こうかしら?」


 剣の柄に手を添えてシンシアは歩き始めた。アンティークとゲルトルードを追うように、同じ道を進む。


「あ、あの異界人ってのは、宿屋に現れた変な奴のことだよね」


 「幻視他界」で出会った男性に何度も指摘されたからか、敬語はすぐに引っ込んだ。自分でも驚き、サキヤノはあっと口を覆う。案の定シンシアは目を丸めて振り返るが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。


「見直したわ。貴方、敬語じゃない方が素敵よ。ま、今はさておき……ええ、そうよ。どう見ても彼女は異界人だったわ。貴方がどう感じたかは知らないけどね」


「……あの人は、なんか同類って感じはしなかった。なんか、もっと言いようのない……あぁ、そう。たしか彼女は自分のことを……」


「ストップ」


 シンシアは人差し指を口元に当てる。


「誰に聞かれてるか分からないのよ。不用意に話しちゃダメ。もう少しで目的地に着くから、それまで口を閉じていなさい。話しかけたあたしも悪かったわ」


「い、いえ、そんな」


 サキヤノが口を閉じると、シンシアは満足そうに目を細めた。


「勅使の貴方をすぐ本部へ招かないのは良くないけど、少しくらい大丈夫よね。ね?」


「た、多分?」


「ふふ、そうよね、そうよね。貴方が何をしようとも、少し遅れて本部に向かったとしてもきっと大丈夫。何かあれば、あたしがしっかり守るから」


 シンシアは大きく頷き、外套を翻す。そう言った彼女の、今まで見た中で一番無邪気な微笑に、サキヤノはつられて笑顔を溢した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る