幕間 / 第二章-③ 四時間前の会話


 整理整頓が苦手だとカミーユは自覚している。普段寝泊まりする工房には、石英の粉や欠片があちこちに散乱し、布団や服は起きた状態のまま放置されているからだ。洗い物はしているが、片付けをしないが為に積み上がっている食器類。元あった場所に戻すのが面倒で、机の上に投げられた器具類。

 見るに堪えない汚れっぷりだと思う。

 だがこの乱雑さには妙な心地良さがあった。それは既に散らかっているから、もう汚さなくて済む安心感に似ている。

 カミーユは唯一整頓されている棚から座布団を引っ張り出し、椅子の上に置いた。座布団を叩き、


「あー、ここ座ってくれ。他は汚ねえから」


「……はぁ」


 ベルは部屋を見渡すことなく、素直に椅子に座る。指摘するのも億劫おっくうそうな返事だった。

 肩を竦め、カミーユは流し台に紙袋を置く。中から紅茶の袋を取り出し、綺麗な湯呑みを二つ選んだ。お湯を入れて数分待ち、後は飲むだけになったところで自分がもてなす側になっていることに気がつく。


「なんでカミーユが歓迎してんだ」


「……別に」


 ベルは足を組み、一瞥もくれずに言った。

 なんて失礼な奴だとカミーユは握り拳を作るが、目の前の自称仲介屋はどこか遠くを見ており、そもそもカミーユのことは眼中にないようだった。まるで元から無愛想な性格だったと思える自然な表情。


「まぁ良いや。そんなことより、お前紅茶は好きか?」


「好きでも嫌いでもない」


 徹底した素っ気なさにカミーユは口籠る。


 仲介屋は絶対中立と、噂で聞いた内容が現実味を帯びる。中立なら余計な感情はいらないだろうし、双方に愛想を振る舞い、好感度を上げる必要もないだろう。むしろ感情的に動くことが少ないのではないか。

 つまり、出会った時は愛想笑いということ。

 ——いきなり本性見せやがって。

 会話を進める為に騙したのか、とカミーユはベルを睨む。

 ——いや、騙すもクソもないか。

 自分が明るい人間と決めつけただけ。怒るのは自分勝手が過ぎるだろう。嘆息し、カミーユは湯呑みを運んで向かい側に座った。


「アンタいきなり性格変わるのな」


 それでも伝えなければ気が済まなかった。

 ベルはカミーユを流し見つつも、上の空で口を開く。


「信じてもらえるなら、いつでも仮面は被る」


「役者だな?」


「別に」


 仮面か、と目を細めたカミーユには彼が無愛想な仮面を被っているように見える。外で話した時が本当のベルではないのか。そう思えるくらい、笑顔のベルには違和感がなかった。

 今の遠くを見つめる男性には、僅かながら違和感を感じる。じっと見据え、カミーユはベルの表情に細心の注意を払った。


「じゃ、紅茶飲んでみろよ。美味いぞ」


「後で良い」


「この紅茶は母さんの大好きな品種だけど、一つのメーカーからしか出てねえの。だから取り扱いが少なくて珍しいんだよ」


「へぇ」


「そんな珍しいものを飲めるなんて、お前は幸せモンだな。これでお前もリピーターになってくれるんなら、もっと出荷数が増えるだろうに」


「まぁ」


 やっぱりな、とカミーユは口角を上げた。一言一言は単調でも、話すたびに眉を寄せる仕草が気になる。一見すると面倒くさそうに話しているが、おそらく無表情が苦手でりきむのだろう。


 ——全て直感だが、職人の直感は結構当たるんだぜ?


「……お前表情隠すの下手だなぁ」


 突然の指摘にベルは片眉を上げ、室内で初めて目を合わせた。だがすぐに視線を落としてしまう。


「藪から棒に何を言って……」


「言わせてもらうぜ?お前、実は会話が苦手なんだろ。そんなに人と話すのが怖いのか?ん?ん?」


 目を合わせない。単調な返事。

 感情を見せない為ではなく、会話を避けるような態度だと考えたら分かりやすい。

 案の定、ベルは予想通り呟いた。


「そうだよ、会話は好きじゃない。一番の理由としてはすぐ顔に出るから。変に表情を見せると、この業界はやっていけない」


 カミーユはここでようやく彼を仲介屋と信じた。

 たしかにフレンドリーで中立には向いていないかもしれないが、人間味があるのは良いことだ。むしろ感情を捨てるなんて無意味なことをしないのは素晴らしい。

 若いながらに苦労しているのだろう、と二十代前半のカミーユはしみじみ思う。


「そりゃカミーユみたいな素人にバレちゃ、溜まったもんじゃねえよな」


「……だから顔を隠すフードがある」


 俄然気に入った、とカミーユは相合そうごうを崩す。


「そうかそうか、お前可愛い奴だなぁ」


「ほっとけ」


 ベルが滑らかにマントを羽織り、フードを被ろうとした。あっ、と声を上げたカミーユは勢いよく立ち上がってフードを被ろうとした手を掴む。


「カミーユは目を見て話さない奴が大嫌いだって言ったよな」


「じゃあ俺も言ったよな。変に表情を見せちゃ駄目だって」


 互いに引かず、カミーユとベルは睨み合った。ベルの力は意外と強く、かたくなにフードを被ろうとして微動だにしない。それどころか、徐々にフードが顔にかかってゆく。このままでは押し負けるとカミーユが舌打ちをしたところで、「熱っ!?」と不意にベルが叫んだ。

 見ると、机の上の湯呑みが二つとも倒れていた。湯呑みに入っていた紅茶が、ベルの大腿部ふとももを濡らしている。沸騰して間もない湯を使った液体が、だ。

 先程自分が立った衝撃でこぼれたに違いない。張り合っている今も紅茶はベルの足を濡らしている。


「す、すまん!」


 カミーユは手を離し、部屋の隅から持ってきたタオルで慌ててベルの足に当てる。


「自分でやるから大丈夫」


「いやいや、そんなわけには……って熱っ!」


 机から滴る紅茶に一方的に激怒し、カミーユは机を蹴ろうとする。しかし製作途中の燭台があるのを見て我に返り、ゆっくりと片足で机をずらした。


「火傷してないか!?」


 カミーユはぐいぐいとベルのマントを引っ張る。ベルは椅子から転げ落ち、悲鳴を上げた。


「ちょっ、おい!どさくさに紛れてマントを取るな!馬鹿、やめろ!自分でやる!」


「そんな場合じゃねえだろ!」


「な、慣れてるから大丈夫だ。自分でやる!」


「大丈夫ってアホか!」


「やめっ……ちょっちょっ触るな馬鹿!どこ触ってんだよ!」


 ベルはカミーユからタオルを奪い取ると、即座に距離をとった。濡れた足を拭きながら、さりげなくフードで顔を隠す。


「俺はもう良いから、早く机を拭いてくれ」


「…………分かった。火傷してないかだけ確認しろよ」


 カミーユは口を尖らせつつも、再度タオルを手にした。それから机を拭き、カミーユは黙って机上を片付ける。湯呑みを流し台に戻して新たに紅茶を淹れ直そうと紙袋に手を突っ込んだ。もったいないと思いつつ、計四つの袋をゴミ箱に捨てる。

 全部自分のせいだとしても辛いものは辛い。



 カミーユが新たな湯呑みを机に置き、座るまでベルも口を開かなかった。マントの件は結局ベルが折れ、部屋の隅に干すことができた。

 幸い火傷もしていないらしい。本人が気を遣っている可能性があるが、また不毛な言い合いをしたくなかった。こちらはカミーユが折れて冷水の袋を渡すだけで終わる。



 仕切り直し、カミーユから話を振ることにした。


「それより聞きたいことってなんだよ」


 ベルは何事もなかったように、澄まし顔で紅茶を一口すすった。


「カミーユは知ってる?ヘルマス山の言い伝え」


 ヘルマス山。

 意外な単語に、カミーユは口笛を鳴らす。

 それはアルカナとは別大陸にある活火山の名前だ。火口から流れる炎の色が特殊だと聞くが、アルカナ王国にいる者はほとんど存在を知らないだろう。

 一部の人間しか知らないような山でも、カミーユにとっては大切な山だ。特に言い伝えとなると、ベルは山の事情を知って聞いているに違いない。

 湯呑みを握り締め、カミーユは目を吊り上げた。


「あれか?古い書物に載ってる武器のことか」


「そう。察しが良いな」


「……そりゃラーク家が代々仕えてきた王様の領地だぜ?知らねえわけがねえ。いくら養子でも知ってるよ」


 ラーク家は別大陸から移住してきたと両親に聞いた。昔はヘルマス山のある王国に勤めていた王宮鍛治師だったが、ある事件をきっかけにライノスへ移住したらしい。この辺りは両親も詳しくなく、カミーユ自身も詳細には興味がなかった。

 だが、ヘルマス山の「弓」については耳にタコができる程聞いた。ラーク家の造った家宝であり、王国に忠誠を誓った証拠の武器。遥か昔の大陸の王名を継いだ、一級品の武器。

 それがヘルマス山にあると言い伝えられているのは知っていた。そして言い伝えが本当だということも知っている。だからカミーユは、ベルが言いたいことがなんとなく分かってしまった。

 ベルは湯呑みを机に置き、カミーユに真剣な眼差しを向ける。


「詳しく教えてくれないか」


 やっぱり、とカミーユは空を仰ぐ。

 自身をラーク家と特定しての質問なら、それしかないだろう。

 話したくはない。話したくはないが、彼には言っても良いと思った。きっと悪用はしないだろう。

 頭を掻き、カミーユは頬杖をついた。


「かったい奴。あーあー、楽しくねえなー。会った時みたいに話せねえと、楽しくねえなー」


「……いきなりなんだよ。俺はそもそも楽しさを求めていない」


「じゃ、アンタが外で話したみたいに愛想振りまいてくれるなら質問に答えてやるよ」


 えっ、とここ一番に動揺するベル。

 しかし、


「…………はぁ、分かったよ。さっきの妥協は一体なんだったんだ」


 目を伏せてから、彼は渋々同意した。


「やりぃ!話せば分かるじゃねえか!」


「はいはい。俺はもう話が聞ければ良いから、早く教えてほしいんだけどなー」


「おっ、そうか。でも詳しく知りたいって言われても場所は教えねーぞ?」


「それは別に良いよ。それより特徴とかが知りたいな」


 カミーユは紅茶をあおる。口の中を充分に湿らたせた方が話しやすいからだ。


「しゃーねーなぁ。熱烈なアピールに負けたぜ……名前はあえて伏せるが良いか?」


「熱烈なアピールしたら場所を教えくれるって本当?」


「何言ってんだバーカ。一言も言ってねえし、会話のキャッチボールにもなってねえぞ」


 調子狂うな、とカミーユは再び紅茶を口に含んだ。だが、冗談を冗談で返されるのも悪くはない。こうやってふざけ合うのも中々楽しいではないか。

 ふふふ、とカミーユはわざとらしく笑みを溢す。そして若干引き気味のベルを見つつ目を細めた。


「ヘルマス山はラーク家の庭だって、小さい時父さんから聞いた。そこに弓があることも言ってたから、言い伝えは本当だ」


 ベルは頷きながら、湯呑みを握り締めている。

 真剣さがひしひしと伝わってくる。


「マグマのように赤く、炎を司る神聖な弓だ。取り扱いは難しいが、使いこなせればすげー強え。抽象的にしか言えねえけど、すげー強えらしい。ま、何が強いかは具体的には知らねえけど」


 一通り伝えて、カミーユは一気に紅茶を流し込んだ。


「他には?」


「申し訳ないが、これ以上はちょっと。正直言うと、カミーユも詳しくねえんだよ。多分もう少しでかくなったら本格的に教えてもらえるだろうな」


 簡単なことしか教えてもらえないのは、こうやって自分が他人に話すことを見抜かれているのだろう。

 ——さすが父さんだぜ。


 カミーユがにやりと笑ったその時、どこかで轟音が鳴り響いた。

 地面から振動が伝わり、机に置いていた鉱物と器具が音を立てる。揺れを感じたカミーユは湯呑みを置き、またかと呟いた。


「今のってなに?」


 ベルは初めてライノスに来たらしい。

 カミーユは頷き、


「ああ……最近魔物が活発化しててな、時折場所を絞ってめてくるんだよ。音的に、多分軍の基地がある側だな」


「……それって不味いんじゃないの?」


 そうだな、とカミーユはもう一度深く頷いた。

 アルカナ王国で一番上の者は軍の司令官だ。国の在り方、国の進む道を決める最高司令。その軍部の中心がライノスであり、轟音が響いた軍基地である。


「カミーユ達職人には関係ねえ。また勝手に討伐してくれるだろ。それより魔物だよ。こんなに頭が良くなったから、ありゃ絶対統率者がいるね」


「……大変だね?」


「お前もな」


 ベルは困ったように笑って立ち上がった。


「帰るのか?」


「うん、大体のことは分かったから。教えてくれてありがとね」


「早いな?」


「まぁ、ゆっくりする意味もな……ああ、ごめんごめん。ゆっくりする時間ももったいないからね」


 カミーユが睨むと、彼は慌てて言い直した。すぐに視線を逸らし、まだ濡れているマントを羽織る。


「お礼に良いこと教えてあげる」


 思いついたように、ベルが人差し指を立てた。


「お前がお礼?できるのか?」


「もちろん。……この紅茶、アイスティーにした方が絶対美味しいよ。あと一杯一袋だと苦いから、大きめのティーポットでも買って、複数回に分けて飲んでも良いかもね」


 じゃあ、とベルは別れを告げると惜しむことなく外へ飛び出した。

 嵐のように過ぎた青年に、カミーユは小さく笑う。少し名残惜しいが、仲介屋は忙しいのだろう。

 カミーユは互いが飲み切った湯呑みを手に取ると、流し場まで運んだ。全て飲んでくれたのは意外だったし、まさかアドバイスがもらえるなんて思ってもいなかった。


「アイスティーだと美味いって本当かよ」


 捨て台詞のようなベルのアドバイスがふと気になる。カミーユは訝しみつつも、最後の一袋を開封した。湯呑みではなくガラスのコップに水を注ぎ、すぐにあおる。


「……いや、全然味ねえじゃん」


 いまいち美味しさは分からなかった。もしかしたら作り方が違うのかもしれない。次会ったら、アイスティーの美味しい飲み方でも教えてもらおう。

 もう二度と会わないかもと考えながら流し台を片付け、カミーユは机に向き直った。

 気分転換は存分にできた。後は完成させるだけと、製作途中の燭台を手にとる。余分に石が割れてしまっているが、まだ手直しはきくだろう。

 床に放置されたピックを拾い上げ、カミーユは今日も製作にいそしむ。


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