幕間 / 第二章-② 五時間前の邂逅


 鍛冶屋を営むカミーユは自身の待遇に不満がある。

 カミーユは石英の加工方法を知る、ライノス有数の鍛治職人の家系に育てられた。子宝に恵まれなかった両親が養子に引き入れたことで、カミーユは軍の徴兵を受けずに実家を継ぐことになる。女性で、かつ養子の立場で軍に入隊しないのは卑怯だと恨み辛みをぶつけられたのは数知れず。

 しかし養子にして幸いにも才能が開花し、カミーユはその界隈では名の知れた鍛治職人となった。軍部に顔が利くようになると、カミーユを馬鹿にした周りの人間は手のひらを返してゴマを擦る。頭をへこへこ下げて機嫌をとる。

 ——アルカナでは、ある程度軍部に貢献したとみなされると推薦手帳というものがもらえた。推薦手帳は会計のタイミングで見せた時に、問答無用で値段を下げてくれる便利な代物だ。

 だが、カミーユはこれが不満だった。

 自分だけ特別と思わせるような物が跳梁ちょうりょうする世の中が、心の底から嫌だった。


 そんなある日のこと。

 カミーユはいつものように石英を砕いていた。両親が自分の為に作ってくれた工房は、かまどと木造家具しかない小さなものだが、とても落ち着く場所だ。

 がち、と鉱物が斜めに劈開へきかいした。ようやく割れたかと断面を見ると、自身が思っているよりも割れており、カミーユは小さく叫んだ。

 ——集中力が切れているか。

 溜め息を吐きながら手のピックを床に置き、カミーユは椅子に腰掛けた。手のひらサイズの石英を机の上に置き、隅々まで眺める。

 数ヶ月前に頼まれた石英製の燭台は大台に乗っていた。思っている以上に形が複雑で、片手間に作っていたらつい時間が経ってしまった。いや、経ち過ぎてしまった。

 依頼されてすぐ作成は難しいと判断したカミーユは、依頼人に伝えていた。これは時間掛かりますよ、と。だが有り難いことに依頼人は「武器の恩があるからいつでも良いよ」と言ってくれた。

 うん、つい甘えてしまった。いや、こちらも甘え過ぎてしまった。

 「丁寧だけど仕上げるのは遅い」。

 何度もそう言われ、否定してきたが、もう言い逃れできないレベルだ。

 そもそも依頼されたものを片手間に作る、というのがおかしいだろカミーユ。たしかに自分は「鍛治職人」で武器を作るのが本来の仕事だ。だが、好きで家具や装飾品の加工を仕事にさせてもらっている。

 ——だけど。

 カミーユは机の上に積まれた依頼書を流し見る。

 依頼の武器をやまほど作った。

 依頼の防具をたくさん作った。

 依頼の小物をちょっぴり作った。

 それでも、仕事は山積みにある。そのせいで最もカミーユが心躍る陶芸品造りは手がつけられなくなってしまった。


「……って、そのせいでなんて失礼過ぎるぜ、カミーユ!」


 仕事がたくさんある=幸せ。

 そう教えられてきたではないか。

 頭を抱え、カミーユは背凭れに体重を預ける。ぼーっと天井を見上げてから、多忙のカミーユは勢いよく立ち上がった。

 完全に集中力が切れた。

 出かけよう、とカミーユは石英の破片を部屋の隅に寄せる。気分転換でもしないとやる気が起こらない。

 カミーユは散らばった荷物の中から黒の鞄を拾い上げると、肩に掛けて外に飛び出した。路地裏の工房から南へ真っ直ぐ進み、ライノスで一番大きな通りに出る。

 石英で舗装された道を踏みしめ、カミーユは出店で紅茶を五袋買った。無論、推薦手帳は出さずに。

 母が熱狂的にハマっていた、ベルガモットという果実を使った珍しいお茶。カミーユは紙袋の中身を確認し、工房まで寄り道せずに帰ろうとした。

 そこで興味深い話が耳に入る。


「流行り病がライノス近くで出現したらしいわよ」


 カミーユは思わず足を止めた。

 国内で「死の病」が流行っていたのはシンルナ鉱山だけだったはず、と疑問に思ったカミーユは井戸端会議に聞き耳を立てる。


「流行り病?あの帝国で広まった病気のこと?」


「えぇ、そうよ。とうとうライノスでも出たってウチの旦那が言ってたわ」


「貴方の旦那様、たしか軍の幹部よね?なんでそんな話聞けたの?」


「忙しいはずよね?」


「実は、あと少しで娘の子供が産まれるのよー。だから旦那が半日だけ帰ってきてくれたの!」


「まぁ!」


「おめでたいわね」


「娘さん、愛されてるねぇ」


 そんな話はどうでも良い。早く病について話してくれないだろうか。

 イライラしながらカミーユが数分粘ると、ようやく話が戻った。


「それはそうと、流行り病は北門で生まれたみたいよ。一応閉鎖して、詳しく調べる予定なんですって」


「あの病気って調べられるの?」


「死の病って呼ばれてるんでしょ?」


「さぁ、詳しくは分からないけど」


 そこから先は脱線して死の病については一切触れられなかった。カミーユは溜め息を吐き、夫婦の集団から離れた。

 北門なら工房からそんなに遠くはない。だがあちらの門は客人や商人専用だから、他の出入り口に比べると利用回数は少ない。不幸中の幸いか、とカミーユは足を速めた。

 世間は、病が出現したという言い回しを好む。病気を「出現する」だとか「生まれる」だとか、言い方に違和感を持たないのだろう。聞いていて違和感がある人の方が少ないのだろうか。

 くだらないことを考えていたカミーユは、不意に足を止める。

 後ろから足音が離れない、とカミーユは背後へ視線を送った。大通りだからか、怪しい人物は分からない。女性の集団を抜いた後からずっと聞こえた足音は、カミーユが歩くスピードを変えてもぴったりと着いてきていた。

 追っかけか、とカミーユは首を鳴らす。

 正直面倒くさい。

 工房に入られても盗られても困るものはないか、と楽観的に考えてカミーユは口笛を鳴らして路地裏に差し掛かった。

 足音はまだ着いてくる。着いてくる分には構わないが、止まると同じように止まって歩幅を合わせてくるのは腹立たしい。

 カミーユが苛立ち始めたところで、


「ねぇ、職人さん」


 と、工房まであと少しだったがとうとう声を掛けられた。

 カミーユは冷静に分析する。

 追っかけではなく依頼人なのかもしれない。追っかけなら気づかれないようにするから、声を掛ける愚行をするはずもない。

 もしくは、ただの一般人。職人さんと呼ぶのを鑑みるに、その可能性は極めて低いが、足音や気配は自身の勘違いで——。

 馬鹿馬鹿しいとカミーユは嘆息し、振り返った。直感で動く自分が頭で考えるのは、はっきり言って時間の無駄だろう。


「は?」


 後ろを見たカミーユは素の声を漏らす。

 いかにも怪しい人物。全身黒ずくめで、深く被ったフードで顔さえ見えない。顔の確認のしようがない。依頼人かどうか、見分けることもできない。

 普通の人間なら恐怖に震え、逃げ出してしまうだろう。だがカミーユは、


「なんだお前」


 恐怖より怒りがまさり、軽蔑の眼差しを向けた。

 人を呼んでおいて顔を見せないとは、なんたる礼儀知らずな奴か。そもそも素性を隠す奴と話をする馬鹿がいるか。

 不満を滲ませたカミーユが睨みつけていると、黒マントの人物は身体を傾けた。まるでお辞儀のように。


「俺は仲介屋。いきなり声掛けてごめんね、聞きたいことがあるんだけど、今良いかな」


「お、おぉ……じゃなくて」


 実際にお辞儀だったらしい。意外とフレンドリーな挨拶につい頷きかけるが、カミーユは慌てて首を振った。

 それよりも、黒マントが言った単語だ。カミーユは眉をしかめ、記憶を探る。

 『仲介屋』は噂で聞いたことがあった。その名の通り、表の世界と裏の世界を行き来する仲介人。ある人は金さえ貰えれば暗殺者になり得る存在と話し、ある人は絶対的な中立で誰よりも信頼できる存在と話していた。

 だが実際に見たという話は聞いたことがなく、半信半疑の人が多数だろう。仲介屋の全貌は、何も分かっていない。組織として動いているのか、個人として勝手に名乗っているかも明かされていない。

 こんなに信用できない奴があるか、とカミーユは目を逸らした。


「カミーユは暇じゃない」


「職人さん、カミーユって名前なんだ」


「悪いか?」


「いや、確認しただけ」


 カミーユが一歩下がると、向こうは一歩進む。黒マントは慣れているのか、落ち着いた声で戸惑いは見せない。

 ——このまま喋っていても埒があかないだろう。

 カミーユは困り果てて頭を掻いた。


「そんなことより、えーっと仲介屋だっけ?カミーユは仲介屋なんての知らねえし、知り合いもいねえ。実在していることさえ疑ってるんだ。どうせ噂が一人歩きしてるよーなもんなんだろ?」


「……へぇ」


「話したかったら証拠を出してみろ、証拠を」


 そう言ったが、証拠を出せるとは微塵も思っていなかった。

 もし証明書があっても、本物とは信じられない。勝手に作っているだけだと一蹴すれば終わりだ。国からの公的な書状を持っていたら不味いが、非公式の仲介屋に渡すはずがない。

 案の定、黒マントは困ったように腕を組んだ。マントからようやく見えた腕は黒のロング手袋で包まれていた。指は角張っており、声と合わせて男性だとカミーユは断定する。


「んー、証拠ねえ」


 フードが右に傾く。首を傾げているようだ。

 ほら見ろ、とカミーユが不敵に頬を緩めると、黒マントは指を顎に添えた。


「……カミーユ・ラーク。二十四歳だが、徴兵はされていない鍛治職人さん。ラーク家の跡取り娘として招かれ、才能で職人に成り上がった珍しい経歴をもってる。性格はいい加減で男勝りだけど、仕事になると信じられないくらいのセンスを発揮するようだね。だけど『丁寧だけど仕上げるのは遅い』ともっぱらの評判さ。両親とは仲が良く、お得意様もいて仕事は安定極まりないから羨ましいよ。ちなみに、趣味はぬいぐるみの服を——」


「ちょぉおおお!?まっ、待て待て待て待てっ!なんでそんな声デケえんだ!」


 徐々に声を張り、男性は「ちなみに」から大音量で続けた。カミーユは衝動的に男性の口に手を当てる。ばちんっ、と予想以上に大きい音。つい力が入ってしまったが後悔はない。

 男性はカミーユの手を掴みながら、


「だって疑われてるんだろ?なら信じてもらう為に……」


「プライバシーってのがあるんだよ!てかそんな情報誰が喋った!?だ、大体合ってるのが余計に気持ち悪ィ!」


「落ち着けって」


「どっ、どの口が言うか!それに……あーっと、つ、掴むな気持ち悪ィ!」


 カミーユは怒りと恥に震え、手を振り払った。

 情報量の多さに不覚にも動揺してしまった。カミーユは経歴を晒しているが、年齢や仕事の詳細は伏せている。それをごく自然に、当たり前のように話す黒マントは気持ち悪い。個人情報が筒抜けというのも気分が悪い。

 カミーユが後退って三回目の気持ち悪いを告げると、黒マントはがっくしと項垂れた。


「なんなんだよお前……そんなんなら仲介屋というより情報屋じゃねえか」


 言うや否や、黒マントはいきなり背筋を伸ばす。カミーユが驚いて二、三歩下がると、黒マントは距離を詰めてきた。


「ちょっ、近え!」


「情報屋なんてとんでもない。あんなのより危険な橋を渡ってるんだよ、仲介屋は。たしかにあいつらは中立だが、手は出さないだろ?」


 黒マントの顔が初めて視界に入る。思った通り、顔は若々しい。フードの影に隠れてまだ見えにくいが、唯一見えた夕焼け色の瞳は彼の見た目にそぐわないほど美しかった。

 黒マントがカミーユを指差し、カミーユの視線は指先に移る。


「目立たず裏切りやすい情報屋か、派手に動いて裏切りにくい仲介屋か。頼りになるのは明確だよね?俺は心底どうでも良いけど嫌がる奴もいるから、あんまり言わない方が良いよ、それ」


「それってのは仲介屋を情報屋と呼ぶことか?」


「そうそう」


「まっ、それで信じるってのも難しいよな」


「えー」


 カミーユは黒マントの胸を押し、目線を外した。頭に手を置いたまま「じゃあ」と続ける。


「……そのマント脱げ」


「えっ?」


「マントを脱げ」


「……えっ?」


「だーかーらー!……そのマント脱いで顔見せろ。嫌ならフードだけでも外せ。カミーユは人の目を見て話さない奴が大っ嫌いなんだ」


「あ、ああ。そういうこと……」


「誤解すんじゃねえぞ。言い方は悪かったが、カミーユはアンタの身体にこれっぽっちも興味はねえ」


「だ、大丈夫。そういう趣味だってこと、俺の情報に上書きしておくね」


「何が大丈夫だ!誤解してんじゃねえか!」


 冗談だよ、と男性はまずフードをとった。漆黒の髪が陽光で反射する。肩まで無造作に伸びた髪は男性にしては長い。

 脱いだマントを右腕にかけ、青年は口角を上げた。


「これで満足?」


 青年の服は黒で統一された非常にシンプルなものだったが、左目の上の切り傷、服から覗く素肌の火傷痕と生々しい傷が多い。目に見えるだけでも相当で、仲介屋は名ばかりではないのだとカミーユは思った。


 死線を越えてきたのが素人目でも分かる。


 カミーユが言葉を失っていると、青年が眉を下げた。


「……や、やっぱりそういう趣味あるのか」


「だっ、だからねえよ馬鹿!!黙ってついてこいっ」


 頭に血が上り、カミーユは顔を真っ赤にして叫んだ。くるっと背を向け、大股で工房まで戻る。頼んだからか、青年は工房に着くまで一言も話さなかった。意外と律儀な人物らしい。

 一分もかからずに到着し、カミーユは工房の扉に手を掛けたところで振り返った。


「お前、名前は?」


「名前なんてないよ」


「なんて呼べば良い?」


「仲介屋」


「なんて呼べば良い?」


「だから……」


「なんて呼べば良い?」


「…………ベル」


 押し勝ち、カミーユは得意げに笑う。


「ベルか。なかなか可愛い名前じゃねえか」


 仲介屋ことベルの不服そうな表情を尻目に、カミーユは工房の扉を開けた。


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