第四十話 寄り道を終えて
宿屋に戻って数分後、シンシアが出発の準備が完了したと知らせに来た。サキヤノが元いた部屋よりもひとまわり広い部屋には、もう外の騒ぎは聞こえてこない。たった数分で村民を落ち着かせ、村を出る準備を終わらせたシンシアの手腕は相当なものだろう。
壊れた窓について尋ねると、修理代は別に構わないとのことだった。一応宿屋を出る直前に主人らしき男性に謝罪をするが、真剣に受け取ってもらえなかった。
それは自分が勅使以前に異界人だからだろう。分かってはいるが、当たりがキツイのには慣れない。
外に出ると村民は誰もいなかった。不自然過ぎる静けさ。だが鋭い視線が全身に突き刺さっている為、見られていることは明確である。居心地の悪さを感じながら、サキヤノは村の外で待機していた馬車に乗り込む。今度はサキヤノ、ゲルトルード、ヴァレリー、シンシア、アンティークで同じ荷台に乗った。
出発するよ、と
その荷台の中では外を見たり寝転がったり、各々が自由に過ごしていた。しかし誰もが静寂を貫いている。とても静かだ。
サキヤノは頭の整理に
馬車に乗るまで、サキヤノはゲルトルードの魔法についてずっと考えていた。シンシアが気にする程のゲルトルードの魔法。共鳴魔法。分かっているのは魔法を使う際、髪の色が変わること。おそらく髪色によって種類が異なるのだろう。見た目の変化がない魔法もあるかもしれないが、とりあえず変わった時を思い出してみる。
まず、初めて見た時。
あの時はゲルトルードに言われた通り、自分が真っ先に依頼した。回りくどいことをさせたゲルトルードいわく「サキヤノに頼まれた感じだとやる気が出る」だとか。
とても嬉しかったのはさておき、今はゲルトルードの魔法について考えねばならない。サキヤノは脱線した思考を正常なレールに乗せる。
カスカータとウォン、双方を止めた魔法。当時は見間違えかと思ったが、数回見て確信した。火花が散り、赤くなっていたのは間違いない。
なら赤い髪の時の効果は「動きを止める」だろう。興奮していた二人を怪我なく収められるくらいの魔法。だが、放った言葉を忘れてしまったのが惜しい。本人に聞くべきかも迷う。
そこで隣からマグカップが回ってきた。見ると、空色のカップを差し出したゲルトルード以外が飲み物を啜っている。
「シンシアさんからです」
「あ、ありがとう」
受け取り、サキヤノは何も考えずに液体を口に含んだ。フレッシュな香りと口当たり。紅茶みたいな味。中々美味い。
さすがに語彙力のない感想を口にはできず、サキヤノは無言でお茶を飲んだ。さて、と一息吐いてからサキヤノはまた考えごとに
次に見たのはアンティークに殴られた時。あの時の髪はおそらく山吹色。完全に変化する前に静止したから予想でしかないが、通常のクリーム色が濃くなったのは覚えている。
そして山吹色の髪の効果は分からない。状況を思い出すに、攻撃系だろうか。
三回目はつい先程、『
「サキヤノ」
切りの良いところで、誰かに名を呼ばれる。皆が一言も発さない中、シンシアが沈黙を破った。
「……さっきの。詳細はライノスに着いて治療してから聞くわ。あたしは怪我人を尋問する程、野暮な人間ではないから」
そうか、とサキヤノは唸った。ここはアルカナの領地で、自身は勅使という立場。やはり報告が必要なのだろう。
「で、とりあえず元気なのよね?」
「不思議ですけれど」
「痛みは?」
「痛み、はあります。それよりこの怪我ってどこで……」
「覚えてないの?」
シンシアは目を丸める。
個人的には気になって仕方がない。鈍痛の発生源である胸から腹までの包帯を確認し、サキヤノはお茶を
「な、なんでしょう?」
彼女はサキヤノを半目で見るなり、眉根を寄せた。
「貴方少し気味が悪いわね……異界人でしょ?死にかけたのに二日弱で動けるなんて、とてもじゃないけど信じられない。生命力ゴキブリなみじゃないの」
「ぶっ!!な、なんですか、それ」
シンシアから予想外の言葉が飛び出し、サキヤノはお茶を吹き出した。早速冷たい視線が注がれ、慌てて口を拭く。
シンシアが困惑したように微笑んだ。
「あら、ゴキブリって言うのは昆虫よ。イメージとしては汚いところに住んでいて、動きが素早くて、結構嫌がられてる虫。でも昔から人間を翻弄し続ける、生命力の強い生き物よね」
「それくらい知ってますよ……」
異界人にも通じるのねぇ、とシンシアはしみじみ呟いた。年齢を感じる言い方にサキヤノはつい笑いを溢す。
「あんまり嬉しくないなぁ、って思ったんです」
「でもゴキ……」
「も、もうやめてください」突然ゲルトルードがシンシアの言葉を遮った。「私その響き大っ嫌いなんです……」
意外。
サキヤノとシンシアはおそらく同時に思った。
ゲルトルードは膝を抱き、恥ずかしそうに顔を背ける。
「私、虫とか本当に嫌いで。あの足の多さと嫌悪感いっぱいのフォルム……それに羽音と言い、なんにも良いとこないんですよ」
「そんなことないわよ?知ってると思うけど、非常食として食べるくらい重宝できるのよ、虫って。それに食べると意外に美味しいんだからっ」
ひく、とゲルトルードの顔が引き攣る。
「あ、うぅぅ。シンシアさん、それはないです。寄生虫いっぱいなのに食べるなんてできないです。ゴ……を、はい食べれないです」
「んー、いけないことないわよ?」
「な、ななないです!なし寄りのなしです!論外です!」
首をぶんぶん振り、全力で否定するゲルトルード。虫は嫌いではないが、サキヤノはゲルトルードに全力で同意する。ゴキブリを食べる奇行を認めるわけにはいかない。
不満げなシンシアが口を尖らせた。その隣でアンティークが笑いを堪えている。
「ぶっ、くく……!言っとくがこいつの胃袋は強靭だぞ。それに、ふふっ、究極の味オンチだから、なんでも食べちまうぜ……くくくっ」
所々で笑いを漏らしながらアンティークが言った。
強靭過ぎる。寄生虫をも寄せつけない鋼の胃袋か、とサキヤノがごくりと生唾を飲み込むと、シンシアの肘鉄がアンティークに炸裂した。
「図星だからって、力込め過ぎだろ……馬鹿力か?」
「今悪口言った?」
「ははは、記憶にございませーん」
更にエルボー。
ヴァレリーが「くかか」と器用に翼を叩く。ゲルトルードが「まぁ」と、語尾にハートがつきそうなくらいの満面の笑みで手を合わせる。
一体ゲルトルードは何を考えているのか。思いつつも、嬉しそうな彼女を見るとサキヤノも嬉しくなる。
その間にも、シンシアがアンティークの胸ぐらを掴んだ。怒りか恥じらいか、耳まで真っ赤になっている。
「貴方ねぇ、私が文句言えないからって調子乗らないでよ」
「充分文句言ってるぜ?」
「な、な、んもう!」
常に深刻に言い争う二人しか見ていないから、中々新鮮な光景だった。喧嘩する程仲が良いと言えるくらい、楽しそうだ。
微笑ましい光景に頬が緩む。サキヤノ達が二人のやりとりを見守っていると、急にシンシアが振り向いた。
「何よその顔は」
シンシアの目線はゲルトルードへ、サキヤノもつられて彼女を見る。
「いえいえ、私達のことはお気になさらず」
ゲルトルードは声を弾ませ、重ねた両手を胸元に添えた。心底嬉しそうな、そして心底楽しそうな表情。
ハッとしたシンシアがアンティークを押した。転がるアンティークから離れ、荷台の端までシンシアは移動する。何かまずいことでもあったのかと焦るが、シンシアとゲルトルードの悟った顔を見る限り、まずい事情ではないらしい。
「おっ」
不意にヴァレリーが声をあげた。ほとんど同じタイミングで、前方からベルの音が響く。
「着いたわね」いまだ荷台の端で小さくなるシンシアが言った。「ようこそ、ライノスへ」
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