第三十七話 変化の足音



 ゲルトルードは孤独だった。

 友達や恋人のような存在は元々いないし、自身の故郷に思い入れはない。家族という中途半端なしがらみもない。言葉や行動は制限されず、毎日自分自身の好きなことができた。

 それはとても楽だった。何も考えずに欲望のまま過ごす日々は楽しく、何より自由だった。唯一信頼できる兄はいたが、彼はゲルトルードの意思を一番に尊重してくれていた。時折会って、触れ合って、満足したら終わり。兄がいると嬉しいが、いなくても困ることはなかった。

 だから、孤独は自由なのだとゲルトルードは昔から信じて止まなかった。

 しかし思いのまま村を飛び出し、外の世界を見ようとしたのは失敗だったと言える。自分のミスで捕まり、時間を無駄にしてしまったのは今でも悔いている。

 ——いや、やはり飛び出したのは正解かもしれない。

 孤独に生きる自分の前に現れた、サキヤノという異界人。彼は異質だった。異界人特有の不思議な素材の服を着て、白髪を隠しもしていなかったからだ。

 異界人という存在は噂で知っていたが、見たのは初めてだった。未知の存在であり、どんな言葉を喋るのか好奇心が湧くと共に、自身の自由を脅かす存在ではないかと警戒した。

 だが彼は鏡に驚き、普通の人のように喋っていた。異界人という名前でも普通と変わらない雰囲気が、何故だかとても嬉しかった。緊張して、苦手な敬語を使い続けてしまうくらい。

 それから、寂しいって言って近寄ってくれたのも。

 ——本当に嬉しかったんですよ。


「……だから、早く元気になってくださいね」


 ゲルトルードはサキヤノの寝顔を見ながら、忙しく過ぎた昨日を思い出す。

 シンルナ鉱山では、岩は見立て通り一日で除去された。匿ってくれたミリ達鍛治職人にお礼を言い、足止めを喰らっていた馬車へ戻ると、その後は魔物に襲われることなくスムーズに出発ができた。

 だが、商人と鍛治職人の中には重傷者を治す程の回復魔法を使える者、医療に通ずる者はおらず、結局サキヤノには応急処置しか施せなかった。貴重な薬をミリのおかげで簡単に集められたのは幸運だったが。

 今は商品を卸す為、首都手前の村に止まっている。荷台で怪我人を待たせるのはいかがなものかという商人の計らいで、ゲルトルード達は数時間を宿で過ごすことになった。

 ゲルトルードは首を回し、宿屋の一室を見渡した。こじんまりとしているが、その小ささが心地良い。最低限の家具も好印象である。

 

「こんな良い宿屋さんなんですよ。たった数時間なのに、幸せ者ですね」


 宿屋に運ばれたのは、おそらくサキヤノが聖都の勅使であることも関係しているだろう。自傷したとは言え、「アルカナ王国に行ったら怪我しました」なんて言いにくいにも程がある。

 ゲルトルードは膝の上で眠るヴァレリーを撫で、サキヤノの髪にも手を伸ばした。眠っているなら、少しくらい撫でてもバレないだろう。むしろ人肌が安心するかもしれない。

 ゲルトルードは自分を正当化してからサキヤノの髪に触れた。ふわりと癖毛の感触。寝癖のように前髪が跳ねているのが、少年みたいで可愛らしい。

 サキヤノは庇護欲がそそられる男性だった。自分が守ってあげたいと思うのは初めてで、ゲルトルードは慣れない感情がくすぐったかった。

 しかしすぐに首を振る。

 ——私ったら、偉そうに何考えてるのかしら。

 ゲルトルードがサキヤノの頭から手を離すと、シーツに皺が寄り、彼は微かに身体を揺らした。今日初めての、自立した反応。

 ゲルトルードは上半身を起こし、サキヤノが目を覚ますことを願った。起きたら、まずはおはようございますを言って、抱き締めよう。きっと嫌がるだろうけど、それは照れ隠しだって自分には分かる。

 逸る気持ちを抑えきれず、ゲルトルードはサキヤノが目を覚ますのを切望する——が、彼が身体を動かしたのは一瞬で、それっきり微動だにしなかった。また静かな寝息が戻ると、ゲルトルードはベッドに頬杖をついて口を尖らせた。


「……はぁ」


「貴方、余程気になるのね」


「ひゃあ!」


 ゲルトルードの後ろから、艶やかな女性の声が降った。ゲルトルードは身体を竦め、ベッドから離れて振り返る。


「……シ、シンシアさん……」


「そんなに驚かなくても良いじゃない」


 外套を脱ぎ、タイトな軍服で身を包んだシンシアは苦笑した。ゲルトルードは壁時計で時間を確認すると長い針が十二を、短い針がちょうど三を指しているところだった。

 この村に着いて、もう三時間が経過していたらしい。一時間ごとにサキヤノの様子を見にくると言ったシンシアとは、三回目の対面だった。


「さ、どいて。呼吸は安定してるけど、いつ状態が悪くなるか分かんないんだから」


 シンシアはサキヤノを処置してくれた、いわば命の恩人だ。何もできなかったゲルトルードにとって、今の彼女は輝いて見える。

 ゲルトルードは眠るヴァレリーを抱えて立ち上がり、静かに彼らを見守った。シンシアは手際良くサキヤノの脈を取り、初めの二回よりも見知けんちを早く終わらせた。


「もう良いんですか?」


「……えぇ。それより、貴方と話したくてね」


 シンシアは備え付けのオットマンチェアを二つ引くと、ゲルトルードに座るよう促した。サキヤノが変わりないのが分かったところで、ゲルトルードは椅子の一つに腰掛ける。シンシアも座り、足を組んでゲルトルードと向き合った。


「私にお話ってなんですか?」


「その前に、お腹空いてない?」


 シンシアはズボンのポケットから棒状の非常食を取り出し、無造作に差し出した。空腹ではあるがあまり食べる気にはなれず、ゲルトルードは首を振る。

 「そう」向きを持ち替え、シンシアは非常食の袋を破った。「なら単刀直入に聞くけれど、貴方何者?」


「何者とは?」


「魔法使いとしての役職を教えなさい。これは貴方達がアルカナ王国へ入国した時の手数料よ」


「……随分お安いんですね」


 ゲルトルードは目を伏せ、言葉を選ぶ。

 「魔法使いとしての役職」とは、一つの魔法を極めた者が名乗る名称だ。世界が勝手に分類しているだけだが、一言で表すことのできる役職は使い勝手が良く、現役の魔法使いが名乗るくらい当然のように浸透している。ただ、シンシアやアンティークのように接近戦を得意とし、補助として魔法を使う者に「魔法使いとしての役職」はない。戦士や騎士のような、一般的な呼び名はあるかもしれないが。

 ゲルトルードも「共鳴師」を名乗っていた。これは共鳴魔法が得意な、自身の故郷で呼ばれた役職。他にも、炎を操る「火炎魔導師」、幻を操る「幻影魔導師」などが存在する。何故かは知らないが、使い手の多い魔法は「魔導師」と呼ばれ、逆に少ない魔法は「術師」と分類される。

 何故わざわざ聞くのか、とゲルトルードは怪訝に思った。別にどんな魔法が使えようが、彼女には関係ないだろうに。

 シンシアは非常食を頬張りながらも、ゲルトルードから目を離さなかった。瞬き一つしない様は、ゲルトルードの一挙一動を見逃さないと言わんばかりの圧力だった。

 言いたくない。けど、言わなきゃ。

 ゲルトルードは葛藤しつつ、嘘偽りのない答えを返す。


「私は共鳴師です。まだ未熟ですが、共鳴魔法が使えます」


 言うと、シンシアは驚くことなく頷いた。


「……やっぱりね。そうだと思っていたのよ」


 むしろ予想していたように呟き、彼女は非常食を全て口の中に放った。シンシアは話を続ける為か、それをすぐに飲み込んで腕を組む。


 「これは独り言なのだけど」シンシアはようやく目を離し、窓の外を眺めた。「私、昔は朔方さくほう部隊に所属していたの」

 ゲルトルードはシンシアの口から飛び出した、予想外の聞き慣れた単語に耳を疑う。

 朔方部隊と言えば、世界に「魔女狩り」や「異端者狩り」を広めた残酷非道な集団だ。知らない人はほぼいないのではないかと思うくらい、悪名高い。

 単語は知っていたが、アルカナ王国が有していたのは初耳だった。


「生きる為には仕方ないって、いろんな人を殺めてきた。むしろ、生き残る為には当然……とまで思っていたかしら」


 シンシアは明後日の方向を見たまま話続ける。

 どうしてこんな暗い話をいきなりするのか。別に自分が過去を聞いたわけではない。自分が共鳴師と名乗った直後に——。

 そこまで考えて、シンシアの言いたいことに気づいた。ゲルトルードが身体を揺らすと、シンシアは静かに嘆息する。きっと彼女も自分が予想したと悟ったのだろう。だが、シンシアは躊躇しながらも重い口を開いた。


「だからあたし……」


「もう良いです」


 ゲルトルードはシンシアの告白を遮る。しかし尚も話を続けようとするシンシアへ、ゲルトルードは語調を強めて言った。


「シンシアさんが自分に気を遣っていた理由が分かっただけ満足です。それに私は何も気にしてません、私に関係はないですから」


 彼女が自分に謝罪したいことは、共鳴師の同類を手にかけたことだろう。共鳴師は北方の大陸に住む少数民族。辺境に住み、特殊な魔法を使う自分達は世界の人間には恐怖の対象となる。昔の迫害で、人数はとても減った——と、兄から聞いたことがある。

 たが、そのことを自分に謝るのはお門違いだろう。実際自分は記憶でしか知らず、影響はないにも等しいのだから謝罪を受け取るわけにはいかない。

 聡明なシンシアは意味がないとわかっているはずだ。それでも言おうとしたのは自分にバレた時の保険か、もしくは罪悪感からか。

 シンシアは「そう」と力なく呟いて、腕に爪を立てる。微かに震える指先を見て、ゲルトルードはシンシアが後悔しているのだと信じた。


「そんなことより、もっと楽しいお話しませんか?例えば……そう、シンシアさんとアンティークさんの馴れ初めとか」


 「そんなことよりって」シンシアは会話の途中で困ったように言うが、アンティークの名前を出した途端、下げていた眉をきっと吊り上げた。


「なんでそんなの必要なのよ」


「私が聞きたいんです。だってあだ名で呼ぶくらい仲良しなんでしょ?ならお付き合いしてるのかなぁって思いまして」


「な、なん……っ」


 シンシアはわなわなと唇を震わせ、茶色の髪を弄りだす。そこには高圧的な彼女の姿はなかった。顔を真っ赤にして目を逸らす姿が、まるで乙女のように見える。

 ゲルトルードはシンシアの意外な表情に目を輝かせ、そっと椅子を近づけた。ゲルトルードの期待を膨らませた笑顔に押され、シンシアが口を尖らせる。


「……アイツとは腐れ縁なの。ただ同期なだけで、それ以上の関係じゃないわ」


「そうなんですか?」


「そうなのよっ」


 シンシアは椅子の音を響かせて勢いよく立ち上がると、そそくさと扉に向かった。


「どこ行かれるんですか?」


「……持ち場に戻るわ。サキヤノの安否は確認できたし」


「もう行かれるんですか?」


「長居し過ぎたくらいよ。……誰かさんのせいで緊張感が薄れちゃった、最悪よ」


 辛辣な言葉に対して、彼女の口調は穏やかだった。彼女の心の声もまた、開放感のある満足したものが頭に届く。

 ゲルトルードが手を振ると、シンシアは肩を竦めて部屋を去った。

 静寂が訪れ、ゲルトルードは歌を口ずさみながら、シンシアが出してくれたオットマンチェアを片付ける。うるさくしてしまった分、今度は静かに家具を定位置に戻した。

 ふと窓の外を見遣ると、木々が踊るように揺れていた。心地良さそうな風が吹いている。

 そうだ、換気。

 ゲルトルードは思いつきで窓を上にスライドさせ、部屋の中に風を満たした。新鮮な空気が行き渡り、悦に入ったゲルトルードはサキヤノの側で膝をつく。

 彼はまだ眠っていた。


「サキヤノさん……シンシアさんは、良い人みたいです」


 聞こえてないだろうが伝えたくなる。早く謙虚な彼の落ち着いた声を聞きたい。

 ゲルトルードが布団に顔を埋めてサキヤノの顔を眺めていると、不意にこんこん、と二度ノック音が響いた。

 シンシアが戻ってきたのだろうか。だがシンシアはノックをしない。なら、アンティークだろうか。もしくは宿屋の主人か。

 ゲルトルードは首を傾げつつ「どうぞ」と扉の向こう側に声を掛けた。

 すると扉はゆっくりと開き、廊下から見たことのない人物が顔を見せた。ゲルトルードはその人の髪に目を奪われ、驚愕の表情を浮かべる。


「こんにちは。異界人に用があって来ました」


 腰まで伸びた髪は、雪のように白い。その髪に負けじと肌は色白で、身につけている服も純白。長い睫毛の下には、金眼が怪しく煌めいている。

 全身白に統一された女性は、動けないゲルトルードを一瞥し、すんなり入室した。


「誰ですか?」


「ワタシはこの村に住む異界人ですよ」


 ゲルトルードの質問に重ね気味に答える女性。まるで何を聞かれるか、分かっていたような回答の速さ。

 得体の知れない恐怖が頭に言い聞かせる。この人を、追い出せと。


「ライノスに着いてからまた寄るので、会うのはその時にしてくれませんか」


 ゲルトルードは膝を伸ばし、女性に足を踏み出した直後、サキヤノが唸った。

 ハッとして振り返ると、サキヤノが瞼を持ち上げ、天井を見上げているところだった。薄目で目を覚ましたか判断し辛いが、ゲルトルードはなりふり構わず彼の手を握る。


「サキヤノさん!」


 名前を呼ぶと、サキヤノは目を見開いた。琥珀の瞳を揺らした彼はゲルトルードに顔を向け、


「……ルー?」


 と、囁くように言った。


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