第三十三話 他力本願
「使わせてあげる、って言っても教えるだけで使えるかどうかは君次第なんだよねー」
男性は和服の袖に手を突っ込み、親指大の宝石を取り出した。角ばっていて、黄金色。地下室で見た、ショーケースの中の宝石にそっくりである。
宝石を手のひらに乗せた男性は、次いで逆の袖から長い棒を取り出した。それは濁った茶色の石が先端についており、不自然に湾曲した形状をしている。杖だろうか、とサキヤノは思った。
サキヤノが見ていることを確認して、男性は宝石と棒を擦り合わせる。すると簡単に石は割れ、中からビー玉くらいの大きさの球体が数個転がり出た。宝石と同じく黄金で、小さいながらに神秘的な美しさをもっている。
男性はその内の一つをつまみ、サキヤノに差し出した。
「はい、これ」
「えっ、と?」
「食べて」
「えぇ……って痛い、痛いです」
「はやく手を出して」
男性に頬にめり込む勢いで球体を押しつけられ、サキヤノは渋々受け取る。
球体は軽く、見た目通りビー玉のようだ。サキヤノは指でつまみ、キラキラと輝く球体を隅から隅まで眺めた。
「これは食べ物なんですか?」
「ん?これは毒だよ」
「……えっ!?」
サキヤノは慌てて球体を手放す。球体は真っ逆さまに落下し、砂に触れた瞬間、音もなく霧散した。
「あーあー、勿体ない」
「いや毒渡すとかやめて……!心臓にめちゃくちゃ悪いって」
渡した男性を睨み、サキヤノは手のひらを擦る。毒を軽々他人に渡すなんて正気じゃない。これで聞かずに食べたらどうなっていたか。
死ぬんだぞ、とサキヤノは跳ねる心臓を押さえる。だが男性はサキヤノに一切顔を向けず、球体の落ちた地面をじっと見つめているようだった。男性が顔を上げた。砂嵐に隠れた目は、どこを向いているか分からない。
「もー、やめてよね貴重な宝石なんだから」
「だって毒なら……触ったら死ぬじゃん」
「それでも、君は人に渡されたものをそんな簡単に落としちゃうの?」
うっ、とサキヤノは言葉に詰まる。
ぐうの音も出ない。
「しょうがないなぁ」男性は再度球体をつまみ、サキヤノの手のひらに無理やり握らせた。「はい、仕方ないからもう一個あげる」
「だからこれは毒なんで——」
「人の話は最後まで聞いて」
睨まれた気がして、サキヤノは背筋を伸ばした。手のひらにある球体の感触。これを毒だと思うと汗が滲んだ。それでも文句は言わず、サキヤノは黙って男性を待つ。
ようやく男性は口元に笑みを浮かべた。
「ほら、持ってるだけなら問題ないんだよ」
ね?とまた首を傾げる男性。
サキヤノがとりあえず頷くと、男性は満足そうに宝石を指差した。
「これは毒だ。でも君はこれを食べることで魔術が使えるようになるんだよ」
「こ、こんなので、ですか?」
「失礼だなぁ。でも、まぁその通り」
サキヤノはゆっくり指を開いた。黄金の球体は、手のひらで静かに寝ている。この綺麗で儚い宝石が、魔術を使えるようになるものなんて信じられない。更に毒だと言う。
サキヤノは分かりきったことを聞いた。
「これって食べなきゃ……駄目なんですか」
「敬語」
「……こ、これを食べないと魔術は使えないんだよね?」
「その通り」
「でもこれって、毒なんだよな……?」
「その通り」
矛盾している。
毒は食べれない。食べたら死ぬ。でも食べないと、魔術は使えない。
肩を落とすも、サキヤノは唐突に閃いた。
まだ希望はある。
「な、なあ!これって致死性の毒じゃないよな!?」
「致死性です」
おかしいだろ、の不満は口から出てこなかった。サキヤノは持ち上げた腰を落として、手のひらの球体を見つめた。
こんな小さな物体を食べるだけで魔術が使えるようになる。過程はとても簡単だ、苦労はしない。だけど結果は最悪だ。致死性の毒なら、異界人と呼ばれる脆い自分に耐えられるはずがない。魔術が使えるようになった瞬間、死んでしまう。
たった数秒の夢と栄光の為に命を捨てる程、馬鹿じゃない。死ぬくらいなら、魔術は使えなくても良いから生きていたい。
「自分の身が可愛いかい?」
ふと、男性が呟いた。
サキヤノは顔を上げる。砂嵐がかかっていても、男性の視線を感じた。
「それも良いと思うよ。それが人間。それが当たり前。もし君が望んでここに来たとしても、必ず魔術を使えるようになる必要はないでしょ?」
必ず、魔術を——。
サキヤノは目を伏せる。
おかしい。おかしい、おかしい。なんでここに来たのかなんて、自分が一番分かっているだろう?
強くなるって、ルーと約束したじゃないか。
覚えてなくても、約束を交わしたじゃないか。
自分が魔術を使えるようになったら、とサキヤノは未来の自身を想像する。
ゲルトルードもヴァレリーも、シンシアもアンティークも、ディックもモニカも、みんな喜んでくれるだろう。少なくとも足手まといと思わないだろう。
俺なんかが、ようやく役に立てる。
守れるかもしれない。
「これを食べれば、何か変われますか」
「何?」
「俺は何か変われます——何か変われるかな」
敬語が不満なのか、男性の声は低かった。
サキヤノが言い直すと、見慣れた笑顔が口に貼りつく。
「ん?具体的にどうぞ?」
「……お、俺は弱虫なんだ。それに、弱くて足手まといで、今も守ってもらうことしかできてない。でも魔術を使えたら……逆に守れるかな」
まただ、とサキヤノは心の中で呟いた。
ゲルトルードの時と同じで、自分で決断することを避けている。相手の意見を聞いて、その通りに決めようとしている。
——なんて、ずるい。
サキヤノが肩を震わせた時、男性は思いがけないことを言った。
「さぁ。それは君次第だろ?僕に聞かれても困る」
え、とサキヤノは動揺した。
「考え過ぎだよね、君。もっと自分に正直になりなよ」
反応を待たず、次の言葉。
自分で決めろなんてそんな、と迷いながらサキヤノは俯く。自分の意見を言うと拒否され、周りに合わせないと駄目だと悟った学生時代。中学に形成された人格を変えられぬまま高校に突入し、暗い性格で過ごした自分。
そんな過去があるからこそ、自分の決断は大きな壁だった。それが今後に関わるものなら、尚更厚くて高い壁。
どうする、とサキヤノは唸った。
同時に思い出してもいた。
「俺って、選択できてるのか……」
誰かに意見を仰いだ。誰かに決めてもらった。だけど異世界は、それだけじゃ簡単には生きられなかった。
その中で自分を信じて、決めたことがある。
その事実がある。
——————それなら。
サキヤノは迷う心で決断した。
「これを食べれば、強くなれるんだよな」
サキヤノは男性に話しかけるのではなく、自分に言い聞かせるように言った。
不思議と家族にしか見せない自分が戻ってきていた。柔らかくない口調。強くないくせに強気な口調。
「これは、だ、誰かを守れる魔術なんだよな」
そのまま男性に尋ねる。
男性は足を伸ばしていたが、サキヤノが聞くとあぐらを組み直して微笑んだ。
「愚問だね。なんで僕が君にどうでも良い魔術を貸すわけ?せっかくだから、君に貸す魔術は僕の中で最高傑作のものにしてあげたよ」
ふふふ、と男性は得意げに鼻を鳴らした。
「それは守れるどころか、君の道を阻む障害だって押しのけるさ」
サキヤノは球体をつまんで口に近づける。
毒だという現実が頭から離れないからか、身体から腕、そして指を伝って球体は震えていた。
口元まで運んで、ピタリと静止する。
「…………」
「無理はしちゃダメだよ」
「じゃ、じゃあ」
「ん?」
「か、噛んで良い?」
「それは飲み込むものだ」
サキヤノは頷き、震えで球体が落ちないように強くつまんでから口に放り投げた。舌で舐めることはせず、薬のように一気に飲み込む。飲んだ球体が喉を通る感覚を味わいながら、サキヤノは目を閉じた。
覚悟して数秒。毒ってどのタイミングで溶けるんだ、と不安が駆け上がった。すぐじゃないならそれはそれで怖い。すぐなら飲んだ意味がない。
恐る恐る目を開けると、目の前で腕を組んでうんうんと縦に首を振る男性の姿があった。緩んだ口元、揺れる首巻き、ばさばさと砂を巻き上げる外套が忙しない。
「……毒っていつ溶けるの?」
サキヤノは薄氷を踏む思いで聞いてみる。
男性は顎に手を添え、
「嘘だよ。毒なんて飲ませるわけないさ。僕は君の覚悟を試しただけだよ」
と、すんなり言った。
「ま、じかぁ……」
サキヤノは唖然としたが、心底安堵して砂の上に寝転がった。
毒じゃないなら、魔術が使えるようになった素晴らしい結果ではないか。サキヤノはすぐに身体を起こし、男性に詰め寄った。
「えっと、魔法ってどう使えば!?」
「おーおー、落ち着けよ」男性はサキヤノの肩を叩いた。「魔法じゃなくて魔術だからね?」
「お、おぉ」
「魔術はねえ、呪文があるんだよ。それを唱えることが発動条件。発動条件なだけだから、そこから色々やることもあるんだけど……」
男性はそこで口を閉じる。
不自然に口元を歪めてから、頬を掻いて、
「理屈なんてどうでも良いや。とりあえず呪文を唱えたら使えるから。期待してるよ」
「その呪文を教えてくれ!」
「あっはっはっはっ」
わざとらしい笑い声を大袈裟に上げながら、男性は袖に両手を差し込む。そして
「ちょっ、あの」
何か気に障ったのだろうか。
サキヤノは呼び止める為、足に力を入れるが上手く立つことができなかった。
「あぶっ」
口に砂が入る。
じゃり、と不快な食感に顔を顰めながらも、サキヤノはなんとなく別れ際だと悟った。自分は、もう目醒めるのだと直感していた。
呪文も聞いていない。
名前も聞いていない。
お礼も言えてない。
でも、きっと時間がない。
なんとか顔だけを起こし、もう会えないかもしれない男性にサキヤノは声を張った。
「ありがとうございます!!あの、せめて名前を——!!」
男性の首巻きと外套が砂嵐で
帽子が飛ばないように押さえながら、男性は振り返った。
「それ、聞く意味ある?」
出会い頭と同じく、穏やかな声と言葉。
強風でも男性の声ははっきりと聞き取れた。それこそ、頭の中に直接聞こえるように響いている。
「君なら、呪文はなんとなく分かるはずだ」男性は振り向いたまま、口元に笑顔を浮かべた。「あんまり夢に潜り過ぎるなよ、帰れなくなっちゃうよ?」
景色が吸い込まれるように収縮してゆく。
視界が狭まる。
地面が、空が消失する。
「待っ————!」
またしても暗闇に投げ出される感覚。
最後に見えたのは、砂嵐が晴れ、琥珀の双眸を細めた男性の手を振る姿だった。
*****
床が冷たい。全身が冷たい。
指に力を入れると、熱が身体中を駆け巡る。
息を吸う。
砂の重さは、もう感じない。
「……ノ……キヤノ、サキヤノ!」
身体が温まるのを感じながら、サキヤノは目を開けた。青銅色の天井と、朧げな光を放つ蝋燭が並んだ壁が飛び込んでくる。蝋燭に照らされた、少女の顔も見えた。
「サキヤノ?」
本当、ゲルトルードにそっくりだ。
サキヤノは上半身だけ起こして、右側の抜けた空間に視線を移す。砂に覆われた床と、真ん中から伸びるショーケース。その中には、反射して見えない黄金色の宝石が——。
「どうだった?」
サキヤノはハッとして、頭を回転させる。
あの宝石に触って、自分は誰かと会った。それは覚えてる。魔法を習得する、という目的も達成したのは分かる。
「なんか……あんまり覚えてない……」
しかし記憶は曖昧だった。
所々印象的なことは覚えているが、細かいところは覚えていない。まるで夢みたいだ、とサキヤノは目を擦った。
——だけど、以前見ていた悪夢よりはずっとマシで綺麗な夢だった。
「でも魔法……いや、魔術は使えるようになったはず。まだ実用できないし何にも分かんないけど、ちょっとだけ自信がついた……かな?」
ルーは小さく頷いた。
大人びた満足そうな表情にどきりとし、サキヤノは「あっ、それと」と気持ちを逸らす為に話を拡張しようとする。
「それ以上は言わなくても分かるよ」だがルーはサキヤノの口に人差し指を近づけた。言葉通りサキヤノが口を閉じると、彼女は階段に足を掛けた。「じゃ、次行こっか」
「次って?」
「ふふ」
ルーは腕を組んで、階段を上った。立ち上がったサキヤノより高い位置で止まると、半回転して身体を前のめりにする。
「次は『向き合う』だよ。あぁ、でも——今のサキヤノを見ると、もしかして先に自分と向き合ったのかな?」
んー、と口元に手を添えるルー。
「まぁ良いよ。次も『強くなる』とほぼ変わらない場所だもの」
約束は守ってね、と一言呟いたルーはサキヤノを置いて階段を上っていった。
今度はどんな場所だろうか。夢にしろ夢じゃないにしろ、いろんな景色が見るのは素直に嬉しくなる。
不思議な体験に胸を躍らせながら、サキヤノは慌てて彼女の後を追った。
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