第三十二話 一つ目の約束



 闇夜の世界。

 光り輝く満天の星に見下ろされながら、サキヤノは砂漠に座っていた。見渡す限りの砂の絨毯と呻き声にも聞こえる微風は、サキヤノの記憶にある砂漠とは似て非なるものに見える。

 最もその印象を結論づけたのは、凍えるような寒さ。サキヤノは灼熱の太陽の暑さを払拭するような正反対の寒気に身震いする。

 遥か遠くの星に手を伸ばしながら、サキヤノはゆっくりと立ち上がった。


 ——探し物を、していた気がする。


 きっと星ではない。

 だけど、星みたいに輝く「何か」。

 手を下ろし、サキヤノは夜の砂漠を歩いた。

 暫く無心で足を動かしていると、砂に足をとられて派手に転んだ。寒さを忘れて無我夢中に進んだからか、乾燥した服は汚れ、靴に入り込む砂は重い。

 転倒した不快感でやっと頭が働いた。

 探し物なんて元々ないのでは、と疑念が過ぎる。砂漠に行った記憶は全くないのに、どうして自分には探し物という目的があるのだろう。

 サキヤノは無意味な前進に疲れて、また砂漠に座った。後ろを振り返ると、見えない場所まで自分の足跡が続いていた。長距離を歩いたはずなのに、景色は全く変わっていない。

 両手をついて、サキヤノは溜め息を吐いた。

 あっという間に歩く気が削がれて無気力になる。「なんで俺は歩いていたのかな」と自問自答している途中で、そもそも砂漠にいる理由がないことに気づいた。


「……あっ」


 そうか、夢か。

 今と同じように、砂漠を歩く夢を見たことある気がする。こんなに快適ではなかった気もするが。

 動く気力をなくしたサキヤノは、ふと何かの音を聞いた。耳を澄ますと、その音は次第に近づいてきている。

 砂を踏む足音と気づいた時には、音の発生源はサキヤノの隣でぴたりと止まった。サキヤノが視線を上げると、顔に砂嵐のかかった男性が立っていた。鍔の大きな帽子、所々破れた外套から覗く和服はさながら風来坊のようである。

 顔の見えない男性の、僅かに見える口元が歪んだ。


「どなたですか?」


 サキヤノは自分でも驚くほど冷静に、男性に尋ねる。

 男性はキョロキョロと首を振った後「あっ僕か」と言って己を指差した。聞き取りやすい、穏やかな声だった。


「それ、聞く意味ある?」


 しかし飛び出したのは辛辣な言葉。

 男性は和服の裾を畳み、自然な動きでサキヤノの隣に腰を下ろした。足を前方に放り出して、男性は続ける。


「誰でも良いんじゃない?別に僕が誰だろうか、君には関係のない話でしょ」


 ね?と首を傾ける男性。耳たぶの小さな宝石が揺れたのを横目に、サキヤノは男性から顔を逸らす。

 見覚えのない人が出るなんて、変わった夢だとサキヤノは俯瞰していた。

 大体夢を見る時は、結構理想的なシチュエーションになる。それは相手や自分が思い通りに動いたり、望んだ流れに乗っかったりして楽しいものだ。「関係ない」と心に刺さるような、現実的な台詞はあまり聞かない。むしろ鮮明に聴こえて覚えているのが辛い。

 サキヤノは消えない男性を流し見て「おかしいな」と唸った。場所と登場人物の違和感は、夢ではあまり感じないはずなのに。

 ああ、でも。夢自体に違和感があるような——。


「夢じゃないよー」


「はいっ?」


「突然だけど君に聞きたいことがあるんだよね」


「……ゆ、夢じゃないんですか」


「君に聞きたいことがあるんだよねー」


「じゃ、じゃあ現実?」


「君に聞きたいことがあるんだよねー」


 サキヤノは耳を疑った。

 夢じゃないと断言されたのはもちろんだが、自分の言葉を全て無視されたことも驚いた。

 どう反応すれば良いのか。

 サキヤノは真新しい人種に混乱しつつも、しっかりと分析をした。

 一つ、男性は自分の言葉が聞こえていない可能性。これは初めの質問で「関係ない」と言われたから、確率はほぼゼロ。二つ、自分の声が小さい可能性。これは孤独な空間でも声が響いたから、確率はゼロに近い。

 「つまり男性は自分の言葉を聞こえていながら無視をしている」とサキヤノはどうでも良い分析を終わらせた。自分で考えてなんだが、なんて無意味なんだろう。

 悲しくなって、サキヤノはとりあえず頷いた。

 自分が男性の質問を無視する理由はない。やけになっても、無視の真似は駄目だろう。


 男性の砂嵐が揺らぎ、口元が引き締められる。

 

「どうやってここに来た?」


 どうやって?

 本人が言った通り、突然過ぎる質問。それは自分が聞きたいと反論しようとした瞬間、ばちん、と頭の中で何かが弾けた。

 同時にルーと一緒に草原を歩き、地下室で宝石に触れた映像が流れ込んできた。


「…………ぉ」


 ————思い出した、とサキヤノは目を開く。

 魔法を習得する為に、ガラスのショーケースに触ったのだった。

 何故その過程でこの景色を見ているかは分からないが、何か意味があるのだろう。そしてこの男性が自分の前に現れたのも、きっと意味があるに違いない。

 サキヤノは男性が魔法を習得する上で関係すると察して、薄ら笑いを浮かべる男性を見据えた。


「俺、ここには魔法を習得しに来たんです」


「へぇ」


「だから、えっと、なんて言えば良いんですかね。えーっと、教えていただけませんか?」

 

「僕、敬語は嫌いなんだよね」


 男性はあぐらを組み、その上に頬杖をついた。斜め下から自分を見上げているのだが、その目は見えない。

 男性の背丈は高い。声はそんなに低くない。しゃがれてもないが、年齢は分からない。見た目は昔の人のように見えるが、なんとなく二十代くらいだとサキヤノは思った。

 確実に年上だろう。サキヤノにとって、明らかな年上に敬語を崩すのは至難の業だった。

 サキヤノは口籠もり、やっとのことで口を開く。


「魔法を教えてほしいんだけど、良いかな」


 一言だけでも緊張した。相手の反応が気になり、薄目で隣を見る。

 男性は丸めていた背中を伸ばした。


 「うんうん、言えるじゃないか。良いよ」満足そうに頷きながら、サキヤノへ答えを返す男性。「で、教えてほしい魔法ってどれ?」


「えっ、種類があるんですか?」


「……」


「……しゅ、種類があるなんて聞いてないけど」


「誰から聞いたの?」


 話が進まない会話に、サキヤノは唸る。

 脱線に脱線を重ねると、本題を後回しにして結局忘れてしまった中学時代を思い出した。


「そんなことより早く教えてくれ。俺は早く魔法が使いたいんだ」


 悩みに悩んで、サキヤノは本音を搾り出す。思ったよりも強い口調になり、慌てて口を塞いだが、それは言葉を出し切った後だった。

 「はは、ごめんって。本題は忘れてないよ」男性は満足そうに続ける。「で、君が求めるのは魔法なんだよね?」


「……うん」


「じゃあ無理」


 男性はにかりと歯を見せた。

 サキヤノは予想外の返答に固まり、首を傾げる。

 魔法は無理だと言い切った男性。

 つまりこの人は、自分がここにいる理由とは関係ないのだろうか。そもそも「魔法が習得できる」とルーが言ったのは嘘だったのか。

 と、そこまで考えてサキヤノは首を振った。

 そんなわけがないだろう、清斗。ルーが自分の為に案内してくれたんだから、勝手に嘘つきと呼ぶのは最低だぞ。阿呆だ、馬鹿だ。

 もっと考えるべきだ。

 男性は習得するのを魔法と確認した上で「無理」と言っていた。なら、他のものなら手に入れることができるはずだろう。遠回しに、男性はそう言ったはずだ。

 なにも確信できないまま、サキヤノは男性に向き直る。


「だったら、俺が使えるものを教えてほしい」


 男性は指を鳴らした。


「ところで君、食いしん坊?」


「はい?」


 話の急カーブにサキヤノは耳を疑った。

 サキヤノが話を振ると、受け取ってもらえずに別の話が飛んでくる。会話のキャッチボールができないとは、こういう状況かと若干苛立ちながら、サキヤノは眉を寄せた。

 男性のペースはまるで台風である。

 いつ変な話題を振られるか分からず、いつ答えが戻ってくるかも分からない。なんて気まぐれで、勝手なんだろうか。

 初対面でイライラしてすみません、と心の中で歯軋りしてサキヤノは言った。


「別にそんなに食いしん坊じゃないですけど……じゃないけど、食べるのは好きだよ」


「じゃあもっと無理」


「……だったら俺なんかでも、使えるものを教えてよ」


「潔い!」


 あはは、と心底楽しそうに笑う男性。

 俺は楽しくないぞ、とサキヤノが男性を睨むと、すぐに笑うのをやめて姿勢を整える。


「じゃ、冗談はこの辺にして本題に入ろうか」


 男性はそう言ったが、サキヤノはあまり信用していなかった。疑いの目を向けていると、男性の口元が引き締まり、サキヤノは肩を揺らす。

 口元だけで、真剣な表情だと分かった。

 空気が変わったのを肌で感じる。


「異界人は魔法が使えない。使えるのは魔術と呼ばれる、魔法とはまた別のものだよ」


「魔術?」


 男性は口元に笑みを戻してから頷いた。


「魔法については詳しく知ってる?」


「ええと、まぁ、そこはかとなく」


 漫画やゲームでいっぱい見たから、は呑み込む。だが答えてから、もしかしたら自分の知っている魔法とは違うかもしれないと不安になった。説明を省かれると、ここから先の話が理解できなくなるのではないか。

 しかし、不安は無用だった。


「簡単に言うと魔法は偶発的に、魔術は人工的に生まれるものなんだ。超自然現象の魔法を操るか、自分で編み出すかの違いだね」


 男性は丁寧に説明してくれた。


 「魔法はこの世界で生まれないと使えないんだよ。例外もあるけど、魔法を知らない異界人には使えない。つまり君も使えない。なら使うなら……魔術、だよね?君が求めるのは魔法じゃなくて魔法だよね?」男性はまた頬杖をついた。「ここまで理解した?」


「お、おぉ」


「魔術は生み手の工夫と才能によって性能が左右される。そして生み出した本人にしか使えないんだよー」


「じゃあ——」


「自分じゃ使えない、って思った?」


 サキヤノが言葉を出すより早く、男性が続ける。サキヤノは素直に頷いた。


「魔術をつくるのは本当に大変なんだよ。だけど似たものを教えたり、複製したりはできる。まぁ、さっきの言い方は語弊があったね。本人の許可が得られれば、魔術は使えるのさ」


 男性はふぅ、と息を吐く。

 真面目に話してくれたのが意外で、サキヤノは聞き入っていた。

 とても為になり、今後も使えそうな知識。


 男性は不意に背中を伸ばし、歯を見せた。


「つまり何が言いたいかっていうと、君は僕の汗と努力の結晶……を使えるってわけ」


「えっ!ほんとですか!?」


「そうだよ、感謝しなさい」


「はい、ありがとうございます!」


 「まぁ、感謝なんていらないさ」男性はすぐに否定し、サキヤノに近寄った。「君は異界人だけど魔術は使えるようになる。君には、僕の魔術を使う素質がある。適性もある。権利もある。資格もある。魅力もある。活用できる精神力がある。発展させる可能性もある……そして何より、臆病な心がある」


 男性は胸に突いた親指を、とんとんと二回叩く。

 サキヤノはたくさん褒められた気がして身を引いた。初対面の人でも「魅力がある」なんて言われたら、嬉しくてたまらない。


「でも才能はない」


 断言する男性。


「それに食いしん坊じゃなけりゃ、使いづらいかなぁー」


 男性は悩むように腕を組み、溜息を吐いた。

 大量に食べてから発動するものかな、とサキヤノは想像を膨らませる。自分に力がつくと分かった今、心は踊っていた。

 サキヤノは身体を引き締め、男性に身体を向けた。砂の上で正座し、頭を下げる。


「使えるなら、この際もうなんでも良いよ。だから、俺にあなたの魔術を教えてください」


 敬語は無視されるかもしれない、と言った後に気づいてサキヤノはすぐ顔を上げた。

 しかし顔の隠れた男性は、しっかりとサキヤノに反応する。


「もちろん良いよ。君になら僕の魔術、使わせてあげる」


 見知らぬ土地で初めて会った彼が、自分のことを妙に詳しく知っており、加えて信頼してくれるのは少し怖かった。

 そんなこと言っている暇はない。

 このまま突き進め、俺。


 サキヤノは違和感を振り払い、優しさに乗ることを決めた。


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