第三十一話 思い出の地下室


 この不思議な場所で、一時間は経っただろうか。

 サキヤノは尚も傾かない太陽に手を掲げる。眩しいのに暑くはなく、寒さが勝るなんとも言えない齟齬そごが、感覚を狂わせていた。

 続けて草の絨毯に目を向ける。

 ルーと何度か言葉を交わしながら周りを観察してみると、色が偏っていることが分かった。ピンクやオレンジのような混色は見当たらず、青や緑のような単色で統一されている。

 まず、花がなかった。

 動物もいない。

 人の気配さえ、見当たらない。

 ルーの言った別世界————幻視他界とやらを信じるには充分な静けさだった。

 もちろん頭の理解は追いついていない。ただこの世界の常識で、元々だと自分に言い聞かせれば済む話だ。自分のいた世界と違うのは当然だろう。

 だから、とサキヤノはルーを横目で見遣る。

 異世界の住人であろうルーは冷静なのではないか。

 サキヤノが考え込むと、ルーは気を遣ってか話すのをやめた。そのまま草原を抜け、森を越え、何事もなく人工物の前に辿り着くとルーが沈黙を破った。


「普段は平和な景色じゃないし、他にも鳥や人間がいっぱいいるんだよ」


「そうなの?」


「うん。もっともーっと生物がいるけど、廃墟みたいな場所。それがこの世界だったのに」


 ルーは言葉を切り、サキヤノを見上げた。


「こんなにも変革できるなんて、サキヤノは素質があるんだね」


「……素質?」


「死に抗う素質」


 サキヤノの質問より早く答え、ルーはぴょんと大理石の上に飛び乗った。


「こんな複合風景見るのも、変わってる……ん、なんの複合風景か分からないって顔だね?だってこの建物はこんな森にはないから。ここは——」


 彼女はサキヤノの返答を待たず、用語のような言葉を並べてゆく。

 しかし「なんでもない」の一言でルーの一方的な会話は止まった。サキヤノが瞬きし、頭の中で整理しようと腕を組むや否、ルーは腕を引いて走り出した。


「ちょっ、ルーさん!?」


「難しい話は別の人から聞いた方が良いよ!今の私に、語彙力はないみたい!」


 透き通るガラスの階段を駆け上がる。

 博物館のような仰々しい部屋、図書館のような本棚の並んだ部屋を通り抜け、ルーはある部屋で足を止めた。

 その部屋は、抜けた天井から陽射しが注いでいた。厳かな燭台が蒼い光を携え、深紅のカーペットを並行している。カーペットの先には、大型の玉座が一つ。濁りのない純白の椅子に散りばめられた宝石は、この世界で唯一の多彩な色を放っていた。

 大きさにそぐわない体躯の女性が、玉座から徐に立ち上がる。脚にスリットの入った藤色のドレスと銀の月桂冠が似合う、麗しい容貌の女性。

 玉座にいたのは、シンシアだった。

 サキヤノは目を疑い、ルーに視線を送るが、彼女は無反応。むしろ妙に落ち着いていて、ちらりとサキヤノに向けた瞳が怪しい。

 サキヤノは目を擦って現実を見つめてから、肩を落とした。


「よくぞいらっしゃいました。私はこの大陸の王、シニラと申します」


 そんなサキヤノいざ知らず、シンシア——ではなく、シニラはたおやかな口調で微笑む。

 ゲルトルードに似たルーに、シンシアに似たシニラ。似ている理由も名前が違う理由も分からない。加えて、ルーが国名はないと言ったのに対して、シニラが大陸の王と言っているのも何かが引っ掛かる。

 が、考えていても埒があかないだろう。混乱する頭を置き去りにサキヤノは笑顔を返した。


「どうも、サキヤノと申します。初めまして—— ったぁ!?」


 どん、と背中に肘鉄を喰らいサキヤノの語尾が悲鳴に変わる。どきどきする心臓を押さえてサキヤノが振り返ると、澄ました顔のルーが肘を構えていた。


「な、何するんだよ」


「これは形式だけ。あの人は貴方の記憶が形作っただけの傀儡だから、話は聞かなくても良いよ」


「ほ、ほぉ……」


 ルーの言われた通り、特に返事をしなくてもシニラは起伏なく話を進めていく。


「……ということで、地下に行ってください。貴方の探し物が、貴方の求めているものが、きっと見つかりますよ」


「行こう、サキヤノ」


 この何も分かっていないのに話だけがトントン拍子で進んでいく感じ。ゲームの主人公もこんな気持ちなのかなと心で泣きながら、サキヤノはルーの背中を追った。









 空まで続く螺旋階段を上らず、サキヤノ達は逆に階段を下っていた。今度は蝋燭の青光りが有り難いほどの暗さである。

 ルーの揺れる髪を見つめながら、サキヤノはシニラの話を思い出し、整理していた。


 まずここは異世界の異世界で、名前は『幻視他界』。名前だけ聞くとおっかないが、景色も良い為あまり怖さは感じない。ルーいわく、普段は廃墟のような見た目で、人や動物はたくさんいるとのこと。景色が違う理由については、自身に「死に抗う素質」があるから、だそうだ。

 ここまで聞くと意味が分からないが、シニラの話も加わって余計ややこしくなる。


 サキヤノはこめかみを揉んだ。

 シニラは大陸の王様で、魔法使いだと言う。そして北にある【冬の神殿】で悪さをする魔物がいるので、倒してほしいとのことだった。

 もちろんサキヤノには戦う魔法も力もない。だが、それを補う為に地下の宝石を使えと彼女は言った。

 決められたストーリーを進むゲームに似た状況は、ゲーム好きなサキヤノには嬉しい展開である。しかしプレイヤーを操作せず、いざ自分で歩いてみると中々面倒な行動だと文句が零れてしまう。

 ——この手間がゲームの醍醐味なのかもしれないが。

 そう思いながらもワクワクしながら階段を下り、数分で重厚な扉の前に行き着いた。ルーはいかにも重そうな扉を軽々と押すと「先に行け」とサキヤノに目配せをした。

 頷きつつもルーを一瞥し、サキヤノは恐る恐る階段を下る。数段先に微かな光が見えて足を止めるが、「進んで良いよ」とルーの小声に促されてサキヤノはゆっくり足を踏み出した。

 冷たい隙間風が階段の踊り場を吹き抜ける。サキヤノは風で揺れる髪を押さえて、最後の一段を降りた。

 光が漏れていたのは、目的地であろう地下室だった。部屋全体は霞んでいて、足元には砂が溜まっている。外観の美しさからは想像のつかない年季の入った部屋に、サキヤノは驚きを隠せない。

 そんな古びた地下室だが、中央にガラスのショーケースが飾られていた。砂埃が舞う室内なのに、ガラスの周りだけは異様に綺麗である。まるでガラスだけ、毎日磨かれているようだった。

 ショーケースの中は反射して見えないが、「古びた部屋の宝物」のような配置が一層サキヤノの少年心を刺激した。

 サキヤノは躊躇いながらもショーケースに歩み寄り、ガラスの中身を確認する。中には、黄金色に輝く宝石——宝石と言うには少し角張っており、鉱石に近いかもしれない——があった。

 宝石はショーケースの中で浮遊しており、不規則な動きで回転している。

 サキヤノは淡い光に目をしぱしぱと瞬かせた。


「これは?」


 当然のようにルーに尋ねると、彼女は口をへの字に曲げる。


「えっ」


「ふっ」


 サキヤノの反応を楽しんだのか、口元を隠したルーの肩は震えていた。笑いを堪えるルーは満足そうに一息吐いて満面の笑みを浮かべると、


「これは魔法の石。素質のある者が、魔法を使えるようになるチャンスの石。私も噂でしか聞いたことないし実物は初めて見たけど……うん、これはその魔法の石だって言い切れる」


 次第に独り言のようにボリュームを下げたルーだったが、ふと口を閉じて白藍の瞳を真っ直ぐサキヤノに向けた。


「……強くなって、立ち向かって、生きる」


 ルーが誰にともなく呟く。


「知ってる?」


「お、俺?聞いたことはない、かな?」


 ルーは寥々たる大人びた表情を見せると、ゆっくりと顔を下げた。

 深く息を吸い、ルーが「約束したのは」と続ける。


「約束したのは、サキヤノだよ。私はそれを守りたいから、貴方が『強くなる』為の場所を提供しただけ」


 身に覚えのない約束に、サキヤノは首をひねる。その反応を見てルーは口を開くが、考えるようにピタリと動きを止め、言葉は紡がずに笑顔を浮かべた。


「サキヤノが『大地』の魔法を習得できるかもしれないチャンスだから、しっかり生かしてね」


 憂いを帯びた瞳が潤む。


「えっと、ルー。俺、訳が……」


「訳が分からない、って?なら触れてみなよ。ここまで具体的に変革できたサキヤノなら、魔法の習得なんて造作もないと思うよ」


「ごめん、ほんとごめん。俺には君の言ってることがさっぱり……」


 ルーは視線を逸らし、黙って頷いた。分かってる、と言いたげな横顔。

 ルーを傷つけるのが怖くて、サキヤノはそれ以上何も言えなくなった。口をつぐみ、空気を読んで押し黙るが、ルーが話を続けた。


「サキヤノは強くなりたくないの?」


 当然、異世界で強くなれるなら素敵な話だ。魔法が使えるのも、ファンタジーの特権だと思う。むしろこんな現実味のない世界で魔法が使えないことに、違和感を感じてしまう。

 ——不相応でも、幻想や理想を抱くくらいは許してもらえるだろうか。

 サキヤノは正解の分からない答えを、言葉を練って伝える。


「……強く、まではいかなくてもゲルトルードやヴァルを守れるような力は、欲しいかもしれない。楽に強くなるなんて出来っこないだろうけど……」


 「立場を弁えた、素敵な答えだね」言葉に反して、ルーは肩を竦めた。「なら、これに触れて。考えて。想像して」


 サキヤノは流れに身を任せて頷き、台座に鍵やボタンがあるかを探す。開ける手段を探るも、それらしきものは見当たらず、諦めてショーケースに手を触れた。

 寒気に晒されたガラスは予想通りひんやりする。

 触り方は果たして正しいのか。確認の意味を込めてルーを見ると、彼女は首肯してサキヤノの手に小さな手を重ねた。ルーはサキヤノの手の位置を変え、一歩下がる。

 そしてガラスから離した両手を顔の前で組み、


「うん、良い感じ。じゃあ、ここからはサキヤノ一人で想像してみて」


「何を!?」


「………………魔法を使う、自分の姿とか」


 ルーが絡めた指を解くと、突如宝石が輝き始める。思わずサキヤノはガラスから手を離すが、光はむしろ増して部屋を照らしてゆく。

 ルーの困ったような笑顔を見て、サキヤノの視界は光に包まれた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る