第二十六話 自分勝手



 陽光を遮断した洞窟は故郷の空と似ている。

 見上げると厚い雲が視界を覆う空。常に落ちてきそうな曇天と、時折見えた赤々と燃え上がる一筆の流星に感動した、昔の自分。

 あの老人と同じように座り込み、独りで星を数えた初めての夜。


 ゲルトルードはなんでもない洞窟と記憶を比べながら、サキヤノを目で追う。老人を見て思い出した記憶を振り払うと、同時にヴァレリーが腕から抜けてしまった。動揺した自分に気づいてくれたのか、サキヤノは代わりにヴァレリーを追った。

 しかし自分に手いっぱいな彼が他人の変化に気づけるのか。ゲルトルードは首を傾げるが、すぐにそんな考えを振り落とす。

 どちらにしろサキヤノに感謝しなければならない。

 サキヤノはヴァレリーをすぐに捕まえたが、戻ってくる手前で足を止めてしまう。

 ミリとシンシアが「あら」と同時に声を上げた。

 老人の前で静止したサキヤノは、中々こちらに戻ってこない。何か会話をしているのだろうか。


「おいおい、アイツ人の話聞いてねぇのかよ」


 隣で不快な発言。

 ゲルトルードは頭を掻くアンティークを横目で見遣る。


「少しくらい待ちましょうよ」


「いや、お前らは甘やかし過ぎだ。ああいう奴は一度ガツンと言わねえと。自己中なのは治らんぜ」


「自己中じゃないです。あの人は自分なりに精一杯頑張ってます。私達じゃ分からない程の不安を抱えてるんですから、変に声は掛けない方が良いですよ」


 ですよね、とゲルトルードは同意を求める言葉を寸前で呑み込む。

 シンシアはどちらかというと、アンティークの思考に近い。ディックのように納得する可能性は低く、むしろアンティークに加担する可能性が高い。ミリにはまだ馴れ馴れしいから、簡単に言葉を掛けるわけにはいかない。

 腰を折り、ゲルトルードに目線を合わせるアンティーク。ゲルトルードは距離の近い男に嫌悪の視線を向けながら「なんですか」と冷たく言い放った。


「お前、なんでそこまで肩入れするんだ?」


 意外にも相手が投げてきたのは疑問符だった。

 ゲルトルードは失笑して彼から視線を外す。


「肩入れなんかじゃないです。私は、彼の人間性に惹かれてるんです。異界人って一言で表されてるけど、サキヤノさんは他の人とは違う。私なんかを励ましてくれた、とても素敵な人なんですよ」


「そんなに良い奴なのか」


「ええ、貴方には分からないでしょうけど」


「要するに、好きってことか?」


「……」


 ゲルトルードは無言でアンティークを見上げる。

 たしかに考えたことなかった。サキヤノさんは好き。だけどそれは人間としての好意で、愛してるとは違う。

 一緒にはいたいけど。

 馬鹿にされると同じように心は痛むけど。

 ……好きよりも、楽しい気持ちが優っている。サキヤノといると楽しい。でも胸が高鳴るなんて、一緒にいると恥ずかしいなんて、思ったことがなかった。


「貴方デリカシーないのね」


 冷静に考えて、この男に言われたことを間に受けたのが馬鹿だった。それに、こんな男に敬語なんてもったいない。

 ゲルトルードは軽蔑の眼差しを返して、溜め息を吐く。

 そこでようやくサキヤノが戻ってきた。曇った心が瞬く間に晴れて、ゲルトルードはサキヤノとヴァレリーに駆け寄る。


「ありがとうございました!ヴァル、足早かったですね」


 ヴァレリーを抱き締め、ゲルトルードは微笑むが、サキヤノは無反応だった。

 焦点の合わない瞳が、怯えるように揺れている。半開きの口は震えていて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。不自然な笑顔さえ浮かべず、ゲルトルードの言葉に反応もしない。あまりにも雰囲気の違うサキヤノに違和感を感じたゲルトルードは、彼の腕にゆっくりと寄る。


「あっ、ごめ……ごめん。全然聞こえてなかった。ごめん、ゲルトルード」


 触れる直前、サキヤノは身体を震わせてゲルトルードから離れた。

 まるで初対面のような警戒心。

 ショックを受けながらもゲルトルードはすぐに切り替えサキヤノの後方を睨むが、既に老人はいなかった。

 彼に何を言ったのか。

 沸々と湧き上がる怒りを堪えて、ゲルトルードは無理やりサキヤノの手を握った。


「な、なに」


「なんでもないです」


 手の震えが伝わる。

 この短時間で、ここまでサキヤノを怖がらせるなんて。ゲルトルードは首を傾げながら、魔法を使うか逡巡した。ここで自身の『共鳴魔法』を使えば、サキヤノが怯えた理由も、老人が何を言ったかも想像がつく。

 だが、ゲルトルードはサキヤノに魔法を使いたくなかった。自分の気持ちを伝える魔法は良いだろうが、覗き見る真似はしたくない。

 一方通行な魔法しか、今は使いたくない。

 こんな風に思うのは生まれて初めてだった。


「サキヤノさん。何かあるなら、言ってくださいね」


 強い思いは中々折れなかった。

 ゲルトルードは自分でも不思議なくらい頑なに自制し、最低限の言葉でサキヤノを支えようとする。


「うん、ありがとう」


 それでもサキヤノは笑わなかった。

 わざとでも良いのに、と本心では強い言葉を言いたくなって、ゲルトルードはぐっと堪える。

 私がしっかりしないと、と拳を握ったところで余計な声が頭上を飛んだ。


「人に迷惑かけんなよ」


 アンティークの的を得た辛辣な一言。

 サキヤノはアンティークと視線を交わした。


「良心的なミリさんやお前思いのゲルトルードを待たせて、何やってんだ」


「……」


「自分勝手な奴は代表になんて向いてねえ。異界人だからじゃなくて、人間として駄目だ」


 はっとサキヤノが目を見開く。何も言い返せないのか、目は合わせたままサキヤノは顔を歪めた。続けて俯き、白髪を小刻みに揺らす。

 待って、とゲルトルードは唇を噛んだ。何故追い討ちをかけるのか。誰だって今の彼を見れば、何も言わないのが良いと分かるだろうに。


「貴方……っ」


 ゲルトルードが言い返す前に、アンティークの頬に拳が飛んだ。

 ごっ、と鈍い音。視界に飛び込んだ新緑の布を見て、シンシアが殴ったのだと分かった。アンティークは数歩よろけ、シンシアを睥睨へいげいする。

 アンティークを殴った拳を胸の前に置き、シンシアは彼に劣らぬ眼力で口を開いた。


「一々うるさいわ。そろそろ鬱陶しいから黙りなさい」


 空気が震える低い声。

 唖然とするゲルトルードの前を通り過ぎ、シンシアは次にサキヤノの前に立ち止まる。


「それと貴方」


 ブーツの踵を踏み鳴らしたシンシアは、サキヤノの頬を叩いた。アンティークの時より軽い音だったが、サキヤノは地面に倒れ込んだ。

 繋いだ手が離れた。ゲルトルードは慌てて彼に駆け寄り、背中に手を伸ばす。

 口内を切ったのか、サキヤノの唇からは血が一筋流れていた。


「加減を忘れたわ、ごめんなさいね」


「シンシアさん」


「ゲルトルードは黙って。ストレージの言う通り、すごく迷惑なのよ、気分に左右される人って。彼が凄い異界人なのは分かるけど、こんなに輪を乱されると許せない。自覚して。もっと周りを見なさい」


 サキヤノは叩かれた頬に触れて俯く。

 隣に座ったゲルトルードからは、サキヤノの表情がよく見えた。潤む瞳で歯を食いしばる姿は、何かに葛藤しているようだ。

 ゲルトルードは何も言えずにサキヤノの身体を起こす。ゲルトルードから顔を背け、深呼吸するサキヤノ。暫くしてゲルトルードの腕を優しく払うと、彼は袖で血を拭った。


「はい、そうですね。おっしゃる通りです……ありがとうございます」


 『おっしゃる通りです』。

 サキヤノは指摘されると、そう言ってなんでも同意し、意見を避ける。自分の考えや言葉を伝えないで、流したように受け取る。

 ゲルトルードはそれが気になっていた。

 どうして素直に答えないのだろう。反論しても良いだろうに。


「サキヤノさん」


「うん、うん、大丈夫。ありがとう」


 ゲルトルードから離れ、サキヤノはシンシアを見上げた。次いで後ろのアンティークに軽いお辞儀をする。


「シンシアさん、アンティークさん。ご迷惑をおかけしました」


 「別にあたし達は良いわ」片眉を上げ、シンシアは踵を返す。「ミリさん、お待たせしました」


「なはは、仲直りできたかい?」


 今まで黙っていたミリは四人の顔を見るなり、うんうんと頷いた。

 僅かな光を放つ地面を踏み締め、ミリが正面を向く。


「さ、着いてきな。わたしの家に招待するよ」


 ミリとシンシアは言葉を交わしながら、ゲルトルード達は無言で『シンルナの鍛冶屋』の奥へ進む。

 シンルナ鉱山のリフレイン洞窟のシンルナの鍛冶屋、とゲルトルードは心の中で早口言葉のような名称を繰り返した。こうやってくだらないことを考えないと、サキヤノとアンティークに挟まれたゲルトルードは潰されそうだ。ゲルトルードは未熟な『共鳴師』の己を恨みながら、流れ込んでくる感情を必死に堰き止める。

 ふと、ミリが足を止めた。


「お待たせ、わたしんにようこそ」


 広い空間の一番奥、そこには土の積まれた小さな家があった。鉄製の看板が吊り下がった扉、歪に傾いた二つの窓と、その建物は家と呼ぶにはあまりにも簡易的だ。


「こんな土塊つちくれだけど、四人なら寝泊まりできるさぁ」


「……なぁ、この広いところはなんだ?」


 ミリは扉にかけた手を止め、アンティークの問いかけに振り向く。

 アンティークが気にしたのは、彼女の家の側にある開けた土地だった。見事に土が取り払われ、異様な綺麗さを保っている。


「あぁ、これ?これはわたし達が作った武器を試用する場所さ。しっかり整備しておかないと、怪我しちまうからねぇ」


 ミリは自慢げに語るが、アンティークの表情を見るなり眉を寄せる。


「……なにさ、そのいやーな笑顔」


「はは、ちょっとな」


 アンティークの視線がゲルトルードに向けられた。ゲルトルードは目を見ることなく、溜め息を吐く。

 アンティークの感情が爆発寸前なことを、ゲルトルードは知っていた。今まで耐え忍んでいたのが不思議なくらい、彼は気持ちを押し殺している。

 シンシアとアンティークの関係は知らないが、抑制されているのは確かだろう。


 ——なら、嫌でも聞こえる『声』に耳を貸してあげる。


「奇遇ですね。実は私も、同じことを考えてます」


「決まりだな」


 二人で勝手に話を進めていると、ミリが「うわぁ」と肩を竦めた。


「もしかして、二人で決闘する気?」


 首肯の代わりに、アンティークは無邪気な笑みを返す。シンシアは頭を抱えて、大きな溜め息を吐いた。

 勝手なのは分かっている。自分だって、こんな無茶なことしたくない。


 ——でも、貴方の思い通りにしてあげます。


 ゲルトルードは微笑むアンティークを見据えた。


 ——少しはサキヤノさんの気持ちを考えてくださいね。


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