第二十五話 死の病



 女性はシンルナ鉱山に住む鍛治職人だと言った。

 他では見られない、アルカナ王国だけの鉱物を加工。形を整えた後は街に持ち帰り、店に売る。売れたら、また鉱山に戻って加工。

 非常にシンプルだが手間のかかる仕事だと女性は話した。仕事がしやすいが為に、一年のほとんどを鉱山の中で過ごすらしい。

 彼女は滅多に採掘には行かないそうなのだが、今日はたまたま自身で鉱物を調達したらしく、おかげで出会えたサキヤノにして見れば幸運であった。


「本当は関係者以外立ち入り禁止だが、わたしらの隠れ家に連れてってやるよ。困ってんなら手を貸さずにはいられないからね……さ、まとめて連れてきな」


 聖都とアルカナ、それぞれの商人の半数弱は女性の言葉に甘えて、隠れ家に案内されることになった。もちろんシンシアとともに行くのは、女性を信じられる決断力のある人だけだ。残りの人は商品や馬車を見守る役割をシンシアに振られ、その場に残って巨大な岩を退けるのを兼業する。

 サキヤノ一行はシンシアの指名で、女性の隠れ家へ向かう。

 女性は鉱物を横抱きしたまま「そうだ」と振り返った。


「忘れてたよ。わたしのことはミリ、と呼んでくれ」


 「ええ、ありがとうミリさん」シンシアは前髪を払う。「あたしはシンシアです。何かあれば、なんでもあたしに言ってくださいね」


「なはは、そりゃどうも。……にしても、あんた達運が良かったね。魔物が住みつくこんなところ、滅多に人が来ないんだからさぁ、たまたま通りがかったわたしに感謝しなよ」


「はい、ありがとうございます」


 恩着せがましく言うが、ミリと名乗る女性の言う通りである。サキヤノはミリと目が合うたびに頭を下げながら、軽く周りを見渡す。

 道を覚える為、ミリが「着いたよ」と言うまで誰とも話さないようにした。


 広い道から十分も歩かないところに、ミリの言う目的地はあった。輝く石が太陽の代わりを務めるそこは、自然にできたとは思えない居住空間が広がっていた。

 一際大きな穴に複数の空洞。建物と呼べそうな塊は、目視できるものは七つだけ。そのうち一つは土色ではなく、青白く発光している。


「これはしっかり許可を取っていますよね?」


 シンシアは感動の素振りを少しも見せず、鍛治職人を睨んだ。浅黒い肌をしたミリはぽかんと口を開けるが、すぐに両の口角を吊り上げた。


「あったりまえだ!ここは天下のアルカナ領だぜ?しっかりと国王様から認められてるよ。もし不法滞在してるならあんたらの案内なんてしないし」


 最もな答えを並べて、ミリは大仰に笑った。


「とりあえずようこそ。『シンルナの鍛冶屋』へ」


 まるでゲームの案内係のように、丁寧に場所を口にするミリ。

 おお、と商人の集団から歓声が上がった。

 無理もない、とサキヤノは眼下の居住地を見下ろす。広い道とは比べ物にならない量の石英が地面から顔を出しているのだ。いくらアルカナの所有物であっても、商魂が疼くのだろう。


「……は?」


 何を考えている?

 サキヤノは、自分自身で予想しながら混乱していた。

 商人のことなんてよく知らない。どれが商品になるかなんて、目利きもできないのに。サキヤノは自分が自分でなくなるような感覚に陥っていた。頭の中に響く声を聞いてから、徐々に不可思議な思考に染まっている気がする。


「サキヤノさん?」


 ゲルトルードの声でサキヤノは我に返った。

 心配そうに目尻を下げ、頬を突くゲルトルードに安堵する。杞憂に終わるだろうから、なんでもないと伝えて前を向く。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫大丈夫。ゲルトルードは心配性だな」


 それでもゲルトルードは声掛けを止めない。

 もう数えきれないくらい心配されているだろう。こんなにも自分を思ってくれるのは嬉しいと、サキヤノは頬を緩めた。


「ありがとう」


「はい皆さん注目」


 サキヤノのお礼とミリの拍手が被る。

 サキヤノ含めた商人達が、一斉にミリに視線を注いだ。ミリは巨大な石英を傍らに置き、そちらに体重をかけながら手を叩く。


「ここは神聖な鍛治職人の現場だ。環境は壊さないでくれ。あくまで一日泊めるだけだからな、余分な詮索もなしだ」


 唐突に言われる注意事項だが、聞き漏らす人はいないだろう。ミリの声はそう断言できるくらい、自信に満ちた大声で伝えていた。


「余分な時間かけるのは嫌いなんで……」


 不意に言葉を切るミリの後ろから、厳つい男性が数人歩いてくる。


「泊まる家には勝手に別れてくれ。わたしの同僚の家だから、心配するな」


 シンシアの見込んだ通り、意外にも決断力が試される選別だった。ミリに合図された男性達が無言で去るのは中々にシュールな光景ではあったが、商人はこの無茶振りに適応し、見事バランス良く散らばっていた。

 残ったのは、サキヤノとシンシア、アンティークとヴァレリーを抱えたゲルトルードの四人。

 これはサキヤノの予想通りである。自慢にもならない当然の面子だが。


「話の分かる奴らが多くて助かった。それに四人ならわたしの家で寝れるから、尚良しだな」


 うんうん、とミリは満足げに頷く。

 「着いてこーい!」とミリが背中を向けた時、ゲルトルードがそっとサキヤノの側で耳打ちした。


「サキヤノさん、私頑張りましたよ。うふふ、後で褒めてくださると嬉しいわ」


「……んなっ」


 サキヤノは瞬時に理解する。

 バランス良く商人が散ったのは、彼らの意思ではなかった、全てゲルトルードが、意図的に分裂させたのだ。

 なんて恐ろしい。なんて便利な魔法。

 サキヤノは呆気にとられつつ、共鳴師の魔法の多彩さに唸る。また、こんなに大人数を操れるなんてのは想定外で、サキヤノは初めてゲルトルードに恐れを抱いた。


「凄過ぎる……」


 しかしそれも一瞬で、次に湧いたのは彼女への羨望と尊敬だった。

 心の操作とは少し違うのかもしれないが、それと似た波動を感じる『共鳴師』。サキヤノが感動するのは必然だった。

 絶対に強い魔法だ、とサキヤノは顔を覆う。

 憧れてしまう。羨んでしまう。

 だけどきっと自分じゃ上手く使えない。ゲルトルードが使うからこそ、こんなにもファンタジーに感動できる。


「サキヤノさ……」


「凄いなゲルトルード!俺、なんかザ・魔法って感じの見れてすげぇ嬉しい。本当はもっと分かりやすいともっと嬉しいけど、ほら、顔がにやけちゃって……ったぁ!?」


 後ろから臀部を蹴り上げられ、サキヤノの語尾は悲鳴となる。

 たしかにゲルトルードへ配慮せずに、思うがまま喋ったのは良くなかったかもしれない。サキヤノは無理やり納得して、蹴った相手を一瞥する。


「文句あるのか?」


「……とんでもないです」


 怫然とした声色で、舌打ちするアンティーク。

 サキヤノの興奮は冷め、不本意ながら彼のおかげで心の声をしまうことができた。

 落ち着いたサキヤノは硬直するゲルトルードに謝罪をし、早足でミリに続いた。やってしまったと歯噛みしながら振り返ると、ゲルトルードは俯いたまま一点を見つめている。

 きっと自分が失言したからだ。

 サキヤノは「しまったなぁ」と呟き、ゲルトルードに駆け寄ろうとするも、アンティークに服の襟を掴まれて尻餅をつく。


「いだっ」


「お前は何もするな。オレが行く」


 アンティークはサキヤノの襟から手を離し、立ち止まるゲルトルードに近づいた。声は聞こえなかったが、アンティークが耳元で何かを話すと、彼女は紅潮した頬を膨らませて止まった足を動かし始める。

 スキップでサキヤノに追いつくなり「うふふ」と意味ありげな笑顔を浮かべるゲルトルード。


「どうしたんだよ」


「いーえ、別になんでもないですよ」


「すごくご機嫌だしさ」


「いえいえ。そんなことより、この神秘的な空間を楽しみましょう」


 腑に落ちないまま、サキヤノはゲルトルードに言われた通りに周りの景色を観察した。ほとんど土と石しかない簡素な場所ではあるが、人の手で作られたと思うと感動せざるを得ない。

 ぐるりと見渡した時、一つだけ造りの違う家があった。窓は見当たらず扉さえない、石の積まれただけの粗末な家だ。上から見下ろした時に目立っていた、白い建物の正体だった。

 ゲルトルードがミリの服を引っ張る。


「あれはなんですか?」


 サキヤノの質問と全く同じだった。サキヤノは聞こえないふりをしながら耳を澄ませ、視界の隅にミリを置く。

 流し見たミリは瞳を曇らせた。口ごもり「あー、うん」と曖昧に返事をしてから、機械的な笑みを貼り付ける。


「あれは近づいちゃいけない呪いのお墓だ。わたし達でさえ疎むものだから、まぁ、ないものとして見てくれ」


「へぇ。じゃあ、あの人は誰です?」


 ゲルトルードは建物横の小さなテントを指差した。その近くには折り畳み椅子に腰掛けた、長髪の老人がいる。

 テントではなく、ゲルトルードはその老人を示しているようだった。


「人に指は向けちゃ駄目だぜ」


 ふと、意外なところから声が飛ぶ。

 ゲルトルードは口笛を吹くアンティークを睨むが、すぐに可憐な瞳をミリに戻した。一連の流れを見たミリは硬くなっていた表情を和らげ、ゲルトルードの頭をぽんぽんと叩く。


「なはは!あの人はな、この鉱石いしを見つけて掘り出す、採掘の天才だ。だけどボケちったのか、採掘以外は縁起の悪いことを一人で呟いてるから、仕事以外ではみーんな声掛けないね」


 へぇ、とゲルトルードは口を窄めた。

 サキヤノもミリの話に聞き耳を立てたまま、老人を見遣る。顔の半分を覆う乱れた長髪と古びたつなぎは、時代に取り残された物寂しさを主張しているように見えた。ミリやミリの同僚とは毛色が全然違って、不思議とサキヤノの興味を惹く。

 不変を好み、変化を嫌うサキヤノには珍しい感情だった。

 サキヤノが視線を前に戻した瞬間、ゲルトルードの腕から勢いよくヴァレリーが飛んだ。小さな翼を目一杯上下しながら着地し、小さな足で白い建物に向かって行く。てちてちと小股ではあるが、意外と足は速い。


「あっ、ヴァル!?」


「良いよ、俺が行く」


 驚くゲルトルードに代わってサキヤノが列を外れた。ヴァレリーが何を考えているか分からないが——もしかしたら何も考えてないかもしれないが——あの白い建物はたしかに気になる。

 ヴァレリーを捕まえたサキヤノは、吸い込まれるように老人の前で止まった。


 恐怖がないわけではない。

 緊張しないわけでもない。

 ただ少しだけ、好奇心が唆られる。


 自分じゃないみたいだ、とサキヤノは唾で喉を鳴らした。


 サキヤノに気づいたのか、首をもたげた老人が白の長髪から目を覗かせる。目が合ったのは一瞬ですぐ焦点が定まらなくなり、老人はボソボソと呟いた。


「儂は採掘係のリーダーだ。リーダーだが、臆病者だ」


 ふぅ、と一息ついて顔を下げる老人。


「何について知りたいのだ?死の病か?儂の罪か?ライノスの罪か?アルカナの昔話か?」


 老人はぎょろりと血走った目をサキヤノに向ける。

 気圧されたサキヤノはヴァレリーを強く抱いた。会話が出来ないわけではないのか、と失礼なことを考えながら、視線を地面に落として考え込む。

 老人の全ての話題が気になった。知りたいことは全部です、と正直に言いたいくらいだ。

 選択肢を選び、全ての話を聞くことができるゲームが不意に思い浮かぶ。まるでそのゲームのNPCみたいだとミリに似た印象を抱いて、サキヤノは「えっと」と場を繋ごうとした。老人の顔が更に下がりかけたところで、ヴァレリーが嘴を鳴らしたような音を立てる。


「あれはなんだ?」


 ゲルトルードと同様、ヴァレリーは白い建物を視線で刺した。

 ナイスだヴァル、と心の中でガッツポーズしながらサキヤノは頷く。老人はヴァレリーの視線に釣られて白い建物に瞳を向けそうになるが、直前で停止し、数秒押し黙った。

 濁った目で瞬きする老人。

 暫し間を置いて、髭の蓄えた口を開いた。


「……あの建物。あれは、絶対に取り壊すことのできないものだ」


 白い建物を一切見ず、老人はゆっくりと語り始める。


 「あれは墓だ。この鉱山で流行り病にかかった者を弔う為のな」老人は視線だけを上げた。「お主、なんの病か知っているか?」


「流行り病、は存じ上げないです」


「そうか……なら、聞いて損はしないだろう」


 いわゆる伝染病、感染症と呼ばれるものだろうか。

 聖都で聞いただろうかと記憶を辿るサキヤノだったが、途中で老人が話を続けた為、意識を集中する。


「流行り病は簡単に『死の病』と呼ばれておる。人の『死』から始まる忌まわしいものだ。『死の病』は人の死から伝染する病気だと言われる他に、死人が生き返る夢を見た者も、同じ症状で死に至る。誰かが死ぬと、周りも死ぬ。はっきり言って止めようのない病だ」


「……」


 言葉が出なかった。

 なんて救いようのない病気だ。


「見た目はなんら健常者と変わらないから、それも困る。加えてとても静かに、発症したことさえ理解せぬ間に、気づかれることなく亡くなるのだ。現場に居合わせたが、あれは予想ができん」


 老人は遠くを見つめる。その瞳が潤んでいるのを見て、喉の奥が詰まった。下手に声を掛けるわけにもいかず、サキヤノは何も言葉を返せない。

 両者黙りこくる中、老人がしゃがれた声を発した。


「だが、あんなのは病じゃない」


 話の根本を覆す、力の籠った言葉。

 老人は立ち上がり、曲がった腰を伸ばした。サキヤノよりも背が高く、見下ろす体勢で話が続けられる。


「逃れることのできない、強力な呪いだ。病なんてのは方便で、皆呪い殺されているのだ」


 老人の口調は徐々に強まる。


「病じゃないのは誰もが理解している。『あれは呪いだ、帝国で広がった呪いだ』と、心の底では解っているのに、口にするのを躊躇った者が病と呼んだが為に『死の病』と言われる。間違った呼び名が浸透しただけだ。それだけだ——それだけなら、良いんだ」


 老人の双眸が見開かれた。


「だが範囲が異常なのだ!何故帝国と離れたシンルナ鉱山で、呪いが発現したのか?ライノスは帝国とは貿易していないから、誰かが持ち込むのは有り得ん……なら、ここで生まれた呪いと言っても過言じゃない。さぁ、どうしてだろうか、どうしてだろうか」


 問い詰めるように老人がにじり寄る。

 サキヤノは詰められる度に一歩ずつ下がった。

 そんなの自分にだって分からない。だけど言い返せる雰囲気ではない。

 鬼気迫る老人がサキヤノの胸を小突いた。


「そう言えば、お主からも同じ臭いがするぞ。あの白積みの墓と同じ、忌々しい呪いの臭いだ」


「……はっ?」


 突然何を言い出すのか。

 あまりにも突拍子のない指摘に、サキヤノは顔を顰める。


「お主呪われているな?他の者に影響がないのは不思議だが、自覚はあるだろう?死を間近で見たのではないか?死に寄り添ったのではないか?」


 そんなサキヤノの表情を全く意に介さず、老人の口は止まらない。

 死を見たか——と老人への不満に対して、サキヤノは当てはまらないか無意識に考えていた。

 ついさっき魔物がシンシアに刺されたのを見た。まさかそれが原因か、と震えるが『人』の死なら魔物は当てはまらないのではないか。予測にはなるが、もしそうとしても——なら、誰がいる?誰か、サキヤノの近くで亡くなっただろうか。

 強いて言うなら、思い当たるのはステファンとウォン。

 だが、亡くなったなんて聞いてない。もしそうだとしても、いや、絶対に違う。


「この儂が間違えるわけない。あの惨事の時、仲間が次々と目の前で死ぬのを見たこの儂が……」


 サキヤノは老人の目を見つめながら、自身の予測を否定した。縁起でもないこと考えるなと拳を握る。

 でも、もし。

 もしその二人が亡くなってたのなら——?他にサキヤノに関わった、二人以外の誰かが亡くなっている可能性も、ある。

 

 急に踏ん張りが利かなくなって、サキヤノは老人に押された力で倒れる。

 老人は荒れた呼吸で、サキヤノに恨みの籠った瞳を向けた。睨まれる数秒が、サキヤノには数分にも数時間にも感じられる。


「爺さん、出発すっぞー」


 呆然とするサキヤノの後ろから、不意に間延びした声が聞こえた。

 老人は最後まで瞬きせずサキヤノを見下ろしたまま、サキヤノの後ろへ歩いて行った。


「時間くらい守ってよね」


「ああ……怖い。また病が流行り始めるぞ」


「ちょっ、勘弁してよ」


「また爺さんの独り言が始まったぞ」


 足音が遠ざかり、複数人の声が老人を迎え入れる。サキヤノは後ろを振り向けなかった。

 もう、老人の話は眼中になかった。


 サキヤノは思わぬ形で、ようやく自覚する。

 自分のせいで誰かが死んでいる、と。




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