第二章 無知者の価値

第二十話 消える向上心



 その日はすっかり日が落ちており、ラピズリィに押し負けて食事と宿をもらった。結局お言葉に甘えたが、久し振りの自主的な睡眠とふかふかの布団はサキヤノをすぐに無意識下へ送った。


「はーっ、ラピズリィさんのお屋敷すごく良かった……最高の寝心地でした」


 目覚め良く迎えた翌日の早朝、サキヤノ達はラピズリィの屋敷を発った。ゲルトルードは伸びをしながら、爽やかな朝日を堪能している。


「俺もぐっすりだったよ」


 と言いながらも、サキヤノは焦っていた。

 山積み問題は変わらずだからだ。

 一つ、建前上の依頼であった掃除を許可されず、小鳥を預かるだけになったこと。ラピズリィの要望に全て沿い、望まぬ形で試験を放棄した事実だけが残った。

 二つ、ディックと会う場所を決めなかった為、今日何をすべきか分からないこと。しかも勝手に一泊してしまった。

 一晩じっくり考えて、まだ気になることがたくさんあることにも気付いてしまった。ゲルトルードの年齢変化の謎と故郷の場所、ステファンの安否、解放軍の行方、城郭都市ヘリオの書簡の返事、自分の処遇——等々、あまりにも多過ぎる。数えるのも、考えるのも嫌になるくらい、サキヤノは気が滅入っていた。

 サキヤノはゲルトルードの抱く小鳥を一瞥する。

 そもそも小鳥がいなければ——と浅はかな思考に至るが、今は誰かのせいにしている場合ではない。

 サキヤノは腕を組み、片手を顎の下に添えた。

 とりあえず掃除はしたことにすれば良い。嘘が上手くつけるかは、その時の自分に任せよう。その前にどうにかしてディックに会って、すべきことを聞く必要がある。それからステファンにも会いたい。何も音沙汰のない、ケイシーにも一言伝えたい。

 ふと視線を感じ、目線を地面から正面に上げる。サキヤノを、翡翠の双眸がじっと見つめていた。


「どうしたの」


「こちらの台詞です」


 ゲルトルードは矢継ぎ早に言う。


「サキヤノさんは一人で考え過ぎです。もっと私を頼ってください」


 眉間に山を作ってサキヤノをと睨み、かつ口をすぼめるゲルトルード。顔全体で不満を表現した彼女は「あのですね」と小鳥を地面に置き、腰に手を当て説教のポーズをとる。


「私は心配してるんです。抱え込むと、いつか爆発するって知ってるからですよ。サキヤノさんはよそよそしいです。弱いです。それなのに、優し過ぎるんですよ」


 家族以外には相談せず、一人で考え込むのが当たり前になっていたサキヤノは唖然とした。好かれる為には、一番それが良いと思っていたからだ。人付き合いの仕方を懊悩し、不快にならない性格を作り上げた自分を叱咤する彼女に、サキヤノは心を打たれた。

 サキヤノは目を伏せ「えっと」と言葉を選ぶ。


「それです。それがいけないんです」


「えっ」


 額に当てた指に力を入れ、ゲルトルードはサキヤノへ顔を寄せた。


「なんで選ぶんですか。なんで迷うんですか。言いたいこと、言えばいいじゃないですか」


 ゲルトルードは徐々に語尾を強める。

 切迫した表情で詰め寄る彼女から、サキヤノは視線を逸らした。


「だって素直に言うとか、難しいじゃん」


 サキヤノはまるで子供のように、帽子で顔を隠す。こんなので彼女の追及を避けられるとは思えないが、その場凌ぎでも顔を見ないのは気が楽だった。

 しかし、ゲルトルードは大いに喜んだ。

 一言呟いたサキヤノの本音が嬉しかったそうで、彼女はそれだけで満足そうだ。


「まぁ良いです。そうやってたまーに言ってくだされば、今は満足です」


 妥協の意を並べつつも、その顔には笑顔を浮かべている。にこにこと口論の勝利を勝ち取ったゲルトルードを見て、少し意地になったサキヤノは強気な口調で言い返した。


「でも気にしなくて良いんだよ、別に。ゲルトルードは優しいから気にしないって俺は知ってる」


「そんなの決めつけですよ。私そんなに優しくないので、これからサキヤノさんに厳しく生きてきます」


「んなっ」


 間髪入れずに峻厳しゅんげんなお言葉。

 サキヤノは口を尖らせる。

 でも、こういうやりとり嫌いじゃない。

 サキヤノは頬を掻き「……か、勘弁してくれ」と、詰まりながらも、心の声を吐き出した。

 変だと思われていないか、この返しで彼女は嫌な気持ちになっていないか、ゲルトルードの返事が怖くて仕方がない。

 少し間を置いて「うふふ」とゲルトルードはわざとらしく微笑み「たまには、そういうのお願いしますね?」と念を押した。

 「おお」答えたサキヤノの顔は熱い。

 可愛さと優しさ、それに自分を否定しない包容力、なんて魅力的な女性だろうか。人生十八年間、優しい声掛けに勘違いしやすいが、一度も異性と付き合ったことのないサキヤノはとうとう意識してしまった。

 逸らし続けることの出来ない事実に、顔が、頭が、胸が熱を帯びる。俺なんか釣り合わないのに、なんて馬鹿な心なんだろう。


「ちょっと良いか」


 サキヤノではなく、小鳥が声を上げた。

 中々消えない熱を誤魔化しながらサキヤノは「どうしたの?」と震える声で小鳥を見下ろす。


「私のことを忘れてないか?」


 小鳥はじとりと目を細め、サキヤノとゲルトルードを交互に見た。小さな首を大袈裟に振ると、地面に大量の羽根が散らばる。小鳥は息を吹きかけ、茶と白のふわふわな羽根を舞い上がらせた。


「いえいえ、覚えてたわよ小鳥さん」


 羽根の舞い散る様子に嘆声を上げながら、ゲルトルードは小鳥を抱く。暫く羽根の感触を堪能し、彼女はぴたりと動きを止めた。その頃にはサキヤノのほとぼりは冷め、平常心をもってゲルトルードに話しかけることができた。


「どうしたの?」


「……たいわ」


「え?」


「名前が、知りたいわ……!」


 ゲルトルードは鬼気迫る表情で腕の中の小鳥を見つめる。小鳥は視線を感知するや否、サキヤノの帽子の上に飛び乗った。勢い余ってサキヤノの帽子は落ち、白髪が露わになる。


「ちょちょ、小鳥さ——」


「それです、小鳥さんって呼び方失礼ですよね」


 ゲルトルードは一瞬サキヤノの白髪を見るが、すぐに視線を小鳥に戻す。サキヤノは頭頂部に乗る小鳥に不満を抱きつつ「なんでいきなり?」と首を傾げた。


「なんとなく今思いました。名前は大切にしたいんですよね、私」


 小鳥がサキヤノの頭の上で羽ばたく。


「なるほど、たしかに一理ある。ラピズリィは名前で呼ばなかったからな」


「なんてお名前なんですか?」


「……さぁ」


 小鳥は返答を濁し「好きに呼べ。なんなら命名しても良い」と軽々、とんでもないことを口にした。


 「はぁ?」とサキヤノ。

 「え、良いんですか?」とゲルトルード。


 サキヤノはゲルトルードの弾んだ発言に耳を疑い、ゲルトルードはサキヤノの呆れ声に目を瞬かせた。暫く見つめ合い、ゲルトルードの眼力に負けたサキヤノが「んぐ」とわざとらしく唸ったところで、小鳥がサキヤノの顔をぺしぺしと叩く。


「あいたっ」


「別に嫌なら構わない」


 小鳥は頭の上で足をばたつかせた。まるでもうここにはいたくない、と言うかのように我儘な行動だ。鼻や口に入った羽根を取ると、サキヤノは小鳥を無言でゲルトルードに差し出した。

 ゲルトルードは眉を下げ、悲しそうに小鳥を抱く。


「仲良くしてくださいな」


「私は努力するよ」


 悲しいのは俺だよ、と心の中で不平を鳴らしながらサキヤノは小鳥を睨んだ。


「……ちなみになんて呼ばれてたんです?」


「この子」


 小鳥はゲルトルードの腕で途端に大人しくなり、食い気味でサキヤノの質問に答える。嫌がって離れた割には口調がご機嫌で、サキヤノは尚更悲しくなった。

 「えと」とゲルトルードは無言で帽子を拾うサキヤノを見ながら、


「じゃあ、なんて名前が良いです?」


「別になんでも構わない」


「じゃあ、サキヤノさんは何かありますか?」


 気を遣いつつ、サキヤノにも話を振るゲルトルード。

 誰かの名前なんて考えたことがない。

 大事な名前を、出会ったばかりの人間に頼む小鳥をどうかと思う。何故頼むのか、何故名前を教えてくれないのか——そもそも自分達を信用していないのか。それなら小鳥に対してのあの寒気は、何だったのかと聞きたい。自分にも疑問はあり、小鳥を信用なんてしていないのだ。


「期待してるぞ」


「うーん……」


「さぁ」


「ちょい待ってください」


 急かす小鳥に、サキヤノは適当な名を告げる。


「——ぽち」


「却下」


 なんだその名前は、と小鳥が言う。

 またしても食い気味に答えた小鳥は、サキヤノをじっとりと流し見た。しかしそれは無感情で空虚な瞳。

 サキヤノは言葉を詰まらせた。

 安易な名前は小鳥には失礼だったか。個人的には呼びやすくて好きな名前なのだが、と悪気を感じながらも、急かしつつ即座に否定した小鳥を見て考え直す。迷った挙句、苦い顔を返してサキヤノは謝罪を呑み込んだ。

 「もう!」本日何度目かも分からない嫌な空気を読み取って、ゲルトルードは指を立てて提案した。「じゃあ、ヴァレリーはどうかしら?ヴァレリーで、ヴァルちゃん」


「……ヴァレリー?」


 サキヤノと小鳥の声が重なる。

 ゲルトルードは頷き、


「私の家で昔飼っていたペットの名前です。どういう意味でつけたのか忘れちゃいましたが、名前だけははっきり覚えてて……どう?ヴァルちゃん」


 と下手に尋ねた。

 ローノラと言いゲルトルードと言い、聞いたこともない名前をつける。サキヤノは異世界のネーミングに脱帽しつつ「ヴァレリー」と名前を繰り返した。

 

「ペットの名と。だが、こいつよりは悪くないか」


 小鳥は羽角をぴょこぴょこと動かす。

 ぽち、もペットの名前とは言えなかった。


「ではこれからは私のことをヴァルと呼べ」


 小鳥ことヴァレリーはそう言うと、ゲルトルードの腕から飛び降りてお辞儀をした。ゲルトルードはお礼を言われると嬉しそうに会釈をしていた。

 結果オーライかな、と頬を搔くサキヤノのもとに上機嫌な小鳥が飛び込む。今度は頭の上ではなく、胸の中に。


「それから、貴様」


「……はい」


 サキヤノは不満を全面に出した表情で小鳥を抱いた。しかしヴァレリーは気にしていないのか、相変わらず羽角を動かしながら顔を上げる。

 また文句かと身構えるサキヤノに、ヴァレリーは思いがけない言葉を掛けた。


「私はお前と友好な関係を築きたいと思っている」


 「はぁ」意外な本音。サキヤノはヴァレリーの、自分に対しての冷たい仕打ちを数えた。


「そんなわけありますか」


「そんなわけある。私はウソをつかない」


 じっと腕に収まる生物を見据える。

 そう言ってもらえるなら嬉しいが、気まぐれ過ぎて簡単には信じられなかった。


「名前教えくれない、じゃないか」


 とりあえず、敬語を止めようと思う。サキヤノは片言なヴァレリーの話し方に似せて反論する。

 「それはウソではない」ヴァレリーがサキヤノに正論を叩き付けたところで、ふと何か思い出したかのように声を上げた。「そうか」


「ん?」


「これを、見せねば」


 その言葉を引き金に、新緑色のローブがうねる。

 サキヤノの腕の下から、にゅっと太いものが二つ、細いものが二つ生えてきた。


「ひっ」


 サキヤノはヴァレリーを手放し、後ろに一歩、また一歩と下がる。腕から逃れたヴァレリーは華麗に着地し、ローブから四本の異物を地面に落とした。

 それはまるで尾のようだった。翼と同色の太い尾と細い尾が、二本ずつ地面に延びている。細い二本の尾だけ生き物のように波打ち、ヴァレリーの意志で動いているのが分かった。

 ヴァレリーは片翼を胸の辺りに当て、饒舌に話す。


「驚かれる前に見せておこう。これは私の、言わば尻尾だ」


「そんな重そうなのよく収納してたな……十分驚きまし……驚いたって」


 サキヤノは同意を求めるべくゲルトルードを見るが、彼女は目が合うと、弄っていた髪を払って顔を綻ばせた。


「私は知ってましたよ?」


「そ、そう」


 一体何の動物なんだ、とサキヤノは頭を抱えた。






*****






 放射状の都市の中点であり、文字通り聖都の中心部である聖宮せいぐう近くにサキヤノ達は足を運んでいた。

 まだ朝早い為か、人通りは少ないが店はいくつか開店している。その店の一つに彼らはいた。保護部隊統一のマントを羽織り、ディックとモニカは談笑しながらお金を店主に渡す。今日はどことなくモニカが悲しそうで、カスカータはいないようだった。


 ゲルトルードの魔法でサキヤノ達は難なくディックの居場所を見つけたが、二人はまだ気付いていない。

 数分待つと、二人はサキヤノのいる場所とは逆方向に歩いて行った。慌てて二人に声を掛けるが、意外にも驚かれず、かつ「おはよう」と挨拶をされる。


「良かったー会えて。そう言えば待ち合わせ場所伝えてなかったよね」


「俺もすっかり忘れてました、すみません」


「あはは、謝らなくても」


 モニカはサキヤノ達の服とヴァレリー、ディックとの親しげな様子を何故か不服げに見つめていた。視線に気付き「どうしましたか」とゲルトルードが聞くも、彼女は特に何も答えず早足に去ってゆく。


 「あー……」ディックは頭を掻いた。「ちょっと色々あってね。別に、君が悪い訳じゃないから、気にしないでね、ホント」


 珍しく歯切れの悪いディック。

 彼はサキヤノ達が口を開く前にバッグを指差し、


「試験、どうだった?」


 あからさまに話を逸らされたが、ゲルトルードが「はい、バッチリです」とバッグを漁り、真っ白な封筒を取り出す。見たことのない封筒だった。訳が分かっていないのはサキヤノだけのようで、ゲルトルードとディックは手際良く封筒を渡したり、袋を交換したりしている。

 訝しむサキヤノに振り向くなり、ゲルトルードは袋を差し出した。


「これで立派な騎士さんです」


「これは……重!?」


 袋を受け取り、中身を見たサキヤノは目を見張る。おそらく硬貨だろうが、金や銀の豪華なものが複数枚入っていた。


「お金?」


 ゲルトルードは「はい」と答える。


「叛逆軍確保、試験合格の報酬。それからディックさんの騎士団所属おめでとうのお気持ちが入ってます」


「これって何が出来る?」


「え……一ヶ月外食でも余るくらいじゃないですか」


「へぇぇ」


 価値は分からないが、これで金銭についての心配事が消えた。サキヤノはディックに向き直って、頭を下げる。


「ありがとうございます!助かります」


 頭上で「律儀だなぁ」とディックは呟き、数回サキヤノの頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「こちらこそありがとね。まぁ、それは今度話すとして。これから次どこに行くのかは決めた?」


 ディックは両手を明後日の方向に投げ、話題を捨てる仕草をすると興味津々に尋ねた。頭をあげたサキヤノは、ゲルトルードと目を合わせ、


「あぁ……特に、決めてないです」


「そう?決めてないなら、その書簡だけ届けてもらって良い?」


「ヘリオスに、でしたか?」


「それはヘリオ。惜しいね、ライノス」


 ディックは道の端に寄ると、サキヤノに地図を出すよう促し、バッグから取り出した地図を地面の上に広げる。

 緑の丸の下に「ライノス」と書かれたサキヤノの地図を指差し、ディックは聖都から緑の丸へ指の腹でなぞった。


「軍事国家、アルカナ王国の首都ライノス。東にずーっと行って、ちょっと険しい山を越えたところにある大きい国だよ。今日出発して、五日もかからずに着けるんじゃないかな」


「五日、ですか」


 頷き、ディックは聖都とライノスの間でぴたりと指を止めた。


「聖都とアルカナ王国の間には【シンルナ鉱山】を主とした山脈が連なっていて、この山越えに時間が掛かる。で、五日も掛けて行くのは時間が勿体無いから貿易用に、【リフレイン洞窟】がある。ここは商人しか通れないんだけど山賊が多出してるから、騎士団が護衛することが多い。僕らもよく頼まれるんだけど、それを利用してサキ君達にはアルカナ王国へ行ってほしい。五日かかるのが一日になるから、結構良いと思うんだけど」


 一呼吸置き「分かった?」と確認を取るディック。

 サキヤノは膝を抱えながら、眉間に皺を寄せた。まず用語多数なのが問題だ。この世界に来てから名前といい、専門用語といい、国名といい、聞き慣れない単語を多く耳にしてきたサキヤノの頭は爆発寸前である。人に話していない問題も抱えている為、手いっぱいなのだ。ディックの話も、正直早くて頭に入って来づらい。無論それが失礼な考えなのは重々承知している。

 なのに、こうも一気に単語が寄せてくると——サキヤノは目頭に指圧をかけ、小さく唸った。


「えっと、貿易用の抜け道を使うと五日かかるところ、一日で着けるんですよね。それが聖都の東側のシンルナ鉱山を——」


「——シンルナ鉱山にあるリフレイン洞窟。そこを使う為に、私達は商人さんの護衛の騎士をすれば良いんですね」


 考えながら言葉を紡ぐサキヤノに変わって、ゲルトルードが淡々と続ける。納得したディックを横目に、彼女はサキヤノの耳元で囁いた。


「サキヤノさんは色々考えてくださるから、地図は私に任せて」


「良いの?」


「もちろん。地名くらい覚えるわ」


 なんて良い子だ。

 サキヤノは胸を打たれて「ありがとう」と声を震わせた。同時に一人で考え過ぎと言われたばかりなのに、反省しない自分が益々嫌になる。


「なんか雰囲気変わったね、二人とも」


 ふとディックが呟き、二人は顔を上げた。

 穏やかに微笑んだディックの腕が伸びる。彼は両手をサキヤノとゲルトルードの頭に乗せ、勢いよく撫で回した。


「よーしよし。帽子の上からでごめんね」

 

 最後に二回叩き、ディックは撫でるのを止めた。サキヤノは照れ臭く身体全体がむず痒くなったが、ゲルトルードは目をキラキラ輝かせて頭を押さえている。とても嬉しかったようで、口をぱくぱくする姿は可愛らしかった。


「ははは、っとそう言えば。今回の依頼にあたって紹介したい奴がいたんだった」


 おかしそうに笑った後、ディックは大通りを眺める。釣られてサキヤノ達も同じ方向を見ると、去ったはずのモニカが男性を引き摺って戻ってきていた。周りを見渡してディックに気付くや否、大股でモニカが近付いてくる。


「はい。連れて来たわよ、商人との仲介が出来てしっかり護衛も出来る、ディック理想の保護部隊員」


 男性を投げ、モニカは腰に手を当てた。


「ん、ありがとう」


 お礼を言ったディックだったが、男性の顔を見るとみるみる内に青褪める。見たこともないくらい神妙な顔つきで、ディックはモニカに掴み掛かった。

 

「彼だけはやめてって言ったよね!?サキ君とゲルトルードちゃんの護衛だよ?絶対駄目って念押ししたじゃないか」


「だってディックの条件に合ったの、彼しかいなかったんだもの。異界人の付き人になる人って聞いた時手を上げたの、アンティークだけだよ」


「——少しは、妥協をっ、しろよ」


 小声で喋ってはいるが、嫌でも聞こえる会話だった。

 険悪な雰囲気にサキヤノは身体を強張らせる。ディックの怒声も、モニカの無関心な表情も見たことがないもので、恐怖を感じた。


「モニカ、これは遊びじゃないんだぞ」


「知ってる。でもディックこそ、今サキ君達が連れてる変な生き物許可したり、勝手に作戦に加えたりしてたじゃない。それこそ聖王への冒涜じゃない?」


「生き物については知らない!」


 ディックが声を荒げたところで、全員がヴァレリーを見た。


 しまった、彼らに説明していなかった。


 何故忘れてしまったのか、肝心な時に駄目な奴と自虐しながら、時すでに遅く、サキヤノは下唇を噛む。慌てるサキヤノとは対照的にヴァレリーは羽根を震わすと、落ち着いて集団の中央に躍り出た。


「私はヴァル。サキヤノに世話をしてもらっている」


 ヴァレリーは悠然と名乗る。

 サキヤノと同様、ディック達は混乱しているようだった。どこで拾ったのか、これは何なのか、聞きたいことがたくさんあるのだろう——サキヤノを見る視線は痛い。

 そこで、沈黙を破るけたたましい笑い声。

 誰もが肩を揺らす中「良いねぇ」とモニカに連れて来られた男性が膝を叩いた。

 サキヤノは男性を見上げ、その容姿を観察する。

 明るい金髪をオールバックに固め、眼帯をした姿はとても威圧的であった。八重歯と赤目を光らせた顔の両耳には派手なピアスが一つ。服装も黒衣に真っ赤な外套を乱雑に羽織った、ディック達とは全く異なるものだった。

 サキヤノは本能的な怖さを感じた。

 そんな長身痩躯の男性はサキヤノ達を見下ろし、


「どもっす。保護部隊所属のアンティークっていいます!これでもカスカータさんの後輩なんで、頑張らせていただきます!」


 と、意気揚々と自己紹介をしてみせた。

 ディックは派手な男性——アンティークの前に立ち、進路を塞ぐ。


「ディックさん、どいてくださいよ」


「異界人だよ、君が相手にするのは」


「へへ、まぁ異界人と比べれば月とすっぽんッスけどね。もちろんオレが月です」


「そんなこと聞いてない」


 ディックはアンティークの言葉を阻み、顔を歪める。背丈はアンティークの方が圧倒的に高く、ディックは彼を見上げていたが、決して辟易はしなかった。


「なんで君が護衛なんかするんだ。現役の戦闘員だろ、しゃしゃり出て来なくて良い」


「いやー、オレも嫌なんですけどね?モニカさんに仕方なくって言われたら、言うこと聞くしかないでしょ」


 口論が始まる。

 また、自分のせいで。

 ゲルトルードは心配そうにディックを見つめている。モニカは腕を組み、こちらに見向きもしない。


 サキヤノは腕を抱えて顔を伏せた。自分が原因の言い合いは嫌いだ、と心の中で呟く。

 胸が苦しくなり、呼吸もしたくなくなる。耳も塞ぎたいが、それは無責任だろう。聞きたくない、見たくない時程五感が優れるのは、本当に嫌だと思う。


 と、サキヤノが色々考えている数十秒で、口論は終わりを迎えた。ディックが引き下がる形になったようだが、彼の瞳は悔しさが滲んでいる。


「じゃーオレが護衛しますね。知識はそんなにないですが、一応あんたらよりは詳しいんで、どしどし頼ってください」


 アンティークは腰を落として口角を上げた。


「まっ、頼ろうとする低姿勢さが気に食わない時もあるんだろうけど、気にすんな」


「……はぁ」


 サキヤノはなんとか声を搾り出し、硬直した身体に必死の命令を送った。動かないじゃなくて動かせ、と言い聞かせて地図をバッグにしまい、ヴァレリーを抱く。

 サキヤノを敵視しているのは——はっきり言って、かなり嫌っているのが、言葉の節々から感じ取れた。だからディックが、あんなにも拒否してくれたのだろう。

 誰からも嫌われたくなかったサキヤノだったが、初対面で嫌がられるのは避けようがない。努力しようもない。


 サキヤノを憐れみ、口を固く結んだディックはアンティークの肩に手を置いた。


「悪ふざけはやめろよ。お願いだから、彼の意欲を削ぐことはやめてくれ」


 ディックの鬼気迫る表情は、サキヤノを少しだけ安心させた。


「アンティークさん、サキヤノさんは任せてください。貴方には商人さんとのお話を、頑張っていただきたいです」


 腕を組んだゲルトルードの言葉も、心強い。


「別に悪さなんかしませんって。ただ少し異界人が苦手なだけなんですって……」


 何故かサキヤノを極端に嫌うアンティークは、ディックとゲルトルードに鋭い視線を向けられ、肩を竦めた。



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