第二十一話 成長の兆し



 誰でも、理由なく嫌われるのは良い気分ではないだろう。初対面の人間に嫌われていた時の対処法なんて、誰も知らないのではないか。


 そんなことを考えるサキヤノはディック達と別れ、『共鳴師』のゲルトルード、預かり鳥のヴァレリー、保護部隊員のアンティークと共に煉瓦の門へ向かっていた。

 リフレイン洞窟と呼ばれる貿易商人専用の道を行く為、アンティークに案内してもらっているところだった。サキヤノは彼の機嫌を損ねないように息を殺して着いていき、ゲルトルードは小走りで後を追う。全員が黙る中、ヴァレリーだけが「ほう、この街は煉瓦が主流なのか。空気も中々悪くはない」と、わざとらしく感動している。

 微笑ましいが、アンティークは怒るのではないか。

 サキヤノが懸念した矢先、


「うっせえ、黙れ鳥」


 吐き捨てるように言って、ついに痺れを切らしたアンティークが足を止めた。

 彼はポケットに手を突っ込んだまま振り向くと、サキヤノからゲルトルード、ヴァレリーへ順番に視線を送る。


「そういやぁ、オレあんた達のことなんも知らねえや」


 がはは、と大仰な笑い声。だが、アンティークの顔に笑顔はない。アンティークは鋭い視線をサキヤノに戻し、もう一度「なーんにも知らねえなぁ」と繰り返した。

 「あっ」遠回しに自己紹介を求められたと気付き、サキヤノは頭を下げる。


「サキヤノです」


「ゲルトルードです」


「ヴァルだ」


 と、ゲルトルードとヴァレリーが続ける。


 「ゲルトルードにヴァル。そんで」アンティークは名前順に指差した後、サキヤノの目の前でぴたりと指を止めた。「本名は?」


「えっ」


「ほー、んー、みょー、を教えろ」


 指を上下に動かしながら、アンティークは鼻を鳴らす。

 異界人保護部隊と名乗るだけあり、アンティークも本名や神託について知っていた。本名を聞く人の多い異世界で、神託は意味があるのかとサキヤノは愚考する。

 考えるのをやめ、少し溜めてからサキヤノは小さな声で答えた。


「……桜庭です」


 「はーん」アンティークは器用に片眉を上げる。「じゃ、サクって呼ばせてもらうわ」


「えっ」


「いちいち驚くな、鬱陶しい」


 眉間に険しい皺を寄せると、アンティークはまた歩き始めた。


 気まぐれで怒りっぽい。それでいて自分のことが嫌い、と。

 これまで誰かの優しさに支えられて異世界を過ごしたサキヤノにとって、アンティークは辛い人種の男性だった。元々気が弱く、言い返すことは中々しない自分。自己主張することも、滅多にない自分。

 もちろんそれを腹立たしく思う人がいるのは分かっていた。学校生活で嫌という程知ったのに、色々な優しさに触れたおかげで忘れていた。

 ——やっぱり、変われないのだろうか。


 サキヤノは自分自身を分析しながら、服の裾を握り締めた。


 ——そんなこと、ない。

 嫌いを苦手で終わらせるな、とサキヤノは呟く。アンティークは苦手な異界人の為に時間を使う人で、まだ直接的な悪口も暴力も振るっていない。ただ単に態度が変わるだけで、まだ「良い人」。

 初対面で嫌われていたのなら、今後のやり取りで良好な関係を築き上げれば良い。それが一番良い。


 短い時間で対処法を編み出したサキヤノは一人大きく頷く。きっと昔の自分なら考えられなかった、前向き過ぎる答えだが。

 背中を押すゲルトルードに笑顔を返したサキヤノは、自分を信じてアンティークの後に続いた。

 

 歩幅の広がった大きな背中を必死に追い、サキヤノは大通りを抜けた。連なっていた街並みが途切れると、周りの人間の服装が徐々に「通行人」から「冒険者」へと切り替わる。冒険者らしきほとんどが街中ではなく、門近くに集まっているのは何か理由があるのだろうか——と考えるサキヤノの肩をゲルトルードが軽く叩いた。


「あれ、あれですよサキヤノさん」


 ゲルトルードが示す方向へ視線を遣ると、開いた門から橋にかけて、大量の馬車がたむろしていた。ほとんど占領に近く、橋を渡ろうとする人間を追い払う商人の姿は少なくない。


「い、意外とおっかない集団だな」


「いえ?理由あってお断りしてるだけみたいですよ」


 想像とかけ離れた『商人』に目を白黒させたサキヤノだったが、ゲルトルードの一言で思い直す。もう一度楕円形の門に目を凝らすと、断られた冒険者達が笑顔で去る姿が見えた。

 サキヤノは改めて周りを見渡す。

 馬車は二割が豪奢な鉄製で、八割が素朴な木製の二種類。星に似たマークを象ったケープや羽織を着た人の中で、一部軍服のようなお洒落な衣装を着た人もいる。


「あのマークは聖都で何度かお見かけしましたね」


 ゲルトルードはサキヤノと同じものを見ているのか、顎に手を添えて呟いた。


「そうだっけ」


「はい!私、どうでも良いものばかり見てしまうからよく覚えてます」


「すごいな。じゃあ、あの軍服は——」


「あれはアルカナの行商人だ」


 暫く黙っていたアンティークが、不意に会話に割り込む。サキヤノはつい口を噤むが、ゲルトルードは「へぇ」と感嘆の声を上げた。


「アルカナ王国、雰囲気全然違いますね」


 アンティークはアルカナ王国の商人を見据え「そうだろ」と頷く。


「隣国のくせして、全然文化が違うんだよ。シンルナ鉱山を挟んだ先は本っ当に別世界なんだよな」


 アンティークはゲルトルードを見てニヤリと微笑した。


「アルカナ王国だけですか?」


 上目遣いで続けるゲルトルード。


「まぁ……な。あの辺り一帯はここらと違って『軍』を持ってる。騎士団に匹敵する、魔法ではなく科学を極めた究極の部隊だ。他にはあんな技術力も発想もねぇよ」


 一瞬たじろぎ、目を逸らすもアンティークの口は止まらない。


「ヴィリジット王国は違うんですか?」


「あそこは魔法と化学を両立しているが、まぁ似たようなもんさな。要塞の中はもう異次元。行ったんだろ?こんな辺鄙へんぴな田舎とは全然違っただろ」


「そうですね……ちなみに、どうしてそんなに文化が違うんですか?」


 ゲルトルードはここぞとばかりに質問を重ねた。

 表情には出さなかったが、アンティークの口調は強まり、返答は適当になる。


「さぁ?詳しくは知らねえけど、元々アルカナ王国は別大陸で、だったってのは聞いたことあるな」


「アンティークってお名前なだけあって、昔のことに詳しいですね」


 ——と、ここでゲルトルードらしからぬ強気で嫌味たらしい言葉。


 アンティークという単語は『昔』を意味すると姉に聞いたことがある。故にゲルトルードの発言の意味が分かり、何故かサキヤノが身を縮める。


「ははっ、言うねぇ」


 しかしアンティークは気にする素振りも見せず、可笑しそうに目を細めた。ポケットから手を抜き「参った」と言わんばかりに、手袋をはめた両手を挙げる。

 それを見たゲルトルードは首を竦めた。


「貴方、とても残念ね。もちろん良い意味で」


「そう言うなよ、照れるぜ」


「別に照れさせようと思ってません。貴方には……私が嫌いになる要素がたっぷりあるもの。わざわざ好意を示すわけないです」


「はっ、まだガキのくせに生意気な」


 暫く中身のない会話を交わしていた二人だったが、ヴァレリーの「誰か来たぞ」という呟きで中断する。

 「ナイスだヴァル」アンティークはヴァレリーと、それから後方に視線を向け「おぉい」と誰かを呼んだ。


 サキヤノは後ろを振り返る。

 門の反対側には何人かの商人と冒険者がおり、その中で最も目を惹く女性がアンティークの声を聞いて顔を上げた。

 深緑の軍服を着た、淡麗な顔立ちの女性だった。高い鼻梁に切れ長の目と、一見気の強そうな見た目だったが、アンティークを見つけるや否、その顔には子供のような無邪気な笑みが発露する——が、その前のサキヤノと目が合うと女性はすぐに笑顔を消し、口を固く結ぶ。

 隣の男性に紙束を渡し、女性はアンティークに駆け寄った。後ろで手を組み、やや前傾姿勢で微笑む。


「待たせたかしら、ストレージさん」


「いや?むしろ悪いな、忙しいのに頼んじまって」


「別に良いわよ。それより……」


 言葉を切り、女性は体の向きを転回してゲルトルードの前に立った。

 サキヤノの視線は、彼女の浪漫溢れる軍服に釘付けになる。深緑色で統一された服と帽子、腰に携えた細剣はまさに『軍人』のイメージにぴったりだった。左肩に掛かる白銀のペリース、吊るされた黄金の飾緒は鮮麗で、彼女の為だけの衣服に見える。


 編み込んだ前髪をさっと払い、女性は腰に手を当てた。


「異界人は貴方?それとも、貴方?」


 そう訊く女性に、サキヤノはゆっくりと手を挙げる。女性は桜色の瞳を丸め、ゲルトルードを一瞥してから、


「結構若いのね。どこにでもいそうな人じゃない」


「こんなので勅使出来るんだぜ、オレは聖都を見損なったよ」


 間髪入れずにアンティークは不満を吐き出し、ゲルトルードが頬を膨らます。気の弱い自分に変わって怒るゲルトルードには、毎度のことながら申し訳ない。

 サキヤノはゲルトルードに小声で「ありがとう」と伝え、女性と顔を合わせた。


「まだ未熟ではありますが、勅使というものをやらせていただいてます。サキヤノと申します」


「補佐のゲルトルードです」


「ヴァルだ」


 打ち合わせもしていないのに、ゲルトルードとヴァレリーは無駄の無い自己紹介を続ける。女性は顎を上げ軽く顔を反らしながら「ふーん」とそれぞれの顔を見下ろした。

 じっとりと艶かしい視線を送り終えると、女性はブーツの踵を鳴らして姿勢を正す。畏まり、咳払いをしてサキヤノを見据えた。感情の消えた無機質な瞳がサキヤノを射抜く。

 全身に緊張が走った。身体が強張り、背筋が自然に伸びる。


「改めまして。ライノスの行商人の元締を務めております、シンシア・ロストです。聖都とは今後も末永く交流していきたいので、どうか今後もお見知り置きを」


 胸に手を当て堅苦しい挨拶をしたシンシアだったが、すぐに直立を解き「それで」と話を切り替えた。

 口調、身に纏う雰囲気を思うがままに操る軍人に息を呑みながら、サキヤノは言葉の続きを待つ。


「今回貴方達は特使としてじゃなくて、騎士団員としてアルカナに入国するのよね?」


「特使じゃないぞ」


「——勅使として、じゃないわよね?」


 サキヤノはゲルトルードと顔を見合わせた。

 ライノス宛の書簡と包みは持っているが、ディックは保護する騎士団として入国、と話を進めていた気がする。

 「それとも入国許可証持ってる?」果たしてどちらなものかと困るサキヤノを見て、シンシアは苦笑いを浮かべた。「アルカナ王国は形式的なものに厳しいけど、あたしの権限なら入国ぐらい容易いから教えてちょうだい」


「情けねぇ奴」


「少し黙って」


「あだっ!?……っんだよ、なんでそこまで優しく出来んだよ……」


 合間合間に茶々入れするアンティークに肘鉄をかますシンシア。溜め息を吐き、額に手を添えて彼女は若干の苛立ちを見せた。


「はぁ、調子狂う……まぁ良いわ。それで?どっちなの?」


 「私に任せてください」小声でサキヤノに伝え、ゲルトルードはシンシアを見上げた。「図々しくはありますが、どちらも務めたいと思っております」


「それは貴方の意見?サキヤノさんの意見?」


 厳しい返しに、ゲルトルードはぽかんと口を開ける。彼女は暫し黙って目を泳がせると、長い睫毛を伏せた。

 ひぇ、とサキヤノは声を抑えて肩を竦める。


「……私の、意見です」


「そうね。あたしは貴方の言葉を待ってるのだけど、サキヤノさん?」


 細剣の柄をコツコツと叩きながら、シンシアは名指しで会話を再開する。

 名前を呼ばれたのなら自分で答えるしかない。ゲルトルードには申し訳ないことをさせてしまった。後で謝らなければ。

 サキヤノは徐にシンシアを見上げるが、氷の如く鋭利な視線に負けて、すぐに目を逸らす——瞬間、ふとカスカータの言葉を思い出した。


 「自分に自信がないクセに」。


 サキヤノは慌てて視線を戻す。

 まるでシンシアに言われているようだった。実際は黙ってサキヤノを見つめているだけで、彼女は怒りも蔑みも表情に出していない。

 目を逸らすのは逃げだ。自分の弱い心の現れだ。カスカータの言った通り、自分に自信がないから正面から向き合えない。

 サキヤノは分かりきった短所を飲み込んで、口を開いた。


「……こ」


「こ?」


 頭の中で何を言うかまとめて、詰まらないように意識する。


「……個人的には、自分とこちらのゲルトルードが勅使として役割を頂いてますので、外交官的な立場で入国したいです。この鳥と、その、アンティークさんは騎士団として」


 それを聞いて、興味なさげに遠くを眺めていたアンティークが身体を揺らす。視界に入ったアンティークの動作に感化され、サキヤノは口を固く閉じた。


「なんでオレがお前に命令されなきゃなんねぇの、おかしいだろ」


「黙ってストレージ」


「……オレはアンティークだ」


 凝然とサキヤノを睨み、アンティークは歯軋りする。

 「個人的に、なんて代表が言っちゃ駄目よ」アンティークを全く気にせず、シンシアは首を回した。「あたしが言うのもお門違いだけど、もっと自覚しなさい?」


「……はい」


 サキヤノの返事を満足そうに受け取り、シンシアは腕を組んだ。次いで人差し指をぴんと伸ばし、


「素直なのは良いことね。要望通り、サキヤノとゲルトルード両名は外交目的、アンティークは騎士団として、ヴァルは鑑賞鳥としての入国を手配してあげなくもないわ」


「わぁ、寛大ですね。ありがとうございます!」


「……!ま、まぁね。感謝されてあげなくもないわ」


 シンシアはゲルトルードに褒められ、恥ずかしそうに口を尖らせた。


「も、もうそろそろ出発かしらね。そうだ、貴方達みんなライノスの馬車に乗って行きなさいよ。きっとそれが良いわ、ええ。みんな許可するわ」


 途端に語彙力が低下した商人の元締は言いながら、わたわたと手を動かす。先程までの彼女は何処へ、とサキヤノは呆気に取られた。

 しかしアンティークは動じることなく鼻で笑う。


「生憎だがオレは聖都の護衛なんで却下。ついでにコイツらもな」


「へっ?あぁ、そうね、そうだったわ。ついうっかりごめんなさ……あぅ!……あぁ、駄目ね。靴底が擦り減っちゃってるわ」


 踵を返した瞬間、何もないところでシンシアは躓いた。短い悲鳴を上げつつ平静を装うが、不意に周りを見渡してハッとする。


 サキヤノ含めた周りの人間に注目されていることに気付き、シンシアは叫んだ。


「何よその目はっ」


 これがギャップ萌えか、と不相応ながらサキヤノは思った。



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