第十九話 本当の依頼



 持ち物が何も要らないと伝えると「すぐ行ってきます」とサキヤノはそそくさと聖都外れの屋敷に向かった。

 サキヤノはいたずらに先を急ぎ、忙しなく動く。まだ全快ではないと言うのに、気を遣って、最適な行動を取ろうと努力もする。

 生き急いでいるように見えるが、彼は異界人としては、とても幸せな道を進んでいるだろう。


「本当運が良いよね、君は」


 サキヤノ達を見送った後、ディックは一人呟く。

 間宮かんきゅうを後にし、カスカータとディックは、ある場所に向かっていた。ディックは仕事として行く為、謹慎処分を受けたカスカータは連れて行けないのだが「勝手に着いていくだけ」と澄ました態度で反故ほごにしている。


「ディック」


「……なに?」


 口を開くと喧嘩になりそうだからと、一瞬躊躇ってからディックは反応した。


「アナタって優しいのね」


「やめてよいきなり」


 正直不必要な会話は面倒臭い。カスカータも分かっていながら話し掛けてくるから、達が悪くて仕方ない。

 ディックが早々に会話を切ると、カスカータはそれ以上何も言ってこなかった。

 二人して黙ったまま、聖都の裏道に入る。薄暗くなり、二人分の足音が狭い通路で反響した。更に西へ西へと入り組んだ道を歩いてゆく。

 暫くして、ディック達は目的地へ辿り着いた。

 「なんでここなの」カスカータが不満げに言う。「知ってて言わなかったの?」


「聞かなかったじゃん」


 ディックはカスカータの嫌がる場所——旧アジトを見上げた。大量の叛逆軍を捕まえることに成功した砦は、変わりなく静かに佇んでいる。

 ディックは「立ち入り禁止」と書かれた看板を通り過ぎ、室内に足を踏み入れる。


「やぁ」


 そして暗闇に向けて挨拶をした。

 闇に包まれた室内で、一つの影が動く。影はソファからゆっくり立ち上がると、ディックに近付いた。


「……もう一人連れてくるなんて聞いてない」

 

「こっちにも事情があるんだよ」


 部屋から出てきた男が溜め息を吐く。

 彼こそがディックが会う約束をしていた人物であり、今から「依頼」をする青年だ。


 ディックはふん、と鼻を鳴らす青年を見遣った。

 少年は黒衣を纏い、フード付きのマントで身体の半分を覆っている。まだ幼さの残る顔は青白く、漆黒の髪を無造作にしまったフードの下では、憂いを帯びた橙色の瞳が微かに輝いていた。

 夕焼け色の瞳を光らせ、青年は早くしろと言わんばかりに顎をしゃくる。


 早速ディックは本題に取り掛かった。


「君に頼みたいのは護衛でね。見てくれたよね、この異界人」


 ディックは隠し撮りをしたサキヤノの写真を青年に渡す。青年は写真を摘まみ、目上にかざした。


「見たよ。こいつを守れば良いんだな」


 上目遣いで写真を眺め、青年は懐にしまう。


「頼んだよ『仲介屋』。今度は、絶対に守ってあげて」


 ディックは青年に念を押した。

 ——裏の世界と表の世界を繋ぎ、公平な立場を保つ『仲介屋』に、念を押すのは無駄かもしれないが。


 青年は「まぁ」とディックの予想通り聞き流す。


 いつもならこの後すぐに別れるのだが、今回はそうはならなかった。青年はすぐに去らず、無気力に目を細めてディックを見据える。


「珍しく異界人に入れ込むんだな。そんなに、あの桜庭とか言う異界人は魅力的なのか?」


 彼から私事の会話をされたのは初めてだった。

 ディックは少し嬉しくなって、


「君こそ珍しくお喋りじゃないか」


 と似たような前振りを置くと、青年は眉間に皺を寄せ立ち去ろうとした。ディックはクスクス笑い、今度は真剣に答える。


「……なんか、退屈しないんだよね。今までの異界人は保護ばかりだったけど、彼は自分で厳しい道を選んだ変わり者だからさ。ちょっとでも手を貸してあげたくて」


 青年の進む足が一瞬止まった。

 それからカスカータ、ディックの順に視線を動かし、


「……約束通り、片手間の護衛だからな」


 青年は去り際にそう呟いて、聖都の闇に消えた。



 ——青年と運命が交錯することを、今のサキヤノは知る由もない。







*****






 聖都の騎士団が請け負っている中で、最も安全で最も簡単だという依頼を受け、サキヤノとゲルトルードは大通りを歩いていた。

 ゲルトルードは仕事をもらって余程嬉しかったのか、満面の笑みでスキップをしている。


「すごい元気だな」


 ゲルトルードはクリーム色の髪を大きく揺らしながら、くるりと一回転した。


「ええ!本当に楽しみ!色んなところを歩けるだけでも幸せなのに、変わったお仕事ももらえるなんて」


 その発言から、箱入り娘だったのかなとサキヤノは勝手に想像する。世間知らずさといい、独特な距離の詰め方といい、あながち間違いではなさそうだが。


「良かったな」


「ええ!」


 サキヤノも嬉しくなって一緒に喜ぶが——到着するなり二人には重苦しい空気が流れた。


「……えーっとゲルトルード?」


 サキヤノは地図の目標地点と目の前に頓挫する建物を交互に見比べる。あまり注視をしたくない現実から目を逸らし、ゲルトルードの意見を仰いだ。


「……ちょっと見た目は変わっていますが、地図の位置と言い、間違いないと思います」


「……やっぱり?」


 サキヤノは聖都を一周したつもりだった。しかしあくまで「つもり」であって全て見たわけではない。

 自身が城と名付けた『聖宮』は神秘的で荘厳で、近付き難い魅力を放っていた。大理石の階段の有無を言わさぬ威圧感、土足で踏み入るのを躊躇う程の純白、慄然たる重厚な警備と、良さを挙げればキリのない傑出した建物は、まさに聖なる地の中心部に相応しいだろう。

 あの空間だけが聖都における異物だと思っていた。


 ——が、目前の建物は更に異質さを上回っている。


 サキヤノは地図から顔を上げた。

 聖都を「純白」と称すなら、この屋敷は「漆黒」と称しても過言ではない。正面に向かって凹型の屋敷を、サキヤノはマジマジと眺めた。闇夜に似た黒壁に灰色の扉、建物の両サイドに備え付けられた階段は太陽の光を反射して鈍く光っている。


「人はいる……よな」


 サキヤノは目線を扉から屋根に移す。辛うじて聖都の一部らしい赤茶色の屋根からは煙突が延びており、黒煙が立ち昇っていた。


「サキヤノさん、お気持ちはよく分かりますが早く行きましょう」


 ゲルトルードに腕を引かれるも、サキヤノは得体の知れない怪物に喰べられるような、そんな恐怖が湧き出て足を止めた。


「やっぱり…軽い気持ちで受けちゃ駄目、だったな?」


「えー、そうですか?」


 そんなサキヤノとは正反対に、隣のゲルトルードは心底楽しそうである。サキヤノが舞い上がる彼女を羨ましく思っていると、ばちりと目が合った。


「あっ……」


 ゲルトルードは何かに勘付いて眉を下げ「緊張しますね」と酷く残念そうに呟いた。しかし瞳からは好奇心が溢れ出ており、上がった口角を隠すことが出来ていない。今のは彼女なりの気遣いだろう。輝く翠目から視線を外し、サキヤノが決意の拳を握る寸前——。


「えっと失礼します」


 するりと流れるような動作で、ゲルトルードはサキヤノの腕を組んだ。同時にサキヤノの緊張と恐怖は吹き飛び、胸の奥で好奇心が疼く。

 すぐにゲルトルードの魔法だと分かった。


「これで怖くないですね!サキヤノさんちょっぴり臆病ですが、私の役割が出来て最高ですっ」


「……ぅん」


「分かっています!やるのは掃除だけです。でも楽しまないと損よ。だってこんなに立派なお屋敷、滅多に入れないもの」


 敬語を崩したゲルトルードの言葉は、サキヤノの低い女性耐性にグサリと刺さった。見事に心を撃ち抜かれ、サキヤノは眉根を寄せた。


「サキヤノさん?」


「——な、んでもない。なんでもない」


 覚えのある鼓動を必死に落ち着かせ、サキヤノは地図を畳む。

 そして快晴の中、サキヤノ達は屋敷の扉を叩いた。扉付近にはインターホンもドアノッカーも見当たらず途方に暮れたが、止むを得ずシンプルなノックを二、三度続ける。

 ゲルトルードの「開けてもらう案」は窓を壊す、扉を無理矢理こじ開ける、煙突から侵入する、と見た目に反して荒いものだった。それをさせない為にサキヤノはノックを繰り返すが、中々屋敷主は出てこない。


「サキヤノさん、やっぱり窓を壊した方が……」


「いや、それはやりたくないかな」


「そうですか」


 ゲルトルードは残念そうに肩を落とした。


 しかし、とサキヤノは窓を眺める。煙突から吹き出る煙で人がいると判断したが、窓のカーテンはこんな日中であるのに閉まったままだった。それも複数ある全ての窓が、中の様子を秘匿している。

 あながちゲルトルードの案は間違っていないかもしれない。気づいてもらう為に、必要な行為かもしれない。


「なんか……全部の窓のカーテン閉まってて気味悪いな」


 そう口にはしたものの、ゲルトルードの好奇心に圧されているのか恐怖は不思議とない。


「まさに幽霊屋敷ですね。住んでるなら、昼間くらいお天道様を浴びた方が家的に良いと思います」


「そうだなぁ、俺もそう思うよ」


 もう一度ノックする。今度は強めに三回。


「あのー、依頼を受けて来ましたー」


 サキヤノは声も上げてみる。

 すると、中から階段を駆け下りる音が聞こえた。扉の向こう側で鍵を開けるような音が数回鳴り、目の前の扉がようやく開く。

 金属が擦れる不快音を響かせながら、屋敷主であろう人物が顔を出した。


「……もしかして、騎士団の方?」


 顔の大部分を扉の奥に隠したまま、消え入りそうな声を発する屋敷主。

 聞き取りやすいソプラノ声で、女性だと分かった。

 サキヤノは帽子を深く被り直し、なるべく爽やかな笑顔を返す。


「はい、依頼を受けて参りました。まだ不慣れではありますが、精一杯やらせていただきます。あの、しっかり騎士団の証を持って来ましたので—— 」


「ふーん、そう」


 女性はサキヤノの震える声を聞き流し、頭の先から爪先まで視線を這わせた。次いでゲルトルードの服装も観察して「へえ」と間延びした声を出す。

 ガラス玉のように光り輝く碧眼を細めた女性は


「貴方達素敵な服ね。お若い騎士団さん、待ってた。どうぞ入って」


 と意外にも歓迎の言葉を並べた。

 扉を開け放ち、友好的に招待されたサキヤノ達は静々と足を踏み入れる。


「おぉ、すげ……」


 まず目に飛び込んできたのは、極彩色ごくさいしきの巨大なシャンデリアだった。屋敷全体を明るく照らす灯りは己の宝石を反射させ、壁や天井に虹色の光をまぶしている。シャンデリアの奥には左右対称の階段があり、踊り場には見映えの良い絵画が飾られていた。

 サキヤノは息を呑んで、左右に視線を動かす。円弧を描く階段は凹型の飛び出た空間を繋いでおり、特徴的な屋敷に合点がいく構造をしていた。また、壁紙や絨毯といった基礎的家具を始めとして、屋敷内は色褪せた淡赤色で統一されている。

 外観よりも聖都らしい、従容しょうようたる魅力をもっていた。


「サ、サササキヤノさん。私こんなに凄いと思ってなかったです」


 はわわ、とゲルトルードは目を輝かせた。


「俺も、まさかここまでとは思わなかった」


 すっかり屋敷に目を奪われていたサキヤノだったが、女性の「あの」と控えめな呼び声で礼儀知らずの行動に気付いた。


「すみません!勝手に色々見てしまって……!」


 女性は目を丸くした後、口元に手を当てて上品に微笑んだ。


「そんなに感動してもらえるなんて、嬉しい。お若いから心配かも、ってちょっと思ったけど、悪い人じゃなさそう」


 サキヤノは改まって微笑する女性と向き直る。

 女性にしては長躯な身体を蒼のドレスで包み、見事な金髪を一つに束ねていた。フィッシュテールのシルエットが彼女の長身を、水平に切り揃えた前髪が彼女の小顔を引き立たせる。花飾りの髪留め、空色のアームレット、白足を隠す筒丈の長いブーツと装飾品にも品があった。

 高価そうな服に大きな屋敷。サキヤノは一目見て『お嬢様』と確信した。

 顔の形に沿って垂れた髪を耳に掛けると、

 

「——ん、ついて来て」


 と見惚れるサキヤノに背を向け、女性は早足で階段を駆け上がっていく。サキヤノは不機嫌そうなゲルトルードと顔を合わせて、急いで女性の後を追った。

 年季の入っていそうな階段だったが、軋むことなく木材の音を反響させた。サキヤノは楽しみながら階段を踏み締める。一段一段微かに変わる音が心地良く、上り終えると名残惜しくなる程だった。


「なんか嬉しそうですね」


「うん。なんか……懐かしいって言うか」


 頷きながらも、サキヤノは疑問に思う。この屋敷に来たのは初めてなのに、懐かしいとは。


「もしかしたらご自宅と似た雰囲気なのかもしれませんね。私もそうやって感じる時ありますもの」


 そっかあ、とサキヤノは頬を掻いてから、ゲルトルードを二度見する。


「……あれ、俺今口に出した?」


「?ええ、初めてなのになんでだろう……みたいなニュアンスを」


 サキヤノはもう一度「そっか」と言いながら、心の声を洩らす自分に嘆息した。これでも後戻り出来ない試験の途中なのに、感情に流されるのは如何なものかと反省する。

 帽子の鍔を撫で、サキヤノはゲルトルードに念を押した。


「ごめん。これ一応試験なのに、緊張感なくて。俺ちょっと努力するから、一緒に頑張ろう」


 辿々しかったが、ゲルトルードは「もちろん」とサキヤノにとって期待以上の返事をする。

 気合を入れ直したところで、ある部屋の前で女性は足を止めた。不意にサキヤノ達に向き直り、後ろ手を組んで柔らかな笑みを称える。


「えっと、貴方達……じゃなくて。そう言えば名乗ってなかったね。私はラピズリィ。貴方達は?」


 淡々としてはいるが、表情豊かなラピズリィが小首を傾げた。

 容姿だけでなく名前も綺麗な女性だ。サキヤノはゲルトルードに目配せし、


「俺はサキヤノです、それでこちらが」


「——ゲルトルード、と申します」


 ゲルトルードは胡乱うろんな目つきでラピズリィを凝視した。

 きっと思い上がりだが、ゲルトルードは自分以外の人間に厳しい気がする。もしかしたら『共鳴師』というだけあって、相手の心が分かってしまうからかもしれない。自分が分からないような人の闇、企みを瞬時に感じ取ってしまうのかもしれない。たまに毒を吐き、たまに辛辣な態度を見せる彼女と普段の丁寧な彼女には齟齬があるが、そこに触れるのはもっと親しくなってからにしよう。少しずつ距離を詰めよう、とサキヤノはゲルトルードを見つめた。


「どうしましたか?」


「いっ、いや!なんでもない」


 早速あからさま過ぎた。サキヤノは目を泳がせ「それより掃除。そう、早く掃除しなきゃね」と下手に話を逸らす。

 首をひねるゲルトルードと声が裏返るサキヤノを見て、一息ついたラピズリィは「本当は掃除じゃないの」と呟いた。


「えっ」


 サキヤノは耳を疑った。焦りが吹き飛び、ラピズリィに恐る恐る尋ねる。


「……もう一度、お願いします」


 サキヤノは聞き間違いを信じるが、


「本当は掃除じゃないの。依頼したかったのは、全く別のこと」


 ラピズリィはあっさりと、本当の依頼内容を告白した。先程とは打って変わって表情は少しも変わらず、気持ちが読み取れない。


「嘘でも吐かないと、来てもらえないと思ったから」


 そこで初めて視線を落とし、金の髪束を耳にかける。ラピズリィは気を紛らわすように耳たぶを弄りながら、上目遣いで続けた。


「ある子を預かってほしいのが、本当の依頼。ちょっと珍しいけど、騎士団の方なら引き受けてくれると思って。ずっと掃除の依頼をしてようやく受理してもらえたから、今すごく期待してる。どう?」


 えへへ、とラピズリィは含み笑いを溢す。

 なんとなくあざといが可愛い、とサキヤノはつい呼吸を忘れた。この世界の人は仕草も容姿も美麗な人物が多く、加えて優しいのだ。惹かれないはずがない。

 単純なサキヤノではあるが、簡単に「はい」と言える権限や責任は持ち合わせていない。サキヤノは緩んだ表情で答えた。


「ちょっと俺らでは判断出来かねます……」


「ん、じゃあまず見るだけ見て」


「そんなっ」


 ラピズリィは扉を開け、サキヤノとゲルトルードの双方を無理矢理部屋に引き摺り入れた。その部屋は暗く、サキヤノは目を細める。


「灯り、点けるね」


 ラピズリィのペースに呑み込まれ、二人が躊躇いなく頷くと、小ぶりなシャンデリアの光が灯った。暗闇が眩い光に包まれ、一瞬で部屋の全体像がハッキリと浮かび上がる。

 淡赤色で統一されているその部屋は、積み上がった本が壁や床を覆い隠していた。大量の本は書斎を彷彿とさせるが、その中には異質な物体が一つ。


 ——鳥籠だ。しかも『何か』が蠢いている。


 サキヤノは外で自分が感じた恐怖の正体が『それ』だとすぐに分かった。得体のしれない恐怖に身の毛がよだつ。ゲルトルードも直立し、サキヤノの隣で鳥籠から視線を外さなかった。ゲルトルードに影響されたのか、部屋は重苦しい空気に包まれ、サキヤノは鼓動の早くなる胸を押さえる。

 鳥籠の『中身』がサキヤノへ振り向きかけたところで、嘘のように重圧が消えた。


「……へっ?」


 ゲルトルードが素っ頓狂な声を上げ、目を瞬かせる。サキヤノも同様、彼女のように驚きを隠せなかった。

 悪寒が引いたことはもちろんだが、鳥籠の中にいた、見たこともない生き物にも衝撃を受ける。サキヤノは目を離せず、唖然とした。

 背丈20センチ程の小さな身体に、忍者頭巾と新緑色のローブを纏った生き物。そのローブの隙間からは、翼のような褐色の物体がはみ出ていた。小さな生き物にしてはお洒落な服を着込み、おまけに左側の羽角には立派なシルクハットを被っている。

 服に触れなくとも、その生物は犬、猫、鳥とサキヤノの頭に浮かんだ名称には当てはまらない、不思議な見た目をしていた。


 丸い瞳が、サキヤノを射抜く。謎の生き物の眼は澄んだ白藍しらあいで、美しい色をしていた。

 生き物の、マスクで隠れた口元が微かに動く。


「どうした次女。何か良からぬ出来事でもあったのか」


 抑揚のついた声で、その生物は言葉を発した。

 小さな嘴からは想像もつかない、勇猛で自信たっぷりな大声だった。


「……この子は?」


「この子は私の父が拾ってきた小鳥さんです」


「どう見ても小鳥に見えないんですが……!?」


 ラピズリィはさも当然のように言う。


「羽根があって空を飛べる。多分嘴もある。つまり鳥。それ以外に何があるの?」


「それは……そう、ですね。ええと、はい!それでこの小鳥がどうしたんですか」

 

 特に訂正案が見つからなかった為、サキヤノは折れた。唇を強く結び、ちらりと謎の生き物——小鳥を流し見る。


「中々失礼な奴だな。初対面で貶すなど、以ての——」


「この子を預かってほしいの」


 小鳥の不平を途中で遮り、ラピズリィがぴしりと言い放った。小鳥は器用に難色を示すが、当のラピズリィは顔を合わせることなく無視を徹底している。

 いくら小鳥だろうが、謎の生物だろうが、自分の発言で不快にさせたのなら、謝るしかないだろう。心苦しく、サキヤノはラピズリィから視線を外して小鳥に頭を下げた。


「すみません、お気持ちも考えずに……無鉄砲な発言を」


「サキヤノ、別に気にしなくて良い。この子はいつもこうだから。それより、私を見て」


 サキヤノは言われるがままに視線を戻す。

 サキヤノのことを呼び捨てにした金髪碧眼の美女は、磨かれた刀のような鋭い眼光をサキヤノに送っていた。


「この子を預かってほしいのが、本当の依頼」


 もう一度繰り返すラピズリィ。

 サキヤノは言葉を失った。彼女はこの喋る小鳥をどうしても手放したいらしい。そんなことを目の前で打ち明けられる小鳥は余程傷付くのではないか。サキヤノは堂々と悪口を言っていた同級生を不意に思い出して、キツく目を閉じる。

 「どうしてですか」とサキヤノは素直に訊いた。


「この子がいると私は幸せなの」


 ラピズリィは間を置かずに話し始める。


「すごく優しい、兄姉みたいな存在がこの子。こんな小鳥みたいな見た目してるけど、外の世界に憧れてて出たがってる。でも、私は外が嫌いだから、連れてってあげれない。騎士さんなら、色々遠出するでしょ?」


 腰を折り、鳥籠の針金を触りながらラピズリィは「ねー」と小鳥に笑い掛けた。小鳥は「うむ」と満足そうに、羽角をぴょこぴょこと弾ませる。

 どうやら双方納得しての依頼らしい。尚更言葉を選び切れず、何を言うべきかまとめられず、サキヤノはとうとうゲルトルードに救いを求める。

 今まで黙っていたゲルトルードだったが、サキヤノと目が合うと、大きく頷いて早速間に割り込んだ。


「……私達じゃ勝手に決められません。依頼内容はお掃除だから、終わったら依頼完了をしっかり上に伝えなきゃいけないんです」


 「そう」ラピズリィはその場凌ぎのあっけらかんな返事をする。しかしすぐ「じゃあ、掃除とは別でお願い」と言い、指を二本立てた。


「預かってもらえるなら、交換条件を出す。依頼じゃなくて、個人的なやり取り」


「個人的ですか」


「うん。頼んでるんだから、貴方達にメリットがないのはおかしい。だから、いつでも泊まりに来て良いのが一つ。部屋は腐る程余ってるから、貴方達が望む時にいつでも、何時でも良いから来て」


 意外な交換条件に、サキヤノ達は喉を鳴らした。

 確かに、住所不定者二人には有り難い話だ。一応保護部隊のアジトや騎士団の間宮かんきゅうも使って良いと言われたが、モニカやカスカータと顔を合わせるのは若干の気まずさがあった。


「二つ目は、貴方達が欲しい時に、どんな服でも作ってあげる」


 反応を待たず、ラピズリィは二つ目のメリットを挙げる。

 何故服を、とゲルトルードが尋ねたところでラピズリィはここぞとばかりに畳み掛けた。


「異界人の貴方には、良いと思うけど」


 ぴしり。

 まるで時間が止まったように、空気が凍りついた。サキヤノは帽子が頭にあるのを確認しつつも、戸惑いを隠せない。弁明すべきかと頭をフルスロットルするが、良い案は着想しない。


「別に貴方が何者でも、私は気にしない」


 ラピズリィは可笑しそうに鼻を鳴らすが、サキヤノ達には致命的な指摘に他ならない。帽子を目深に被り、サキヤノは目を泳がせた。ディックが渡してくれた服を着て、気付かれたことはなかったはずだと自分に言い聞かせる。しかし、今見破られてしまったのは何故。

 突如危機的状況を自覚したサキヤノは、完全に頭が真っ白になっていた。周囲の音が遠ざかる。初めて聖都に来た時の、色んな人の奇異の視線を思い出す。

 じゃあ、ここに来るまでの間に気付かれていたのか。それなら、ゲルトルードやラピズリィを危険に巻き込むのではないか。考えれば考える程、嫌な妄想が膨張する。


「ねぇ!」


「……っ」


 意外にも、取り乱すサキヤノを現実に引き戻したのはラピズリィだった。

 初めて声を荒げ、目尻を吊り上げたラピズリィはサキヤノの両肩を叩く。顔を近付け、彼女はサキヤノの帽子を剥ぎ取った。


「…………っあ」


 「怖がらないで。私は全く気にしない」ラピズリィはゆっくりと穏やかな声で話す。「私、魔法衣の仕立て屋。だからもっと強力な魔法で、貴方のことを守れるはず」


「魔法衣……?」


「そう」


 ラピズリィが頷くと、ゲルトルードが「仕立て屋さん」と単語を復唱した。


「服が、作れるんですか?」


「そう」


 ラピズリィはまた頷く。

 サキヤノから奪った帽子を雑にゲルトルードに被せると、ラピズリィは窓に近付き、顔だけを二人に向けた。


「これでも職人。後付けの魔法よりずっと隠密ステルスに優れた服を作れる。しかもいつでも作る。頼まれたらすぐに作る。最優先で作る。色や見た目の希望も聞いて、その度に一番素敵な服を見繕う」


 今のサキヤノにはとても魅力的な言葉に聞こえる。だが、やはり勝手に決めるわけには——。


「お願いします!依頼ではなく個人的な契約として、責任を持って小鳥さんを私達が預かります」


 ゲルトルードはサキヤノを一瞥し、迷いなく言った。しかしその小鳥は、得体の知れない恐怖をもっているかもしれない。ゲルトルードも分かっているはずなのに、とサキヤノは首を振った。


「でもゲルトルード……」


「私はサキヤノさんが安全なら良いんです。故郷に来てくれるって、約束したじゃないですか」


 ゲルトルードは迷いのない表情でサキヤノの隣に並ぶ。彼女は肩に頭を乗せ「何かあったら私に任せてください」と、サキヤノにとても頼もしい言葉を掛けた。


「最後にお聞きしたいのですが、どうして会ったばかりの私達を信頼するんですか?」


「……勘」


 ゲルトルードに問われるも、ラピズリィは曖昧に答えて鳥籠の鍵を開けた。


「でも大丈夫なのは分かってる。それは私も、この子も納得してる……じゃあ、行っておいで」


「うむ」


 ラピズリィの掛け声で小鳥は鳥籠を出る直前までヨチヨチと歩いた。小鳥にはあしゆびや爪がなく、先端が僅かに尖った不思議な構造をしている。

 ますます謎の生き物だ。

 そんな小鳥は鳥籠から飛び上がり、サキヤノの頭の上に座った。意外と軽く、そしてふわふわの毛並みをもっている。サキヤノの頭の上で、小鳥は堂々と胸を張った。


「外の世界も見たいが、私には目的がある。次女の姉を探すことだ」


 小鳥は堂々と言うが、ゲルトルードは訝しげにラピズリィを見た。


「…………この子本当に信頼して良いんです?」


 ラピズリィは今までで一番大きく頷く。


「とても良い子。ちょっと上から目線だけど、信頼に値する優しさはもってる」


 鳥籠から飛び出した小鳥を見て「ねー」とラピズリィは満足そうに微笑んだ。



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