第十七話 傷跡


 サキヤノは聖都内の宿屋にて目を覚ました。


 ほとんどの事柄が片付いた後だと、目覚めてすぐモニカに教えてもらったサキヤノは、側で眠る少女を見下ろした。

 詳しい時間は分からないが、相当な時間を眠っていたに違いない。

 それなのにゲルトルードは床に膝をつき、ベッドに顔だけを乗せて寝息を立てている。

 ずっと側にいたのかな。

 そう思い、サキヤノはなんとなく頭を撫でてみた。


「ん……」


「ぉ、おわぁぁ……っ!?」


 まさか反応が返ってくるとは思わず、サキヤノは声を押し殺して驚いた。まずい、これでは起こしてしまう。


「ごめん、ごめんね」


 ゆっくりとベッドから抜け出し、ゲルトルードの身体に毛布を掛ける。

 少しの足音も出してはいけない。サキヤノは自分に言い聞かせながらそっと扉を開けた。

 ここがどこか知るのも大切だが、それより顔見知りに合ってその後のことを詳しく聞かねば。


「おお、サキヤノ君」


「ひぎゃあ!!!」


 立て付けの悪い扉を開けた先、そこには顔見知りの存在がいた。情け無い悲鳴を上げ、サキヤノは口を塞ぐが、


「……そんなに驚かなくても」


「あの、ほんとすみません、わざとじゃないんです」


「はぁ」


 叫ばれたディックは不満そうに口を尖らせ、腰に手を当てた。


「あのねサキ君。そうやってすぐ謝らないの……と」


 ディックは部屋の奥を一瞥すると、サキヤノの腕を引いて優しく扉を閉めた。「もう」と溜め息を吐き「ゲルトルード起きちゃうじゃん、静かにしないと」と続ける。


「ごめんなさいディックさん」


「あ、またそうやって……。はー、良いよ良いよ。僕こそごめんね、今回の一番の功労者は君なのに、注意ばっかしちゃって」


 サキヤノの崩れない謝罪を嫌々受け取り、ディックは苦笑した。「とんでもないです」とだけ返して、サキヤノは彼に本題を聞こうとした。


「ディックさん。突然ですけど、俺どのくらい寝てましたか?」


 「ちょっと待って」ディックは両手で制止する。「怪我は平気?痛みとか違和感とかない?」


 ——痛み。

 サキヤノはハッとして自分の身体に触れた。痛みはない。驚きながら服の下に手を入れ、また驚く。包帯も治療した痕さえもなく、完璧に治っていた。


「こ、これは、魔法……とか」


「うんうん、びっくりだよね。こんな完璧な回復魔法、僕は人生で一度も見たことがない!後始末でサキ君の治療に立ち会えなかったけど、何やらすっごい魔導師が聖都に来てたらしくてねぇ、サキ君の怪我も難なく治したんだって!いやー、会いたかった!!僕が一番会いたかった!!ねね、サキ君は見た?顔見た?覚えてる?誰が来てた?どんな魔法だった?」


「……えっとぉ」


 徐々に声を荒げ、早口になるディック。

 もちろん何も覚えていないため、サキヤノは黙るしかなかった。暫く目を輝かせていたディックだったが、サキヤノの様子を見るなり「やっぱ見てないか」と意外とすぐに諦めた。


「まー、うん。仕方ない。この話はいずれするとして、今は君の寝てた間の話をしようか」


 「ついておいで」ディックは面倒くさそうに片手を上げ、階段を降りてゆく。

 完全に自分から興味がなくなったらしい。彼が魔法について語りたい気持ちを抑えているのは伝わった。だからサキヤノは自分が納得できるように小さく頷いてディックの後に続く。


 一階に降りると、二階より少し広い空間が広がっていた。木製の椅子と机が複数個あり、扉付近のカウンターには青髪の美女が足を組んで座っている。

 カスカータだと一目で分かった。

 血に濡れ、妖艶な笑みを称えていた彼女の面影はもうない。ディックに名前を呼ばれて、カスカータはサキヤノ達の方を振り向いた。

 目が合うも、サキヤノは恐怖を思い出してすぐ逸らしてしまう。しかしカスカータはサキヤノの想定外の反応をした。


「良かった!サキヤノ、アナタ無事なのね!」


 カスカータは見たこともない笑顔でカウンターを降りると、すぐにサキヤノを抱き締めた。高身長なカスカータは、サキヤノを包み込み「良かったぁ、本当に良かったワ!」と激しく頭を撫でる。


「……カスカータさん」


 サキヤノの目からほろりと涙が溢れた。

 なんて暖かいのだろう。とても良い人じゃないか。


「カスカータさん」


「うん、良かったワ」


 優しさが身に染みる。だがディックに見られている羞恥心と、女性に触れる機会の少なかったサキヤノの動揺は、彼女のハグに耐え切れなかった。


「……あのぉ!」


 サキヤノはカスカータの腕を抜け出した。

 時間にして数秒だったが、声は裏返り、顔が真っ赤になったサキヤノはディックの後ろに隠れる。


「カスカータさん、嬉しいんですけど!嬉しいんですけど大丈夫です!俺、もう平気で……ええ!」


 赤面で遠慮するのはとても恥ずかしかった。

 サキヤノは声を出さずに、ディックとカスカータの顔色を窺う。


「あははっ!ちょっと大袈裟!ふふ、おっかしー!」


「まぁまぁ、サキ君だって疲れてるんだし?そういう年頃かもしれないし?ちょっと意識しちゃうかもだし?」


 二人とも大人の余裕を醸し出しながら「ねえ?」と互いに同意を求める。


 何があった、と聞きたくて堪らない。

 こんなに仲が良かっただろうか。疑問を抱きつつも、サキヤノは深呼吸しながら「わ、分かりました。あの、俺が倒れた後のこと、教えてくれませんか?」と震える声で尋ねる。ここで話を逸らさないと、きっと暫くいじられると直感したからだった。それにディックならすぐに話を切り替えるだろうと踏んだ。


「ああ、そうだったね。つい、面白くて」


 くく、とディックは器用に笑った。

 「そんなことより色々聞きたいんだよね?」ディックはサキヤノの期待通り話を切った。「良いよ、教えてあげる。気楽に聞いてね」


 ディックは声色を変えずに淡々と事実を述べてゆく。あれからウォンはのもと、エンヌ帝国の監獄に送られたらしい。バネッサと同じように、手厚い看護と厳重な警備で入獄されたそうだ。サキヤノはゲルトルードの変わらない提案に感嘆しつつ、ディックの話に耳を傾けた。

 カスカータは謹慎処分、ディック達は昇格、壊れた建物は聖都の騎士団が責任をもって建て直しをした——とのことだ。

 どれもこれも気楽に聞ける話ではない。

 サキヤノは苦笑いを浮かべる。


「笑顔が下手ね、サキヤノ」


「え、いや……」


 間髪入れず、カスカータは一枚の紙をサキヤノに掲げた。紙には小難しい記号の羅列が並んでいる。


「この通り、一ヶ月保護部隊員として働かないだけよ。アナタのせいで私が辞めるなんて非現実的なこと、上がする筈ないじゃない」


 ほっとしながら、サキヤノは「そうですね」と使い勝手の良い返答をする。


「……何。落ち込んでそうだから元気付けたのにその顔は」


 「へっ!?いやぁ……良かったです」サキヤノはカスカータの言葉の裏が汲み取れず萎縮する。「ありがとうございます」


「そんな心ないお礼なんて良いわよ」


 サキヤノから視線を外し、カスカータは立ち上がった。


「ディック、そろそろ行きましょ」


「ん?ああ、もうそんな時間か」


 壁時計に目を遣り、ディックも立ち上がる。

 彼はサキヤノに深めの帽子を渡すとにっこり笑った。


「じゃ、サキ君。一緒に行こうか」










 特に説明もなくディックに手を引かれながら、サキヤノは凄惨な現場を通った——正確には凄惨な現場だったところ、だが。


「ちょっと、なんでここ通るのよ」


「だってサキ君に見てもらいたいからねー、カスカータよりもサキ君優先でしょ?」


「それはそうだけど……」


 カスカータは押し黙り「いやらしいワ」と不貞腐れた。

 倒壊させた建物に陥没させた地面と、確かに当事者のカスカータは見たくないだろう。

 しかし、とサキヤノは顔を上げる。

 すでに建物の修復は始まっていた。魔法を使って煉瓦を浮かす人、人力で柱を建て直す人、設計図を見て指示をする人と、いろんな人が各々の作業を進めている。

 補修人数は少ないが、地面はほとんど元通りになっていた。思っていたよりも景観の修復が早く、サキヤノは目を疑った。


「すごい……」


「でしょ?一日半でこの通り直るんだから、聖都の職人って優秀なんだよね」


 感嘆したサキヤノを見て、ディックは得意げに胸を張る。


「いつかサキ君も慣れるよ。これからも頻繁に聖都に寄るだろうから。第二の家?みたいな感じじゃない?」


 何故かサキヤノに疑問符を投げるディック。

 返答に困る。サキヤノは「それはそれで有り難い、ですね」と失礼に当たらないよう言葉を選んだ。


「はーん、サキ君気疲れしそうだねぇ」


「そんなことないですよ……多分」


 そこで沈黙。

 駄目だ、会話が続かない。続けられない。

 コミュニケーション能力の低い自分を恨みながら、サキヤノは頬を掻いた。

 ディックもカスカータも無理な会話を続けないから接しやすいのだが、そもそも二人はサバサバしているというか、言葉から気持ちが読み取りにくいというか。

 サキヤノは煉瓦の街並みを歩きながら愚痴に浸る。無駄に豪華な建物も、突出して奇妙な建物も、誰かの虚勢に溢れた建物もない都市。景観は全てが統一されていて、初見の時と同じように芸術的な美しさは感じる。赤茶の落ち着いた色には安心するが、逆に不純物を嫌うような窮屈さもあることに今気が付いた。

 サキヤノは落ち着いて街を見て「嫌いではないが好きでもない場所」と中々失礼な結論を出した。


「ね、今からどこに行くか教えてほしい?」


 サキヤノが変に納得したところで、カスカータが口を開いた。

 心が読まれたかも、と一瞬慌てるが平静を装って頷く。


「……はい、気になります。今からどこに行くんですか?」


「んふふ。騎士団員達にとっては憧れの場所で、多分サキヤノも見たんじゃないかしら。えーっと貴方が一日くらい寝てて……そうね、一日と少し前に見ている場所だワ、きっと」


「い、一日も寝てたんですか!?」


 突然告げられた事実にサキヤノは耳を疑い、思わず聞き返す。


「一日ぐらいなんともないわよ。むしろ異界人にしては回復が早過ぎるくらいだワ。アナタにとっては大怪我した後なのに、こうやって何事ーー……もなかったかのように歩いてるから、少し感性がおかしいんじゃないかしら?」


 んふふ、とカスカータはまたわざとらしい笑いを口にした。

 褒められているのか貶されているのか、どちらなのだろう。考えても答えが出ないのは分かりきっているため、サキヤノはとりあえず「あははっ、ありがとうございます」と頭を下げた。


「……やっぱりズレてるわね……」


 つい驚いて「一日も」と言ってしまったが、意外に寝ていなかったという事実は素直に嬉しい。変に足を引っ張ることがないのなら、死ににくい特殊能力も悪くはないのかもしれない。

 少しでも楽観的に前向きに考えなければ、自分はいつか耐えられなくなるだろう。


「カスカータさん、褒めてくださってありがとうございます」


 カスカータは笑顔を引き攣らせた。


「アナタ元からヤバかったけど、本格的に頭おかしくなったんじゃない?」


「えっいや!そんなこと……ない、と思いたいです」


「……」


「……」


 その会話を最後に、サキヤノ達は誰も口を開かなかった。足だけを動かし、機械的に移動をする。

 サキヤノは現実を静かに受け入れ、忘却に徹しようとした。まずは別のことを考えよう、と踏み締めている足元を見下ろした。


「ここって」


 サキヤノは道や建物を完璧に覚えたわけではないが、歩いているこの道は覚えていた。地面に敷き詰められているのは煉瓦ではなく大理石で——限界まで磨き上げられた高価な石は、賑やかな聖都らしからぬ厳格な雰囲気を醸し出している。


 無論地面にだけ違いがあるわけではなかった。


「ここよ、サキヤノに来てもらいたかったところは」


 凛然とした声が、そのおごそかな場所を示す。

 そこはサキヤノが勝手に「城」と名付けた建物だった。長途の先にある建造物は、先日と同様人通りは少ない。出入りする人がいても、サキヤノ達とは比べ物にならない絢爛けんらんな衣装と緊張感を身に纏っていた。


「聖都の騎士団員全員の憧れの場所で、聖王の住む宮殿。私でさえ滅多に入れない神聖な空間なのよ」


 いつもよりワントーン高い声でカスカータは語る。


「こんな私でさえ尊敬するお方、人生で一番感謝しているお方よ」


 彼女は興奮しているのか、純白の建物に目を奪われながら呟いた。

 サキヤノは意外なカスカータの姿を目にして少し嬉しくなった。ずっと高飛車で人を見下していたカスカータがこんなに言うなんて、聖王とは一体どんな人なのだろう。


「サキヤノ、意外だって思ったでしょ?私がこんなに感謝する聖王ってどんな人だろうって思ったでしょ?」


「えっ。そ、そうですね、正直思いますハイ」


「正直に答えないで。少し嫌だワ」


 サキヤノは下唇を噛んだ。

 なんて理不尽なのだろう、つい模範解答を求めたくなる。


「カスカータさん、嫌な気持ちにさせちゃってすみません。今後の参考にしたいので、良ければ一番良い……なんて言うんですかね、返答というか——」


「そんなものないわよ」


「そんなっ」


 「はいはい無駄話はその辺にして」ディックはサキヤノ達を一蹴した。「今日は聖王に会うわけじゃない。用があるのはあれじゃない」


 ディックは気怠げに聖王の宮殿を指差し、すぐに階段を上り始めた。

 カスカータは肩をすくめ、文句を言わずにディックの後に続く。サキヤノも腑に落ちないままカスカータの斜め後ろで階段を上った。


「あれ、あそこに用事があるの」


 階段を三分の一程上ったところで、ディックが急に方向転換した。回れ右をし、建物の境目に手を触れ——。


「————ぉお」


 空気が歪んだ、とでも言うべきか。

 サキヤノの目の前に突然扉らしきものが現れた。ドアノブや取っ手がついていないため、扉とは断定できないが、大きな石碑のようにも見える。

 ディックが指の腹で石碑をなぞると、それは時計回りに回転した。


「サキ君、ここまで来た異界人は君が初めてだよ」


 石碑にディックが吸い込まれる。


「アナタは今までの口達者とは違うみたいね、認めてあげるワ」


 カスカータも石碑に吸い込まれる。


 この流れで自分も、とサキヤノは意気込む。


「……」


 この中はどうなっているのだろう。アジトとは違うのだろうか。


「……」


 誰か見知らぬ人がいるかもしれない。しっかりと自己紹介できるだろうか。


「…………」


 未知の世界に思い馳せるが、いつまで経ってもサキヤノが石碑に吸い込まれない。


「……こんなこと、あるんですか」


 どうやら、完全に置いていかれたようだった。


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