第十六話② 激情の乙女



 カスカータは、もう一度銃剣のトリガーを引いた。

 爆音と共に放たれた銃弾が、直線上にいたウォンのふくらはぎを抉る。血を流して絶叫するウォンを見ても、カスカータは狂った笑みを崩さない。



 


 ——音を頼りにし、ウォンに追いついたケイシーは己の眼を疑っていた。


  異界人を助けたい自分と、異界人を恨むウォン。対立しながらも、同じ「叛逆軍」という集団に所属していたため、ウォンには力で敵わないことを自覚している。彼に手を出せば、誰だろうが虫の息になるのを何度も見てきた。

 そんなウォンが、武器を振り回す女性から逃げ惑っている。

 その光景は、力で支配してきたウォンの今までの行いの報い——とも言えるかもしれない。だけれども、ケイシーは呟かずにはいられなかった。

 

「こんなの、一方的な虐殺じゃないか……」


 何故聖都と呼ばれるこの都に、あんな凶暴な奴がいるのか。叛逆軍は平和を理由に聖都を拠点にしたと聞いている。だから、ウォンに敵う者なんていないのだと思っていた。


「っ」


 周りの建物は崩れ、地面が揺れる。

 この惨状に足を踏み入れる野次馬は、さすがにいなかった。人々もあの狂気カスカータの目が自分に向くのを恐れているからだろう。

 そう分析するケイシーでさえ、この場を一刻も早く離れたいと思っていたが。


「捕まえたッ!」


 目の前でウォンが青髪に押し倒されたのを見て、ケイシーは我に返る。


「……ウォン!!!」


 走り出したケイシーの腕を誰かが掴み、勢いが殺された。


「誰だ!離……」


 苛つき、振り返ったケイシーは息を呑んだ。

 黒服に身を包んだ少女が、ケイシーの腕を掴んでいる。


「離しませんよ」


 黒服を揺らしたゲルトルードはケイシーの腕に力を入れると、背中越しに見えるカスカータ達を一瞥した。


「どこに行くんですか?」


 「俺が止めないと駄目なんだ!」叫ぶケイシーだったが、少女の握力は増すばかりである。腹が立ち、声を張り上げた。「邪魔するな!」


 「何故?」ゲルトルードは首を傾げる。「叛逆軍は貴方の居場所じゃないでしょう?」


 ケイシーは言葉を詰まらせたが、すぐに「いや」と否定した。


「……俺の場所だ。俺がウォンを連れ帰って、叛逆軍を再建する!」


「良いんですか?」


「良いも何も俺にはそれしか出来ない。自分が出来ることは精一杯やる、それが俺だ。最善を尽くす、出来る限り……俺は、叛逆軍を」


 ——調子が狂う。

 ケイシーはゲルトルードを睨み、思っていることを全て口にして、腕を払った。


「……俺が止めるだけだ!」


 無意味な会話を無理やりぶつ切って、ケイシーは走り出す。

 既にウォンは虫の息だろう。

 早く助けねば、後悔する。


 ——が、また誰かが自分の腕を掴んだ。


「お前ッ」


 案の定、ゲルトルードが真顔で見つめている。


「いい加減に……」


 我慢ならず腕を振り上げたケイシーの声を、彼女は遮った。


「期待、してるじゃないですか」


「はっ?」


 それも、全く意味の分からない言葉で。


 動きを止めたケイシーを嘲笑うように、ゲルトルードは不敵な笑みを浮かべた。


「叛逆軍が解散して、貴方は自由になる。解散、期待しているんでしょう?」


「……!!」


 翡翠色の瞳が、真っ直ぐにケイシーを射抜く。何もかもを見透かしたような、見た目に反してあまりにも強烈な視線。


「何を、言ってるか分からないな」


 何故自分の声は震えているのだろう。図星ではないはずなのに、思ってもいないはずなのに、か細くなる自分の声に、ケイシーは動揺した。


「私、貴方の気持ちが分かるの。貴方が、叛逆軍から抜け出したいって思ってるのも……今自分が何をすべきが迷ってるのも……全て解る」


「お前」


「良いのよ、無理しなくて良いの」


 ケイシーは心を鷲掴みされる感覚に襲われる。


 ——今まで誰にも話していない、己の素直な気持ちを、ゲルトルードはあっさりと口にした。

 

「でもリーダーさんには……死んでほしくないのね」


「……」


「恩返しはしたいから、ってところかしら」


「……分かった、もう良い」


 ゲルトルードはわざとらしい笑顔を作り、小さな手で俺の腕を掴んだ。


「私、貴方のこと嫌いじゃないわ」


 ケイシーは再び息を呑み、ゲルトルードの腕を振り払った。自分が『何』を恐れているのか、それすら自覚出来ない底なしの恐怖を、ケイシーは味わっていた。

 この娘は何かおかしい、何かある。


「だから私、貴方の望むことをしてあげるわ」


「……別に、良い」

 

「じゃあ……サキヤノさんに謝るなら、私がリーダーさんを助けてあげる」


「……まさか」


 ケイシーが疑ってかかるや否、ゲルトルードはそれも見透かしたように微笑んだ。


 なんて奴。

 そう思いながらも、目を背け、ケイシーは真顔を保つ。


「……出来るのか。お前に」


 「ふふ」ゲルトルードはその場で一回転し、スカートの裾を上げた。「出来るか出来ないかじゃなくて、やれるかやれないかだと思うんです。初めてでも、いざやって見たら出来ることあるでしょう?それと同じです」


 「ね?」ゲルトルードは同意を求めるように目を細めた。

 威圧感。

 それから有無を言わさない目力。


 彼女の言う通りにすべきと、ケイシーは思考を放棄した。


「分かった、謝る。いや、ずっと謝ろうと思っていた。騙すつもりは毛頭ない」


 心からの言葉だが「言わされた」感覚は強かった。が、ゲルトルードは満足げである。


「……ですって。やっぱり良い人、でしたね?」


 彼女が見つめた先——そこには、茶髪の男性に支えられたサキヤノの姿があった。





*****





「お前、それ……大丈夫なのか?」


 ケイシーは僅かに眉を上げて、驚いている様子だった。


「いえ……いや、全然です。正直気持ち悪くて。でも、なんでか、痛みはなくて」


 サキヤノは自分でも驚いていた。

 絶対に死ぬと覚悟し、急激な眠気に襲われた後だ。起きた時には嘘のように痛みは引き、身体の異物も取り除かれていたことに疑問しか湧かない。


 何をされたか全く覚えていないが、痛みがないのは有り難い。貧血——らしき症状と腕が動かしにくいこと、それ以外は特に問題ない。

 サキヤノは「うん」と頷き「だから俺は別に」と続けた。


「それでも、正常な判断出来てないけど」


 ディックの過去一番の冷たい声が刺さる。


 うっ、とサキヤノは俯いた。

 この気持ち悪さは怪我のせいに違いない、と思いながらサキヤノは「いやぁ」と誤魔化す。


「出血多量で頭がおかしくなった、ってのはあり得ない話じゃないよ」


 ディックの冷たい視線が刺さる。

 自分の今の異常な積極性を自分自身が疑っているために否定は出来ない。口の中の不満を呑み込んで、サキヤノはぼそぼそ呟いた。


「でも実感は、あんまり」


「……はぁ。サキ君、別に気にしなくて良いんだよ。君は自分の役割を全うしたから、この結果で良いんだよ」


 諭すようにディックが囁く。


 正論で責められるのは、今のサキヤノの行動が間違っているからだった。だからサキヤノはまた何も言えない。

 だが、すべきことは分かっていた。


 戸惑うケイシーから視線を移し、サキヤノはゲルトルードと目を合わせた。



「ゲルトルード、俺の代わりに頼みたいことがあるんだけど」


「はい」


 サキヤノは、こっそりゲルトルードと話し合った形だけの言葉を紡いだ。


「カスカータを止めるには、どうしたら良いかな?」


「ふふ」


 ゲルトルードは、待ってましたと言わんばかりの笑みを返す……これも、話し合ったやり取りの一部だが。


 すー、はーと深呼吸を繰り返したゲルトルードは瞼を上げた。翡翠の瞳が、冷たい色に染まる。

 「お任せください、サキヤノさん」彼女は自分の胸を叩き、自信満々にきびすを返した。「私が止めましょう」


 サキヤノより一回りも二回りも胆力のある少女は、銃弾轟く危険地へ迷いなく足を進める。


 ——と、サキヤノの背筋が泡立った。


 一体何が、と辺りを見渡したが、サキヤノはすぐにゲルトルードの異変に気付く。

 素人ながら、ゲルトルードの背中から放たれる威圧感を感じ取り、目を離せないサキヤノ。そして隣のディックも変化を感じたのか、唾液を飲み込む。

 

「——我、命ずる」


 ゲルトルードの小さな声で、空気が振動する。

 不意に、周りの音が消えた。


「……んな」


 ディックが絶句する。


 ……彼のその反応を見て、サキヤノは身震いした。

 おそらくファンタジー特有の「詠唱」だろう。しかもディックが言っていた古代魔法とは一風変わった唱え方。ファンタジーにおいてどうしても外せない詠唱ことばが、サキヤノの理想を固めてゆく。空気が読めないとは分かっているが、テレビのように流れる景色は、アニメみたいで——格好良い。


 語彙力を失ったサキヤノは吐き気も忘れて、ゲルトルードの一挙一動に見惚れた。


 両手を掲げ「力を与えなさい」と語尾を強く言い放ったゲルトルードは胸に両手を当てる。祈るような姿勢で、彼女は静かに呟いた。


「敬愛せし名はラクスフィア。——炎を以って、其の身を焦がしましょう」

 

 ゲルトルードの髪が浮き上がり、火花が散った途端、カスカータが——音もなく倒れた。


「えっ」


 続けて、ウォンもその場に膝をつく。

 まるで糸の切れた傀儡のように、地面に伏せたカスカータは身動き一つしない。それから、辛そうにしていたウォンも地面にへたり込み、自分の手のひらをじっと見つめていた。


 ゲルトルードは何をしたのか。

 誰もが状況を把握出来ない中、ゲルトルードは一人、歩みを止めない。


「ええ、ええ。少しやり過ぎだもの、皆さん、大人しくなさってね?」


 誰にともなく呟き、ゲルトルードはこちらを振り返った。

 なびく彼女の髪が赤く染まる。ぎょっとしてサキヤノは目を擦るが、特に変わりのない柔らかい髪色のままだった。

 見間違い、だろうか。


「サーキヤノさんっ」


「ん、うん」


「これで大丈夫ですよ!ね、ディックさん、後のことお願いします」


 無邪気に話すのは、大人っぽさの消えた、いつものゲルトルードである。サキヤノは再度目を擦り「おぉ、ありがたい」と彼女に微笑んでみる。


「んー、と……」


 が、ゲルトルードは笑顔を返してくれなかった。「あはは」と苦笑し、困ったように眉を下げたゲルトルードは、サキヤノの額に人差し指をぺたりと押し付ける。


「お疲れのようですね。もう、舌ったらずなのに気付いてないんですか?」


 そんなこと、と続けようとして全身から力が抜けた。

 ゲルトルードの、共鳴師の魔法なのだろうか。それとも、貧血が酷くなるとここまで立っていられなくなるのか。

 サキヤノね起きていたい意思とは正反対に、身体と瞼はどんどん重くなっていた。


「俺だって、なんかやらないと。だって……カスカータ、倒れてるし」


 自分はただの役立たずで、足手まとい。今だって何も出来ていない。何かやり遂げたことは、と絞り出すならおとりが上手く出来たぐらいだ。


「もー、良いんです。ここまで来てくれただけ、いえ、私に優しさをくださったのが良いんです。そのおかげで、死者は出そうにないですよ」


「……そう?」


「はい!だから、サキヤノさんもゆっくりお休みになって。明日はきっと、良い日になりますよ」


「——そうか」


 なんか、嬉しい。

 なんか、認められたって感じ。


「サキヤノさん。私、やっぱり貴方で良かった」


 そう言って、笑顔のゲルトルードはしばらくサキヤノから目を逸らさなかった。


 貴方で良かった、と。サキヤノの心にその言葉はすーっと溶け込む。

 不思議な気持ちだった。この瞬間サキヤノは眠気も体の重さも気にならない程、幸せな気持ちに包まれていた。今まで感じたことのない感情に戸惑いながら、サキヤノは目を見開く。


「ゲルトルード、今の…!」


「はーいストップ」


 ディックの掌に顔を覆われ、サキヤノは口を閉じる。「ディックさん?」


「サキヤノ君はここまで」


 この不思議な気持ちを忘れる前に、聞きたいことがある。サキヤノの抵抗虚しく、意識はぶつりと途切れた。





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