第十話 見知らぬ人



 動物も人も寝静まる夜。空は暗く、月が照らしているはずだったが、この都市は全体が光り輝いていて肝心の月は見えない。

 ビルを跨ぐ橋の下をくぐり、星も見えない頭上を眺めながらサキヤノは地元の空を思い出していた。

 適度に暗かった屋根の上で、姉と共に見た寒空。星座には詳しくなかったが本を片手に、得意げに語った記憶がある。肌を刺す寒さも、薄光うすびかりの星々も、今ではもう遠い昔の話ではあるのだが。

 感傷に浸るも、すぐにサキヤノは頭を空っぽにして男性に着いていった。深く考えると、何かが崩れそうな気がして怖くなったからだ。


 

 グループの前を無言で歩く男性は、すれ違う人々に挨拶をされながら、サキヤノ達を左のビルへ招き入れた。

 どうやら白い建物が光を反射して、更に眩しくなっているようだ。光に耐え兼ね、足元を見ながら、音を頼りに男性の後へ続く。「お待ちしておりました」と、いきなり貫禄のある女性の声が響いてサキヤノは立ち止まった。


「連れてきました、医学長。聖都からの客人です」


「ご苦労様」


 サキヤノはようやく視線を上げ、医学長と呼ばれた女性と対面する。


「よくいらっしゃいました、聖都の遣いの方々。ようこそ王国ヴィリジットへ、そして城郭都市ヘリオへ」


 サキヤノ達を歓迎し、年配の女性は微笑んだ。立派な事務椅子から立ち上がって、彼女は丁寧な挨拶を続ける。


「私は城郭都市の医学科でトップを務める……名前は、まあ良いですかね。気軽に博士とでもお呼びなさい」


 博士、と。

 今まで出会った方の中で、一番の緊張を感じた。恐怖ではなく、心臓が締め付けられるような、押し潰されそうな圧迫感。

 サキヤノは博士の目を見て、声を絞り出した。


「あの、どうも。お渡ししたいものがあって、来ました」


 こんなことならもっと敬語を勉強しておけば良かったと、今更後悔した。声も震えて、自分に代表たる面影は全くない。

 しかし、博士は「ええ、存じてます」と柔らかな笑顔を崩さなかった。


「聖都からは歩いて来られたのですか?大変でしたでしょう。ただ、こちらも急ぎでして。聖王の直筆の手紙を早めにいただきたいのです」


「あ、ああ。そうですよね」


 今のは承知しました、が正しかったか。

 さすがに言い直す空気ではなく、サキヤノはに落ちない言葉に歯痒くなりながら手紙を取り出した。バッグはたくさん漁ったのに、手紙は綺麗な状態を保っている。

 サキヤノは安心して博士に手紙を渡した。


「あら、結構貧相なのね」


「……!」


「そんな顔しないでくださいな。こういう質の方が、私は安心して読めます」


 男性がサキヤノに呆れた表情を向ける。まるで「お前、顔に出過ぎだぞ」と言いたげに肩をすくめた。

 人生的にも存在的にも目上の相手には無論言い返せないサキヤノは、とりあえず笑おうと口角を上げる。それでも、男性の呆れた表情に変わりはない。

 ……どうしたものか。


 「ねえ、異界人さん」手紙の封を切り、目を通していた博士が突然サキヤノを呼んだ。「いえ、勅使さん。貴方はこれ、読んだのかしら?」


「えっと、読んでないです」


「貴方達は?」


 サキヤノの後ろにいたゲルトルードとケイシーにも博士は声を掛ける。二人もサキヤノと同じように「読んでいない」ということを伝えると、彼女は初めて不機嫌そうに眉を寄せた。が、すぐに表情を切り替え、


「まあ、良いでしょう」


 と一言だけ発した。


「ありがとうございました。国境はないに等しいですが、わざわざ隣国にいらっしゃった貴方達の態度だけは、プラスに考えておきます。このお返事は近いうちにこちらから致しますね」


 『だけ』を強調して彼女はきびすを返す。

 自分は読むべきだったのか。

 サキヤノ以外でも多分分かるだろう。この人は聖都の代表が何故この国に来たのか、理解していないことに不信感があるのだ。

 それはそうだ。お使いなんて、誰にでも出来る。先程の手紙に付け加えて、相手方が納得するよう伝えるのが自分がここにいる意味ではないのか。


 反省しても、もう遅い。


 サキヤノは「よろしくお願いします」としか言えず、そのまま後ろの二人の顔色をうかがった。ゲルトルードは笑顔で親指を立てており、ケイシーは興味なさそうに真正面を見据えている。

 ——温度差が少し笑えてくるじゃないか。


 ともかく、これで役目は果たした。今は見つかった課題を次に活かさなくては意味がない。だが、すぐに切り替えることは出来ず、サキヤノはあからさまに落ち込んでしまう。


「……」


「……」


「…………」


「…………」


「…………」


「……では、えーっと。僕達はこれで」


 沈黙が痛い。

 声を掛けられない時間が長く、そうは言ったもの、勝手に退室はいかがなものかと思う。案の定、退室しようとしたサキヤノを、ケイシーが驚きを隠せずに見ていた。

 しまった、これも失言か。

 周りの様子を観察しても、自分がこれからどうしたら良いのかは全く思いつかない。冷や汗が止まらなくなったところで、意外にも助太刀してくれたのは博士だった。


「貴方達に、伝えなくてはいけないことがありました。とても大切なことです」


 背中を向けたまま、彼女は凛とした声で言い放った。

 息を呑んで、サキヤノは顔を上げる。


「来てくださったことに感謝してます。なので、もてなしをしたいところ……ではありますが——」


 博士は不自然なところで言葉を切り、申し訳なさそうに声のトーンを下げる。


 「それどころではないのです、聖都の皆様」博士は振り返り、サキヤノの額に人差し指を当てた。「聖都から緊急の信号を受け取りました。今すぐ帰りなさい」


 ああ、と誰かの悲観した声が漏れる。


「もう夜中なのに緊急の信号とは……余程手が足りないのでしょう。私達が送ってあげるから」

 

 博士に背中を押され、サキヤノ達は更に奥の部屋へ誘導される。一挺いっちょう蝋燭ろうそくが揺れている部屋に入ると、彼女は「スマルト」と言った。


 「あの……」ゲルトルードが不安そうに博士へ尋ねた。「今から、聖都に行くんですか」


「ええ、送ってあげる。休む暇もなく、ごめんなさいね」


「いえ、それは全然良いの。むしろ退屈しないです」


 ゲルトルードの予想外の返しに、博士は返事に困っているようだった。目を逸らし、彼女は改めて何かを言った。


「この都市は科学が発展してるけど、しっかり魔法使いもいるのよ。今みたいな緊急時に使えるようにね。……スマルト」


「……はい、どうしましたか」


 僅かに高い声が返ってきて、サキヤノはそこで「スマルト」が名前だと言うことに気付いた。


「医学長、どうしましたか」


 頭にバンダナを巻いた少年が、部屋の隅からぬっと顔を出す。あたかも幽霊のような登場の仕方に、身体が強張った。


「彼らを聖都に送ってあげなさい、貴方なら簡単に出来るでしょう?」


「……分かりました、お任せください」


 博士とスマルトという少年の間に微妙な空気が流れる。

 声を掛けづらいが、言うしかない。


「お願いします。緊急なら、早めに」


 言いたいことを言ってくれたのはゲルトルードだ。

 サキヤノの腕を組み、彼女は「早く早く」と催促する。


「まあ」


 博士は暗闇の中、じっとゲルトルードを見ていたが「失礼したわね」と言うなり床を指差した。


「ここに立ちなさい」


 指先には木目調の床以外、何も見当たらない。

 しかし何かがあるのだろう。サキヤノはさりげなくゲルトルードの腕から抜け出すと、足を置いた。


「今度は観光としていらしてください。お客様として、お待ちしております」


「その……!お手間取らせてすみません!よろしくお願いします!」


 精一杯の挨拶をしたつもりだったが、博士は柔和な笑みを浮かべ、特に何も言わずに手を振った。

 これは失敗だろう、とは口が裂けても言えない。

 サキヤノが博士からスマルトに視線を移すと、目が合う前に彼は慌てて下を向いた。


「も、もう良いでしょう。入り口に繋ぐので、ご注意下さい」


 目を逸らしたスマルトは、静かに床に触れた。

 何が起こるのか、少しワクワクした次の瞬間、床が消えた。








 ——何が起こったのだろう。

 一瞬にしてサキヤノ達は、数時間前に見た景色と変わらない場所にいた。草の匂いと虫の声が、風に乗って流れてくる。


「……すごい。サキヤノさん、これ転移魔法だわ」


 頭の働いていないサキヤノに、彼女は感動を伝えた。


 転移魔法。

 遅刻間際によく憧れた、例の。

 じわじわと嬉しさが込み上げてきて、サキヤノはゲルトルードにガッツポーズをした。


「やばいね!俺初めて見た……!すげえ憧れたんだよ!嬉し過ぎる!」


「ええ、本当に!私も実物を見たの初めてなの!嬉しくって堪らないわ!」


 サキヤノ達のはしゃぐ会話に、ケイシーが「おい」と制止の声を被せる。


「何しにここに来たか忘れたのか」


「あっ」


 サキヤノとゲルトルードは顔を見合わせた。

 聖都に急ぎで呼び出されたばかりだと言うのに、つい盛り上がってしまった。


「緊張感が足りないぞ」


「……そう、ですね。ありがとうございます」


 サキヤノは静かな聖都の城壁を見上げた。

 門は閉まっており、人の気配もない。


「サキくーん!!ゲルトルードちゃーん!!」


 ノックするか、と思うや否、聞き慣れた女性の声が夜の草原に響き渡った。

 足音と共にその声は徐々に近づいて来る。

 この声は……モニカだ。


「ごめんね、かしちゃって……」


 荒い息混じりに、彼女は顔を上げた。

 フード付きの外套がいとうは羽織っておらず、布の少ない服を着たモニカは額の汗を拭い「数時間振りだね」と笑う。

 果たしてコレを服と呼んでも良いのか。暗さで見えにくいものの、サキヤノは目を逸らしながら彼女に尋ねた。


「モニカさん、一体何があったんですか?」


 「ああ、そうだね。実は」俺の頭上を見上げ、彼女は言葉を切った。「……ちょっと、待って」


 息を整えたモニカが、不意に戸惑いの声を上げる。モニカはサキヤノからゲルトルード、そしてケイシーへ視線を這わせ、困惑の表情を浮かべた。


 に、血の気が引く。


 ——何か。


「どうされましたか?」


「あの、ごめんね、ちょっと理解が追いつかなくて」


 モニカは暫く独り言を呟いてから「ねえ!」と声を張り上げた。


 ——何か、嫌な予感がする。


「ごめん、サキ君。確認なんだけどストイシャには会わなかったの?」


 誰かの、名前だろうか。

 サキヤノが首を傾げていると、モニカはハッとしたように目を見開いた。そして腰の短剣に手を掛け、彼女は「下がって!!」と鬼気迫る声を上げながらこちらに突っ込んできた。


 ——と、そこで景色が反転する。


 気が付くと、サキヤノは空を見上げていた。

 頭に走る激痛と息苦しさ、視界の暗さに混乱する。


「な……んっ!?」


 服の襟を引っ張られ、振り子のように身体が揺れた。

 痛みの感じる首を見ようとするが、顔が動かない。

 そして、息が出来ない。


「サキ君を離しなさい!!」


 モニカの怒声を聞きながら、サキヤノは首の異物を外そうとした。触って、ひんやりとした温度を感じた。これは、金属?あと、指……腕?だとすると、金属みたいのは鎧?

 ——じゃあ隙間なく締めつけているのは、ケイシーの腕か?


 サキヤノは彼の行動に疑問を抱きつつ、必死に剥がそうとした。しかし彼の腕はびくともしないし、益々ますます力が籠もっているようだ。非常にまずい、と冷静さを失った俺は力の限り首に巻かれた腕を引っ張った。

 潤む視界に花火のような明かりと、痛む耳に爆発音が届く。それから何か揉めているような会話が聞こえたが、そんなのを聞いている暇ではない。とりあえず腕を外して、なんとか息をしないと。


「くそっ……!」


 ケイシーの声だろうか。

 彼の悔しげな声で、ようやく腕の力が緩む。滑り落ちるように、俺は膝から地面に崩れ落ちた。


「サキヤノさん!」


 ゲルトルードがサキヤノのことを抱きかかえた。

 ようやく気道が解放され、サキヤノは無我夢中に呼吸を繰り返す。本気で首を締められたのは初めてで、死を覚悟した。

 正直本当に死ぬかと思った。

 咳き込み涙を浮かべながらも、サキヤノは何が起こったのか、状況を視覚で理解しようと目を見開く。


 今までの見えるのは腕を押さえるケイシーと、短剣を構えるモニカ。距離を保って睨み合う二人だ。

 涙目のまま行動の読めないケイシーを見ると、彼は顔をしかめながら、サキヤノに視線を送った。そして大きな声で、


「サキヤノ!また……向かいに来るからな。明日、みんなで会いに行く!」


 そう言い残して、彼は闇に消えた。


 まるで通り雨のように、一瞬で場は無音に包まれる。

 一体、彼はどうしたのだろう。

 最後に言っていた皆とは、誰のことだろう。

 何故ケイシーは逃げてしまったのか、俺達を助けてくれる存在ではなかったのか。


 立ち上がろうとするが、眩暈めまいに襲われサキヤノはへたり込む。ぐるぐると視界が回るのは、酸素が行き届いていないからか、それとも頭が追いついていないからか、果たしてどちらだろう。

 ……俺って、相変わらず二択で考えちゃうんだな。


 呑気に分析していた時、誰かがサキヤノの肩を揺らした。


「サキ君!!無事!?生きてる!?」


 モニカだ。

 勢い強く、彼女はサキヤノの肩を揺らし続ける。酔いそうになり、サキヤノは首を押さえながらモニカの腕を掴んだ。


「……せ……」


 すみません、と言おうとしたが声が出ない。

 ——苦しい。


「っ、喋らないで良いよ」


 心痛に顔を歪め、モニカはサキヤノの口に指を添えた。サキヤノの横に座る不安そうなゲルトルードの頭を撫で、彼女は再びサキヤノを見据える。


「二人を呼び戻したのは、急ぎの用事があったからよ。どうしても今日中に話さなきゃって思って」


「そんなに大変なことなんですか?」


 ゲルトルードがサキヤノの言葉を代弁するように首を傾げた。

 確かにその通りだろう。まさか荷物を届けてすぐ呼び戻されるなんて、思ってもいなかった。それに彼女は暫く聖都に帰って来ないでと言っていたはず——と、サキヤノは薄目をモニカに向けた。


 「うん。予想外のことが起きたけど、間に合って良かった」モニカは心底安堵したように呟いた。「この間みたいに、助けられなかったらどうしようって……」


 モニカは短剣を鞘に収め、立ち上がった。


「とにかく、話は室内で!……案内するね」


 早足で聖都に向かうモニカに、サキヤノは手を伸ばした。

 待って、とも言えない。

 幸いにもゲルトルードは気が付いて、声を張り上げてくれた。


「モ、モニカさん!ちょっと待ってください!」


 ——ああ、こんなので俺は役に立てるのかな。

 幸先悪いスタートを切ったサキヤノは、自信が消失していくのを止めることが出来なかった。




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